1:出会いは偶然だった


『ジュリ。君の活躍のお陰で、この国を覆わんとしていた陰謀の雲は去った。国家の代表として礼を言わせてもらうよ』
 きらきらと太陽の光が差し込む謁見の間で、玉座に収まる、整った顔をした金髪碧眼の青年が、優雅に胸に手を当て、私に向けてゆるりと頭を下げる。
 いや、私にではない。
 パソコン画面の中で、現実とも錯覚する姿の青年が向き合うのは、黒髪に赤い瞳を持つ、端正な顔つきの少年。身長は、私と同じ百六十八センチメートルに「設定した」アバターだ。
 名前はジュリ。私と似た名前にした。特に深い意味は無かった。無いつもりだった。ただ、この幻想の世界に身を委ねれば、現実でからっぽの私も、少しは世の中の役に立っている気分になれるだろうか。そんな下心があるにはあった。

ジュリ」は、この世界では唯一無二の存在として必要とされている。でも、現実の私は、からっぽだった。

 オンラインゲームのメインストーリーは適度なボリュームで、それが最新まで終われば、続きがリリースされるまで自由に、採集やものづくりをしたり、難しいバトルコンテンツに挑戦したりする。
 謁見イベントを終えれば、今回のメインストーリーは完遂だ。城を出た「私」を動かす私は、少々の虚無感にとらわれながら、さてこの後はどうしようとぼんやり考えながら街の中を歩いていた。
 このゲームには、幾つもの職業クラスがある。私は前に立って皆を引っ張ってゆく盾役や、戦場全体に気を配って皆を回復する癒し手は、性に合わないと自覚していたので、後方から弓で攻撃する『アーチャー』を選んだ。今は成長して上級クラスの『スナイパー』になっている。
 かれこれ一年遊んできたので、レベルは最大になっているし、戦闘での動き方もわかっている。初めて挑むダンジョンや、大勢で遊ぶボス戦でも、そんなに大きなポカをかますことは無い。
 しかし、戦うメインストーリーが終わってしまった今、ほかのことを探さないといけない。あまり手を出してこなかったものづくりをやってみようか。「当たる」アイテムを作れば、一攫千金も夢ではない。ゲームの中で、自分の家を持って、好きに家具を飾って遊ぶこともできるから、それを狙ってみようか。
 そんな思考をぐるぐる回しながら別の街で通りかかった大水車の前で、私は異様な光景を見つけた。
 三人のアバターが、一人のアバターを壁際に追い詰めて、蹴ったり殴ったり平手打ちをしたりしている。 そもそもこのゲームでは、ほかのキャラクターを攻撃するPK《プレイヤーキリング》は、固く禁じられているが、感情表現という手法で、いろんな行動を起こす事ができる。そしてそれは、自分で非表示操作をしない限り、自身と、周囲のキャラクターのチャット欄に表示される。三人は非表示にしていないようだ。名前と、「平手打ちした」「殴った」「蹴りを入れた」が連続でログに流れてゆく。これは明らかに、「他のプレイヤーの尊厳を損なわない」を破る規約違反だ。
 いじめられているのは、ミミ、というキャラクターのようだ。取り囲んでいるキャラクターより小柄な、薄茶毛の猫耳と尻尾の生えた女子である。近くを通りかかるキャラクターは、足を止めない。気にも留めない。よくある小競り合いだと放っているのだろう。
 ゲームの世界とはいえ、良識を守らねばならないのは、現実と一緒だ。私の中の正義感が震える叫びをあげた。私は咄嗟にキーボードに手をかけ、いじめ(わたしはこれをいじめととらえた)を行っているキャラクターの名前、場所、時間を、公式サポートの迷惑行為報告ツールで送信する。キータッチの速さには自信がある。一分も経たずに報告は終了した。
 そして、彼らに近づいてゆくと、彼らに聞こえる範囲のチャットチャンネルを選んで。
『報告しましたから』
 チャット欄にただそれだけを打ち込む。やおら、ミミをいびっていたキャラクターたちの動きが止まった。動かしている人間が、コントローラーでカメラを回して、「私」の姿を見ているのだろう。その間十数秒。
『あーあ、しらけちゃった』『余計なことしてんじゃねえよ、クズ』『お前もやってるくせに良い子ぶって、ゴミがよ!』
 私にしか届かないダイレクトチャットで、反省の欠片も無い、心無い言葉が飛んでくる。
『真面目くさって、キモいったらありゃしなーい!』
 脳裏でフラッシュバックする笑い声に、こめかみをおさえる。その間に、件の三人は、怒ったり、がっかりしたり、石を投げたり、という感情表現を挟みつつその場を離れていったので、頭痛をこらえながら追加報告を三十秒で終えた。
 過去の幻影が消えると、ひとつ、深く溜息をつき、私はミミにターゲットを合わせ、パーティを組む誘いをかけた。パーティを組んでしまえば、周囲に聞かれないチャンネルで話ができる。
 ミミは、しばらくぼうっと突っ立って、私の誘いを受けずにいた。何だこの間は。やっぱり、余計な手出しだったと困っているのだろうか。諦めて立ち去ろうとした頃、新しいパーティメンバーが加わる軽快な音が鳴った。
 パーティメンバーになれば、更に詳細な情報が見られるので、早速パーティ一覧を開いてミミを選ぶ。ふむ。セイントレベル99か。このゲームの現在の最高レベルだし、セイントは癒し手の中でも、シスターというレベル1から始めて順番にスキルを覚えてから昇格できる、回復と防御のバランスも取れた、オンラインゲームが不慣れな人間にはうってつけのクラスだ。初心者中の初心者、というわけでもなさそうだ。
『ごめんなさい。無駄なお世話だったですか』
 この子にも怒られるかもしれない。その確率を考えながらパーティチャンネルでチャットを打ち込む。ミミはしばらく棒立ちしていたが、やがて。
『いいえ。助かりました。ありがとうごじあます』
 微妙な誤字を挟んだ返事が届いた。キータッチが得意ではないのだろうか。レベル99でも色んなことが不慣れなプレイヤーは、この世界的なオンラインゲームにはごまんといるし、かくいう私も、この一年間はメインストーリーを進めるのに一生懸命で、ものづくりのクラスには全然と言って良いくらい手を出していない。プレイヤーの練度は、人それぞれだし、それが当然なのだ。だが、それで揚げ足を取って馬鹿にすることは許されないし、過度の侮辱に対する報復はアカウントの永久凍結だと、このゲームを開発した運営会社も繰り返し警告し続けている。
『どうしてあんなことされてたのか、聞いてもいいですか?』
 私の質問に、ミミはまたも黙りこくった。どうも言葉を探してチャットを打ち込んでいるからのようだと、ぼんやり気づく。キャラクターには何もせずに立っている時のポーズを変える機能もあるのだが、ミミはそれを設定しないで、デフォルトの棒立ちのままだ。かくいう「私」は、右手を腰に当て、やや斜に構えた、十代の少年にありそうな立ち姿で、返事を待つ。
『わたしのせいなんです』
 やがて、ミミは語り始めた。
『わたしが、クラスのスキルを覚えきれなくて。何度も何度も同じところで失敗して、全滅して。今日だけじゃなくて、いつもそうだから、いつもああやって、怒られてたんです』
 それだけ? それだけで、毎回毎回ぐちぐち責められるのか。私が試験で少しでも低い点数を取ってくると、『さぼって勉強してなかったんでしょ?』『ちゃんと復習したの?』『次は満点取りなさいよ』って、ちくちくちくちく刺してきた母親を思い出して、なんだか腹が立ってきた。
『それなら、ネットで攻略法を調べて、最適な立ち回りを覚えたあとは自己流に呑み込んじゃえば、楽じゃないですか。不慣れな人にもわかるいいサイト、知ってますよ。教えてあげましょうか?』
 それをしてこなかったのだろうミミに、多少の苛立ちを覚えながら、首を突っ込みすぎだと思いつつも、URLを打ち込もうとする。ところが。
『ありがとう。でも。ごめんなさい』
 ミミが、少し悲しそうに微笑わらう感情表現をした。
『わたしは、どれだけ頑張っても、これ以上は覚えられないんです』
 私は憮然としてしまう。折角親切心を発揮したのに、「覚えられない」とはなから拒絶するとは何事か。だから立ち回りができなくて、仲間達に責められ続けたんじゃあないのか。
『わかりました。お節介ですいませんでした』
 このセリフに声がついていたら、確実に棘を含んだ表現となっていただろう。「私」はパーティを解散すると、その場を離れて走り出す。カメラワークが背を向けていたので、ミミがその後どうしたかは、わからない。少なくとも、追跡されることは無かった。

 このゲームの世界では、プレイヤーキャラクターとなるアバターのことを『探求者』と呼ぶ。世界の謎を探求し、製作の妙技を探求し、まだ見ぬ採集物を探求し、現実では叶わない交友を探求する。探し求める者達の集まりだ。
 世界各地の大きな街には探求者交流場という建物があり、更には、ギルド、という探求者の集団が存在する。ギルドは冒険の途中で誘われたり、交流場の宣伝貼り紙を見てギルドリーダーに申し出て許可をもらったりして、加入する。来る者拒まず去る者追わずの大規模ギルドもあれば、ゲーム内で友達になった者同士だけの少人数ギルド、果ては、ギルドに籍を置くことで様々な恩恵にあずかれるため、それが欲しくて一人でうち立てるギルドもある。
「私」ははじめ一ヶ月は全く興味が無くて、本当に独りソロで冒険をしていたのだが、ある日戦闘に疲れて交流場でぼうっとしていたら、灰色の狼顔のアバターに声をかけられた。
『初心者には、変なひとがしつこくつきまとったりするから、どこかのギルドに身を置いて、自分には仲間がついてます、って主張して自己防衛するのも大切だよ』
 カクルラ、という名前の彼女に誘われ、彼女の所属するギルド『ソキウス(ラテン語で「仲間」という意味らしい)』に加入することにした。
 ギルドに入ると、交流場にあるそれぞれの『ギルドルーム』に入ることができる。仲間達はそこで情報交換をしたり、他愛の無いおしゃべりをしたり、部屋の片隅でものづくりを始めたり、出来上がった家具で部屋を飾ったり、まあとにかく、自由に過ごせる。冒険や様々な活動でギルドポイントを貯めると、それを消費して、ギルド員全員が一定時間、経験値アップや能力値アップなどの恩恵を受けられる。なんというか、部活動をやっている気分になる。
 丁度アーチャーからスナイパーになったところで、経験値の稼ぎ方に迷っていた「私」を、リーダーのザックをはじめとするメンバーは大歓迎してくれた。私も悪い気はしなかった。
 でも最近、ルームに顔を出すのが、億劫になりつつある。
 その原因は、今日も『ソキウス』のルームに不貞不貞しく居座っていた。

『よう、やっと来たな、ジュリ!』
 ほかのメンバーが「私」に挨拶するより先に、部屋の角に作り上げられた財宝タワーの上で、さながら猿山のボス猿のごとく陣取っていた男が、ギルドチャンネルでチャットを送ってきた。その体躯はがっしりして大きく、日に焼けた肌とアフロの髪は褐色。ぎらぎら光るサングラスをかけ、現実がどんな季節でも、真夏の海辺にいそうなアロハシャツとハーフパンツを身に着けている。
 ヒトシ。ヒトシ・サイコーと名付けられたそのキャラクターは、いるだけで威圧感を与えるアバターである。
自分ヒトシ最高なんて名前つけてるの、イタいよね』
 本人が不在の時、誰かがギルドチャンネルでぼやいた通り、ヒトシの物言いは誰に対しても横柄で、ギルドメンバーがルームにいれば、選り好んで女子に声をかけ、強引にパーティを組んで、リーダー気取りで冒険に出かけてゆく。
『なあなあジュリ、そろそろオフ会やろうぜ。マスクしないでいいんだからよ、派手に飲んで騒ごうぜ!』
 こちらが『おつ』とおざなりな挨拶で素通りしようとしたところへ、ヒトシは饒舌に、配慮の欠片も無い言葉をまくしたてる。いつもこうだ。私はジュリの時は、一人称を「自分」にして、言葉遣いも言い切りにして、徹底的に男子を演じているのだが、こういう男はその手の嗅覚だけは鋭いのだろうか。「私」を動かしている人間が若い女子だと確信して、ゲーム内で積極的にパーティを組もうとしたり、執拗に現実で会う約束を取り付けようとしてくる。
「私」が、『迷惑をかけるから難易度の高い冒険はしたくない』『外では遊びたくない』とそっけなくはね除けても、懲りることはない。
『なーに、優等生ぶってるんだよ! 高難易度も男も、一発ぶち込めばすげーいい気持ちになって、やめらんなくなるんだからよ!』
 あまりにも下品な物言いをして、ルームにいるメンバーをドン引きさせても、本人は全く意に介する様子も無かったのだ。
『あの節操の無さは絶対四十代以上の独身男。会社でも下ネタとおじさん構文を使って若い子たちに煙たがられてる、役職無し』
 新しい女子メンバーが入る度に、会社を経営している二十七歳のイケメン、と吹聴するヒトシを、カクルラは呆れて肩をすくめる感情表現と共に評価した。彼女は高校卒業後から十数年中堅企業の事務をしている、というから、色んな男を見てきているのだろう。本性を見抜く勘はさほど間違っていないと思う。
 更にヒトシの悪い噂は絶えず、外部ツールという、運営会社が厳しく禁じている、本来ゲーム内で使える以上の機能を取り入れて、PK《プレイヤーキリング》をしているのだ、とまことしやかにささやかれている。
 だが、ギルドメンバーは実際にヒトシがPKをしているところを見たわけではないし、インターネット上で有志による不正報告掲示板を見ても、名前が挙がることは無い。それに加えて、リーダーのザックは呑気が過ぎるくらい穏やかな性格で、
『どんな人間にも欠点はあるよ。でも、それと同じくらい美徳もあるはずだ。皆だってそうだろう?』
 と聖人みたいに皆を諭してしまった。そのせいで、表立ってヒトシを糾弾できる者はいなくなってしまったのだ。
 このことが殊更ヒトシの増長を招き、『ザックが引退したらオレがリーダーやるからよ! 心配するな! 任せとけ!』と、何にも任せたくない豪語を、ザックがいる目の前でした。その時その場にいたキャラクターは、沈黙を貫くか、苦笑する感情表現を見せるばかりだった。心配しか無い。
 ともあれ、「私」はヒトシからできるだけ距離を取った対角線上に配置してあるソファに腰掛け、腕組みをするポーズで、ヒトシが何かべらべら喋っているのも、ギルドメンバーが何か語り合うのも、上の空で聞いていた。だが、やがて、動かしている私自身に、眠気が襲ってきた。
 ゲーム画面に表示されている現実時間を見れば、零時を過ぎている。
『自分、おちます。お疲れ様』
 チャットに打ち込むと。
『ジュリ、おつー』
『また明日ね~』
『待てよジュリ、これからだろ、付き合えよ!』
 仲間達やヒトシが返事をしてくる(一部『返事』ではないやつもある)中、ゲームをログアウトして、パソコンをシャットダウンする。ゲーム内の作り込まれた世界も、賑やかなBGMも消えて、真っ暗な画面に、髪が伸びっぱなしの冴えない少女の顔が映る。これが、ジュリではない私、高杉たかすぎ朱里しゅりの本当の姿だ。
「……ダッサ」
 覇気の無い自分の顔に向け吐き捨てて、のろのろとベッドに向かい、布団に潜り込む。目覚ましはかけない。好きなだけ眠りをむさぼるのだ。
 それが、私の今の環境だ。
 来て欲しくない眠りのおばけが、きししし、と笑いながら覆い被さってくる。見る夢は、いつも見たくない過去だ。