番外編3:鈍色の矢(2)


 ガザルハン町長の屋敷で利久達を出迎えたのは、町長ではなく、その息子のエリック・フォズリルだった。息子といってもそろそろ中年で、現在病床にある父親の代わりに町長の務めを行っている、実質的な町の代表である。
「遠路はるばるようこそお越しくださいました、戦巫女様」
 彼は眼鏡の奥の目を細め、人当たりの良い笑みを浮かべて利久と握手を交わし、バロックにも会釈を送る。
「バロック将軍も。お久しぶりでございます」
 バロックは「うむ……」と唸るような応えを返すと、早速本題を切り出した。
「時にエリック殿、我らがガザルハンに来た理由は、とうにお主の耳にも入っておろう」
 するとエリックは眼鏡のブリッジをおさえてついと押し上げ、心中複雑そうな顔を見せた。
「夜な夜な徘徊する魔物、の噂ですね」
「それは噂か、事実か」
 率直なバロックの問いに、その場に一瞬沈黙が落ちる。しかし。
「事実です」
 エリックのやけに落ち着き払った答えに、利久は表情を強ばらせた。
「誰もその姿を見た者は居ません。見た者は確実に命を奪われましたゆえ。ただ……」
「ただ?」
 言葉を濁されたので、利久とバロックが同時に先を促すと、エリックは続ける。
「これは魔物ではなく、何者かによる連続殺人の疑いもあるのです」
「何を根拠にそのような推測を? 目撃者が居らぬというのに」
 バロックの問いに、エリックは再び眼鏡を押し上げて答えた。
「目撃者はおりませんが、犠牲者が、同一犯の可能性を死しても語っているのです。殺された者は皆、錆びた矢で一撃のもとに射抜かれていました」
 利久とバロックは思わず顔を見合わせた。町の平穏を乱す愉快犯でもいるのだろうか。もしこれが本当に人間の手によるものであるとしたら、
「ステアの安寧を乱し、反乱の可能性も有り得る」
 などという女王の言葉を携えたヒューリあたりが、反逆の芽を潰せと、ガザルハン制圧の命を持って現れそうなものを。
「とにかく」
 渋面を崩さぬままバロックがエリックに告げる。
「この事件は、我々ステア騎士団が解決してみせよう」
「心強いお言葉、有難く存じます」
 エリックは恭しく頭を垂れる。しかしその口の端には軽い笑みが浮かんでいたのが、ガザルハンの置かれた状況に危機感を覚えないのかと、利久に疑問を抱かせた。

 エリックとの対面が終わって客間に通される頃には、陽がとっぷり暮れ、外は暗くなっていた。利久はソファに四肢を投げ出すように身を沈め、テーブルを挟んだ向かいへ、バロックが腰を下ろす。
「バロック将軍はどう思いますか」
 敢えて目的語を出さずに利久が訊ねると、バロックは目を伏せ小さく唸った後、その目を開き、口を開いた。
「真に恐ろしきは、魔物よりも人間の方かも知れぬ」
 抽象的ではあったが、それは利久の考えでもあった。人を殺す人。それを語って尚笑んでいる者。滅亡を望む女王。人は姿こそ人であれ、その心は魔物より荒み醜いものと化しているのではないだろうか。
 物思いに沈みかけた時、ぞわりと襲い来た強烈な殺気を、戦巫女として研ぎ澄まされた感覚で感じ取り、利久はソファから跳ね起きた。
 一瞬遅く気取ったバロックの頭を押さえ込みながら自分も身を伏せると同時、がしゃああん! と窓硝子が砕け散る音と共に、外から飛び込んで来た鋭い何かが二人の頭上をかすめ、壁に突き刺さった。はっと顔を上げれば第二波が来る。利久は咄嗟にそれを眼前すれすれでつかみとった。戦巫女の反射神経が無ければ、眉間を射ち抜かれて死んでいたに違い無い。
 そして見る。自分を狙って飛んで来た物を。それは一本の錆びた矢だった。矢羽もぼろぼろで朽ちる寸前のように見せながら、鏃はいまだ鋭さを残して、充分に人の生命を奪える威力を残している事をうかがわせる。振り返れば、壁に突き刺さっている矢も同じだった。一体誰が、このような代物を用いて何をしようとしているのか。
「利久殿!」
 バロックに呼びかけられた事で、利久は我に返る。そうだ、矢を放った犯人はまだ、矢を放てる範囲、すなわちこちらからも視認できる場所にいるかも知れない。つかんでいた矢を床に放り投げ、三射目を警戒しつつ二人が窓際に駆け寄ると、夜闇の中、ひらりと身を翻すやや小さめの影が見えた。
 利久は身軽に窓枠を乗り越えて路地に降り立つと、その影を追いかける。走りながら両手に意識を向ければ、馴染んだ二条の金の槍が生じた。
「止まれ!」
 片方の槍を、相手の足元目がけて勢い良く投げる。槍は本当に足を貫きこそしないものの、地を砕いて走りを止めるには充分のはずだった。しかしそこで信じがたい事態が起きる。相手は、たんと軽く地を蹴ったかと思うと、人間の跳躍力を超越したそれで、民家の屋根の上まで飛んだのだ。
 驚きに目を見開く利久に相手が振り返る。月明かりにうっすらと照らされるその姿を見た時、利久は更なる驚愕で立ち尽くしてしまった。
 ぱっと見はただの小柄な少女だった。しかも、利久と同じ日本人系の顔立ちをしている。しかし、青白い月の輝きのせいだけにするには、彼女の肌はあまりにも血色が悪く、真っ青を通り越してどす黒くさえある。
 それを見て怯む利久に、ぎょろりとした目が向けられた。常人のする目つきではない。まるで餓えた獣のようで、正気とは思えない。
 相手が弓を構えた。反射的に地に刺さったままの金の片割れを抜き取り、いつでも矢が放たれても対応出来るように、抜かり無く体勢を整える。
 だがそこで、利久の予想外の行動を相手が見せた。ふらりとよろけたかと思うと、がくがく震えながら、自分の腕を、まるで他人のものであるかのごとく、ぎこちなく下げたのだ。
「あ……う、ああ……」
 年頃の少女の高さではあるが、到底言葉になっていない苦悶にも似た声が、口から洩れる。その異変に利久が思わず構えを解いて槍を下げると、少女は呻きながらこちらに視線を向ける。そして、声にならない言葉を、唇が象った。
『た す け て』
 その四文字を確かに読み取り、利久が唖然としている内に、少女は再び意味を成さない声を発しながら、照準も合わせずに一射、利久の足元に矢を射ち込んだかと思うと、身を翻し夜闇に消えた。
 金の槍を光の粒子に還して深く息をつく。
『助けて』と少女が言った意味もわからぬまま、身を屈めて、地に刺さっていた矢を引き抜く。
 手にしたそれはやはり酷く錆びていた。だがそこで、またも驚くべき事態が起きる。
 利久の手が触れた部分の錆がぼろりと剥げて、下から矢の元の色が表れる。それは利久の武器と同じ、金色をしていたのだ。