再会


 ぎしぎしと。
 身をよじる度に、手足に繋がれた鎖が軋んだ音を立てるが、緩まる様子は一向に見えない。
 私は今、蛇公国(スネイク)首都にある城の地下牢に一人、繋がれていた。
 首都へ運ばれる護送馬車の中で、あの狐面の女に、蹴られたり、鉄扇で打たれたりして、全身傷だらけだ。両手が自由にならないから、回復魔法で頬の腫れを治める事もかなわない。
 仲間達とも引き離され、彼らがどんな目に遭っているかもわからない。地下牢には光が差さず、弱らせる気か、食事すら届けられないので、どれだけの時間が経ったかさえ計り知れないのだ。
 ああ、だからもっと早く離れておくべきだった。後悔の泥水が心の中に湧き出てくるが、それを止める方法もわからない。
 人と竜はわかりあえると愛を貫いた両親に憧れ、人間の良心にすがった結果、居心地の良かった村を滅ぼし、大事な肉親も生死が知れず、世話になった人達まで巻き込んでしまった。
 私なんて、もっと早く死んでいれば良かったんだ。
 ぽろり、と涙が一粒零れ落ちた時。
 かつかつと、長靴(ちょうか)の音が近づいてきて、牢の前で止まった。たまに訪れがあるように、『蛇の牙(ヴァイパー)』の誰かが見世物の蜥蜴と嘲笑いにきたのか。そんな侮辱には心折れまいと、ぎんと眼力を込めて視線を上げ、そして、目をまたたいてしまった。
『蛇の牙(ヴァイパー)』ではないように見える。兵装をしていない。彼らより高貴な黒の服に身を包み、銀の剣を腰に佩(は)いた、二十歳くらいの青年だった。黄金色の髪が、この薄暗い牢からでも輝いて見える。
 若いとはいえ、恐らく将官階級の人間だろうに、青年は供もつけず、一人でやってきたようだ。弱った竜など敵ではない、と舐めているのか。その首に噛みついて血管を食い千切ってやろうかと歯を食いしばると、彼はおもむろに床に膝をつき、鉄格子に押しつけそうなほどに顔を近づけ、青い瞳を細めて。

 囁くように、私の名前を、呼んだ。

「俺を、覚えているか?」
 青年が小首を傾げる。ぱちぱちと瞬きしながら、私は記憶を探る。
『これきりでお別れじゃあないから』
 彼方として心の奥に封じ込めていた思い出が、一瞬にして浮上してくる。黄金色の髪と青い目をした、頭ひとつ分背の高い男の子。
 どこの町だったかはよく覚えていない。だが、遠い所から療養に来たという少年と知り合い、木の下で一緒に本を読んだり、紙飛行機を飛ばしたり、春の花畑で冠を作って王様ごっこをしたり。交流を深める内に、幼い心は恋い焦がれていった。
 だけど、彼が実家へ帰る時が来て。別れが嫌で嫌で、ぐしゃぐしゃに泣きじゃくる私の顔を手布で拭って、彼は言ってくれたのだ。
『また会えたら、おれはお前を素敵なお后様にしてやるさ』
 そんな陳腐な子供の約束は果たされる事が無いと、心の宝箱に仕舞い込んで鍵をかけ、忘れ去っていた。その彼が今、精悍な大人になって、目の前にいる。
 懐かしさで胸が一杯になると同時、しかし、恐れが這い上がってくる。彼は公国の兵だったのだ。竜の私を処刑する為に現れたのだろう。もしかしたら、あの狐面の女が、私達の関係をわかった上で仕組んでいるかもしれない。
 ところが。
「大丈夫だ」
 彼は自信に満ち溢れた声で、あの頃より男らしさを増した笑みを見せると、牢の鍵を開け中に入ってきて、鎖の鍵も解いてくれた。拘束が無くなって脱力した身体を、逞しい腕が抱き留めてくれる。
「女の子なのにな。こんなに傷を」
 彼の手が触れた所から白く温かい光が零れて、痛みが消えてゆく。回復魔法を使ってくれたのだ。
「ごめんなさい」ありがたさより先に申し訳無さと羞恥が立って、彼の顔を見返す事が出来ない。「見ないで」
 折角思い出の人に再会出来たのに、とてもひどい格好をさらしている。一応私にだって女としての矜持はある。好きな人にみっともない姿を見せつけて、平気でなどいられない。
 それでも。
「嫌だ」
 それでも彼は、私を抱き締める腕に力を込めて、耳元でささめいてくれるのだ。
「俺の后になる娘(こ)と、やっと巡り会えたんだ。もっとお前の顔を見ていたい。お前に触れたい」
 甘い囁きに顔が熱くなり、それから、彼の言葉を咀嚼して、「えっ」と変な声が洩れる。
「后って、貴方、本当に」
 頭ひとつ分高い顔を唖然と見上げると、彼は子供の頃の茶目っ気を残したような悪戯っぽい笑顔で、白い歯を見せた。
「俺は蛇公国(スネイク)の第一王子だ」
 私は完全に、返すべき言葉を失ってしまった。付き人が『坊ちゃま』と呼んでいたから、お偉いさんの子息ではあるんだろうとは思ったが、まさか、次の王様だったなんて。彼の青い双眸を見つめたまま、金魚のように口をぱくぱくさせていると、その青が近づき。
 熱い感触が、唇に触れた。
 初めてもらう甘やかな口づけにしばし身を委ね、幸せを噛み締める。そう、この感情は『幸せ』だ。竜族として生きて、竜獣(ドラゴン)として死するしか無いと思っていた。なのに彼は、こんな私を求めてくれるのだ。
 きっと、亡き父と母も、こうして、人と竜が想いを重ねる事を夢見たのだろう。二人の夢は儚く消えたが、その夢を私が受け継ぐ事を、諦めなくても良いだろうか。希望が私の中に息づいた時、彼の唇がゆっくりと離れ、
「行こう」
 と、確固たる決意を持って真剣な声を紡ぎ出した。
「お前を狙っていた女は、かつてこの大陸を脅かした旧神を祀り上げる、邪教の徒だった」
 そういえばあの女は、『我らが主』と言っていた事がある。それが旧神か。
「数年前に女神の信奉者として現れ、父上に取り入って重用されていたが、本性を現した」
 見抜けなかったのを悔やむかのように、彼は唇をきゅっと噛む。
「奴は、この国に封印されていた旧神の祭壇の在処(ありか)を見つけ出した途端、父上を殺し、取り込んでいた家臣達と共に祭壇へ向かった」
 そこから先は言われなくてもわかる。旧世代の神は、滅亡と絶望を司る、絶対的な破壊者だ。解き放たれれば、蛇公国(スネイク)、いや、大陸全土に滅びの風が吹き荒れ、人間は絶滅の道を辿るだろう。
「来てくれるか。神をも倒すという、竜族の力を持つ者として」
 頼みを聞くまでもない。彼の故国を守る為にこの命が役に立つなら、幾らでも差し出してみせる。私は口を引き結び、力強く首肯した。