『鈍色の矢』4

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 利久は、今までの人生で有り得ない―そう、両親に叱られてむくれたり、姉未来と喧嘩をした時にさえ、こんなに怒りを露にする事は無かった―くらい、どかどかと激しい足音を立てて、町長の屋敷内の廊下を進んだ。
 ばん!と、立て付けがおかしくなるのではと云う程強く扉を開けると、執務机に向かっていた、部屋の現在の主は、驚いたように眼鏡の奥の目を丸くして、腰を上げた。
「これは、戦巫女様」
 エリック・フォズリルは、穏やかな笑みを浮かべて、歩み寄って来る。
「お一人で町に出られたと聞き、心配しておりました。ご無事で……」
 その言葉が中途で打ち切られたのは、利久が瞬時に生み出した金色の槍が、町長代理の喉元に、ぴたりと突きつけられていたからだ。
「これはこれは」
 笑みを心無しか強張らせて、しかし冷静に、エリックが問う。
「何のご冗談でしょうか」
「俺も、冗談で済むならいいと思ってる」
 対して、昂る感情を抑えきれない声色で、まっすぐに相手を睨みつけて、利久は口を開いた。
「立花あすなを蘇らせ、操っていたのは、あんただな」
 しばしの沈黙があった。凍りついた空気を、やがて破ったのは、エリックの、嘲笑とも受け取られる吐息だった。
「何を証拠に、そのような」
「本人の口から聞いた」
 エリックの台詞を遮るように、利久はたたみかける。
「『死人に口無し』とは、よく言ったものだよな。だけど、死者も語ると、言ったのはあんただ。意味は違うが」
「黄泉返りの、狂気に駆られた小娘の言葉を、信じると?」
「少なくとも、あの時の彼女は正気だったと、俺は信じる」
 更なる沈黙が落ちた。だがやがて、くつくつと嫌な笑いが、利久の耳に届いた。ヒューリが放つ、他人を馬鹿にした、あの種と同類の、耳障りな笑い声が。
「聡過ぎる子供は、寿命を縮めるだけですよ?」
 それと同時、がしゃあん!と窓を割って、利久とエリックの間に入り込んで来た者の、殺気を込めて降り下ろされた腕をかわして、利久はエリックとの距離を取る事を余儀無くされる。
 間合いを測り直す為に相手を見、利久は息を呑んだ。それは、老年にさしかかった、人だった。「だった」と過去形で表すのが、正しいのかも知れない。あすなのように、肌はどす黒く変化して、落ち窪んだ目はぎらりとこちらを捉え、まるで獣のように四つん這いになって、奇妙な唸りを洩らす口からは、だらしなく涎が垂れている。
 だが、利久を驚かせたのは、それだけではなかった。どんなに形相が醜く変貌していてもわかる。魔物のようになってしまった老人と、その後ろに悠然と立つ男との間に在る、顔の造形の共通点を。
 まさか、と云う恐るべき予感が、利久の背中を、ぞくりとした寒気となって這い上がる。その予感に確信を与えるように、エリックが笑いを洩らしながら、眼鏡のブリッジを、ついと押し上げた。
「立花あすなだけでは心元無かったのでね。生者にもこの禁忌の術が効くかどうか、病の父上は、大変良い口実になりましたよ」
 利久の戦慄には受け合わず、エリックは己の所業を罪とも感じていないのか、陶酔気味に語る。
「術を込めた、菌のような物を相手に投じるだけで、自分の好きな時に、相手を不死の魔物と変貌させ、操る事が出来る。町の水源にも、同じ物を混ぜました」
 それでは。利久は愕然とした。水源から降ってきた水を使った、この町の者は皆、その菌に感染して、エリックの意のままになるのを待つばかりだと云う事になる。事件だけに気を取られて、この町で作られた物を口にしなかった自分は、幸運なのだろうかと云う、場違いでもある安堵が、一瞬胸をよぎったが、それはすぐに、沸き上がる激情に取って変わられた。
 エリック目がけて槍の片割れを投げつける。だが、それが相手に届く直前、魔物となった彼の父親が打ち落とした。
 操られているとは云え、このような仕打ちをした実の息子を今だかばおうとする、元は町長であった者に、哀れみを覚えつつも、彼をエリックより先に倒さねばならないと判断して、利久は槍を構え直し、床を蹴った。
 魔物は、人間の老人、否、若者の限界すらも凌駕する素早い動きでこちらを翻弄し、歯をむき爪を振るって、心臓をえぐり出そうとしてくる。
 とは云え、こちらも、人を超えた能力を有する戦巫女だ。俊敏に身をひねり、攻撃をかわして、一撃一撃を叩き込む。しかし、右足を飛ばされ、左腕が使い物にならなくなっても、町長は、獣のごとき叫びを発して、襲い来る事を諦めなかった。
 どうすればこの猛攻を止められるか。次第に焦り始めた時、利久は思い出した。立花あすなが最期にとった行動を。彼女は、大きなヒントを、利久に遺してくれていた。
 正面から、敵を待ち受ける。突っ込んで来た相手の胸目がけ金の槍を繰り出すと、飛び込む勢いを殺せなかったそのまま、槍は町長の心臓の位置を貫き、利久の予想通り、町長の全身が、あっという間に乾いた砂と化し、そして、ざあっと床に崩れ落ちた。
 残った男を、15歳の少年に出来得る精一杯の迫力で、ぎんと睨みつけると、エリックは、狼狽の色を顔に浮かべて後ずさった。が、やがて彼はゆっくりと眼鏡を外し、その顔に、再び笑みを浮かべる。狂気を孕んだ笑みを。
 殺気。それを感じた瞬間、利久は反射的に槍を眼前に掲げていた。今度は、エリック自身が、どす黒い肌と醜い表情に変貌して、襲いかかって来たのだ。何とか槍で受け止めたものの、力を殺ぎきれず、槍をつかんで振り回したエリックの腕力に、利久の身体は、部屋の反対側まで飛ばされ、窓を突き破って、屋敷の外へ放り出された。咄嗟に受け身を取らなければ、戦巫女と云えど、打ち所によっては、死んでいたかも知れない。
 地面に転がった身を起こすより早く、見上げた視界に、飛びかかって来るエリックが映る。強烈な一撃を食らう事を予測し、ひやりと肝を冷やした利久だったが、エリックが利久を打ちのめす直前、二人の間に割り込んだ何者かが、気合いを吐く一声と共に、敵の腕を、身の丈程もある大剣で、斬り飛ばした。
 そんな巨大な得物を使いこなせる味方を、利久は、一人しか知らない。
「ご無事か、利久殿」
 ヴォルフラム・バロックは、肩越しに利久を見やり、利久が頷きながら起き上がるのを見届けると、すぐに、油断無く視線を敵に戻した。
「突然、町中の民が、彼のような姿になった。我が兵の中にも」
 恐らく、己の父親を魔物として覚醒させたのと同調して、術が浸透していた民を変貌させたのだろう。術を込めた菌とやらに汚染された、ガザルハンで作られた物を口にしてしまった、不運なステア兵の事を思うと、言葉を交わし名を知っている者も、既に一人や二人ではなかった利久の胸は痛んだが、人でなくなってしまった人を、元に戻す方法を、利久は知らない。少なくとも、利久の戦巫女としての能力の中に、そのようなすべは存在しない。
 アルテムで、ケインの母親を癒せなかった時と、同じだ。戦巫女の力など、何の役にも立たぬのではないか。
 自分自身に対する苛立ちは、やがて、他人に対する憤りへと振り替えられる。怒りをぶつけられる相手が目前に居た事に感謝しながら、利久は槍を握り直し、身構えた。
「心臓を」
 狙ってください、までを言わずとも、バロックは理解した。目で返事をし、二人は同時に地を蹴った。
 エリックは、あすなや町長同様、最早人間ではない叫びをあげて、飛びかかって来る。振り下ろされた腕をバロックがかわして斬り捨て、最後のあがきとばかりに蹴りが繰り出された脚に、利久は左手の槍を突き立て、右手の槍を、胸に吸い込ませた。
 エリックは、信じがたい、といった表情を、顔一面に満たす。しかしそこまでで、その表情のまま、一瞬にして砂と化すと、その身体は、地に落ちて砕けた。
 完全に砕け散らず、ごろりと転がったエリックの頭部を、利久は怒りに任せて踏みつける。あまりにも薄い手応えと共に、海辺の乾いた砂山を崩すかのごとく、それは粉々になった。
 背後に立つバロックは、利久の怒りが収束するまで、何も声をかけずに待つつもりでいてくれるのだろう。遙かに年輩の騎士の気遣いを、ありがたく感じたが、利久がその感慨に浸る暇は、ほとんど残されていなかった。町のあちこちで、火の手があがったからだ。
 利久とバロックが驚いて周囲を見渡すと、松明を手にしたステアの兵士が、二人を見つけて、駆け寄って来た。
「戦巫女様、将軍。早々に、この町からお離れください」
「どういう事だ、これは」
 バロックが驚きを隠せずに問いかけると、兵士は戸惑いも無く答える。
「ヒューリ様のご命令です。エリックの術によって、魔物に変貌してしまったこの町の者を一掃するには、火を放つしか無いと」
 利久もバロックも、言葉を失ってしまったのだが、しかし、民を救う手立てが無い以上、それしか方法は無いのかも知れないと、諦めの念も込み上げる。
 兵士に促されるまま、利久達は、町を脱出すべく走り出した。途中、利久は一人足を止めて、燃え上がる町を振り返る。
 あすなを救うと意気込んだ、幼い正義感は打ち砕かれた。結果的に、あすなだけでなく、多くの、関係が無いはずだった人々までをも巻き込み、死に追いやるしか無くなってしまった。
 結局、自分には、世界を救うと云う戦巫女たる資格など、無いのではないかとの思いが、胸を突く。
 いつか自分は、自分を選んだはずのアリスタリアの信望を失い、戦巫女の資格も失って、金の槍も、錆びたものに変わるのではないかと、恐怖にも似た予感が、脳裏をよぎった。
 死して尚戦いを強要された、立花あすなが放った、矢の鈍色と共に。

 楽しくて、たまらない。
 ガザルハンを見下ろせる丘から、炎と煙を吹き上げる町を、腕を組み睥睨しながら、ヒューリは、くつくつと、両端を持ち上げた口から、笑いを洩らした。
 死者も生者をも魔物として、操る術を、人間に与えてみたら、どうなるか。興味本意でエリックにそれを試したが、まさかこんなに大規模な破滅を生み出してくれるとは、思わなかった。
 きっとあの少年も、今回の件で大きく傷つき、今後ますます、戦巫女の本分とは違えた働きを、していってくれるに違い無い。
 やはり、永い時を経て、この世界に戻ってきた甲斐があった。この世界は本当に、壊し甲斐がある。
「楽しい。ああ、楽しい」
 ヒューリは笑う。心底、楽しげに。
 見ているがいい、アリスタリア。
「お前の愛した世界は、アタシが、壊す」
 より一層炎の勢いが増すガザルハンの夜空に、けたたましい笑い声がこだまして、その反響は、永遠に消えないのではないかとばかりに、続いた。

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