嗚呼 嗚呼 嗚呼
『わたし』はどこ
『わたし』はここ
ここにあり ここでなし
キンキンと耳を突く歌声がうるさい。吐き気が込み上げる。ぶわりと全身から冷汗が吹き出し、短剣を取り落として、両耳を塞ぎながらその場に膝をついても、背筋を撫で上げるような怖気は去らない。
「ゼファー!」
カイトの声で歌が聴こえなくなった一瞬の隙に、武器を拾い直して地面を蹴る。そこに黒い大きな拳が落ちた。そのままうずくまっていたら、潰れたトマトになっていただろう。
空中で身を捻り、短剣を振りかぶると、勢いよくその腕に斬りつける。引き裂かれた皮膚から白い血が吹き出して、敵はよろよろと後ずさった。
「気をつけろ、ゼファー、カイト!」
傷だらけのカラジュが警告を発した直後、『ユミールの腕』が全身を震わせたかと思うと、黒い無数の針をその身から打ち出した。ゼファーはカイトをかばうように覆い被さり、カラジュはマギーを守って仁王立ちになる。
背中に複数の痛みが訪れる。竜兵達に突き刺さった針は、どろりと溶けて無くなったが、くらりと目眩が訪れる。毒を仕込んでいたのだろう。
「ゼファー、ゼファー! 大丈夫!?」
尻餅をついたカイトが蒼白の表情で見上げてくるのに何とか笑み返す。
「大丈夫。竜族の回復力はフィムブルヴェート一だって、ぼくらのきょうだいが言っていたから」
事実、目眩はもう去りつつある。体内の毒は中和され、傷口に溜まっていたものは血と共に体外に排出されてゆく。カラジュも血だらけだが、傷は既にほとんど塞がっているだろう。
『人間は私達よりはるかに脆い。自然治癒力の遅さは呆れる限りだ。それで戦をして死んでゆくのだから、手に負えない』
いつかクリミアがそうぼやいていた。この針がカイトやマギーに刺さったら、おおごとになるだろうとは、容易く想像がつく。さすがにカラジュも今回はその可能性に思い至ったのだろう。よく花盗賊と馬鹿にしていたマギーを守る選択を取ったものだ。
「おい、ゼファー!」
そのカラジュが我鳴る。
「お前は戦力になるだろ、こいつをやるぞ!」
「あの、僕達は」
「すっこんでろ!」
「『安全な場所に避難してて』って意味」
おろおろするカイトに一喝するカラジュなりの思い遣りを、ゼファーは翻訳する。
「ばっ、おま、そんなんじゃねえよ! マジで足手まとい抱えて戦える相手じゃねえからだよ!」
カラジュは図星を刺された時、耳が赤くなる。今の耳の色を確かめて、ゼファーは不謹慎にも笑いそうになり、
(いや、笑っている場合じゃあない)
とくちびるを引き結ぶ。
カイトが、足を挫いたのだろうマギーに肩を貸して、岩陰に隠れるのを見届けると、『ユミールの腕』に向き直った。
『わたし』は『わたし』
『わたし』を探して
『わたし』を見つけて
『ユミールの腕』の歌は相変わらず耳障りだが、意識の外に追いやれば、先ほどのような動けない状態までにはならない。ゼファーが軽やかに跳躍して敵の頭上を取り、注意が逸れた瞬間に、カラジュが槍斧を叩き込む。黒い腕が白い血を飛沫かせながら斬り飛ばされ、ゼファーが高さを威力に変えて振り下ろした短剣が、さらにもう一つの拳を叩き落とした。
見つけて 見つけて 『わたし』
『わたし』はここにいる
『わたし』はどこにいる?
再び打ち出された針を、敢えて喰らい、竜族の回復力に任せてすぐ復活する。
「キャンキャンうるせえな!」
カラジュが大きく踏み込んで三本目の腕を潰す。その間にゼファーは『ユミールの腕』の背後へ軽やかに回り込み、ひとならば心臓のあるだろう位置へ、短剣を沈み込ませた。
歌より高く、耳をつんざく悲鳴が響き渡る。
『ユミールの腕』は最早形状を保てず崩れ落ち、白と黒の入り混じった液体を地面に広げた。
「倒し……た?」
「か?」
意外と呆気ない終焉に、ゼファーもカラジュも唖然と立ち尽くしてしまう。
「ゼファー! カラジュ!」
「なんだよお前ら! やるじゃんか!?」
岩陰に隠れていたカイトとマギーが、笑顔で駆け寄ってくる。ゼファーは片手を挙げることで応えたが、カラジュが、むっつりとした表情でマギーを待ち受ける。
「てめえ」竜兵は、赤い瞳を不機嫌に細めて、少女を見下ろした。「足挫いたんじゃねえのかよ」
その問い詰めに、マギーは「あ」と口を開け、しばし視線を彷徨わせたが、ひらひらと手を振る。
「ほ、ほら、それはそれ。守るか弱い乙女がいたら、竜兵さんも頑張れるっしょ」
「誰がか弱い乙女だあ?」
「あら見えないの〜? 視力検査してきたほうがいいよお」
漫才のようなカラジュとマギーのやり取りに、ゼファーはカイトと微苦笑を交わし……それから、ぎょっとして足元を見下ろした。
『ユミールの腕』が原型を留めないほどに崩れた地点から、ひた、ひた、と足音がする。白と黒の混じった足跡が、洞穴の外へ向かってゆく。
『わたし』
『わたし』
『わたし』は『ユミールの欠片』
それは歌い続ける。
『わたし』は 『わたし』に会いに行く
四人が硬直して見送る間に、足跡は途切れ、歌も聴こえなくなっていた。
不気味さだけを残して。