刈谷千登勢はぽつぽつと語り出した。
「わたくしの戦巫女としての能力は、動植物を問わず、生物を意のままに操るというものでした。魔物もわたくしに従いますし」
それで狼達が彼女に従ったのか。納得すると。
「その気になれば、あなたがたに命を絶つように仕向ける事も」
本気ではない事を示すように微笑して、千登勢はファルスディーン達を見渡す。
「私の戦巫女としての戦いは、実に短くあっけないものでした。魔物達に退くように命じ、北の地へ向かい、デア・セドルに自らを封印するように言った。それだけでした」
デア・セドルは強大な力を持つ魔族だったという。四百年前、一度は復活したそれに、封印を強制するとは、千登勢は未来とはまた別種の強さを持つ戦巫女であったに違い無い。しかしそれと贖罪と、何の関係があるのか。ファルスディーンが首をひねると。
「わたくしの戦巫女としての務めはすぐに終わりました。しかしわたくしには、元の世界に帰る場所が無かったのです。婚約者は特攻隊として南の空へ消え、三月の大空襲で親族も全て失いました」
特攻。空襲。その単語の意味をファルスディーンが知る由は無い。しかしそれらが、人の命を無情に奪う不吉なものである事は、千登勢の口振りから感じて取る事はできた。
「そんな失意の中、フォルティアに召喚されたわたくしに、当時のフォルティア王子は優しく接してくださいました。帰る場所が無ければこのフォルティアを故郷にすれば良い、共にフォルティアを守っていこうと」
過去の幸福な思い出に幸せそうに微笑む千登勢の表情は、しかしすぐに悲痛なものにとって変わられる。
「しかしあの方は、国王陛下の命でステアの姫君と結婚する事になりました。裏切られた、と思いました。諦めるには、わたくしは若過ぎました。わたくしは、強力な毒草に育ちなさいと命じました。そして婚姻の当日、その毒を食事に混ぜなさいと、厨房を出入りする鼠に命じました」
そこまで聞いた時点で、ファルスディーンも思い出した。丁度千年前だ。結婚式の最中、突然亡くなったフォルティア王子がいた事を。そしてそれが急な病などではなかったという告白を、今、自分は聞いている。
「わたくしは、裁かれてあの方の後を追う事を望みました。ですが、意志に反して誰もわたくしを疑いませんでした。いえ、疑いはあったのかもしれませんが、誰も口にしなかった。わたくしは裁かれずに生き残ったのです」
口元を覆い声を震わせながら、千登勢は続けた。
「わたくしは、堪え切れませんでした。そして女神アリスタリアにすがりました。デア・セドルを封印した際、女神が戦巫女にひとつだけかなえようと約束してくださった願いを、果たしてもらえるように」
彼女が何を願ったのか。ファルスディーンにもスティーヴにももう察しはついた。継がれた元戦巫女の言葉は、二人の考えに確信を与えた。
「わたくしは、永遠に終わらない罰を望みました。そして女神は、不死ではあるが不老ではない身体を、わたくしにくださったのです」
それで合点がいった。刈谷千登勢が千年生きている、しかも酷く老いている、その理由に。
「不死ですから決して死にはしませんが、年を重ねて老いてゆくほどに身体は衰えます。怪我や病を負えば楽には治りません。しかしその苦しみがある限り、わたくしはあの方を忘れずに生きてゆけるのです」
沈黙が落ちた。ファルスディーンには理解しがたかった。この元戦巫女が、そこまでして苦行を負い、生き長らえるのが。自分は女の身ではないし、まだ子供だと自覚している。傍らのスティーヴなら、また何か異なる感想を抱くのだろうか。
うつむき肩を震わせる千登勢を見て、余計な事を訊いてしまったのだと罰が悪くなった。早めにこの場を辞すべきだという考えが浮かび始めた頃。突如庵の外で狼達が吠え始めた。激しい咆哮はしかしやがてやみ、しんと静まり返る。
「わたくしが」
立ち上がりかけたファルスディーンを制して、涙を拭った千登勢が出口へ向かい、戸に手をかける。その瞬間、ぞっと背筋をはい上がるような殺気を外から感じて、ファルスディーンとスティーヴは同時に剣を抜いて椅子を蹴っていた。
警告を発するには遅過ぎた。扉が開いた途端に飛び込んで来た銀色の狼が、千登勢の喉を噛み切っていたのだ。
千登勢が血を吐きながらあおのけに倒れきる前に、グランシャリオを抜き放ったファルスディーンは、狼を斬り捨て、庵の外に飛び出した。元戦巫女に従っていたはずの魔物達は、敵意を露にして庵を取り囲み、低い唸りを発している。彼らはさっきまで大人しく千登勢に服従していた。一体どういう事か。訳がわからず混乱するファルスディーン達の元に、耳障りな笑い声が届いた。
「あっはははは、フォルティアの戦巫女を始末できれば上々と思っていたのに、元戦巫女とフォルティア王太子までまとめて殺れるチャンスができるなんて。アタシはついてるんですの」
狼達の後方で腕を組んで立つのは、闇の中で逆に目立つ、色素の薄い髪と瞳。
「ヒューリ・リンドブルム!」
「あら、名前覚えてくれましたのこと?」
ヒューリは八重歯の覗く口元をにたりと歪めて、我鳴るファルスディーンを見返した。それを合図にしたように、魔物が一斉に飛びかかって来る。ファルスディーンとスティーヴはそれを叩き斬って銀の粒子に還すと、油断無く剣先をヒューリに向けた。
「何故、魔物がお前に従った」
「何故? 意外と鈍いですのね、キミ達」
ヒューリはせせら笑って、ファルスディーン達の後方に視線を向ける。
「そっちは薄々気づいてるみたいなのに」
首を裂かれても死ぬ事の無い千登勢は、ふらふら起き上がり、血の塊を吐き出した後、ヒューリを睨みつけた。
「戦巫女と同等の力……あなたは」
「はい黙る」
少女の放った光弾が、千登勢の脇腹を貫いた。
「苦しいでしょ? あんたの苦しみを終わらせてあげる」
ヒューリのかざした手から白い光が生じ、元戦巫女を包みこむ。
「アリスタリアが課した業を、打ち消してやろう。心置き無く」
にやりと、邪悪さに満ちた笑みが洩れる。
「死ねばいい」
光がその身に吸い込まれ、千登勢はびくりと身を引きつらせて地に倒れ込んだ。
「何をした!?」
「アリスタリアがそいつに与えた罰を、終わらせただけ。その婆、もうすぐに」
激昂するファルスディーンを、滑稽だとばかりに鼻先で一笑に伏して、ヒューリはまるで世間話のようにさらりと言った。
「死ぬよ」
ファルスディーンが、スティーヴが、ヒューリに斬りかかった。剣が相手を捉えたと思う瞬間、ヒューリの姿は揺らぎ、後方に転移する。
「あっははは、アタシを捕まえようなんて、無理ですの」
ヒューリは哄笑を洩らす。が、次の瞬間、彼女の眼前に七色の光が生じて、色の薄い瞳が驚愕に見開かれた。グランシャリオの転移能力を用いたファルスディーンが追跡したのだ。避けるには遅く、金とも銀ともつかぬ輝きが、ヒューリ目がけて躊躇い無く振り下ろされた。
「っぎゃああああ!!」
女らしからぬ悲鳴がぶちまけるように吐き出される。ファルスディーンの一撃は、ヒューリの左腕を肩口から斬り飛ばしていた。
「痛い、痛いんだったら!」
地に落ちた腕をつかんでうずくまるヒューリに、ファルスディーンは容赦無く剣先を突きつける。
「未来や千登勢殿は、もっと苦しい思いをした」
紫の瞳が非情に細められる。
「慈悲など与えない」
ヒューリはぼたぼたと血をこぼしながら、ぎんとファルスディーンを睨み返した。
「楽しくない……ああ、楽しくないったら!」
その姿が、揺らぐ。
「この借りは、絶対に返しますのよ。死んだ方がましだってくらい、後悔させてやる!」
不吉な捨て台詞を残して、少女は消えた。後には、ファルスディーンと、スティーヴと、倒れ伏す千登勢と、静寂だけが残る。ファルスディーンはグランシャリオを鞘に収めると、千登勢の元に駆け寄り、その身を抱き起こした。
「薬を持って来る。どれを取れば」
スティーヴの取り出した布で傷口を抑えてやると、震える皺だらけの手がそっと乗せられる。
「いえ、もう。己の身の事は、己が最も良くわかります」
「すまない、俺達が来なければ」
「これが、わたくしの寿命だったという事でしょう」
ファルスディーンは唇をかみしめるが、千登勢は、死が迫っているとは思えないほど穏やかに微笑む。それから、深刻に口を引き結んだ。
「お気をつけください。恐らく、真に戦わねばならないのは、ステアではなく、あの少女」
突然の宣告にファルスディーン達は面食らったが、千登勢は続けた。
「我々戦巫女が、約二千年の昔から、いずれ立ち向かう事を定められていた相手」
「何者だ、奴は」
ファルスディーンが問うと、千登勢は答えた。
「『拒空(こくう)』と……伝説には残っております。かつて女神が戦い、異世界に封じた者」
初めて聞く名だった。歴史の授業で耳にした事も無い。かつてアリスタリアと争い、その為に百年この世界が荒れ果てた存在がいた事。その伝承はファルスディーンも知っているが、神話の域だと思っていた。しかし、死に向かう者の言葉だ、虚言とは思えない。それに、それほどの存在なら、ヒューリ・リンドブルムの、戦巫女、いや、神に準ずる能力にも納得がいく。
まだ訊きたい事はあった。どうすれば彼女に対抗し得るか。戦巫女を擁しても、人の身で倒せるのか。だが、全てを訊くには、元戦巫女の残りの命の灯は少な過ぎた。彼女は激しく咳こんで、更なる血を吐く。
「……ありがとうございます」
千登勢の手が宙を彷徨った。もう目が見えていないのか。自分の顔を求めているのだと悟って、ファルスディーンは、血に汚れるのも構わずその手を取り、己の頬に押し当てた。
「あの方と同じ名を持つ方にみとっていただけるなど、わたくしには、身に余る幸せでした」
ファルスディーン、と、声にならない言葉を唇がかたどり、元戦巫女は息を引き取った。
ファルスディーンはかなり長い間、無言で動かなかった。しかしやがて、千登勢の手を下ろして胸元で組ませると、怒りを瞳に宿してその名を呼んだ。
「……拒空!」