魔道書修理屋の事情


 おや、いらっしゃい。
 初めて見る顔だが、この店に来たという事は、あんたは魔道士なんだろう?
 いいさ、あたしは来る者拒まずだ。あんたの魔道書を見せてごらん。
 ……ああー、ぼろっぼろだね。
 だが、乱暴に扱ったせいじゃあない。大事に大事に、それこそ命の次に大切な物として持っていた、その証だよ。この表紙の空飛びトード革のすれ具合、アルヴェン用紙とグローナ蒼インクの質の変化、マーティナ金銅石の留め具の錆び具合。どれもこれも、持ち主の愛情が伝わってくる。
 よくこうなるまで保たせたものだよ。感心すらしちまうね。
 だがあんた。本当にいいのかい? ここが魔道書修理専門の店だって、わかって来たんだろう?
 ここまで魔道書を大事にしてきた客は、そうそういないよ。大抵の客は、投げ捨てるかのように乱暴に扱った魔道書を、何とかしろって怒鳴り込んでくる。本当に使い込むほど愛着のある魔道書は、すり切れるまでそのまま使って、その形を大事にする。だから、込めた魔力が尽きた後は、本棚の一番大事な場所に置いておくものなんだが。
 ……ほう。どうやら事情があるようだね。
 ああ、話さなくてもいいさ。これだけ想いのこもった魔道書だ。あんたの人生も刻まれているだろう? うちのお代は、ヘシング通貨の支払いに加えて、修理の合間にその思い出をちょろっと覗かせてもらうんだ。
 はは、大丈夫、大丈夫。恥ずかしい思い出を見たって、他人には黙っててやるよ。

 ……成程。
 十年前に国をちょいと騒がせた、アカデミー最年少首席ってのは、あんたかい。入学試験の魔力測定で、測定器の針を振り切らせて壊したってのは、もっぱらの噂だよ。
 卒業の時に、恩師からこの魔道書をもらったんだね。綺麗なひとだ。顔だけじゃあないよ、心もだ。教師ってのは、おおかた驕っていやーな顔になってゆくもんだが、このひとは、そんな暗さが何も無い。今時珍しい、本当に生徒の為に心を砕くひとだ。
 天才少年だってもてはやされて、羨まれもするあんたを、陰に日向に、周りの口さがない批判から遠ざけてくれたんだね。そりゃあ、惚れもするだろう。
 だけどあんたは天才といえどひよっこ。相手は一回り以上年上のアカデミー教師。釣り合うには、見合う実力を見せつける必要があった。
 だからあんたは、城付き魔道士になったのか。王宮で名声を高めてゆくのは、あんたの目標には近道だからね。
 それにしても、大分無茶をしたようだね。
 初陣でキマイラ退治。その後も、海賊殲滅、辺境の魔道障壁の大修復、禁書の解読。どれもこれも、若手がやることじゃあない。荒事に慣れて、魂もすり切れて、怖いものを怖いと思えなくなるほど感覚が麻痺した、ベテランがやる事だよ。
 それだけ早く、恩師と並び立ちたかったのはわかるよ。だがね。……ああ、いや、これはババアの余計な口出しだあね。口より手を動かす。はいはい。
 ともかく、あんたはその任務にこの魔道書を手放さなかった。恩師が手の中にいるかのように、大事に大事に扱った。一ページ一ページ込められた、あんたの魔力の痕跡から、よく伝わってくるよ。
 そしてあんたはやっと恩師に手と想いが届いた。年の差に誰もが驚いたけれど、祝福してもらえて良かったじゃあないか。
 そうかい、そうかい。来月かい。それで心機一転、生まれ変わった魔道書で更に仕事に励もうってわけなんだね。父親がぼろっぼろの魔道書で戦うのも、格好がつかないからねえ。
 まったく、妬ける話だが、絵に描いたような幸せな話も、あたしは嫌いじゃあないよ。魔道士が荒事に駆り出されるこの殺伐とした世の中にしては、良いしらせだ。

 ひとの過去をべらべら喋られて恥ずかしい?
 何言ってるんだい。この店には今、あんたとあたしの二人きり。誰にも照れ臭いわけじゃああるまいに。
 ……仕方無いねえ。じゃあ、特別サービスだ。ひとつ与太な昔話をしてあげよう。
 あんたがアカデミーに入るずっと、ずうっと前だ。アカデミーに二人の生徒がいた。
 一人は強力な魔法を沢山知っているのに、それを使いこなすだけの魔力の器が小さくて、知識を持て余していた少年。もう一人は、前代未聞の魔力量を持っているのに、それを魔法として現出させる事ができなかった少女。
 アカデミーも相当困ったそうだよ。実戦の役に立たない二人を在籍させていて良いものかって。
 そこで、魔力量の多い少女は考えた。自分で自分の魔力が使えないなら、他人に引き渡せば良いんじゃないかって。
 その生徒は、寝食も惜しんで魔道書の製作を始めた。エキュー馬の革。ハルロン用紙にカトス銀インクで書いた呪文。留め具には、太陽に照らす事で魔力を増強する、真っ赤なサンストーン。
 大好きな友人の為に作り上げた、たった一冊の魔道書は、落ちこぼれになりかけたその友人を、強力な魔法を行使する、稀代の魔道士に仕立て上げた。
 やがて二人はアカデミーを卒業し、魔道書を持った少年は城付き魔道士になって、大いに名声を挙げた。魔道書を作った少女は王宮に頼まれて、幾つも幾つも、自分の魔力を分ける魔道書を作った。
 卒業後も、二人の縁が切れる事は無かった。少年が持つ魔道書は、込められた魔力が切れれば、少年をただのでくの坊に戻してしまう。少年は、たびたび少女のもとを訪れて、魔道書の修理を頼んだ。
 少年が渡す魔道書はいつもぼろぼろだった。それこそあんたが持ち込んだ、この魔道書もメじゃあないくらいに。だけどそれが、少年が魔道書を大事に使って、少女の分まで戦ってくれている証拠だと思って、少女は嬉しかったね。
 だけど、国は驕った。少年の魔法が無尽蔵じゃあない事を、軽視したんだ。
 ある年、ある都市を魔物の大群が襲った。国は青年になった少年を筆頭魔道士として、都市防衛に送り込んだ。
 彼が携帯する魔道書に込められた魔力量は、普通に魔法を行使する分には半年くらいほっぽっといたって問題は無い。だけど、連続した戦いなんかに使ってたら、保って二週間。
 一月経っても、青年は戻ってこなかった。結局都市が壊滅したというしらせだけが届いて、もう少女と呼べない女は、泣きじゃくって、国を罵る言葉を、呪詛を叫び散らしたよ。

 でも、泣いてばかりじゃあいられない。女は考えた。
 自分の一番の友人だった青年のような犠牲者が増えないように、魔道書を修理することを生業にしよう、と。新品同様にしっかり手入れをして、想いと共に魔力を込めて。魔道士達が、少しでも死から遠ざかるように、と。
 無駄なことだと笑う奴もいる。所詮持つ者が安全な場所からへらへら過ごしてるだけだって卑下する奴もいる。
 それでも、あたし《・・・》は、構わない。
 あんたみたいに、あたしを頼って、大切な人の為に生き残ろうと思ってくれる魔道士がいるだけで、あたしは、あたしのしている事が無駄なんかじゃあないって、噛み締めることができるから。

 ……はあ。長話になっちまったね。ババアの愚痴に付き合ってくれてありがとうよ。
 その間に、あんたの魔道書の修理も終わったさ。
 できるだけ思い出を壊したくはないからね。差し替えの素材は、ほとんど同じものを使ったよ。
 ひとつだけ、留め具の石を替えさせてもらった。
 スターサファイア。
 あんたの大切な人の瞳と同じ色を混ぜる事で、加護をつける。まあ、迷信じみた、安心材料みたいなものだけどね。
 お代が材料に見合わないって? まだまだ若造のくせに、そんな事気にしなくて良いんだよ。
 そうだねえ、その代わり、今後もご贔屓にしてもらえたら、あたしとしてはお得意様が増えて万々歳だ。
 あと、そうだね。あんたの子供が大きくなって、魔道士を目指すって言い出したら、うちに連れてきておくれ。とっておきの一冊をプレゼントするよ。
 魔道士が死なない手伝いをする。
 それが、あたしがこの仕事を始めた理由であるし、続けてゆく矜持であるから、さ。