第3章:離苦 ――りく――(3)


 利久が世話になっている家へ帰ると、家の者達が集まり、ぼそぼそと話し合っていた。利久の姿を見ると無理に笑顔を作ったものの、自分に関わる話をしていたのだろうと予測はつく。
「何かあったんですか」
 利久が訊ねると、彼らは顔を見合わせたが、やがて妻――利久を最初に助けた女性が、複雑そうな表情で語り出した。
「この国の女王様からお触れが出たんだよ」
 彼女はおずおずと続ける。
「戦巫女が降臨したはずだ、居場所を知らせれば金貨千を与えるってね」
 金千枚がこの世界でどれだけの価値を持つのか、利久は知らない。だが、決して安い金額ではないだろう。自分がその女王とやらの元に行く事でこの辺境村が少しでも潤うなら、世話になった恩返しにもなる。そう考えて、利久は気軽に答えた。
「じゃあ、早速知らせてください。俺は行きます」
「とんでもない!」
 家の者達全員が即座に声を揃えた。予想外の反応に利久が思わず怯むと、家の主人が語り出す。
「女王陛下は今、フォルティアとネーデブルグに戦を仕掛けようとしているんだ。あんたの事を陛下に知らせれば、きっとその戦に駆り出される」
「女王陛下は、優しいお方だったのにのう。半年ほど前から、お人が変わったようになってしまわれて」
 妻の父親がふうと嘆息する。
「以前は、魔物が出たと知れば、このような辺境にも討伐の兵を派遣してくだすったのだが、今は放りっぱなし。それどころか、陛下が魔物を操っているなどという噂まで流れとる」
 利久が目をみはると、彼らは一様に手を横に振る。
「ああ、言わないよ。あんたの事は絶対に言わない。恩人を突き出すような真似をする奴は、この村にはいない。今まで通りに過ごしておくれ」
 彼らはそう言ってくれたが、それは余計にアルテムの村に迷惑をかける事になるのではないか。利久は心苦しくなった。

 穏やかな日々の終焉は、唐突に訪れた。
 ある日、いい加減何もしない状況に耐えられなくなって、半ば強引に畑仕事に参加していた利久の元に、リックの弟妹が今にも泣きそうな顔をしてやって来たのだ。曰く、兄が昨夜から帰って来ない。村中の心当たりの場所を探したのだが、見つからないのだと。
 アルテムは、ひとたび村を出れば魔物が出没すると、この数週間の滞在の内に何度も聞いた。山にでも迷い入ってしまったのだろうか。利久は農作業の手を止め、リックを探しに行く事に決めた。周りにいた男達が幾人か、共に行くと申し出てくれる。だが。
「大丈夫です。俺は一人でも戦えますから」
 流石に、戦巫女の力を振り回すのに普通の人間がいてはお荷物になるから、とは言えず、利久はそれだけを告げて走り出した。
 もしかしたら街に降りたのかもしれない、という村人の言葉に賭けて、利久は街道へ続く山道に入った。元々長時間走る事には慣れていたが、戦巫女の能力のおかげで、ほとんど息切れする事も無く駆け続けられる。
 ほど無く走った所で、利久は空気の微妙な変化を感じて足を止めた。右手の崖の上から利久を狙っている存在がある。数は、七か、八。このように感覚が鋭敏になったのも、戦巫女の能力の賜物か。考えながら、利久は両手に意識をやった。当たり前のように金色の槍が現れる。
 それと同時、崖の上から敵が飛び出して来た。緑を基調にしながらも奇妙なまだら模様を持つ、大型のトカゲのような魔物が、飛びかかって来る。
 利久はその場から避ける必要も無かった。槍を突き出す。それだけで二体が串刺しになり、緑の粒子になって消えた。振り向きざまに槍を振り払うと、三体の首が飛び、一匹が山道から崖下へと転がり落ちて行った。残る二匹が左右から突っ込んで来る。利久は軽く地を蹴って宙へ跳び、獲物を見失って互いに正面衝突した魔物の脳天それぞれに、槍を突き立てた。
 辺りが静寂を取り戻すのに、ものの五分とかからなかった。利久は槍を仕舞ってふうと息をつく。すると、ぱん、ぱん、ぱん、と、どこか人を小馬鹿にしたような拍手が耳に届いた。
「さっすが。本物の戦巫女で間違い無いようですなのね」
 台詞とは裏腹な、やはり相手を侮るような口調と共に、色素の薄い髪と瞳をした、利久より少しばかり年上に見える少女が姿を現した。
「ステア女王セルマリア配下、ヒューリ・リンドブルム」
 利久がじろりと見すえ、誰だ、と問いかけるのに先じて、少女はにこりと笑って告げる。
「戦巫女、キミを迎えに来ましたのよ」
 ヒューリと名乗った少女の後から、赤い甲胄をまとった兵士達がぞろぞろ現れる。その中に、身を縮こませるようにやって来た少年の姿を見つけて、
「リック、無事だったか」
 利久はほっと息をつき、それから表情を強張らせる。リックの手の中には、薬の袋が大事そうに抱えられていた。それで利久も気づく。何故、ステア女王の部下と名乗る連中が利久を見つけたのか。少年が、街へ降りて行って何をしたのか。
「リック」
 それ以上の言葉を失って立ち尽くす利久に、リックはしばらくの間、顔を向ける事をしなかったが、
「だって」
 やがて、絞り出すように声をあげる。
「こうでもしなきゃ母ちゃんの病気は治らない。利久兄ちゃんは、母ちゃんを治してくれなかったじゃないか」
 目をみはる利久に、リックは更に感情的な言葉を投げつけた。
「何が似た者同士だ。おれには兄ちゃんみたいな力なんて無い。戦巫女なら戦巫女らしく、戦っていればいいじゃんか!」
 返す言葉も失ってしまった利久に、ヒューリが、何がおかしいのかと怒りさえ覚える笑いを向ける。
「あらあら、嫌われちゃったのね。でも、この子の言う通りじゃなくて? ステアの戦巫女はステアの為に戦えば、いい話なんですの」
「誰が戦争の片棒なんか担ぐか!」
 利久は咄嗟に言い返したが、途端に、ヒューリの色の薄い瞳に邪悪な光が宿る。
「キミに選択の余地は無いですのよ、戦巫女。もうこの子は金を受け取って薬に代えちゃったし」
 傍らのリックの頭を嫌味なまでに優しい手つきで撫で、それからその手を頭上に掲げる。
「戦巫女の降臨を把握しながら知らせなかったアルテムの村には、翻意有り、と受け取りますったら」
 それを合図とばかりに、上空から影がさす。見上げて、利久は息を呑んだ。蒼い鱗に覆われた竜が、翼をはためかせて舞っていた。
「村ごと凍らせてもいいくらい」
 ヒューリの台詞に合わせて、竜の口から、ひゅうううと、冷気が洩れる。
「やめろ!」
 利久は叫んだ。
「アルテムの人達を巻き込むな!」
 するとヒューリは、更ににたりと口元を歪めて、利久に告げた。
「それはキミ次第かな、戦巫女」
 何を求めて――いや、強制しているかわからないほど、利久は子供ではない。唇を噛み締め拳を力強く握り込んだ後、掠れ気味の声を洩らした。
「わかった。俺はお前らと行く。だからアルテムには手を出すな」
「お利口さん」
 ヒューリはにっこりと笑った。小首を傾げて、腸が煮えくり返るほど可愛らしく。
「でも、気が変わられても困るからね。この子には村を見張っててもらいますかな」
 蒼竜がばさりと翼を羽ばたかせて、アルテムの村方面へと飛んでゆく。利久は再度リックを見た。少年は、竜の行く先を目で追って、自分のした事の深刻さに今更気づいたようにがくがく震えていた。が、利久の視線を感じ取ると、ふっと顔を逸らしてうつむく。
「キャハハハハハハ、楽しい、ああ、楽しい!」
 ヒューリの場違いなまでの笑声が山道に響き渡り、それはいつまでも止まないかのように思えた。