子供の頃から、短い話を書くのが好きだった。
長い話はなかなか書けないから、SNSが普及し始めた時、短い字数制限の中で、ちいさな話を書くのが日課になった。
フォロワーもやっと二桁の、ちいさな世界。そこに、限られた字数で綴った、飴玉みたいな物語を、一日ひとつ、放り投げていった。
反応は無い。それでも、わたしはわたしの想いに翼をつけて飛ばすことが、楽しかった。
ある日、いつも通りSNSに話を投下しようとスマホを立ち上げたら、通知が入っていた。
確認して、わたしの心臓はどきりと跳ねた。
『お気に入り』のハートが、ひとつ、ついている。
ハートをつけてくれた相手を確認する。何ヶ月か前にわたしをフォローした人だった。そういえば、フォローも返さないでいたな、と申し訳なく思いながら、その人のアカウントを見にいった。
彼(男性だった)も、短い物語を、SNSに投稿する人だった。しかも、わたしより断然上手い。言葉選び、表現、込められた気持ち。全てが鮮やかに色づいて、わたしの胸を打った。
この衝撃を伝えたい衝動に駆られた。だけど、いきなり話しかけたら失礼ではないだろうか。『お気に入り』をつけるだけでいいのではないだろうか。
三十分もだもだ悩んだ末に、わたしは返信を打ち込んだ。
『はじめまして。すごいです。感動しました』
そこから更に五分迷って、送信ボタンをタップした。
返事は無かった。反応も無かった。でも、それで良いと思った。わたしの想いを、一方的にだけど伝えられて、それで満足だった。
彼をフォローして、わかってきた。
彼は日常のこぼれ話の合間に、短い話を挟み込む。それはサンドイッチを作るかのように、美味な面白さをわたしに与えてくれる。
わたしは彼の物語を味わって、『素敵です』『今日も良かったです』など、一言感想を送った。彼からの反応は相変わらず皆無だったけれど、わたしがわたしの作品を投稿した時には、『お気に入り』のハートがたまについた。
彼が見ていてくれる。その嬉しさが、わたしを喜びの光の方へ押し上げてくれる。
いつか、彼から言葉で感想をもらいたい。それから会話をして、創作仲間として高め合いたい。
いつか会えるだろうか。どんな顔をしているのだろう、どんな声をしているのだろう。私の作品を褒めてくれるだろうか。笑いかけてくれるだろうか。
そんな、熱を帯びた想いを抱いて、わたしはちいさな物語を、小物を大事に包んで郵送するかのように、そっと置き続けた。
だのに。
ある日、彼の作品に違和感を覚えた。
似ている。わたしが投稿した話に。
言い回しや表現は彼のものに変えているけれど、自惚れなどではなく、これは、わたしが使ったネタと一緒だ。
偶然の一致だと思った。思いたかった。だけどこれは、彼が『お気に入り』のハートをつけてくれた作品と、一緒だ。
彼の発言をじっくり辿る。わたしの話をモチーフにした、という言及はどこにも無かった。
更に愕然としたのは、その物語に、長い感想がついていたことだ。
言葉選びが素晴らしい。世界が虹色に染まったかのようだ。萌えのポイントをきちんと押さえていて、読者サービスが満点だ。
そんな類の、わたしには決して書けない目一杯の褒め言葉が、長々と続いていた。
震える手で最後まで辿った時、彼からその感想に対して、返信がついているのを見つけた。
『長文感想ありがとうございます! 今まで全く反応が無かったのですが、僕が考えた話でそんなに萌えてくださって、非常に嬉しいです! よろしければ、今後も気持ちを聞かせてください!』
……ああ。と。長い溜息が洩れる。
わたしの言葉は、彼には届いていなかったんだ。それどころか、体の良い苗床としてしか見られていなかったんだ。
わたしは、幻想に恋をしようとしていたんだ。
震えの増した手でそっと、ブロックボタンをタップする。
唇が痙攣して。
視界がぼやけて。
ひとしずくが、スマホの液晶画面にぽたりと落ちた。