番外編2:漆黒に輝く翼(6)


 クラウディアの率いる部隊と共に訪れたニアスの町――といえる規模ではない、むしろ村だ――は、ヴァルティルカ以上の悲惨な状態にあった。
 ニアスの男達はほとんどが、最初の襲撃で命を落とすか重傷を負い、戦える者はほぼ皆無。家々は破壊され畑も焼かれて、行き場を失った子供が立ち尽くして泣いている。同行したサフィニアも、流石に顔色を青くして告げるべき言葉を見出だせずにいた。
「また魔物の襲撃があるかも知れん。警戒にあたる者と、サフィニア様と戦巫女殿をお守りする者とに分かれろ」
 クラウディアがてきぱきと指示を下し、兵士達が村中に散る。芙美香はサフィニアと共に、怪我人が収容されている医療所に向かった。ヴァルティルカの時のように、酷い怪我を負った人々の凄惨な状況が目前にあったが、今度怯まず怪我人の世話にあたる。
 するとしばらくした頃、にわかに外が騒がしくなった。窓際に駆け寄って外を見れば、兵士達が何かを叫び、村人は彼らが示す方向へと着の身着のままで逃げている。そして兵が剣を抜いて立ち向かう方向には、赤い鱗を持つ小型の飛竜十数匹が視界に入った。
 竜はすばしっこく飛び回り、ネーデブルグ兵を翻弄する。たちまち幾人かが爪で斬り裂かれたり、竜が吐き出した炎をまともに浴びたりして、地に転がった。
「芙美香様?」
 窓枠に手をかけた芙美香をサフィニアが怪訝そうに見遣り、何も応えないまま芙美香が一気に乗り越えた事で、どこに向かうのかを理解して、悲鳴に近い叫びをあげる。
「無茶ですわ! 戦う術を持たぬ者が魔物の前に出て行くなど! お戻りください、芙美香様、芙美香様!」
 芙美香は立ち止まらなかった。走りながら、腰に帯びていた、この遠征の際にクラウディアがくれた剣の柄に手をかける。真剣は重くて、一般女性の腕力では鞘から抜くのも一苦労だったが、それを手にし、兵士達が戦っている場所へと駆けて行った。
 真正面から飛びかかって来た飛竜を剣で振り払う。ビギナーズラック、とでも呼ぶべきだろう。剣は敵の急所を突き、竜が赤い粒子を立ちのぼらせて消滅した。
「戦巫女様!」
 まぐれとはいえ、戦巫女が魔物を倒した。その事実に兵達は沸き立つ。
「村人の避難は終わったの?」
「は、あらかた」
 昂揚する空気に呑まれないよう、出来る限り平静を保ちながら辺りを見渡して、芙美香は、見慣れた顔がその場にいない事に気がついた。
「……クラウディアは?」
「隊長は、残っている者がおらぬか、幾人かを連れてあちらへ向かわれました」
 虫の知らせ、というものがある。芙美香は胸騒ぎを覚え、兵が指し示した方向へひた走った。そして村外れの、壊れた家々が並ぶ場所に辿り着いた時、彼女は、動く事も言葉を発する事も忘れて、ただ立ち尽くしてしまった。
 翼持つ魔物が宙を飛び交っていた。空を舞う敵に、ネーデブルグの兵達は決定打を与える事が出来ず、急降下して来た魔物に鋭い爪で斬り裂かれては、血の尾を引いて倒れた。
 芙美香はのろのろと視線だけを動かして、倒れている者の中に、見覚えのある栗色の髪を見つけた。うつぶせになっていて表情がわからない。いつもまとめていたその髪は、紐がほどけて地に広がっている。
「……クラウディア?」
 自分でも情けないと思うくらい弱々しい声が、口から洩れる。と、伏せているクラウディアが、自身の腕の中誰かを守っている事に、芙美香は気づいた。
 身体はぎしぎしと音を立てそうな程ぎこちなかったが、何とか動いた。よろよろとクラウディアに近づき、覗き込む。腕に力を込めてあおのけに返した途端、彼女の腕の中から飛び出した幼い子供が泣きながら走り出し、兵の一人に伴われて、村人が避難している先へ駆け去って行く。しかし芙美香の視線は、クラウディアに釘付けになったまま、動かす事がかなわなくなっていた。
 クラウディアは深手を負っていた。子供をかばった時、魔物に斬りつけられたに違い無い。胸から脇腹にかけて大きく斬り裂かれ、とめどない血が大地を赤く染め上げている。
「クラウディア」
 ぬるりとした血の感触が触れるのにも構わず、彼女の傍らに膝をつく。クラウディアは息も浅く、虚ろな目をしていたが、芙美香の呼びかけに視線を彷徨わせ、やがてこちらに向くと、力無い笑みを浮かべた。
「やあ、芙美香。少し……しくじった」
「喋らないで。今、サフィニアを呼んで来るから」
 立ち上がりかけた芙美香の腕が、しかしどこにそんな力が残っているのか、ぱしりと強くつかまれる。
「無駄な事はしなくていい。もう……保たない。自分の身体の事だ、自分が、一番よくわかっているさ……」
 愕然として見下ろす芙美香の眼前に、震える手が何かを取り出す。
 細長い、淡い緑色。かつてクラウディアに譲ったシャープペンシルだった。
「これを……ネーデブルグに広められなくなってしまったのが……心残りかな」
 彼女自身の血で赤い染みがついてしまったそれが、芙美香の手に返される。
「芙美香……戦巫女……ネーデブルグを、どうか……」
 その言葉を最後に緑の瞳が閉じられ、手が力を失い地に落ちる。それきり、クラウディアは動く事が無かった。
 芙美香は血濡れのシャープペンシルを掌の上に載せたまま、しばらく呆然と友の顔を見つめていた。
「戦巫女様!」
 そこに背後から兵の警告が飛ぶ。死者を悼む暇を与える気概など持ち合わせていない魔物が、まっすぐに突っ込んで来たのだ。
 かっと、頭の芯が熱くなった。
「邪魔、しないでよ!」
 咄嗟に手にしていたシャープペンシルを眼前にかざして、芙美香は願った。この不粋な輩を斬り捨てる力が欲しいと。強く願った。すると。
『力を求めるか、戦巫女』
 耳に届くのではなく、直接頭の中に響く、女――むしろ少女――の声が聞こえた。
『求めるならば、応えよう。だが、怒りや憎しみのみで戦うな。戦巫女は世界に平穏をもたらす為にあれ』
 身体の中に、黒い、しかし神々しい輝きを伴う力が満ちてくるのがわかる。それは芙美香の身から勢いよく溢れ出し、手にしたシャープペンシルに流れ込んだかと思うと、一振りの黒い剣に、その姿を変えていた。