『Give me chocolate.』


 三国の中で最も南に位置するフォルティアの首都、フェーブルでさえ、城下街全体が深い雪に覆われ、城の屋根も白く染まってしまう、真冬のある一日。
 その日は何故か、部下の護衛騎士達が妙に浮かれている事に、ファルスディーンは、昼を過ぎる頃になって、気づいた。
 いくら雪が外敵を寄せ付けない自然の防壁になると云っても、空から魔物の襲撃でもあらば、逆に雪に阻まれ、地上で身動きする術を持たない人間達は、ひとたまりも無い。そこまでの万一の事態が無くとも、雪が解けて春が来れば、ステアとの決戦が始まるだろう。そんな時期に、どいつもこいつも、まるで女神アリスタリアから直接慈悲でも賜ったかのように、幸せそうな表情を浮かべているのだ。
「お前達、何、腑抜けた顔をしている。しゃんとしろ、しゃんと!」
 一喝してみるのだが、どうにもいまいち反応が鈍い。元々、異端の王族であるゆえに、護衛隊と云えども、完全にファルスディーンの言う事を聞いてくれるような連中ではない。それにしても、だ。このうわつきようは一体何事か。苛立ちすら覚えると。
「ああ、ファル、無駄ですよ。今日一日中、こんな調子でしょう」
 その護衛隊の中で、唯一まともにファルスディーンの言葉を聞いてくれる相手―護衛筆頭のスティーヴ・マクソンがやって来て、背後から声をかけた。
「戦巫女様から直々に頂き物を賜ったのですから。今、彼らは完全に夢見心地です」
「もらい物、だと?」
「ええ」
 そう答えるスティーヴ自身も、淡い緑のリボンがかけられた、手の内にすっぽり収まる白い小箱を持っていた。ほんのりと、甘い香りもする。
 ファルスディーンがそれに視線を落とし、怪訝そうな表情をしたのを読み取ったのだろう、スティーヴは彼の目の前で、小箱を開ける。途端に、甘ったるい匂いがより一層鼻腔に満ちた。
 中には、一口大の褐色の菓子が数個、入っていた。辺境で採れる実を原料にした、チョコレート、と云う物だ。ファルスディーンも幼い頃、おやつとして出されたのを覚えている。唇に触れた瞬間から甘く、口の中でどろりと溶け、食べきった後さえいつまでも舌に残る甘味が気になり、もう欲しくないと世話係に突き返した事、それがきっかけで、以降、甘い食べ物をほとんど口にしなくなった事も、よく覚えている。
「これを、未来が?」
「護衛騎士全員に配ったそうです」
 疑問形を投げかけると、護衛筆頭は頷いて返し、続けた。
「未来ちゃんの世界では、丁度この季節に、女性が男性にチョコレートを贈って愛を告白する、『バレンタイン』と云う行事が、有るそうです。元は聖人の命日だったのですが、それを商売に転化してしまった、商魂逞しい者達が居て、今では、本命チョコ以外にも、友チョコとか、義理チョコと言い、友人へ日頃の感謝を伝えたり、ただの義理として贈られる事も多いようですね。中には、男性が女性に贈る逆チョコや、自身の為だけに買う自分チョコなどと云うのも有るとか」
 未来から聞いたのだろう、『バレンタイン』なるイベントの詳細について、スティーヴは淡々と語り、まあ、我々はその内の義理でしょうね、と、恍惚としている部下達に視線を投げかける。
 それを聞いて、ファルスディーンは得心した。あの優しい少女の事だ。戦いの時、言葉を発して様々な現象を起こし、凛とした姿を見せても、それ以外の場所で、目立った貢献を出来ない事を心苦しく思い、せめて身近な人間に対して、感謝の念を示したかったのだろう。
 だが。とも考える。
(何故、俺には無い?)
 別に、自惚れるつもりは無い。愛の告白だのを受ける、特別な唯一人にまでなりたい気は―全く、と言ったら嘘になるが―無い。だが、彼女を最も助けている、最も身近な人物は、自分のような気がするのだが。それが立派な自惚れだと云うのだろうか?
 そんなもやもやした気分が顔に出たのを、つきあいの長いスティーヴは、やはりすぐに感づいたのだろう。明後日の方向を向きながら、そういえば、と飄々とした調子で洩らす。
「未来ちゃんは、フォルカ様の執務室へ向かわれたようですね。陛下にも差し上げるつもりなのでしょうか」
 そうして悪戯っぽく口の端を持ち上げ、笑いかけてみせる。ファルスディーンは、何故か赤くなった後、
「か、勘違いをするな。いくら城の中と云えど、戦巫女が供もつけずに一人でうろつくのは迂闊だと、注意しに行くだけだ。勘違いするなよ!」
 何故か「勘違いするな」を二回繰り返して、その場を足早に去る。スティーヴが、「はいはい」と、わかっていますよ、とばかりの笑みを向けて見送っていた。
 この護衛筆頭の意地の悪さは、いつか修正してやりたい。そう、今はまだ人生経験でも剣技でも及ばなくて、手のかかる弟分くらいに見られているに違い無い。だが、あと数年もして、自分に、背丈と、それに見合った力がついて、王者の貫禄もついたら、絶対に見返してやる。
 そんな事を考えながら、ファルスディーンは大股でずかずかと城内を進み、フォルカ王の執務室の扉をノックした。応えがあったので、扉を開ける。室内はやはりあの、糖分の高そうな匂いがした。
「ファルスディーンか。どうした」
 叔父王は金色の瞳をこちらに向け、優しげに細める。
「ここに戦巫女がまいりませんでしたか」
 単刀直入、ファルスディーンが訊ねると、フォルカはすぐに、王太子の意図する所に気づいたのだろう。スティーヴが持っていたのと同じ小箱を掲げてみせる。
「ああ、未来殿は実にできた娘さんだな。『いつもお世話になっています』と、私のような者にまで、これを渡してくれた」
 中身はやはり、チョコレートだ。だが、ファルスディーンがにこりともしないので、フォルカは訝み、そうして、思い当たったらしい。
「何だ、お前はもらっていないのか?」
 ぐさり。率直なその指摘に、ファルスディーンの、硝子とまでは言わないが、人並に傷つき易くはある心に、何か鋭いものが突き刺さったような気がした。
「そうか、それで不満げな顔をしているのか」
「違います」
 即座に否定したものの、普段そのように子供っぽい感情を見せない甥が、こんな事で思い煩っているのを見られたのが、面白いらしい。フォルカは、くっくっと抑えがちな笑いを洩らした後、
「そういえば」
 と、からかうように告げる。
「未来殿は、厨房へ行ったようだったぞ。そんなに欲しいのなら、行ってみてはどうだ」
「そういう訳ではありません!」
 やはり即答したが、ファルスディーンの足は正直で、言いながら既にきびすを返し、執務室を出て行こうとしていた。

 だが、厨房でも、ファルスディーンは結局未来に会えなかった。料理長曰く、確かに未来は厨房を借りに来たが、もう出て行った後だと云う。
 自分は何をしているのだろう、という考えが、ファルスディーンの脳裏をよぎった。
 もう16歳にもなった男が、しかも一国の継承者が、チョコレートひとつもらえるかもらえないかを憂いて、城の中を走り回るなど、幼稚な事この上無い。
 そうだ、別に、好みでもない食べ物をもらったところで、その後どうしようも無いではないか。食えないと突き返す訳にもいかないし、やせ我慢をして笑顔を作って食べるのも、白々しい。
「ファル」
 どっしり構えていようではないか。明日未来に会ったら、何も知らないふりをして、いつも通りに過ごして。
「ねえ、ファル」
 そう、未来が自分を呼んだ時には、大人の余裕を見せて、破顔しながら振り返って……。
「もう、ファルったら!」
 少し焦れたような口調と共に、とん、と肩を叩かれ、
「うわあああああっ!?」
 その声と手の主が、今まさに想定していた相手だったので、ファルスディーンは、すっとんきょうな声をあげながら数歩後ずさってしまった。
「何でそんなに驚くかな」
 金色の瞳が、不思議そうに見つめてくる。
「すまん、何でも無いんだ」
「そう。でも、会えてよかった。ファルったら、城中探しても、なかなか見つからないんだもの」
 ファルスディーンが何とか取り繕うと、未来はひとつ息をついて、手にしていた小箱を、ファルスディーンに差し出した。
「やっと渡せる。はい、これ」
 フォルカやスティーヴ達がもらっていたのと、ほぼ同じ大きさの小箱だ。だが、違いと言えば、かけられているリボンが、緑ではなくて、オレンジ色をしている事か。
「いつも、助けてくれてありがとう」
 そう言ってはにかむ少女の笑顔を真正面から見つめてしまって、ファルスディーンは柄にも無くどぎまぎしながら、のろのろ手を出して、小箱を受け取る。
「開けていいのか」
 訊ねると、未来は笑みを浮かべたまま、こくりとうなずいた。リボンをほどけば、予想通り、褐色のチョコレートが、詰まっていた。
「食べてみて」
 未来が手を組み小首を傾げて、見上げてくる。これはとても、「食えないんだ」などとは言えない状況だ。ファルスディーンは意を決して、小箱の中からチョコレートを一粒、つまみあげた。口に放り込んで、しばし舌の上で転がし、ある事実に、気づく。
「……甘くない」
 かつて味わったような甘ったるさは、全く無かった。それどころか、菓子のはずなのに、適度なほろ苦ささえ有る。素直で簡素な感想が、口をついて出た。
「美味い」
「本当に?」
 問われたのでうなずき返すと、未来は嬉しそうに笑みこぼれる。
「スティーヴに、ファルは甘いものが嫌いだって聞いたから、厨房を借りて、ファルの分だけ、甘くないチョコレートを作り直したの」
「俺の分だけ?」
「うん」
 もしかして、自分だけもらえずにいたのも、厨房を借りていたのも、その為だったのか。一人で色々とやきもきして走り回り、幼い嫉妬をおぼえていたのが、今更恥ずかしくなる。その気恥ずかしさを誤魔化す為に、そっぽを向きながら、わざとそっけなく言った。
「まあ、手作りにしてはよく出来ているな。それは褒めてやる」
「本当? よかった、いらないって言われたらどうしようかと思ってたの」
 それでも、評価を得られた事が、未来には充分嬉しかったらしい。心底ほっとした様子で、胸をなで下ろす。その笑みを、護衛騎士達やフォルカにも向けたのだろうか。ちくりと心に刺さる棘が有って、ファルスディーンは、思わず、ぽつりと呟いていた。
「義理チョコとやらか?」
「えっ?」
「本命では、ないんだな?」
 我ながら、実に稚拙ないじけ方だと思う。きっと相手は「当たり前じゃない。ファルったら何、子供みたいな事言ってるの」と、笑ってかわすだろうと思った。だが。
「えっと……どうだろう」
 未来は明らかに頬を赤く染めて、視線を彷徨わせ、続ける言葉に困っているのだ。
「本命がよかった?」
 何故そんな事を訊く。何故赤くなる。こちらまで顔が熱くなってくるではないか。ファルスディーンも妙にまごまごしてしまった。
 しばしの沈黙が続いた後。
「じゃあ、来年」
 未来が口を開いたので、顔を向けると、彼女は、照れ笑いを浮かべながら。
「来年は、ちゃんと本命で渡せるように、ファルも努力してください」
 一体何をどう努力しろと言うのだろう。果てしない疑問を感じながらも、ファルスディーンは、
「……はい」
 と返事をするしか無かった。
 さっき浮き立っている護衛騎士達を叱咤したが、こんな事で心拍数が上がっている自分も、彼らの事を言えないのかもしれない。ファルスディーンは、心の中で自嘲した。
「来年」が有るかどうかなど、今は深く考える必要も無いだろうと、思いながら。

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