『漆黒に輝く翼』3

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 ヴァルティルカは、魔物の襲撃に遭い、悲惨な様相を呈していた。
 街の中にまで、敵は入り込んだらしい。壁に生々しく爪痕が走る家、燃え尽きて瓦礫と化した残骸しか残っておらぬ家。
 更に、襲撃の傷痕は、人々の間にも残っていた。サフィニアと共に、街の者に案内されて行った先の施療院には、襲撃で傷ついた者達が大勢運び込まれ、室内は呻き声で満ちていた。
 血が滲んで、茶色く固まりかけた包帯を腕に巻いた者。酷い火傷を負い、顔半分が焼けただれた者。両足を失った者も居る。
 そんな彼らが、芙美香がやって来た途端、ベッドの上に身を起こし、動ける者は降りて近づき、動けぬ者は床の上から手を伸ばして、芙美香に呼びかけた。
「おお、戦巫女様……!」
「戦巫女様、どうか、我らネーデブルグの民をお救いください」
「戦巫女様は、我らの希望です……!」
 彼らの凄惨な姿と、ひしひしと身に迫る彼らの期待に、芙美香は、さあっと血の気が引くのを感じ、その場に崩れ落ちそうになる。そんな時、ぽんと肩を叩かれて、芙美香ははっと我に返った。
「皆様、ご安心くださいませ」
 サフィニアだった。王族らしい慈悲深い笑みを浮かべ、場に居合わせる者達を見渡して、自信に満ちた言葉を継ぐ。
「芙美香様は、女神アリスタリア様によって選ばれ、わたくしがお呼びした、戦巫女様です。必ずや、わたくし達を救ってくださいますわ」
 肩に置かれたサフィニアの手は細く小さくて、軽い。しかし、そこに込められた、彼女とヴァルティルカの―否、ネーデブルグの民全ての、戦巫女に対する期待に、芙美香は、サフィニアの手を、とてつもなく重く感じずには、いられなかった。膝の力が抜けそうになった時。
「魔物です、魔物の襲撃が!」
 慌てふためいた街の者が、施療院に駆け込んで来た。途端に誰もが、不安げに囁き合う。
「大丈夫ですわ、皆様。ネーデブルグの兵が、必ず皆様をお守り……」
 サフィニアが、人々を安心させるように告げた、それと同時だった。
 がしゃあん!と、窓を打ち砕く音と共に、黒い影が、飛び込んで来た。のそりと身を起こすその姿は、異形で、背には、一対の翼。
 これが。
 魔物。
 芙美香がそれを認識した瞬間、魔物は一声吼えて、室内に居る者達に向けて、鋭い爪をふりかざし、襲いかかった。
 悲鳴が、耳をつんざく。続いて、肉が斬り裂かれる鈍い音が。壁に、びしゃりと、赤い色が飛び散った。逃げ惑う者、ベッドから起き上がれぬ者が、次々と餌食になってゆく。
 サフィニアが甲高い声で、言葉にならない何かを叫んでうずくまった。その傍らで立ち尽くす芙美香の横を駆け抜けて、ネーデブルグの兵が、武器を振りかざして魔物に立ち向かう。魔物はそれに気づくと、低い唸りを発して、攻撃の対象を兵達に切り替えた。
 全身が、笑っているかのようにがたがた震えている。視界にちらちら星が映り込んで、呼吸も心臓も止まりそうだ。思わず後退りかけた時、がしりと足首をつかまれて、芙美香はのろのろと視線を下げ、そしてひゅっと息を呑んだ。
「戦巫女様……」
 床に血の跡を引きずった女性が、芙美香を見上げていた。脇腹を深く斬り裂かれ、死の色を宿した顔は蒼白で、髪を振り乱し、凄絶な姿をさらしている。
「戦巫女様、どうか、どうか私達を、お救いくださ……」
 言葉の途中で、彼女はびくりと引きつり、ばたりと倒れ込んで、動かなくなった。つかまれていた足首には、彼女の血がつき、ぬるりと生暖かい感触が、生々しく残っている。
 急速に、全ての感覚が遠ざかる。
「―芙美香様!?」
 サフィニアの、悲鳴じみた声を、一枚壁を隔てたような距離感で聞きながら、芙美香は気を失った。

 その後、何があったか、詳細を芙美香は知らない。
 意識を取り戻した時には、首都アイゼンハースの王城の一室、ベッドの中で、水と粥を運んで来た侍女が、あれから5日経った事、ヴァルティルカは壊滅した事、を、事務的に語った。どれだけの民が死んだのか、ネーデブルグ兵の被害がどれほどだったのか。芙美香が知る由は無かった。
 周りの人間―比較的、サフィニアをはじめとする女性は、芙美香に同情的で、
「初めて戦場いくさばを目の当たりにして、気が動転しない方が、不思議ですわ」
 と、気を遣ってくれたのだが、カーレオン王などは、
「色々と、残念な結果に終わってしまって、私も心苦しいよ。戦巫女殿には是非とも、一日も早く、能力に目覚めて欲しいものだが……」
 と、あからさまに嫌味を投げつけた。
 言い返す言葉も無く、深々と頭を下げて、謁見の間を退出する芙美香の耳に、兵士や、高位の王の側近達の囁き合いが届く。
「戦巫女のくせに、力を振るう事も出来ず、気を失うだけとは」
「本当に、我らを救う戦巫女なのか?」
 それを聞いた芙美香に出来たのは、唇をかみしめ、聞かなかったふりをして、立ち去る。それが、精一杯だった。

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