『鈍色の矢』2

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 ガザルハン町長の屋敷で、利久達を出迎えたのは、町長、ではなく、その息子のエリック・フォズリルだった。息子と云っても、そろそろ中年で、現在、病床にあると云う父親の代わりに町長の務めを行っている、実質的な町の代表である。
「遠路はるばる、ようこそお越しくださいました、戦巫女様」
 彼は、眼鏡の奥の目を細め、人当たりの良い笑みを浮かべて利久と握手を交わし、バロックにも、会釈を送る。
「バロック将軍も。お久しぶりでございます」
 バロックは、「うむ……」と、唸るような応えを返すと、早速本題を切り出した。
「時にエリック殿、我らがガザルハンに来た理由は、とうにお主の耳にも入っておろう」
 するとエリックは、眼鏡のブリッジをおさえてついと押し上げ、心中複雑そうな顔を見せた。
「夜な夜な徘徊する魔物、の噂ですね」
「それは噂か、事実か」
 率直なバロックの問いに、その場に一瞬沈黙が落ちる。しかし。
「事実です」
 エリックのやけに落ち着き払った答えに、利久は表情を強ばらせた。
「誰もその姿を見た者は居ません。見た者は確実に、命を奪われましたゆえ。ただ……」
「ただ?」
 言葉を濁されたので、利久とバロックが同時に先を促すと、エリックは続ける。
「これは、魔物ではなく、何者かによる連続殺人の疑いも有るのです」
「何を根拠にそのような推測を? 目撃者が居らぬと云うのに」
 バロックの問いに、エリックは再び眼鏡を押し上げて、答えた。
「目撃者は居りませんが、犠牲者が、同一犯の可能性を、死しても語っているのです。殺された者は皆、錆びた矢で、一撃のもとに射抜かれていました」
 利久とバロックは、思わず顔を見合わせた。町の平穏を乱す、愉快犯でも居ると云う事だろうか。もしこれが本当に、人間の手によるものであるとしたら、
「ステアの安寧を乱し、反乱の可能性も有り得る」
 などと言う、女王の言葉を携えたヒューリあたりが、反逆の芽を潰せと、ガザルハン制圧の命を持って現れそうなものを。
「とにかく」
 渋面を崩さぬまま、バロックがエリックに告げる。
「この事件は、我々ステア騎士団が、解決してみせよう」
「心強いお言葉、有難く存じます」
 エリックは恭しく頭を垂れる。しかし、その口の端には、軽い笑みが浮かんでいたのが、ガザルハンの置かれた状況に危機感を覚えないのかと、利久に疑問を抱かせた。

 エリックとの対面が終わって、客間に通される頃には、陽がとっぷり暮れ、外は暗くなっていた。利久はソファに、四肢を投げ出すように身を沈め、テーブルを挟んだ向かいへ、バロックが腰を下ろす。
「バロック将軍はどう思いますか」
 敢えて目的語を出さずに利久が訊ねると、バロックは目を伏せ小さく唸った後、その目を開き、口を開いた。
「真に恐ろしきは、魔物よりも、人間の方かも知れぬ」
 抽象的ではあったが、それは利久の考えでもあった。人を殺す人。それを語って尚笑んでいる者。滅亡を望む女王。人は、姿こそ人であれ、その心は、魔物より荒み、醜いものと化しているのではないだろうか。
 物思いに沈みかけた時、ぞわりと襲い来た、強烈な殺気を、戦巫女として研ぎ澄まされた感覚で感じ取り、利久は、ソファから跳ね起きた。
 一瞬遅く気取ったバロックの頭を押さえ込みながら、自分も身を伏せると同時、がしゃああん!と、窓硝子が砕け散る音と共に、外から飛び込んで来た鋭い何かが、二人の頭上をかすめ、壁に突き刺さった。はっと顔を上げると、第二波が来る。利久は咄嗟に、それを眼前すれすれでつかみとった。戦巫女の反射神経が無ければ、眉間を射ち抜かれて死んでいたに違い無い。
 そして見る。自分を狙って飛んで来た物を。それは、一本の、錆びた矢だった。矢羽もぼろぼろで、朽ちる寸前のように見せながら、鏃はいまだ鋭さを残して、充分に、人の生命を奪える威力を残している事をうかがわせる。振り返れば、壁に突き刺さっている矢も、同じだった。一体誰が、このような代物を用いて、何をしようとしているのか。
「利久殿!」
 バロックに呼びかけられた事で、利久は我に返る。そうだ、まだ、矢を放った犯人は、矢を放てる範囲、すなわち、こちらからも視認できる場所に居るかも知れない。つかんでいた矢を床に放り投げ、三射目を警戒しつつ、二人が窓際に駆け寄ると、夜闇の中、ひらりと身を翻す、やや小さめの影が見えた。
 利久は身軽に窓枠を乗り越え、路地に降り立つと、その影を追いかける。走りながら両手に意識を向ければ、馴染んだ二条の金の槍が、生じた。
「止まれ!」
 片方の槍を、相手の足元目がけて、勢い良く投げる。槍は、本当に足を貫きこそしないものの、地を砕いて、走りを止めるには充分のはずだった。しかしそこで、信じがたい事態が起きる。相手は、たんと軽く地を蹴ったかと思うと、人間の跳躍力を超越したそれで、民家の屋根の上まで、飛んだのだ。
 驚きに目を見開く利久に、相手が振り返る。月明かりにうっすらと照らされる、その姿を見た時、利久は更なる驚愕で、その場に立ち尽くしてしまった。
 ぱっと見は、ただの小柄な少女だった。しかも、利久と同じ日本人系の顔立ちをしている。しかし、青白い月の輝きのせいだけにするには、彼女の肌はあまりにも血色が悪く、真っ青を通り越して、どす黒くさえある。
 それを見て怯む利久に、ぎょろりとした目が向けられた。常人のする目つきではない。まるで餓えた獣のようで、正気とは思えない。
 相手が弓を構えた。反射的に、地に刺さったままの金の片割れを抜き取り、いつでも矢が放たれても対応出来るように、抜かり無く体勢を整える。
 だがそこで、利久の予想外の行動を、相手が見せた。ふらりとよろけたかと思うと、がくがく震えながら、まるで、自分の腕を、他人のものであるかのごとく、ぎこちなく下げたのだ。
「あ……う、ああ……」
 確かに年頃の少女の高さではあるが、到底言葉になっていない、苦悶にも似た声が、口から洩れる。その異変に、利久が思わず構えを解いて槍を下げると、少女は呻きながら、こちらに視線を向ける。そして、声にならない言葉を、唇が象った。
『た す け て』
 その四文字を確かに読み取り、利久が唖然としている内に、少女は再び、意味を成さない声を発しながら、照準も合わせずに一射、利久の足元に矢を射ち込んだかと思うと、身を翻し、夜の闇に消えた。
 金の槍を光の粒子に還して、深く息をつく。『助けて』と、少女の言った意味もわからぬまま、身を屈めて、地に刺さっていた矢を引き抜く。
 手にしたそれは、やはり酷く錆びていた。だがそこで、またも驚くべき事態が起きる。
 利久の手が触れた部分の錆がぼろりと剥げて、下から、矢の元の色が表れる。それは、利久の武器と同じ、金色をしていたのだ。

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