それは、夏の夜。
換気の為に開け放った窓から、温い風に乗って、太鼓と笛の祭囃子が聞こえてくる。始まりはいつの時代だったか知る人間も少なくなっただろう曲が、音割れしながら流れている。
流行病で各地の盆踊りが中止される中、我が町は今年の開催を敢行した。一体どれだけの人数が集うかはわからないが、『感染対策は徹底して行います』と、町内会報に書いてあったっけか。
まあ、どうでもいい。あたしには関係の無い話だ。あたしの問題は別にある。
窓の外から室内に視線を戻す。目の前の文章アプリケーション画面は、冬の雪原のように真っ白。一文字も書けてやいない。
『このジャンルではご高名な先生には是非、夏の終わりに出る季刊誌にご寄稿を!』
チャット画面の向こうで揉み手をしながら、編集者は満面の作り笑顔であたしに媚を売った。
そう。寄稿。あたしの原稿には、もう金を払う価値が無いと見做されている。
自分で言うのも何だが、これでも数年前までは、オカルト小説界隈では名の知れた一人だったのだ。日本の怪奇現象を集め、安倍晴明を紐解いたシリーズなんて、それなりに売れ、印税だけで暮らせた時期もあった。
だけど、人の興味は移ろうもの。世は栄枯盛衰。
今の若い子はあたしの名前を知らないし、まめにファンレターをくれた人達も、今は別の売れっ子に熱を上げている。
忘れられる。
老いる。
そして人知れず、この世から消えるだけ。
深々と溜息をつき、余計に頭が回らなくなるのを自覚しながら、発泡酒をあおぐ。
酩酊感に身を任せながら、後は居もしない小人さんに全てを託して、ベッドに飛び込もうかと思った時。
エイヤサ エイヤサ
そこのけそこのけ 鬼通る
突然外から聞こえてきた、軽妙な歌声に気を惹かれ、窓に取り付いて、道路を見下ろす。
そして、我が目を疑った。
身長は人間の子供くらいの、集団。だけど、街灯に照らされている範囲でもわかる。耳が尖った奴、牙を持っている奴、あまりにもギョロ目な奴、角が生えている奴。肌の色が明らかに人間ではない奴もいる。
日本史を紐解けば『鬼』と表現されている連中が、列を成しながら道を歩いているではないか。
すわ、アルコールがもたらした幻覚か。用意してあった水を飲み下してもう一度道路を見るけれど、鬼と思しき集団は消える事無く、いまだに口々に歌いながら練り歩いている。
「おや」
呆然と見つめるあたしの視線に気づいたのか、その中の一人がぐりんとこちらを向いて、にい、と牙の生えた口を笑みに歪めた。
「百鬼夜行を見て恐れをなさないお嬢さんとは」
いや、恐れるも何も、吃驚するのに精一杯で反応する暇無かったし。ていうか、そもそもあたしはもう『お嬢さん』なんて歳じゃないんだが、数百年数千年を生きる言われる魑魅魍魎に比べたら、百年生きない人間は皆、坊ちゃんお嬢さんか。
しかし、百鬼夜行。見た者は呪われるとか死ぬとか言われている、鬼の行列。
『手酔い足酔いわれ酔いにけり』
と唱えれば、魔除けできるんだったか。かつて調べた資料の内容を思い出しながらじっと鬼を見つめ返すと、相手は笑みを消し、力無く肩を落とした。
「かつては恐怖と畏敬の対象だった我らも、時代の流れには逆らえぬ。電子で作った偽りの異形を、人間達はこぞって面白がり、『本物』の我らを顧みる事も無い」
たしかに。
今はすっかりCGが発達して、写真に嘘を書き込む事など容易くできる。そうして描かれた電子の『鬼』達の方がよほどおどろおどろしく描かれて、人はそれらに賞賛すら贈るのだ。
対して、拍手ももらえなくなった鬼達は、闇に消えゆくばかり。そうしていつかは、忘れられてしまうのだろう。
あたしみたいに。
泣きそうな顔をしたのを、鬼はしっかり見届けたんだろう。再びにい、と笑うと、差し招くように、やけに長い手を、こちらに向けて差し伸べた。
「どうだね、お嬢さん。こうして出会ったのも何かの縁。本場の百鬼夜行を見はせぬか。なあに、呪いなどせぬわ。あれは陰陽師達がどさくさに紛れて、我らを見た相手に呪詛をかけていただけの事」
えっちょっと待って。何だか今、日本の伝統を覆す事実を聞いた気がするぞ。あたし、自分の作品でそんな事書かなかったぞ。百鬼夜行から公家を守る安倍晴明。そんな事書いたぞ。
いや、これは酒が見せる夢だ。夢なら、誘いに乗っても何の罰も呪いもありはしないだろう。
窓枠に手を掛けて乗り越える。熱帯夜の空気がむわっとまとわりついてくる。鬼達の間に素足で降り立てば、彼らは拍手喝采であたしを迎えた。
「勇気あるお嬢さんを歓迎!」
「一緒に歌えや踊れや!」
「人との百鬼夜行は何百年ぶりやら!」
そうして鬼達は、再び高らかな声で歌い出す。
ソイヤサ ソイヤサ
月見よ星見よ 鬼通る
夏の夜の下 踊りて歌え
あたしから見たら、盆踊りにもならない、ばらばらの手足の動きで、色んな鬼達が踊りながら、行列を成して道を進んでゆく。あたしもそれに歩調を合わせてゆく。
世間は夏休み。だのに、盆踊りに向かう家族どころか、犬の散歩や夜のウォーキングをする人すら見当たらない。あれだけ響いていた祭囃子も遠ざかって、鬼達の手拍子と歌ばかりが辺りに満ちる。
そりゃそうだ、これは夢だ。不可解な事が何でも起きる。何をしても、見ている人はいない。
あたしは両手を上げて、周りの鬼達に合わせて踊り出す。調子っ外れの歌を奏でる。
エイコラ エイコラ
何が社会だ 常識だ
あたしは知らん 歌って踊る
即興の歌に、鬼達からやんやの喝采が飛んでくる。
そう、こうして無邪気に歌って踊って。そんな時代が、あたしにもあった。それは遠い日の記憶で、あの日食べたリンゴ飴の味も、もう薄れかけているけれど。
「我らはいつかは消えてゆくだろう。それでも、お嬢さんみたいな人間が、覚えていてくれる事を願うよ」
ああ、酔いが回ってきたかな。鬼の声が遠く聞こえる。段々と視界がぼやけてきて、何だか頭もぼーっとしてきて……。
はっ、と。
気がついて顔を上げれば、真っ白い画面が視界に飛び込んできた。
そこはいつもの自室で、あたしは椅子に座ったまま、パソコンの前にいた。開けっぱなしの窓からは、朝の太陽光が差し込み、空になって倒れた発泡酒の缶を、きらきらと照らし出している。
「夢、か」
確認するように、声に出して呟いたけれど、夢にしてはあまりにも生々しい。
『我らはいつかは消えてゆくだろう』
まるで、斜陽にあるあたしの代弁をするかのように、鬼は言った。
存在とは、いつか消滅するもの。だけど、誰か覚えていて、残す限り、決して消えないもの。
残そう、彼らの存在を。
あたしはひとつ大きく背伸びをして、パソコンに向き直ると、キーボードに手を掛けた。
夏の百鬼夜行。
あたしのキータッチと共に、鬼達が踊る、踊る。そして歌う。自分達の事を忘れるな、とばかりに。
恐れはしないが、永く日本に残り続けた彼らの事を覚えているように。今日もどこかで、彼らと出会う誰かがいるように。
夏の一夜の出会いに、願いを込めながら。