『父の心情』


『娘を持つ父親なら、絶対にいつかは来るものだからね、覚悟しときなよ』

 そう、妻に言われたのは、未来みくが生まれた時の事だ。
 まだ、嫁に行くどころか、歩くのも喋るのも出来ない、満足にものも見えていないだろう、小さな小さな娘を、腕の中に抱いた喜びをかみしめている時点で、そんな遠い将来の話をするなんて、自分が人生の伴侶に選んだこの女性は、やはり少々デリカシーに欠けるのではないかと思ったのは、もう、27年も昔である。
 実感のわかなかった話。
 それが、現実のものとなるとは、今この時、娘が、
「お父さんとお母さんに、紹介したい人が居ます」
 と、一人の男を連れてくるまで、心の底では、「ありえない」と思っていた自分が居たのだ。
 しかも、その相手が、かつて自分が過去ごと置き去りにして来た、この地球ではない、異世界の男だなんて。更に、故郷の、遠い未来の血縁者だなんて。
 自分自身がその異世界から来たと云うのに、最初は信じられなくて、目を見開いて押し黙ってしまったのは、娘を取られるショックからか。それとも、非現実的な現象を受け止められないほど、非現実の存在しないこの平穏な世界に、長く生き過ぎてしまったからだろうか。
「必ず」
 赤い髪に紫の瞳を持つ青年は、臆する事無く自分を真っすぐに見つめ、懐かしいヴィルム語で、告げた。
「彼女を、幸せにします」
 長い長い、沈黙が落ちた。
 青年は、視線を逸らさず、こちらの応えを待っている。隣に立つ娘は、不安そうに、青年と自分を、交互に見やっている。
 そんな二人を見ていると、一瞬の内に、娘との思い出が脳裏をよぎった。

 初めて笑いかけてくれた瞬間。
「パパ」と呼んでくれた、言葉のつたなさ。
 歩き始めた時のおぼつかない足取り。
 生まれたての弟を、不思議そうに覗き込む顔。
 肩車をして巡った、超大手テーマパーク。
 金色の瞳を原因にいじめられて、泣きついてきた涙。
 志望校に受かり、得意げに合格通知を見せつける笑み。
 異世界へ行って来たと、とても真剣に語った、成長を感じさせる、大人びた表情。

 一瞬一瞬が大切で、何物にも代えがたい記憶。
 それをいつか全て、過去に変えなければいけない。その時が、来たのだ。
 ぽん、と肩を叩かれる感触に振り向けば、妻が、微笑を向けていた。言うべき事はわかってるでしょ、とばかりに。
 青い目を閉じ、ひとつ、溜息を吐いた後、目を開き組んでいた腕を解くと、青年に深々と頭を下げ、最早忘れかけて拙くなった、ヴィルム語を、30年ぶりに口にする。

「娘を、よろしくお願いします」

 まさか、自分の遠い親戚に、愛娘を連れて行かれるとは思わなかった。
 因果応報と云うものが、有るのかも知れない。
 56歳になったフェルナンドは、そう、自嘲するのであった。

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