第2章:侵攻 ――しんこう――(2)


 ネーデブルグは緑豊かな地であった。
 フォルティアでも、馬車から見渡す街道には季節の色とりどりな花が咲き乱れ、ともすれば荒みがちな戦いの旅路の心をなごませてくれた。しかし今眼前に広がる光景は、未来が今まで見て来たどんな自然の風景の中でも、最も美しい姿を見せつけている。
 どこまでも続くかのように広がる、金色の穂実った畑。幼い頃、家族で高原へ旅行に行って一面の緑を見た事はあるが、これほどまでに胸を打つ美しさは無かった。きっとここに暮らす人々の心も美しいのだろうと、未来は思う。
 フォルティア国内の魔物退治が落ち着いてきた頃、ネーデブルグの国王からファルスディーンの元に、助力を求める親書が届いた。ネーデブルグは、共にステアに立ち向かう親交深い国である。ファルスディーンは即座に彼の国への遠征を決断した。
 ネーデブルグ王都アイゼンハースは、道中の自然が嘘のように硬質で、ひとつの堅牢な要塞に見えた。きっちりと区画整理され、曲面というものを一切排除した建築方法で組まれた建造物が整然と並び、王城までの大通りが続いている。中学の修学旅行で行った京都も、碁盤の目と称される通り計算し尽くされた道路の作りになっていたが、アイゼンハースはさらに上を行っているような気がした。
 大通りを抜け城の前へ着き、最早乗り慣れた馬車から降りる。と。
「未来ちゃーん、久しぶり!」
 明るい声が耳に届いて、そちらを見やる。瀬戸口芙美香は、出会った時と変わらない陽気な笑顔で、手を振りながらやって来た。
「おっ、髪型変えたんだ。可愛い可愛い」
 芙美香の指摘した通り、未来の髪はまた別の形を取っていた。ラプンデルの時のように流しっぱなしでは動きの妨げになるので、ツインテールにしたのだ。
「芙美香さんこそ、元気そうで」
「まあ、あたしは元気だけが取柄だからね」
 未来が笑みを返すと、芙美香はぱしんと己の胸を平手で叩く。それから急に口元を引き締め周囲を見渡し、他人がこちらの話を意識して聞いていない事を確認すると、未来の頭を抱え込んで耳打ちした。
「あのね。これからこの国の王様に会うだろうけど、気をつけた方がいいよ」
「え?」
 意味をはかりかねて未来が小首を傾げると、芙美香は、はあ、と大きな溜息をつく。
「あのサフィニア以上にクセのある人だから」
 芙美香にそこまで言わせるとは、どれだけ偏屈な人物なのか。未来は不安にならざるを得なかった。

「ファルスディーン様!」
 ファルスディーンと彼に付き従うスティーヴと共に、謁見の間に入ると、早速サフィニアの甲高い声が耳を突いた。実年齢より遙かに幼く見える姫は、スカートをつまみあげ、たかたかと靴音を響かせて、ファルスディーンの元に駆け寄って来る。
「またお会いできて、嬉しゅうございますわ!」
 流石に今回はいきなり飛びつきこそしなかったが、姫は相変わらず熱っぽい目でファルスディーンを見上げる。
「各地を転戦されていると聞いて、ご無事だろうか、お怪我をされていないかと、サフィニアは毎日心配しておりましたのよ」
「い、いや、大事は無い。平気だ」
 何となくサフィニアに気圧されながら、ファルスディーンは視線を彷徨わせ、一点ではっと止まると、咄嗟に膝をついた。それを追い、未来も慌てて居ずまいを正す。
「お久し振りでございます、カーレオン陛下」
 視線の先、玉座にいたのは、柔らかそうな金髪にサフィニアと同じ灰色の瞳をした青年だった。ファルスディーンも「陛下」と呼んだ事から、彼こそがネーデブルグの国王なのだろう。王というからにはフォルカと同年代の男性を想定していたので、未来はその意外性に驚いてしまう。
「立ってくれないか、ファルスディーン王太子。呼び立てたのはこちらだ。ひざまずかれるいわれは無いさ」
 ネーデブルグ王はわざわざ玉座から降りて来て、ファルスディーンの肩を叩いてまで彼を立たせた。
「サフィニアは本当に君の身を案じて、毎夜のように女神アリスタリアに祈りを捧げていたのだよ」
「お兄様ったら」
 カーレオンの言葉に、サフィニアは気恥ずかしそうに赤らめた両頬を手でおさえる。それを穏やかな笑みで見やって、国王はそれから未来に向き直った。
「君の噂はかねがね聞いている。お会いできて光栄だよ、フォルティアの戦巫女殿」
 未来の右手を恭しく取りその甲に口づけて、国王は名乗った。
「ネーデブルグ国王、カーレオン・オルフ・ネーデブルグ。サフィニアの兄だ」
「あ、わ、私は、矢田未来です」
「未来。とても美しい砂糖菓子のような名前だね」
 異性にそんな事を言われたのは初めてだ。灰色の瞳で優しく見つめられるとぽうっと頬が熱くなる。
「はは、照れた顔も愛らしい」
 芙美香は癖のある人物だと言っていたが、確かに恥ずかしい台詞をさらりと吐きはするものの、好青年ではないか。妙にどぎまぎしてしまって、カーレオンから顔を逸らすと、ファルスディーンが実に複雑そうな表情でこちらを見ている。が、彼はすぐにそれを打ち消すと、カーレオンに向き直り訊ねるのだった。
「時に陛下、我らの力を必要とする事態とは」
「おおそうだ、その為に君達を呼んだのだったな」
 カーレオンは何故か未来の手を離さず、両手で包み込み軽く撫でさえしながら、続ける。
「先日ステアの一軍が攻め込んで来た折だ。撃退する事はできたのだが、彼奴等め、我らがネーデブルグの神聖な遺跡に凶悪な魔物を置き土産にして行ったのだ。退治の為に幾度か兵を送ったが全く歯が立たず、撤退を余儀無くされている」
「それを、我々が倒せばよろしいのですね」
 ファルスディーンの紫の瞳が、緊張を帯びて細まった。
「国内の事情を君達に押しつけるのも恥ずかしい話だが、最早手に負えなくてな。我が国の戦巫女に任せる手もあったのだが、彼女一人では流石に危険だ。だが、もう一人の戦巫女殿がいてくれれば、不可能な話でもなくなるだろう」
 カーレオンはまるで他人事のように流暢に語り、ファルスディーンではなく、未来の顔を覗き込む。
「受けてくれるかな?」
 未来は戸惑い、助言を求めてファルスディーンを見た。
「俺は当然行く。お前はお前自身で決めろ。フォルティア王族は、自国の戦巫女の意志をむげにはしない」
 ファルスディーンの口調は相変わらずそっけなかったが、これが彼なりの気の遣い方なのだろうという事が、いい加減未来にもわかってきた。なので未来は、金色の瞳に決意を宿してうなずき、宣言する。
「私も行くよ」
 それから、カーレオンを見つめ返し、きっぱりと告げる。
「行きます」
「そうか、受けてくれるか!」
 カーレオンはその端正な顔に喜色を満たして感謝を示すと、いきなりがばりと未来を抱き締めた。男性に抱擁された経験などあるはずが無い未来は、完全に固まってしまう。ファルスディーンは、驚きを隠せない表情でこちらを見ている。後ろに控えていたスティーヴが、流石に何か言わんとしかけた所で、
「おお、これはすまない!」
 カーレオンが、今気づいたとばかりに腕を解いた。
「女性相手に唐突過ぎた。許してもらえるかな」
「い、いえ……はい、大丈夫です、平気です」
 サフィニアといいこの王といい、ネーデブルグ王家は大胆な家系なのだろうか。カーレオンが離れても、未来の心臓はまだばくばくと言っている。
「遺跡には、我が王家の秘剣も眠っている。魔物を倒せたら、それも持ち帰って来て欲しい。今後のステアとの戦に欠かせなくなるだろう」
「承知いたしました」
 今しがたの動揺を既に抑えて、ファルスディーンはカーレオンに深々と頭を下げる。ネーデブルグ王は満足げに頷き、
「よろしく頼むよ、未来」
 と、再度未来の手を取り、両手でしっかと包み込むのだった。

 ファルスディーン達が辞し、サフィニアや家臣達も退出した謁見の間で、カーレオンは一人、玉座にかけていた。顎に手をやった姿は何か深い考えに耽っているようにも見える。が、その口元にはやがて、歪んだ笑みが浮かび、くつくつと嫌な笑いがこぼれ落ちる。
「見ろ、フォルティアの戦巫女は既に我が意のまま」
 誰にでもなくカーレオンは洩らした。
 歴代の戦巫女の中でも、言葉ひとつでらあらゆる事象を発して戦える者などいなかった。その最強の戦巫女を自分のものにできたら、ネーデブルグの国威は大いに高まるだろう。既に意識させる事には成功したと、カーレオンは自負している。
 ファルスディーンの扱いも簡単だ。サフィニアは奴を慕っている。妾腹の、ネーデブルグ王家特有の金髪も持たない卑しい娘を、表向き妹と慈しんできたのも、ファルスディーンに嫁がせれば良いと思っているからだ。ネーデブルグの血を引く子供が未来のフォルティア王なら、外戚として権力を持てる。
 後はステアを落とし、戦を終わらせた英雄となれば、自分はこの大陸全土の覇者として君臨する事ができるのだ。その為には、利用できるものは全て利用する。世界はカーレオン・オルフ・ネーデブルグの為に動くのだ。
 そんな野心が分不相応である事を、この男が思い知るには、まだ時が至っていない。