第9章:命の代価(4)
情報の奔流が、ざあっと波が引くように遠のいてゆく。気がつくと、あたしはセレンの肩に手を置いたまま、元の森の中にいた。
いつの間にかたき火の炎は消えて、奥底でほんの少しだけくすぶっている。木々の合間から太陽光が降りそそぎ、鳥たちのさざめきが聞こえる。もうすっかり朝だった。
セレンの夢を一緒に見ていたんだ、という感覚を、悟る。ううん、夢なんかじゃない。これは、失われていたあいつの記憶。本当にあった、あいつの過去。きっとあたしが意識だけになった事で、精霊や幽霊があいつに宿るように、あいつに同調して、その光景を共有する事ができたんだ。
すると、あいつが身じろぎして目を覚ます気配がしたので、咄嗟に手を離す。別にうしろめたい気持ちがある訳じゃないけれど、なんとなく反射的にそうしてしまった。
レグルスと同じ金髪。よく似通った顔。ステラと同じ赤い瞳。こうして見ると、両親の特徴をめいっぱい引き継いでいるんだな。
そんなあいつは、しばらくぼーっとしていたんだけれど、不意に。
「……カラン?」
周囲を見渡しながらあたしの名を呼んだので、どきりとする。気づいたの、あたしに?
だけど、しばらくこうべを巡らせた後、あいつは「まさかな」と自嘲気味に呟いて、顔を伏せる。
「カラン」
そうして、あたしの存在に感づいてないはずなのに、まるで目の前にあたしがいるのをわかっているかのように呟く。
「もう一度会えたら、話したい事がたくさんあるんだ。たくさん」
あたしもだよ。そう返したかった。あたしもあるよ。謝りたい事も、お礼を言いたい事も、聞きたい事も。たくさん、たくさん。
少しでも伝わるといいと思って、あいつの隣に腰をおろし、そっとあいつの肩に頭を預けた。
セレンは軽く朝食を取った後、再び南へ向かって飛び続けた。世界の南には小島が点在するばかりで、大きな文化が発祥するような土地は無い。それが、カバラ社が各王国と共同して長年行った世界の地理調査から答えを得た、一般的な常識。だけどあいつは、何かの存在を確信して飛び続ける。
やがて、あたしたちの眼前に陸地が広がった。それは島を超えて、大陸と呼べる大きさ。何も無かった場所に大陸が現れた、とレジェントが言っていたのは本当だったんだ。
手つかずの自然が広がるその大陸に、ぽつんとひとつ、白い建造物がある。この世界には無いような形の葉や、目がちかちかするような色の花を持つ植物に覆われたそれは、一体誰が何の目的でそれを建てたのか、一目ではわかりかねる。だけど、現代ではできなさそうな建築法で編まれたそれは、かつてアストラルが造ったものなんだろう。それだけは察する事ができた。
セレンはその建物を目指して降りてゆく。入口はやはり白い扉で固く閉ざされていたけど、あいつが片手をかざして魔力を注ぎ込むと、あっけなく開いた。
木でも石でもないつやつやした白い廊下を、勝手知ったるかのように、あいつは奥へと進む。また現れた扉も、あいつが魔力を放つ事であっさりと受け入れた。
広い部屋だった。そこが建物の最深部なんだろう。奥には大きな祭壇があって、神聖な空気が漂っている。その祭壇へ向けて、あいつは迷わず足を運んだ。そうして、祭壇の台座の上に用意された七色に輝く水晶に、手をかざし。
「火のアストラル、セレン・アルヴァータ・リグアンサ」
大きな声で宣誓する。
「かつての同胞が造りし叡智、エリュシオンの主に望む!」
その声が部屋じゅうに反響して、やがて消える。しばらくは何も反応が無かった。だけど。
『眠れる我を呼び覚ませし者は、汝か』
どこからともなく、重々しい声が響き渡った。
『この地にエリュシオンが築かれし理由を、我が担う役目を知っての呼びかけか』
「そうだ」
あいつはきっぱりと答える。
「失われた命の反魂。それが乱用されない為に、どの一族からも離れたこの場所に、祭壇を造ったんだろ」
それもアストラルとして刻まれた情報なんだろう。あいつはよどみなく語る。声はしばらく沈思して、セレンに問いかけた。
『して、代償に、汝は何を差し出す?』
瞬間、あいつの顔がこわばる。反魂に、代償。何をしようとしているのか、もうあたしにもわかっていた。
やめて。自分の身を削ってまで、そんな事しなくていい。あたしの言葉は届かない。
「代償は」
セレンが決意を込めた表情で、はっきりと告げた。
「オレに宿る
火の鳥の力。その魔力と生命力だ!」
『承知した。汝の願う魂を、呼び戻そう』
途端に水晶がまばゆい光を放った。水晶に触れたあいつの手から、炎の魔力が失われ、水晶に吸収されていくのがわかる。それでもあいつは手を離さない。目をそらさない。
水晶がより一層の光を放ち、そうして、そういう仕様だったのか、それとも長年使われていなかった負荷からか、しゃりいいん、と甲高い音を立てて砕け散るのを目にしたところで、あたしの意識は途切れた。
ぽたり、ぽたりと。
頬に何か熱いものが触れる感覚がする。
久々に感じる重力に、身体は重かったけれど、持ち上がれ、とまぶたに指令を送ると、徐々に視界が開けた。
最初に映ったのは、とめどなく涙する赤い瞳。
「……カラン」
鼓膜を通して聞こえてくる、優しい声。
「……セレン?」
声帯を震わせて発せられる、あたしの返答。のろのろと両手をあげてみると、それはもう透けていなかった。質量と実感を伴っていた。
あたしはセレンの腕の中にいた。ちゃんとした、実体を持って。
「男泣き、かっこ悪いよ」
他にもっと言うべき言葉があるのかもしれない。だけど出てきたのは、そんなからかいの台詞。手を伸ばして涙をぬぐう。夢の中で見た時は、レグルスがステラにそうしてあげてたから、男女の立場が逆だけど。
あいつは多分笑い返そうとしたんだろう。だけど失敗して、くしゃくしゃに顔を歪めると、男にしては細い腕にできる限りの力で、がばりとあたしを抱きしめる。
あたしは、つぶやくように問いかけた。
「なんで、ここまでしてくれたの?」
あいつは答えない。でも、本当はあたしもわかってる。答えなんかいらないって。この涙が、腕の力強さが、答えなんだって。
だから、あたしも腕を伸ばして抱きしめ返して、大事に、大切に、その言葉を告げた。
「ありがとう」