『鈍色の矢』3

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 戦巫女の命が狙われた。その事実に、町長の屋敷は、夜半過ぎでありながら、誰もが浮き足立ち、慌ただしく駆けずり回っていた。エリックは、真っ先に利久の元を訪れ、利久とバロックを気遣う言葉を述べて、
「尊い戦巫女様のお命を狙った不届き者は、我らガザルハンの民の総力を挙げて捕らえ、処断してみせましょう」
 とまで宣言した。
 町長代理の部屋を出た後、利久は、替わりにあてがわれた部屋で、再びバロックと向かい合わせに座り、先程の矢を、テーブルの上に置いた。バロックが、何の話をしたいのかわかりかねる、とでも言いたげに眉根を寄せるので、
「居ますね」
 利久は単刀直入に、彼に問いただした。
「俺の他に、ステアの、戦巫女が」
 途端にバロックが、驚きに目を見開く。
 この世界で、化学に関する常識がどこまで解明されているか、利久は知らない。だが、金は、滅多な事では錆びない。そして鉄や銅に比べて重過ぎて、武器にするには到底向かない。中学校の理科で学んだそれは、はっきり覚えている。
 金色の金属を、武器に用いるのは、この世界では、ステアの戦巫女、すなわち自分だけのはずだ。しかしそれが用いられ、しかも、失格したかのように錆びているとしたら。自分以外に、ステアの戦巫女が居て、そして何らかの理由で、その地位を失ったのではないだろうか。
 そう、己の推測を告げると、バロックは腕を組み、渋面を見せて唸った。返答に迷ったのか、利久の推理に感心したのか、これから語る話の重みを感じたのか。後に利久が考えても、この時の答えは、一生出ない。
「利久殿の思われる通りだ」
 やがてバロックは、重々しく口を開いた。
「ただし、居た、と云う過去形だが」
 組んでいた腕を解くと、その眼光だけで配下の兵士を畏縮させる瞳が、まっすぐに利久を見つめてきた。
「これは、ごく一部の者しか知らぬ事だが、利久殿の前に、ステアに戦巫女は居た。それも、二人」
 一人目の事は、出身どころか名前さえも、バロックは知らないと言う。突然異世界に召喚されて混乱している所に、国の為に力を尽くせと、能面のように無感情な女王に言われ、完全に平静さを欠き、元の場所に帰りたいと狂乱したその哀れな少女は、ヒューリによって一撃で首から上を吹き飛ばされ、エズリル郊外に打ち捨てられて、野犬の餌になったと云う。
「二人目は、まだ冷静だった」
 息を呑む利久に、バロックは話を続ける。
 二人目の少女は、『立花あすな』と、それなりに落ち着いた口調でセルマリア女王に名乗った。『中学校』の『入学式』の最中、こちらの世界に呼ばれた彼女は、戦わねば死して、元の世界にも帰れぬ運命を、ある程度の諦念を持って受け入れた。
 そして、力に目覚めよと、女王がヒューリに命じて謁見の間に召喚した魔物に相対した時、金色の弓矢をその手に生み出して、見事に魔物を仕留めたのだ。
「だが、彼女も死んだ。他ならぬ、このガザルハンで」
 初陣だったと云う。まだ、ステアの戦巫女の存在を世に知らしめる前に、この地で魔物が発生したとの報を受け、彼女は、自らセルマリアに申し出て、バロックやステアの兵と共に、ガザルハンへ向かった。
 しかし、そこで悲劇は起きた。空飛ぶ魔物と、戦巫女の能力を駆使した彼女との戦いは、凡人の介入出来ない空中戦となり、熾烈を極め、遂に、相討ちと云う結果を迎えたのだ。
 その遺体は、当時既に町長代行となっていたエリックのはからいで、ガザルハンの墓地に、手厚く葬られた。
 はずであったのだが。
「死者を蘇らせる、禁断の術があると云う」
 バロックは苦々しい表情で、先を続ける。
「生憎、自分は魔術の類には全く詳しくないが、何者かが、彼女を眠りから強引に覚まし、操っているとしたら、許しがたい」
 利久はバロックに向けていた視線を、テーブルに落とした。そこには、鈍色の矢が置かれている。
 立花あすなであろう少女の、哀れな姿を、『助けて』と発した、彼女の本音であろう言葉を、思い返す。
 そして利久は、決意に満ちた表情を顔に満たすと、席を立った。何処へ、と問いたげなバロックを振り返り、告げる。
「もう一度、あの子に会います」
 死して尚その魂を愚弄される彼女を解放できるのは、きっと同じステアの戦巫女である自分しか居ない。いや、解放してみせる。そして、背後に居るだろう、卑劣な術者を、必ずこの手で断じてみせる。
 ステアの戦巫女になってから、非道な侵略の尖兵ばかりしてきた自分に、初めてと言って良いくらい、正義感に溢れた行動が出来ると云う、幼い満足にも似た感情が、利久を突き動かした。

 丑三つ時、と云う表現は、ステアには存在しないだろう。しかし、真夜中を過ぎ、民が眠り静まり返った町には、この世にあらざる者が出没してもおかしくない、不気味さが漂っている。
 そんな町の裏通りで、夜半の生温い風がばたばたと髪を、身体を打つ中、利久は金色の槍を両手に、地に足をしっかとつけ、前方の闇を見すえていた。
 きっと彼女は来る。戦巫女である自分の前に現れる。自信にも似た確信を持って待つと、不意に、風が止んだ。
 かつ、かつ、かつ、と、靴が地面を叩く音が、いやに大きく響く。利久が目を細めて、金の槍を握る手に、一層の力を込めると、現れた相手は、生きていたなら、愛らしい少女であっただろう、目ばかりがぎょろりとした土気色の顔を向けた。
 そして、錆びた弓に、やはり錆びた矢をつがえ、警告も宣言も無しに、それを利久目がけて放ったのである。
 咄嗟に後方回転をして避けると、二射目が放たれる。身を捻れば、今度は三本が一斉に襲い来た。
 両手の槍を駆使して錆びた矢を打ち落とし、地を蹴る。懐に飛び込んでしまえば、矢は射てまい。いくらこちらを殺す気でも、女子に対してこの行為は申し訳無いと、心の中で詫びながら、利久は槍を光に還して、空になった手で相手の首根っこをつかみ、頭を打ちつけるのではと云う勢いで、押し倒した。
 言葉にならない声で吼え、とても中学生の少女とは思えない力で、相手は抗う。利久は腕に込める力を緩めないまま、ひゅうと息を吸うと、腹の底から、その名を呼んだ。
「立花、あすな!」
 途端、ぴたりと少女の抵抗が止んだ。ぎょろぎょろした目が、ゆっくりと、利久の顔に焦点を合わせる。
「教えてくれ」
 利久は言葉を継いだ。
「誰が君をこんな目に遭わせた。首謀者は誰だ」
 しばらくの間があった。だがやがて、相手の瞳に、確かに理性の光が灯ったのを、利久は見逃さなかった。
 立花あすなの唇が震えた。その口が、確かな言葉を紡ぎ出す。その声はかすれ気味だったが、彼女の口から放たれた名は、間違い無く、利久の耳朶を打った。
 しかしそれを聞いた瞬間、利久は思わず、我が耳を疑った。聞き間違いかと思ったのだ。
「本当か」
 呆然と呟くと、問いかけたつもりではなかったのだが、あすなはしっかりと、深く頷いた。
 だが、次の瞬間、彼女の瞳から正気は吹き飛び、獣のような咆哮をあげたと同時、利久の左肩に鋭い痛みが走った。あすなが、手の中に矢を生み出し、突き立てたのだ。
 苦悶の声をあげるのをかろうじて堪え、身を離す。左肩に矢が刺さったまま、右手だけで槍を呼び出し、襲い来る相手に向けて構える。新たな矢を握りしめ、きっと文字で表現出来ないであろう叫びをあげて飛びかかって来たあすなは、しかし、矢が利久の額に降り下ろされる直前、空いている方の手で、利久の槍をぐっとつかんだかと思うと、迷う事無く己の胸に、穂先を吸い込ませた。
 言葉を失う利久に、あすなは、生前を想像させる柔らかい笑みを向ける。その顔が一瞬にして乾いてゆき、砂のように化したかと思うと、あっという間に、地面に崩れ落ちた。
 再び吹き始めた風が砂をさらって、初めからそこに何も無かったかのように、あすなの存在をかき消した。利久が槍をしまい、痛みを堪えて、鈍色の矢を引き抜くと、それさえも、利久の手の中で、乾いた音を立てて、砕け散った。
 放心して立ち尽くす利久の背後で、空間が揺れた。それが、転移魔法を使う時の揺らぎである事、使い手が、ステアの中で一人しか存在しない事を、利久はこの数ヶ月の間で、知っている。
「ふふ、ご苦労様ですったら」
 予想に違わず、人を小馬鹿にしているかのような口調と共に、ヒューリ・リンドブルムが歩み寄って来る気配がした。
 ぽんと左肩に手が置かれると、淡い光が放たれ、痛みと、血が流れ出していた生温い感覚が消える。ヒューリが、回復魔法を使ったのだ。しかし彼女が決して、慈悲や仲間意識から、そうしたのでは無い事も、利久は知っている。『役立つ戦巫女』の戦闘力が損なわれない為の処置を、施したまでだ。
 それが証拠に、視線を向ければ、ヒューリは、色素の薄い瞳を細め、にたりと口元を歪めた顔を、嫌味なまでに可愛らしく傾けて、囁きかけるのだった。
「わかってますのことよね、誰を、討つべきか?」

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