『鈍色の矢』1

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 辺りに無造作に散らばる死体に囲まれた中、そう遠くない未来に訪れるであろう死を前にして、男は恐怖に目を見開き、がたがたと震えていた。
「た、助けてくれ……」
 その口から、裏返った哀願が洩れる。
「死にたくない、助けてくれ!」
 それを見下ろす黒の双眸が、微かに揺れ、憐れみの色が宿った。しかし、それはすぐに消え、
「……悪いな」
 感情を押し殺した宣告が、発せられる。
「俺にも、死なせたくない人達が居る。その為には」
 そこまで言ったと同時、金色の鋭い輝きが、降り下ろされた。
 断末魔の叫び。びしゃりと飛び散る鮮血。もう何度、それを耳に、目にしただろう。初めは、両手が抑えようも無く震え、その場にうずくまって、吐きもした。しかしいつからか、その感覚が麻痺してしまった自分が居る。
 頬についた返り血を、15歳の少年が見せるには不気味すぎるほどの無表情でぬぐい、利久りくは、たった今、己が命を奪った死体に背を向けて、歩き出した。
 振り返らずとも、わかる。
 これ以上、自分が金の槍を振るわずとも、赤い鎧をまとったステアの兵は、この街の者を殺し尽くし、壊滅させるだろう。
 何故なら彼らは、この国の女王が、滅せよと断じた、『反逆者』なのだから。

「はいはい、ご苦労様。今回も、戦果は上々ですの」
 飄々と、どこか、いや完全に他人を侮った、不遜な口調の台詞が、ぱんぱん、と嫌味っぽい拍手と共に、謁見の間に響く。
 膝をつき深々と頭を下げる、ステア騎士団の要、ヴォルフラム・バロックと、その後方の柱に身を預ける利久に、労いの言葉をかけたのは、謁見の間の最も高い位置に座する女王ではなく、その傍らに当たり前のように立つ、銀髪の少女だった。
「各地の『反逆者』どもも、これでそろそろ、大人しくなりますのこと」
 少女―ヒューリ・リンドブルム―は、色の薄い瞳を細めて、にたりと笑みを浮かべる。その言葉の白々しさには、利久も気づいていた。
 反逆など、今まで滅ぼして来た都市には、ほとんど、否、全くと言って良いほど、無かった事を。彼らの多くは、突然の襲撃に驚き戸惑い、そして、何が起きたのかを認識する間も無く、死んでいったに違い無い。
 首謀者だけを捕らえ、処断して、終わらせる方法が有ると思う。だが、それを出来ないのは、殲滅が、女王の命であり、バロックは家族を、利久は、世話になったアルテム村の人々を楯に取られているせいで、逆らえない立場に在る為だ。
 誰にも気づかれない程度に、しかし深く溜息をついた時、利久の耳に、女性としては重厚な声が、届いた。
「次は、ガザルハンだ」
 女王セルマリアは、ぴくりとも表情を動かさず、淡々と言葉を紡ぐ。
「かの都市に、夜な夜な人を襲う、我が意志に沿わぬ魔の眷族が出ると云う。急ぎ真相を確かめ、事と次第によっては」
 深い蒼の瞳には、何ら感情が宿る事も無く、無慈悲な宣告は、下された。
「街ごと壊滅せよ」

 一面の暗闇のただ中に、利久は一人、立っていた。周囲を見回しても、闇が延々と続くばかりで、何も見えない。
 否、見えた。聞こえたのだ。
『死にたく……なかったのに……』
『何故、殺した……』
 血を吐くかのような怨嗟の声と、びちゃびちゃと、何かを引きずる音。闇の向こうから、ぼうっと浮かび上がるように現れた者を見て、利久は息を呑んだ。
 見覚えのある顔ばかりだった。そのいずれも、利久が金色の槍を降り下ろして、命を奪った者達で、そのいずれもが、血にまみれ、腐りかけた凄惨な姿をさらしながら、ぎょろりと剥いた目でこちらを捉え、近づいて来る。
『痛い、痛い、苦しいぃ……』
『お前も、同じ目に遭え……』
 死人達が迫って来る。崩れ落ち、欠けた指さえある手が、利久に向けて伸ばされ……。

「利久殿、利久殿」
 呼びかける声に、は!と、危うく悲鳴になりそうだった声を抑えながら、利久は覚醒した。のろのろと視線を巡らせれば、バロックが、向かいの席から、心配そうにこちらを見ている。
 ごとん、ごととんと、身体に響く揺れで、利久はここが、彼岸との境などではなく、ガザルハンへ向かう馬車の中なのだと、ようやく思い出した。
「随分うなされておったので、起こした方が良いかと思い、な」
「……ああ、大丈夫です。ありがとうございます」
 知らず知らずのうちに額から流れ落ちていた汗を拭い、利久は大きく息をつく。
 もう、始めてしまった事だ。戻れない道だ。しかし心の底によどむ罪悪感は時にこうして、夢と云う形を取って、利久を追いかけて来る。
 今のこんな自分を見たら、父は、母は、何と言うだろう。姉の未来みくなどは、
「利っくん、どうしてこんな、酷い事を」
 と、泣きそうな顔をしながら責め立てるだろう事が、容易に想像出来る。
 そうして思い出す。姉は、どうしているだろう、と。一緒に光に呑み込まれ、はぐれた姉も、この世界に辿り着いている可能性は、大いに有る。あまり強気に出られない性格だ、どこかで戦いに巻き込まれ、一人泣いてはいないだろうか。
 探しに行かなければ。その為にも、この不条理な戦を、少しでも早く終わらせなければならない。
 だが。利久は時折思う。
 本当にこの戦いに、果てなど有るのだろうか。他国を侵略するだけでなく、自国内にも争いを求める女王の下では、世界の全てが滅するまで、終わりなど、有り得ないのではないか、と。
「しかし……ガザルハンか」
 耳に届いた呟きに、下を向いていた視線を上げると、バロックが、苦々しい表情で、外を見遣っている。
「こんなに早く、再び、ここに来る事になろうとは」
 窓に顔を近づければ、もう、ガザルハンの穏やかな町並を、見渡す事が出来た。
 本当にこんな長閑そうな場所に、魔物など出没するのだろうか。利久は疑問を覚える。
 そして考えた。もし魔物の存在が事実なら、理由次第では、このような平穏な町さえも、いずれは崩壊に導かねばならないのだろうか。他でもない、自分の手で。
 そんな事を頭の中で巡らせていたので、利久はすっかり失念していた。バロックの言葉の意味に、意識を傾けるのを。

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