『愛のカタチ』


 ネーデブルグの若き宰相、レイス・アラノールは、自分が三国一の幸せ者であると自負している。
 何故なら、大陸一の主を見出だし、仕えていられるのだから。
 くるくるとした茶色の巻き髪に、つぶらな灰色の瞳。ふっくらした薔薇色の唇。実年齢よりもやや幼いが、それが却って愛らしい印象を与える、レイスが誰よりも敬愛する主君、サフィニア・フォン・ネーデブルグは、執務机に向かい、積み上げられた書類の束を前に、はふうと切なげな溜息を洩らした。
「つまらないですわ」
 その憂鬱そうな嘆息さえ可愛らしい。それを友人らに語ると、一様に、「熱をはかれ」だの、「一度医者に行け」だのと言われるのだが、レイスはむしろ彼らこそ、何かの病気である事を疑った方が良いのではないかと思う。
 この姫君の一挙手一投足が、どんなに輝いて見える事か。紡がれる言葉のひとつひとつが、このネーデブルグにとって、どれほどの重みを持つものか。彼らが心底から理解するまで、夜を徹してでも語り尽くしてやりたい。
 そんな姫だが、時折、王族としての執務を、こうして面倒くさがるので、ここで、
「では、中断して、気分転換の遠乗りにでも参りましょうか」
 と甘やかしたい気持ちを必死に抑え、心を鬼にして、レイスは穏やかな笑みと共に、主君に告げるのだ。
「我慢なさってください、サフィニア様。殿下のお仕事の全てが、ネーデブルグの民の明日となるのですから」
 たちまち、きめ細かい肌をした頬がぷっくりと膨らみ、つんと突き出した唇から、不平がこぼれ落ちる。
「今の王は叔父様ですもの。わたくしが、このような仕事をする事に、意味が見いだせません」
 先の大戦で、彼女の兄であるカーレオン王を失ったネーデブルグは、「サフィニアが婿王を迎えるまで」との期限付きで、親族が王位をあずかる事になった。しかし、気弱で凡庸なその親族は、国の統治にもやや消極的で、結果、「いずれ政務を担う者であるから」と、この姫に事務処理の殆どが回って来てしまうのだ。
 18歳のうら若き姫には少々過重な労働であると思う。が、しかし将来、この可憐さに、聡明な為政者としての威厳が加わってくれる事を思えば、現在の安楽より先の栄光を、レイスは期待して、書類の束の半分を、手に取った。
「私もお手伝いいたしますから。今日のお仕事は、今日のうちに、終わらせましょう」
 途端に、灰色の瞳が、くりんと向けられ、じいっとこちらを見つめる。何か、変な事を言っただろうか。よく友人達には、「お前は変だ」と、理由もわからず言われる事があるのだが。レイスが首を傾げると、姫は、鈴の音のように愛くるしい声で、疑問を洩らした。
「何故レイスは、そのように、わたくしに尽くしてくれるのですか? 貴方の主君は、叔父様でしょうに」
 その問いに、レイスは、一瞬の躊躇いも無く、にこりと答えた。
「私の主君は、サフィニア様、ただお一人ですよ」
 それは、一点の曇りも無い、彼にとっての、絶対的な真実。もう、十数年も昔に確立された、想い。
 レイスが少年の頃、王宮文官の父に連れられ、アイゼンハース城に遊びに来た時だ。庭で、巣立ちに失敗して羽根を怪我した小鳥を拾った。
 その時、たまたま偶然通りかかったのが、ネーデブルグ王家の兄妹だった。
 兄王子は、そのような死にかけの汚い小物など捨て置けと、そっけなく言い放った。だが、妹姫は、その小さく白い御手で、レイス少年の手から小鳥を受け取り、つたない口調で回復魔法を発動させ、小鳥を再び空へと舞い戻らせたのだ。
 恐らくこの姫自身は、そんな些細な救済など、覚えていないのだろうし、知る由も無いだろう。その時の姿が、レイスの目には、女神アリスタリアすら凌駕する神聖な存在に、映った事を。
 それ以来、彼にとって、この姫は唯一仕えるべきと見なす、絶対の主君になった事を。
 触れられなくとも良い。その笑顔が自分だけに向けられる事が、無くとも。事実彼女は長い間、隣国の王太子―今では王だが―に恋い焦がれ、決して余所見をする事が無かった。
 将来その情熱が、ネーデブルグの次期王となるべき、他の男に向けられる事になろうとも、自分はこうして、彼女の傍で、彼女を支えてゆければ、それだけで満足だと、思う。
 それを友人達に言えばやはり、
「お前に、男としてのプライドは無いのか」
 と呆れられるのだが、大きなお世話だ。
 愛の形はひとつでなくとも構わないだろうと思うのは、そして、この姫を想うのは、レイス自身の、勝手なのだから。

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