04:煙草の煙に父を見る


 開け放たれた窓から吹き込む風に流されて、白い煙がリビング内をゆうらゆらと揺蕩(たゆた)う。
 重たすぎない匂いは、あたしの鼻にはそんなにつかない。むしろ胸を締めつける懐かしさすら覚える。
 匂いの出所にこうべを巡らせれば、窓辺に腰掛けて煙草をふかす、あたしの王子様、ゼル。スキンヘッドが夕暮れの陽に照らされて、赤く輝いている。
 赤。あたし達の瞳の色だ。『失敗作(バグ)』に向かってこの身が侵食されてゆく、あたし達『闇狩り』の。
 それを思えば、戻らない日々があたしの脳裏を過ぎる。
 同じ匂いを漂わせていた、あたしのパパ。もういない、本当のパパ。

『ナティは大きくなったら何になりたい?』
 小さいあたしを膝に乗せて、ママ譲りのあたし自慢の金髪をさらさら撫でながら、優しい声を降らせてくれるパパに、無邪気に答えた。
『すてきなおよめさん!』
 途端、パパは目を真ん丸くして、ごほごほむせ込んだ後に、ぷうと頬を膨らませた。
『パパがナティを託しても大丈夫だと思う男にしか、ナティはやらないよ』
 今思えば、無邪気が過ぎてひどい娘だったし、パパもパパで大人げない反応だったと思う。だけど、そんな他愛ない夕方のやり取りは、もう遙か遠き日の出来事だ。パパはもういないし、あたしもあの頃みたいに無知じゃない。人間でもない。二度とあの、紫煙漂う懐かしき時間には帰れない。
「ナティ?」
 パパのように柔らかいものではない、低い男の人の声に呼びかけられて、あたしの意識ははっと今に立ち返る。碧い瞳をしたパパの面影は消えて、目の前にいるのは、赤い瞳のスキンヘッド。
「どうした」
 短い問いかけに、「何でもない」と首を横に振る。パパを思い出しておセンチになっていました、なんて正直に告白したら、ゼルはあたしを戦場に出すのをやめて、バー『渡り鳥(レイヴン)』にあたしを預けて、独りでバグ狩りに出てゆくはずだ。
 あたしを、自分の運命にこれ以上巻き込まない為に。
 そんなのは嫌だ。エリカを失ったマスターがいる『渡り鳥』にいるのが辛いってのもある。だけど、ゼルに「可哀想なナティ」のレッテルを貼られる事が、ゼルの隣にもう立てない事が、もっと怖い。ゼルに置いていかれて、あたしの知らない所でゼルがバグになって、人知れず朽ち果てていったらと思うと、怖くて仕方ない。相棒(バディ)未満の今の関係のままでも、ゼルを見守っていたい。
 だからあたしは、あたしの王子様のちょっとした変化を目ざとく見つけて、歩み寄り、肩までの髪をかき上げてうなじを見せつけ、囁くように告げるのだ。
「いいよ」
 ゼルが目を真ん丸くする様子は、なんだかパパに似ている。パパとゼルの顔は全然似てないのに、ふとした表情にパパを思い出す。
 だけどゼルはパパとは違う。あたしはパパに、こんな風に自分自身を差し出したりはしない。ゼルだから、だ。バグに侵食されてゆく、『闇狩り』同士の約束。苦しい時は、お互いの血を分け合う。ゼルとあたしだけの約束。
 ゼルはしばらくの間、酸っぱい物を口に含んだような顔をして黙りこくっていたけれど、煙草を灰皿に押しつけると、
「……悪い」
 と唇の先から爪弾いて、あたしの首筋に顔を寄せた。
 直後、ぷつり、と熱が走る。血を吸われてゆく感覚が痛いけど、それ以上に、心が、痛い。ゼルとあたしだけの約束。そのはずなのに、ひとつの疑問が胸を刺すのだ。

 セスとも、こうしていたの?

 と。
 血を分け合ったのは、あたしだけじゃなくて、セスともだったの?
 ちくちく、ちくちく。心に嫉妬の針が刺さって、じんわりと黒い泉が溢れ出す。パパが相手ならこんな風にはならない。パパにはママがいるんだから。二人は結婚して、そうしてあたしが生まれたんだから。
 だけど、ゼルはセスとは結婚してなかったって、オーフェは言っていた。
『恋人関係ではあったと思うよ』
 エリカに背中に飛びつかれながら、彼はそう苦笑したものだ。
 あの日ももう帰らない。エリカはもういない。バグになって、今、あたしの血を吸っているこの人がとどめを刺した。
 壊れてゆく。色んなものが零れ落ちてゆく。
 常に死と隣り合わせで、ただただ死に向かって生きる『闇狩り』だから、仕方無いとはわかってる。だけど、いなくなった人達の気配はどこかに漂って、忘れるな、と警告してくる。
 忘れるな、お前達は化け物になる運命だ。どんなに先延ばしにしたところで、終焉は必ずやってくる、と。
 振り返らずに、前を向いて歩かなくちゃいけないのも、わかってる。だけど、ふとした瞬間に、もうその手をつかめない人達の事を思い出してしまう。
 だから、セスの思い出から離れられないゼルを責める事もできないのだ。たとえ、あたしの血を吸っている時に、彼女の事をゼルが思い出していたとしても。
 痛みが去る。血はじきに止まるから、大した痛手ではない。
「すまない」
 血をあげた時に、ゼルが詫びてくるのはいつもの事。だからあたしも、ぶるぶると首を横に振って「いいよ」と返す。いつもの事。じくじく、じくじく。胸に広がる痛みを押し込めて。
 パパ。パパが生きていたら、何て言ったかな。ゼルは、あたしの王子さまは、パパのお眼鏡にかなう相手かな?
 答えは返るはずも無いのに、首筋をさすりながら、ついつい考えてしまう。

 夕方の涼しい風は、いつの間にか部屋の中から煙の匂いを消し去ってゆく。太陽が沈んだら、今日も『闇狩り』達の時間が始まるのだ。