第4章:千年 ――ちとせ――(4)


 刈谷千登勢をハーヴェルの山中に埋葬して弔った後、ファルスディーン達は、グランシャリオの転移能力でフェーブル城に帰還した。あざとい家臣達には顔を合わせたくないので、そのまま未来の眠る部屋へ直行する。部屋には例の老医師が待機していて、ファルスディーン達の姿をみとめると、椅子から立ち上がり会釈した。ファルスディーンは、彼の手に薬瓶を押し込む。
「頼む」
 頭を下げると、医師は頷き、それからしばらく間を置いて、訊ねた。
「千登勢殿は」
「眠られた」
 短い応えの中に全てを悟ったのだろう老人は、それ以上を訊く事は無く、再び未来の傍らの椅子に腰を下ろした。
 薬瓶の蓋を開け、傾けて、中の白い液体を未来の口に含ませる。しかし未来の身体はそれを受け付けず、吐き出された薬がだらりとこぼれた。二回やったが、結果は同じだった。
「馬鹿か、お前は!」
 聞こえない事も忘れ、ファルスディーンはベッドの縁に手をついて怒鳴りつける。
「飲まなかったら死ぬんだぞ、飲め!」
「次で駄目でしたら、口移しですな」
 老医師がぽつりと呟いて、ファルスディーンを見上げる。もうひとつ視線を感じたので振り返ると、スティーヴもこちらを見ていた。
「な、何だ」
 ファルスディーンは狼狽えて一歩後ずさった。
「何で皆で俺を見る」
「いえ、何」
 スティーヴが微笑を浮かべて肩をすくめる。
「やはりそうなったら、戦巫女様を召喚されたあなたがすべきだと思いまして」
「俺がか!?」
 途端にファルスディーンは耳まで真っ赤になって、裏返った声をあげた。
 ファルスディーンはその生い立ちと立場から、異性と付き合った事が無い。口づけなどもってのほかだ。絶対にスティーヴの方が適役だと思う。しかし彼の言う通り、未来をこの世界に呼んだのは王族である自分だ。責任を持って救う必要がある。
「そうだ、責任を取るだけだ。人命救助だと思えばいいんだ、人命救助……」
 いつの間にか背を向けて、一人ぶつぶつ呟いていたファルスディーンの耳に、ごくん、と嚥下の音が届いた。
「飲まれましたな」
 のろのろ振り向くと、老医師があっけらかんと告げる。
「残念でしたね」
「何がだ!」
 スティーヴがにやにやと笑いながら言うので、ファルスディーンは思わず声を荒げていた。

 まぶたの裏にまで差し込む陽の光が、やけに眩しかった。どれだけ眠っていたのか、目を開けるのは億劫だったが、開いてしまえば意識は明瞭だった。身を起こし、未来は、ここがフェーブル城内の、滞在時に使っていた自室だと認識する。アイゼンハースで倒れてからどれだけの時間が過ぎたのだろう。
「気がついたかい?」
 優しい声に首を巡らせると、椅子に腰かけたスティーヴが、穏やかな目で未来を見つめていた。彼は、未来が竜の毒を食らった事、ファルスディーンと共にそれを癒す為の薬を求めて、元戦巫女の刈谷千登勢を訪ねた事を、手短に語った。
「ファルスディーン……は、どこですか?」
 訊ねると、
「先程、事の次第をフォルカ陛下にご報告に行かれたよ。もうすぐ終わるかな」
 スティーヴは柔らかい口調で返し、逆に問う。
「会いたいかい?」
 未来は一も二も無く頷いていた。
 ファルスディーンに会いたい。未来の胸に素直にその想いが生まれた。会って、心からの礼を言おう。スティーヴが退出して行った後、寝間着からいつもの服に着替えて、未来は部屋を出た。フォルカ王にも、心配をかけた詫びを言わなければならない。謁見の間へ向かおうとして、途中の廊下で足を止めた。
 そこからは、城の中庭が見渡せた。今は冬だが、庭師がきちんと手入れしているのか、寒くても咲く花がある。数年前からガーデニングに目覚めた母が世話をしているものと同じ花も、いくつか見受けられた。思わず庭に降りて、興味深げに見入っていると。
「……未来?」
 背後から名を呼ばれたので、振り返る。ファルスディーンが、驚きと安堵の入り交じった表情で廊下に立っていた。
「目覚めたのか」
 こくりと頷くと、ファルスディーンは近づいて来て、大きく息をついた。
「良かった」
 心底から安心した、という声色に、彼にどれだけ心配をかけたかがうかがい知れる。
「スティーヴから聞いたよ。私を助ける為に山奥まで行ったんだって」
 ファルスディーンの顔を見つめ、未来は微笑んだ。
「ありがとう、ファ……ル」
 おずおずと、少しだけ遠慮しながらその名を呼ぶと、ファルスディーンは一瞬、紫の瞳をみはった。が、すぐに表情を和らげる。
「やっと笑ったな」
 今度は未来が驚く番だった。ネーデブルグの遺跡以来二度目の、ファルスディーンの笑顔だった。
「ファルだって」
「そうか?」
「そうだよ」
 二人は互いに笑いを洩らし、それから不意に黙り込んだ。しばらく見つめ合ってしまう時間が続き、それが何だか恥ずかしくて、未来が視線を逸らすと、「あ」とファルスディーンが何かに気づいたように声をあげた。
「な、何?」
「目をつむっていろ」
 何事かとたじろぐ未来に向けて、静かだが有無を言わさぬ声音で王太子が告げるので、言われるままに目を閉じる。次の瞬間、ふっと彼の手が髪に触れ、そしてすぐに離れていった。
「もういい」
 その声に導かれて視界を開く。ファルスディーンは斜め上方を見上げていたが、やがて未来に視線を戻し、苦笑した。
「何がついていたかは、言わない方が良いだろう?」
 それで察した。いつかのように、未来の髪に虫がとまっていたのだろう。未来が怯えないように、見ないように、彼は気を遣ってかつての約束を果たしてくれたのだ。
「ありがとう……」
 彼の思いやりが嬉しくて、胸のあたりがむずがゆい。まっすぐに紫の瞳を見つめるのが気恥ずかしくなって、未来は話題を振り替えてその気分を誤魔化す事を決め込んだ。
「そうだ。私を治す薬をくれたのは昔の戦巫女なんだよね。千登勢さんに会って、ちゃんとお礼を言いたいな」
 そう告げると、ファルスディーンは瞬間、何とも言いがたい複雑な表情を見せた。が、すぐにそれを消すと、深くうなずいて応える。
「そうだな、この戦が終わったら、改めて」
「うん」
 未来は頷き、毅然としてファルスディーンに告げた。
「ファル、私、諦めないよ。戦巫女として戦う事も。フォルティアやネーデブルグを救う事も。利久の事も。全部、最後まで諦めない」
 ファルスディーンが紫の瞳を驚きに見開いて、それから力強く頷き返す。
「強くなったな。フォルティアに来たあの日からは、比べ物にならないほどに」
「ファルのおかげだよ」
 未来は再度微笑み、右手を差し出す。
「だから、これからもよろしく」
 その手がぎゅっと握り返される。
「勿論だ。フォルティア王族として、命の限りお前を守ろう」
 ファルスディーンの手は、思っていたより大きくてひんやりとしていた。しかしそこに込められた力強さに、未来の心は温かい想いで一杯になる。
「守るよ」
 言葉は、自然にこぼれていた。未来の言葉は力を持つ。口にすればきっとかなう。そんな気持ちを込めて、未来は言った。
「私も、戦巫女として。ファルを、皆を、守るから」