第3章:ずっとお前が好きなんだ(5)


 恐らく、あの時からすでに、千春は克己に惹かれていたのだ。

 だが、十河克己は、顔に加えて、柔道での強さもあって、多くの女子に好かれていた。彼に告白した女子の数を、千春は正確には把握できない。ただ、ことごとくが恋破れた、というのだけは知っている。
 ラブレターの仲介役を頼まれたこともある。
『澤森くん、十河くんと仲良しだよね? これ、お願い!』
 放課後校舎裏に呼び出され、顔を真っ赤にした女子に、ハートマークのシールで封をした、白いふわっふわの封筒を押しつけられた。
 その時千春がおぼえた感情は、確実に、嫉妬、であった。
 このラブレターの相手が自分ではないことはどうでもいい。相手が克己だということに、とてつもないいら立ちを感じずにはいられなかったのだ。
 克己がこれを読んで、もしオーケーを出してしまったら。この女子とつきあい始めたら。
 もう、克己は自分と一緒に登下校したりしない。休みの日に、一緒に出かけたりしない。柔道の試合で応援しても、きっと笑顔を返すのは、自分にはならない。
 その時の千春は、ずるいことをしようとした。
 克己にこの手紙を渡さなければ、克己がこの女子の気持ちを知ることは決してない。引き受けたふりをして、人知れず処分してしまえば。
 そこまで考えたところで、自分の心のみにくさに、千春はなさけない気持ちになった。そんなずるい自分を、克己は軽蔑するだろう。友人としてすら扱ってくれなくなるかもしれない。
 だから、息苦しさを押しこめて、『わかった。うまくいくといいね』と作り笑顔で女子の手からラブレターを受け取った。心にもないことを言っている自覚は、きちんとあった。
 でも結局、少女の想いが克己に届くことはなかった。
 彼がくだんの女子を呼び出したのを、こっそりと見守った千春は、見てしまったのだ。
 いつになくきびしい表情をした克己が、ラブレターを渡した女子を見下ろし、
『本当に好きなら、自分の手で渡してくれ。友情にかこつけてオレの親友を使い走りにするような子とは、オレはつきあえない』
 そう、きっぱりと言い切った。
 その後、教室でその少女が大泣きし、『あんな、恋より柔道が好きなやつ、早く忘れたほうがいいよ』と友人たちになぐさめられているのを、どこかほっとした気持ちで聞いていた。

「……っはあー……」
 ぬいぐるみを抱く腕に力を込めながら、千春は大きなため息をつく。
 明日になったら、どういう顔をして克己と会おう。さっきはソル・スプリングのことを聞いてこなかったが、存分に問い詰められるかもしれない。
 その時、事実を話したら、克己はなんと言うだろうか。とうとう千春が、好きな少女漫画の世界へ逃避してしまったと思わないだろうか。呆れ果てないだろうか。
 もやもやと考えている間に、随分と時間が経ってしまったらしい。
「おーい、千春!!」
 父の呼びかけが階下から飛んできた。
「早く風呂入れよー! 明日も学校なんだから、色々忘れてさっさと寝ろ!」
「いっ、今行く!」
 千春は慌ててアザラシを放り出し、入浴道具一式を抱え込む。
 そう、今日はもう忘れよう。明日は明日の風が吹くのだから。