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七月のなまけもの
七月のなまけもの

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2026年7月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#語彙トレ2026 『この大地の上で』07/01~07/10分をまとめました。

前→689

07/01-崩落
「ありがとな……お姫さん」
 まだ、血は拭き取れてないけど、死にかけだったひとが、笑いかけてくれる。
「あんたは、時雨様と一緒に来てくれた、救い主だあよ」
 周りの空気、和らぐのが、わかる。
「……そうや。国なんか関係ねえ」
「疑って悪かった」
 少しずつ、ひとが集まって。決まり悪そうに、微笑む。
 うん、そうだよね。話せばわかり合えるよね。壊れてしまったあのひとを、止める方法、あるよね。
「ありがとう」
 笑い返した、その時。
 微震がして、皆が、きょろきょろする。震動、大きくなる。
「崩落や!!」
 誰かが叫ぶと同時、洞穴の天井が、崩れた。

07/02-渇水
 洞穴の外には、渇水によって干上がった窪地があった。そこに破獣を誘き寄せる。
「時雨様ぁ!」
 劾が銅鑼声をあげた。
「破獣は首落とすのが一番確実ですわ!」
 そうして手で首をかき斬る仕草をしてみせる。
「わかった」
 青竜刀『星辰』を手にし、舞い降りてくる褐色の異形に向かい合う。
 振り下ろされた鋭い爪持つ腕を、地面を蹴ってかわし、ばねのように跳ねて飛び込む。『星辰』を振り抜けば、鬼のような首が飛んで、蒸気を吹き上げながら消滅してゆく。
「おああ!」
 誰かの悲鳴が聞こえる。
「怪我した奴は下がれ! 誰も死ぬな!」
 檄を飛ばせば、応、と返ってきた。

07/03-真紅
 真紅の血が舞う。
 破獣に翻弄されて、爪と牙の前に、倒れてゆく奴がいる。
「あまり周りに気を取られるなよ!」
 背後から毒針を投げて援護してくれるエクセルが、注意を飛ばしてきた。
「連中は、お前の為に命を張ってるんだ。そこにかかずらってお前が倒れたら、ホクナの生命線まで切れるからな!」
 奴の言う事は正しい。もう、俺一人の命じゃあなくなった。ジャオウとホクナ、両方の命運がかかってる。『星辰』を握り直した時。
 窪地の一部が、破獣の重みに耐えきれなかった。ホクナの戦士を何人か巻き込んで、崩落する。
 あの下にいる、碧い瞳を思って、腹の底が冷えた。

07/04-破滅
 頭から血の気が引くのがわかる。誰も死ぬなと檄を飛ばしたのに、戦わない奴から破滅してゆくなんて、そんなのありか!?
「おい、待て!」
 俺が何をするかわかったんだろう。エクセルの焦った声が背中にぶつかる。
『指揮はおめえでもできるじゃろ!』
 思わずジャオウ語を飛ばして、陥没した穴へ飛び込む。
 瓦礫に足を挟まれて動けなくなっていた女に、破獣がゆうらりと近づいてゆくのが、視界に入る。
『星辰』を構えて距離を詰め、一瞬で振り抜く。首を飛ばされた破獣が消える。
「あ、ありがとござんす、時雨様……!」
 女が礼を言い、男達が瓦礫に取りつく中、目的の姿を探した。

07/05-残火
「ソフィア!」
 彼女の名前を叫ぶ。頼む。返事をしてくれ。どこかで上手く瓦礫を避けていてくれ。
 洞穴の中で焚いていた火が潰されて、残火の煙をあげている。破獣の蒸気と触れ合ったら、また燃え上がるかもしれない。背筋が冷えた時。
「時雨……様!」
 苦しげな男声が耳に滑り込んだので、振り向く。
 非戦闘員の護衛に残した槍術士が、槍と己の腕で重たげな瓦礫を支えながら、視線を足元に向けている。それにつられて見下ろし、心臓が跳ねた。
「ソフィア!」
 頭を打ったのか、額から血を流しながら、ソフィアが倒れている。
「早う、姫さんを助けてやってくだせえ!」

07/06-絶望
 抱き込むようにソフィアの身体を抱えて、瓦礫の下から引きずり出す。足くらい折れてるんじゃあないかって危惧したが、額の血以外は目立った外傷は無い。最悪の絶望からは逃れられた。
「あんたも。早く出てこい」
 ずっと支えていてくれた男に声をかける。だが、彼は首を横に振った。
「時雨様。わいがここで手を離したら、時雨様たちごと巻き込んで、この辺全部潰れますわ。だから」
 黒い瞳が、切望を込めて俺を見る。
「わいが支えられているうちに、生きてる連中連れて、逃げてくださいや」
「そんな、馬鹿なことを!」
 声を荒げても、相手の意志は変わらないようだった。

07/07-蝉時雨
『ざけんな! 誰も死ぬな言うたんだ! おめえも死なせるか!』
 もうどうしようもないことは、頭のどこかで理解しているのに、ジャオウ語でわめいてしまう。
『時雨は、気に食わんことがあるとシャーシャー蝉みたいにわめきたててなあ。蝉時雨じゃぞ』
 子どもの頃、俺が聞き分けないと、恭司様が困った顔をして頭を撫でてくれたのを、今更思い出す。
「時雨様」男が笑う。「絶対、ホクナを再興してくださいや」
 ぐっと拳を握り締めてうつむき。顔を上げて。
「あんたの忠義を、無駄にはしない。ホクナは生き返る」
 満足そうに目を細める相手から視線をはがし、ソフィアを抱えて離れた。

07/08-秘帖
 外に飛び出した瞬間、洞穴は轟音を立てて崩れきった。護衛に残した連中が命を張ってくれたおかげで、殆どの者が生き残った。
 だが、『殆ど』だ。『全員』じゃあない。外で戦っていた中にも、傷を負った奴がいる。
 ソフィアを女衆に託して、独り、近くの岩場で座り込み、頭を抱える。
 俺が、犠牲にしたんだ。ホクナの民に希望をちらつかせて、死地へ追いやったんだ。
「時雨様」
 劾の声が背中に投げ掛けられる。エクセルがいる気配もする。
「こんなんあるだろと、おとん様が秘帖を残してくださってますわ」
 のろのろ振り向けば、劾がぼろぼろの表紙の帳面を、手渡してきた。

07/09-怨嗟
 一人きりで、帳面をめくる。
 ホクナ国主、つまり実の父親の、個人的な記録。ほとんど日記のようなものだった。
 もっとこう、民を治める苦しさとか、ジャオウとの軋轢とか、愚痴や怨嗟に満ちているのかと思ったら、全然そんなことは無い。
 視察に降りて田植えを手伝ったら、ぎっくり腰になったとか。祭に交じって水を浴び笑った話とか。自分には勿体無いくらいいい嫁をもらったとか。
 そんな他愛の無い話が、躍るような筆致で綴られている。
 ある箇所で、手が止まる。
 正室が男子を産んだ、と。
『嫡男とかしがらみにとらわれんで、思うがままに、愛される国主になって欲しいのお』

07/10-鎮魂
 記録は続く。
 俺や他の子供達の成長。毎年夏に、鎮魂の灯籠を川に流す儀式。その最後のページに、酷く乱れた字で、書き記されてあった。
『過激派を抑えられんかった。ホクナは滅亡する』
 ホクナの反乱は父親の暴走ではなかったのだと、心のどこかで安心する。だが、その続きに目を奪われた。

『ジャオウの跡継ぎが、密かに来た。時雨の命を助けて欲しいと願うと、「んなら、俺の子として育てるさ。強く正しい男にする」と快諾してくれた』

 頭を殴られた気分だった。
 実父も、恭司様も、俺を息子として誠実に見ていてくれたんだ。
『……親父』
 思わず背中を丸めた。畳む


#アルファズル戦記
#この大地の上で

ひとりごと2026年,創作,小説

#語彙トレ2026 『この大地の上で』06/21~06/30分をまとめました。
上手く10日で一区切りつかなくなってきたな……って顔をしてます! 12/31に完結しないんじゃないの!? とも思ってます!

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06/21-衝動
 衝動的に出た言葉だった。こいつらも『元老院』みたいに、俺が役に立つから使い潰して、その死は尊いものだったって、おいおい泣き真似してみせるんだろうって、怒りがあった。
 だのに。
「何おっしゃんですか、時雨様!」
 劾が目を見開いて、俺をがくがく揺さぶる。
「おら達は、時雨様と秋霖様の為なら、なんぼでも命張る覚悟できとります! 勿論、時雨様達が死ぬなっておっしゃんなら、死なない戦い方すんですがな! なあ、おまいら!?」
 劾に応じて、男達が拳を突き上げて雄叫びあげる。
「って訳だ」
 エクセルが、ぽんとこちらの肩に手を置いた。
「観念して腹くくれ、弟」

06/22-虚脱
 天然の洞穴が、ホクナの民の隠れ家だった。入口に隊商の馬車を停めて、武器防具が降ろされると、戦う連中は歓声をあげて受け取った。
「ノルン共通貨で払ってくれるなんて、気が利くねえ」
「今のご時世についてかにゃ、生きてけねえことくらい、わかってら」
 アナベラと劾がしたり顔を交わし合う。
 そんな様子を、俺は虚脱しきって近くの椅子に座りながら眺めている。
 ああ、やっちまった。人の上に立つなんて、柄じゃないのに。恭司様の下で『星辰』を振るうのが似合ってたのに。
「時雨」
 溜息をついたところに、ソフィアが杯ふたつ持って、心配げに見下ろしながら声をかけてきた。

06/23-焼損
「だいじょぶ?」
「……正直、あまり大丈夫じゃあない」
 差し出された杯を受け取り、口をつける。ホクナ特産の果実を使った、酸味ある飲み物だ。覚えている。いや、思い出したんだ。
 生家の屋敷の庭にも、この果実の木があった。恐らく、ホクナが制圧されたその日に、炎に呑まれて焼損してしまったろうが。
「無理、しなくて、いいよ」
 ソフィアが傍らに腰掛けて、杯を手で包む。
「エクセルの素性は、わたしも、知らなかったし。傭兵だって言うから、国を出るの、手伝ってもらったの」
 長い睫毛を伏せて、らしくない憂鬱そうな表情を見せる。
 こんな顔をさせたのは、俺のせいだ。

06/24-焦土
「あいつも、穏やかじゃあない人生を送ってきただろうな」
 焦土から、恭司様に連れられて行った俺と、焦土に残されたあいつ。どちらが生きるのに必死だったかなんて、考えるまでも無い。
 だけど、まだあいつを「兄さん」と呼ぶ勇気が出ない。俺はやっぱりまだ、恭司様の息子で、細の弟で、『星の忍』なんだ。顔を伏せると。
「どんなに、なっても」
 ソフィアの声が、心地よく耳に滑り込んできた。
「時雨は時雨、だよ。優しい、わたしの大切なひと」
 ……は?
 なんだそれ。深い意味あるのか?
 耳まで真っ赤になるのを自覚する。やべえ。顔を上げられないぞこれ。

06/25-戦慄
「おい、大変やぞ!」
 弛みかけた空気を緊迫させるかのように、切羽詰まったホクナの民の声が、洞穴内に響いた。
「破獣や! 十はおる!」
 たちまちその場にいる連中に戦慄が走る。
「劾じいさん! おめえが油断するから!」
「ホクナじゃねえ商人なんか呼び込むから!」
 喧々囂々、責任の押し付け合いが起きる。
 俺は、だん! と杯を卓に叩きつけて、立ち上がった。
『そげん事で仲間割れしてる場合じゃねえだろ! それこそラグナールの狙いだって、気づかねえのか!?』
 掴み合いになりそうだった連中が、しんと黙る。
『戦える奴は戦え! 自信無え奴はすっこんでろ!』

06/26-燦然
 びっくり、して。
 時雨を見上げた。
「アナベラから武器を受け取った奴はついてこい。俺は破獣とは一度しか戦ったことが無いから、戦法を教えてくれる奴がついていてくれると助かる。万一の為に、非戦闘員は脱出路近くに避難させるんだ」
 てきぱきと指示を下す姿は、まるで燦然と輝く太陽みたいで、ほんとに、彼がひとの上に立つひと、なんだな、って痛感する。
 ホクナ国主の跡取り。ジャオウの次期太守の養子。ひとを導く資格は、じゅうぶん、あったんだ。
「あんたも避難しろよ」
 こんな時まで、わたしの心配、して。
 こんな時なのに、嬉しくなっちゃって。
 笑顔で、頷いた。

06/27-凶兆
 武器を手に、洞穴の外へ走り出ていった、時雨達の背中を見送りながら、胸に手を、当てる。
『これはラグナール皇国にとって吉兆にございます』
 檻の中で、餓えて。自分達すら喰らい合う、破獣を、あのひとに見せながら嗤う、あかい瞳と、銀に見える髪の、背の高い、男のひと。
『もっとも、他国にとっては、滅びの凶兆でしょうが』
 それを、聞いてるのか聞いてないのか、あのひとは、満足そうに、笑んで、見てた。
 破獣を生み出した、男のひとは、いつの間にか、消えた。でも、破獣は増え続ける。
 ラグナール兵を、素体にして。
 あのひとが、増やし続けた。

06/28-暴走
 時雨が、ホクナの人達の先頭に立って、洞穴を出ていった。こんな時、待つしかできない自分が、悔しい。
「大丈夫やで、お嬢さん。いや、姫さん」
 護衛に残った、槍術士のおじさんが、背中、撫でてくれる。
「あんさんがラグナールの姫なのは、わかっちょる。でも、ゼノスの野郎とちゃうのも、わかっちょる」
 彼の目線を、追う。怯え、怒り、不信、戸惑い。色んな目が、わたしを見てる。
「憎むはゼノスだ。姫さんとちゃう」
 ああ、このおじさんは。わざと大きい声で言うことで、残った人達が、暴走して、わたしに何かしないよう、気を遣ってくれてるんだ。
 まるで、時雨みたいに。

06/29-処世
「時雨様がおっ死にかけた時、助けてくれたんも、姫さんやろ?」
 槍術士のおじさんは、滔々と、語る。
「世間知らずみたいな顔しとんのも、ゼノスの関係者って疑われんための、処世術だったんやろなあ。苦労したろうなあ」
 おじさんの言葉に、周りの人達の視線に込めた感情、変わってくのが、わかる。
 なんで、人は、争うんだろう。こうして、優しい人、いるのに。話せばわかり合えること、沢山、あるのに。
 膝の上で、拳を、握り締める。その時。
「おい! 治癒士呼んでくれ! やられた!」
 外で戦っていたはずの人が、血にまみれた、同胞を背に負って、駆け込んできた。

06/30-暗渠
 きっと、唇を引き締めて、立ち上がる。
「わたしが、できます」
 胡乱な顔を向ける、そのひとに構わず、怪我をしたひとを横たえさせる。
 わたしの、エリオンの力。それが、光となってこぼれ落ちて。顔から胸まで、破獣の爪に引き裂かれて、ずたずただったひとの、傷を癒してゆく。
「お嬢さん、あんた」
 アナベラさんも、驚いてる。そう、だよね。魔法の詠唱も無しに、怪我、治すなんて。しかも、ラグナールの、人間が。
 ううん。人間であるかも、怪しい。暗渠に住み着く、怪物みたいに、見えてるんだろうな。
 うつむくと。
「ああ……」
 死にかけていたひとが、口を開いた。畳む


#アルファズル戦記
#この大地の上で

創作,小説

X上の毎年の企画、文披31題の季節がやってきました。
今年は(も?)、カクヨムで連載します。

『アルファズル断片集31題 2026』

です。
リメイク本編が去年完結した、狭義の『アルファズル戦記』、西の大陸編ですが、番外編を出しきっていない、という心残りがずっとありました。
いつか異聞録2を出せるように、今回の31題で、書ける限り下敷きを作ってしまおうと思います。

ただ、メニエール病が全く快方に向かわないので、当日にお題文を出せない日があると思います。
極力がんばります! でも終わるのが冬とかになったらすみません!!

#アルファズル戦記

日記,ひとりごと2026年,創作,小説

2026年6月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

#語彙トレ2026 『この大地の上で』06/11~06/20まとめです。
初期設定に全く無かったことが飛び出してきました。書いている間に色んなことがポップしてくる、キャラが生きている証拠です。

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06/11-共鳴
「源家を旗頭に立てて、ジャオウ太守を守った忠義を見せる。ホクナの民は共鳴するさ」
『ま、待て待て待て待ておめえ!』
 完全に動揺した時雨が、ジャオウ語で、エクセルに、つかみかかる。
『俺は「星の忍」だ! ホクナは関係ねえ!』
「お前の意思なんて、戦の前には尊重されないんだよ」
 隻眼が、冷たく、時雨を見下ろす。
「『元老院』にも仕返ししたいんだろ? なら、腹をくくれ。ジャオウとホクナの救い主になれ」
「ふうん」
 商人の女性が、面白そうに、笑いをもらす。
「楽しそうな賭けじゃあないか。本来、確定しない勝ちには乗らないが、見届けてやってもいいさ」

06/12-飽和
 馬車の車輪ががらごろと回る。
 商人の女、アナベラが手配した隊商は、飽和しそうな武器を積んで、ジャオウへの道をひた走っていた。
 隣の席ではソフィアが膝を抱えてうとうと居眠りしている。向かいでは、エクセルが腕組みして隻眼を閉じていた。
「なあ」
 ソフィアを起こさない程度の声量で、エクセルに呼びかける。
「お前、何でそんなにホクナに詳しいんだ」
 俺すら知らなかったんだ。『源時雨』は、恭司様が与えてくれた名前だと思ってた。
「まあ、行けばわかる」
 エクセルは端的に答えて、また黙り込む。
 恭司様。あなたは俺を、利用できると思ったから育てたんですか?

06/13-鶴首
 ホクナの民は、ジャオウを恨んでいる。実際、何度も小規模な反乱を、忍の一人として鎮圧に参加したことは何度かある。
 そんな連中が、俺の存在を、ホクナ復興の旗頭と見て鶴首して待っているのか? 本当に?
 思考の迷路にはまりかけた時、馬車ががくんと止まって、「ひゃっ」とソフィアが椅子から転げ落ちそうになったのを支える。
「どうした!?」
 エクセルが幌を上げて怒鳴ると、御者席のアナベラが蒼白な顔をしていた。
「破獣(ビースト)だ!」
 聞き慣れない単語に眉をひそめる俺とは対照的に、ソフィアとエクセルは顔色を変えた。
 ということは、ラグナール関係か。

06/14-酷暑
 前を行く馬車から悲鳴があがった。咄嗟に『星辰』を手に取り、エクセルと共に馬車を飛び出す。
 そして目にしたものを前に、驚きで固まった。
 人よりふた回りも大きい巨体。接近しなくても酷暑のように押し寄せる熱を発する、蒸気に包まれている。それが鋭い牙と爪を持って、馬車の馬と御者を貪っている。
 いくら戦に関わっているからって、残酷な場面に鈍麻している訳じゃあない。さすがに吐き気を覚える。
「気をつけろよ」
 エクセルが針を構えながら距離をはかる。
「奴らには、言葉も慈悲も、期待できない」
 破獣の、瞳の無い眼球がぎょろりとこちらを向いた。

06/15-蜃気楼
 破獣から立ちのぼる蒸気が、蜃気楼を作り出しているかのようだ。一匹のはずなのに、複数体に見える。
『幻惑術を使うてくる奴には、理性で対抗すんだよ』
 姉と慕った亡きひとの声が、頭の中で蘇る。
 目を瞑って、視界を遮る。そうすれば、熱の出所がわかる。

『星辰』を振り下ろす。

 破獣の本体の腕が飛んで、咆哮が響き渡る。
「へえ、やるな」
 エクセルが愉快そうに笑って、数本の針を投げる。細長い針が、破獣の目に、胸に、深々と刺さって、更なる悲鳴が巻き起こる。
 俺は更に一歩踏み込んで、『星辰』を、首に叩き込む。青竜刀は、滑らかに化物の首を叩き落とした。

06/16-喧騒
「すごいじゃん、あんたら!」
 アナベラが全力で拍手する。
「兵士十人でさえ勝てるかっていう破獣をこんなに簡単に倒しちまうなんて、本当に、ジャオウに勝ち目があるんじゃないの!?」
「忍は熊や虎を相手にすることもあったからな」
『星辰』を納めながら応えるが、エクセルと、ソフィアは、浮かない顔をしている。
 何か変なことを言ったか不安になり始めた頃、前方から喧騒が近づいてきた。
「なんやなんや! おら達の領域で暴れちょお奴らは!?」
 聞き覚えのある訛り。これは、ホクナの。
 気づいた時、男達を率いて先頭に立つ小柄な老人が、
「秋霖様!」
 と銅鑼声をあげた。

06/17-灼熱
「誰って?」
 アナベラが不審そうに、老人の視線の先を向く。つられて首を動かせば、エクセルが、凄まじく不本意そうに顔をしかめていた。
「劾、お前なあ……」
「なんやなんや、悪いこたありますかい秋霖様! おら達ホクナの希望、源家の跡継ぎ様を慕って、何が悪い!? なあ、おまいら!」
 老人が後ろの連中を振り返ると、男達は灼熱のごとく歓声あげて拳を突き上げる。ああ、聞くまでも無く全部説明ありがとうってとこだな。
 だが、なんだって?
 エクセルが、源家の跡継ぎ?
 顎に手を当てると。
「俺よかよっぽど向いてる奴を連れてきた」
 エクセルが、俺を指差した。

06/18-星霜
 男達が一斉に俺を見る。戸惑い顔。驚き顔。ありとあらゆる表情が向けられる。
「時雨……様?」
 劾と呼ばれた老人の口から、俺の名前が零れ落ちる。
「な?」エクセルが肩をすくめた。「側室の子より、正室の子の方が、ホクナ復興にはおあつらえ向きだろ?」
 それで理解できないほど、俺は馬鹿じゃあない。視線を泳がせると、ソフィアと目が合った。
 ああ。俺はあんたを守るつもりだったのに、俺の事情に巻き込んでばかりだ。
「時雨様ぁ!!」
 俺の心情に構わず、劾がしがみついてくる。
「あんた様がジャオウの奔放野郎にさらわれて幾星霜! お帰りを待ってたんですわ!!」

06/19-雲散
「時雨様! あんた様がおられたら、おら達の恨みは雲散霧消しますわ!」
 劾はおいおい泣きながら俺にしがみつく。だが、そんな単純な話じゃないのは、わかってる。
「俺は、ジャオウの『星の忍』だ。あんた達ホクナの生き残りを斬り捨てた事もある」
 たちまち、しん、と連中が黙り込む。拳を握り締めて、先を続ける。
「同志の仇に、そう簡単に命を預けられるのか?」
 俺は細を恭司様の仇だと信じ込んだ。その結果、大事な人達をふたりも失った。
 今更ホクナの旗頭になったとて、また屍の山を築くだけじゃあないのか?
「時雨は、そんな人じゃ、ない!」
 高い声が、沈黙を破った。

06/20-固執
 ソフィアは、碧眼を鋭く細めて、ホクナの民に呼び掛けた。
「わたし、時雨のこと、そんなに長く、見てない。でも、責任感、強すぎて。あなた達の為に、あなた達を、突き放そうと、してる」
 劾が目を瞠り、ホクナの連中がざわつく。
「そりゃ……時雨様のおかん様も、口はきっついけど、おら達のことを考えてくだすってた」
「時雨様、奥方様にそっくりやんけ。顔は秋霖様と同じでおとん様似やけど」
 知りもしない両親の話まで出されて、頑なに固執してる場合じゃあないのを悟る。
「あんたらは」
 連中に問いかける。
「俺が『ホクナの為に死んでくれ』って言ったら、従うのか?」畳む


#アルファズル戦記
#この大地の上で

創作,小説

#語彙トレ2026 『この大地の上で』06/01-06/10まとめです。
行き当たりばったりで書くからおかしくなるんだよォ!!

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06/01-傀儡
「わかってるな?」
 エクセルが俺の隣に並んで、耳打ちする。
「こいつは傀儡だ。本体は別の場所にいる」
 薄々、そうだろうとは思った。自由自在に姿を変える。首を落とされても死なない。なら、傀儡士が近くに潜んでいる可能性は高い。
 ああ、傀儡か。嫌なことを思い出すな。
『元老院』の言葉を真に受けて、細が恭司様の仇だと国を飛び出した俺も、奴らにとって都合の良い傀儡だった。
 だけど。『星辰』を握り直す。
 真実を知った俺は、もう操り人形じゃあない。
 国に帰って、『元老院』を一人残らず始末するまで、死ねない。
 こんな奴にかかずらってる暇なんか、無いんだ。

06/02-彷徨
 これは短期決戦だ。うろうろ彷徨う訳にはいかない。
 エクセル、こいつの隙の無さはわかるが、いかんせん得物が心許ない。致死の毒針でも持っているなら話は別だが。
 考えを巡らせて、ふと、昔恭司様が酒の肴に話した武勇伝を思い出した。
『でなぁ、そいつは傀儡をいくつも操ってたが、致命的な弱点があったわけだぁ!』
 ぐらんぐらん揺れながら、大声で語る恭司様に、俺も細も苦笑を向けた。
 だが、あれがただのホラじゃないなら。
「ソフィア」
 不安気に成り行きを見守っていた彼女に告げる。
「目を瞑ってろ」
 そう言うが速いか、廊下にうずくまる影に『星辰』を振り下ろした。

06/03-矮小
 廊下の隅にうずくまっていた、矮小な影が呻き声をあげる。細い手足は、昼間会った時のままだ。
「貴様……どうして……」
 痩せ細った顔が睨み上げてくる。今更同情の余地なんて無い。冷めた目で見下ろす。
「大方、強い奴を取り込んで、自分の力にするために、武術大会に誘ってたんだろう」
 指摘すれば、アルマは、血を吐きながら憎々しげに唇を歪めた。
「弟妹を養うために、ラグナールに魂を売ったか」
「生きるためだ! 仕方無かったんだ!」
 胸を貫かれても叫ぶあたり、人の理を既に超えているのかもしれない。
 なら、終わらせるべきだ。
『星辰』を引き抜き、再度振りかぶって。

06/04-搦め手
 本体を倒した『転生のホロウ』の操り人形は、床の染みになって消えた。人形の傍にいないと操れないのが、奴の搦め手だったのだろう。
「あのひと、こんな小さい、子まで」
 朝が来る前に共同墓地に葬った。孤児ひとりいなくなったところで、この都市では騒ぎにならないだろうが、これは俺達のけじめだ。
「残された弟妹を、どうにかしてくるわ」
 ここまで付き合ってくれたエクセルが、踵を返して墓地を去る。
「そういえば」
 目の端を指で拭ったソフィアが、ふと見上げてきた。
「昼間、エクセルに、何、言われたの?」
『今言うことなんかそれ!?』
 思わずジャオウ語が出た。

06/05-潜熱
 それは、共同墓地から離れて。

「やっぱり、そういうことだよなあ」
 青年の隻眼が、崩れかけた小屋の中で鋭く光る。
「ニイチャン、ニイチャン」
「キテクレタ」
「オレノタメニ、オレノタメニ」
 アルマの弟妹がいるはずの小屋の中には、いくつもの『なり損なった』『「転生」のホロウ』の残骸が、ぐずぐずと蠢いていた。
 無言でマントの下から、数本の針を取り出す。闇を裂いて投げられた針は、ひととしての急所を過たず貫き、水が潜熱で水蒸気になるように、『なり損ない』は、あっという間に気化して消えた。
「……ラグナールのクズが」
 拳を握り締め、歯を食いしばった。

06/06-混沌
 混沌、みたいなひと、だった。
 にこにこ笑っていた、かと思えば、烈火のごとく怒り出して、首を落とせ、と命じる。
 なに、考えてるか、わからない。親衛隊も、いつ、自分に災難が降りかかるか、ビクビク、してる。
『ティアナ。お前のために、誕生会を開こう』
 そう言って用意された、あかいケーキ。飾られた『もの』を見て、逃げ出して、吐いた。
 たぶん、自分でも、なに、やりたいのか、わからない、んだろうな。
 可哀想、とも思う。
 だから、国を出た。
 あのひとの混沌が、ノルンを覆い尽くす前に、あのひとを止められるよう、みんなが、一致団結、しないとって。

06/07-断絶
 サーリアを発とうと、街門に行ったら。
「よ」
 エクセルが、軽い調子で、手を振ってた。あー。時雨、居心地悪そう。
「ジャオウに向かうんだろ? 俺も用がある」
「仲良く旅は道連れってか?」
「そう噛みつくなっての」
 半眼になる時雨にも、エクセルは、怯まない。まあ、そういうひと、だよね。
「草原諸国を陥としたラグナールは、次はジャオウを攻める。都市同盟に進む上で、障害でしかないからな」
 時雨の横顔が、こわばった。
「お前だって、故郷の歴史を断絶させられたくないだろ。ひとり戦力が増えると思って、俺を使え」
 エクセルが、苦笑して、肩をすくめた。

06/08-残骸
「ところでお前ら、徒歩でジャオウに向かおうとか、呑気なこと考えてるんじゃないだろうな」
 エクセルに言われて、時雨と顔を見合わせる。あまり、深く考えて、なかった。
「あんたら、ジャオウに行きたいのかい? 隊商を捕まえるにも、難しいよ」
 その時、脇を通った馬車の女性が、声をかけてきた。
「どいつもこいつも、道中、ラグナールに追われてね。商品は奪われるか、残骸になったよ」
 蓮っ葉な口をきく、背の高い、商人ぽい、女の人だった。
「それでも、行かないとならない」
 時雨が、女の人に、訴えかける。
 けど。
「兄さん、あんまり甘い考えするんじゃないよ」

06/09-追従
「アタシら商売人は、儲けのあるところに行くから生き延びてんだ。ラグナールの次の標的にお追従するつもりはさらさら無いね」
 女の人は、両手を掲げて、ため息、ひとつ。時雨が、悔しそうに、拳、握り締めた。
 わかってる。商人は、損得でしか、動かない。いくら戦がお金を動かすからって、負け色濃いほうにつく意味なんて、無い。
 けど。
「なら、ジャオウに勝機があれば、あんたは俺達を運んでくれるか?」
 エクセルが、腕組みして、女の人を、見据えた。
「俺にはホクナの生き残りに伝手がある。そいつらを動かせば、ジャオウ死守も夢じゃあない」
 時雨が、心底驚いてる顔をした。

06/10-転位
「兄さん、法螺吹きも大概にしなよ」
 女の人が、歯を見せて、笑う。
「ホクナ国はジャオウに滅ぼされたろ。なんでジャオウを守るんだい」
「ホクナ人は、抑圧されてきた。上に立つ奴が出てくれば、連中の感情は転位する」
 エクセルは、時雨のほうを見て。指差して。
「ジャオウの皇本恭司が、ホクナ国主、源家の生き残りを酔狂で育ててたのは、ホクナ人には有名な話だ。知らないのは本人だけでな」
『な!?』
 時雨が、びっくりして、目を見開く。あ、本当に、知らなかったんだ、これ。
 エクセルは、裏はかくけど、嘘はつかない。
 ああ。時雨も、「背負って」いたんだ。畳む


#アルファズル戦記
#この大地の上で

創作,小説

#語彙トレ2026 『この大地の上で』05/21~05/31まとめです。

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前日の内容すら覚えてないから、矛盾が生じているところが多々ありますね!!
長編に直す時に全部辻褄合わせます!!

05/21-夕凪
 雨が、小降りになって。あかい、太陽が、雲間から顔を見せる。
「やんだな」
 夕凪みたいに静まり返った空を、時雨が見上げる。
「アルマ……あのガキも迎えにいってやらないといけないか。あまり気は進まないけど、引き受けたもんは最後までやるのが、ジャオウの忍だ」
「そういうとこ、真面目、なんだよねえ、時雨」
「あんたがけしかけたんだぞ」
「まあ、まあ、ごめんって」
 笑い合いながら。空から、前に視線を向けて。
 手が、自然に、離れて。
 わたしたちは、歩き出す。
 雨が過ぎれば、手を離す。わたしたちは、そういう仲。
 時雨も、使命が終われば、さよなら、なんだ。

05/22-可憐
 武術大会受付で、エクセルは、律儀に待っててくれた。アルマも、いっしょ。独りにできなかった、んだろうなあ。そういうお人好しなとこ、時雨に、似てる。
 そう、思ったとこで、ふと、時雨と、エクセルを、見比べる。
 似て、ない?
 所作とか、性格だけじゃなくて、顔とか。
「おんや、こんな可憐な姉ちゃんが、こんなむさいところにご用事かい?」
 思考を、断ち切るように。明らかに酔った声と、くさい息が吹きかかる。
「金が欲しいなら、このホロウに賭けな! 分け前はたっぷりやるよ! 俺様の言うことを聞くならな!」
 うわ、このひとが『転生のホロウ』なんだ。
 さいあく。

05/23-不穏
「おい、おっさん」
 ホロウと、わたしの、間に。時雨が、割って入る。
「ひとの連れに言い寄るの、やめてくれないか」
「あーん? なんだ、ガキが」
 ホロウが、太い眉、跳ね上げて。時雨と、睨み合う。あ、なんか、不穏な雰囲気。
「まあまあ、落ち着けよ。ふたりとも」
 一触即発のところに、エクセルが、にこにこ笑いながら、声をかける。
「それこそ、武術大会で決着つけりゃ、いい話だろ」
 ホロウが、なんか、青い顔した。
「お前ら、その顔、覚えとくぞ」
 舌打ちしながら、立ち去る。
 時雨が、苦い顔して、エクセルを、もとい、その手に隠し持った、針を見た。

05/24-虚ろ
「あんた、抜け目が無いというか、物騒だな」
 時雨が、呆れて、エクセルに向けて、肩をすくめてみせる。
「『転生の』とか言いながら『虚ろ(ホロウ)』なんて、黒歴史みたいな名前のやつに、ろくなのはいないだろうからな」
 エクセルは、にっと、笑い返して、マントの下に針をしまう。あのマント、すんごい数の、針、入ってるんだよねえ。エクセルの武器、針だから。
『剣は持てない』って、言ってたっけ。
 そのエクセルが、不意に、時雨の肩を抱いて、なんか、耳打ちする。
『お節介かおめえは!?』
 時雨が、顔を真っ赤にして、ジャオウ語で叫ぶ。
 なに、してんの。あのふたり?

05/25-葛藤
「じゃあな、ソフィア。また試合の時に」
 時雨から離れたエクセルが、ひらひら、手を振って、立ち去る。
 時雨は、といえば、なんか、葛藤してるみたいに、あたま抱えてる。
 ……と思ったら。
『言われるまでもねえんだよ』
 開き直って、顔、上げた。
「とりあえず、しばらくサーリアに滞在するなら、宿を取らないとな。夜が更けて部屋が埋まる前に行こう」
「あ、じゃあ、うち来いよ!」
 それまで、おとなしくしてた、アルマが、挙手する。
「何もないけど」
「言葉のまんまだろ」
 その頭を、時雨が、こつんと小突いた。
「ガキが大人に気を遣うな」

05/26-夏木立
「本当に、こっちが家なのか?」
「そうだよ!」
 夏木立の中に消えてゆくようにしか見えない、家なんて無さそうな景色に、微かな不安を覚える。それでも、アルマは、怖いものなんて何も無いとばかりに、胸を張るのだ。
「じゃあな、時雨兄ちゃん、ソフィア姉ちゃん! 明日、会場で!」
 元気に手を振り、アルマは走り去る。そこに一瞬、黒い影が重なったような気がして、目をこする。
 アルマの背中は遠ざかってゆくばかりだった。
 おかしい。俺に魔法の才能なんて無いのに、何を見たんだ?
「アルマに、ごはん、持たせてあげれば、よかったかなあ」
 ソフィアには、見えなかったのか?

05/27-閉門
 サーリア閉門の時間が過ぎた。これから先は、人の出入りの無い、閉じた都市内での享楽の時間だ。
 だが、誰かの人生がかかっている試合の前に、酒なんか浴びてる場合じゃない。そもそも、酒は最悪の思い出を呼び起こす。
『元老院』に叩き起こされていった時には、もう棺桶の中だった、恭司様。姿を消した細が下手人だと吹き込まれて、冷静な判断ができなくなっていた俺は、真に受けた。
 細がそんなことをする理由なんて、ひとっつも無かったのに。俺は幼稚だった。
 寝台に腰かけたまま、両手で顔を覆うと、客室の扉を叩く音がした。
「ソフィア?」
 一応訊ねるが、足音が違うな、これ。

05/28-揺藍
「兄ちゃん、おれだよ」
 アルマの声がした。
「なあ、開けてよ。妹が泣き止まなくてさ。こっちで寝かせてよ」
 揺藍の中の赤子が泣き声を立てる様子が脳裏に浮かぶ。眉間を押さえて、ゆっくりと立ち上がり、扉の鍵を開けて。

 扉が開いた瞬間、青竜刀『星辰』を振り抜いた。

 暗がりで、誰のものかわからない首が飛びながら、「はっはは!」と、野太い男の声で笑った。
「『転生』に騙されなかったのは、おまえが初めてだぜ、小僧!」
「アルマをどうした」
 廊下の暗さに目が慣れてくる。細い少女はいなくて、巨体が、離れた頭を再びくっつける。
 ああ、嫌な予感が当たりそうだ。

05/29-耽美
『やっぱり、そういうことかよ』
 思わずジャオウ語で毒づく。
『転生のホロウ』の姿はひとつではない。そして、その姿を手に入れる方法とは。
「聡い子は寿命が縮むよお?」
 アルマの姿がぐにゃりと歪み、耽美的な女の姿を取って、しなを作る。
「坊やも『もらっちゃおう』かなあ? けっこう良い男だし。強そうだし」
「ここでやり合うんじゃねえよ」
 隣の部屋にはソフィアがいる。ホロウの射程範囲にいれば、巻き込む。
「あのお嬢さんの心配をしてるのかい?」
 ホロウが、くつくつ笑う。
 ああ、俺の嫌な予感はことごとく当たるんだ。
 顔をしかめた時、隣の部屋の扉が開いた。

05/30-遮断
 最悪の事態を想定して、身を固くする俺の耳に、ソフィアじゃない声が飛び込んできた。
「ったく。ひとを便利屋みたいに使うんじゃねえよ」
「でも、時雨を助けるのに、頼りになるの、ほかに思いつかなかったから」
「それでこいつの嫉妬買ってたら、いい迷惑なんだよ」
 隻眼の男が、ホロウに針を向けている。その背後に、見慣れた水色の髪が揺れている。
 は?
 あいつに、頼った?
 俺を助けるために?
 信頼が遮断された気分だ。
「俺、そんなに信用ならないか?」
「ちがう! そんなこと、ない! 本当に心配だっただけ!」
 ソフィアはすんごい勢いで、両手と首を横に振った。

05/31-鏡像
 俺でもソフィアの部屋には入らないのに。エクセル、あの男、どこから登場するんだよ!?
 とはいえ、今はふたりを責めてる場合じゃあない。これ以上被害者が出ないように、『「転生」のホロウ』をここで仕留めないといけない。
「いい兄さんが増えたねえ」
 妖艶な女の姿でしなを作り、ホロウが笑う。あの酒臭いオヤジの姿は、仮だったのか、それともこの姿がお気に入りなのか。
「おや。よく見りゃ兄さん達、顔がそっくりじゃあないか。鏡像みたいだねえ」
 ぎょっとして、エクセルの方を向く。相手はこっちを見ず、即座にホロウに向けて短剣並みの針を投げた。
「まんまと乗るな、馬鹿が!」畳む


#アルファズル戦記
#この大地の上で

創作,小説

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#語彙トレ2026 『この大地の上で』05/11~05/20まとめました。もう5月が終わろうとしているのに! 行動が遅い!
段々記憶力が悪くなって、手を繋いだり離したりまた繋いだりしてます。酷い時はお題を入れ忘れて書き直しました。

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05/11-賢哲
 ソフィアが背後を振り返る。びっくりした様子で目をまん丸くして、相手の名を呼ぶ。
「エクセル……」
 黒装束に身を包んだ男だった。顔の右半分を長い前髪で隠している。いかにも傭兵然としていて、賢哲からはほど遠そうだ。人のことは言えないが。
「なんで、ここに」
「そりゃこっちの台詞だ」
 唖然としたままのソフィアに、エクセルは肩をすくめてみせる。
「自治都市連合を説得するっていうから、連れ出してやったのに。なんでこんなむさいところにいるんだよ」
 隻眼が、こちらを向く。
「しかも、ジャオウの人間なんか連れて」
 なんか。
 なんか?
 思わずカチンときた。

#語彙トレ2026 05/12-宿痾
 ジャオウはノルンの中でも特に独特な文化を持ち、他国との交流を最低限に抑えて、孤立気味だ。それがジャオウの外からは、「変わり者の国」と侮蔑を受け、外に出たジャオウ人が差別を受ける宿痾になっている。
 おおかた、この傭兵も、そういう偏見を持って俺を見ているんだろう。じとりと睨むと。
「そう警戒するなよ、小型犬じゃあるまいに」
 男は両手を掲げて肩をすくめてみせた。小型犬とは、また馬鹿にしてくれたものだ。
「待って、時雨。エクセルは、敵じゃ、ない」
 俺の腕に、ソフィアがすがりつく。
「エクセルは、わたしが、国を出るのを、手伝ってくれたの」

#語彙トレ2026 05/13-恍惚
「ほええ~」
 アルマも感心して、エクセルと呼ばれた男を見上げている。
「兄ちゃんも、歴戦の戦士ってかんじだな~。時雨より強いんじゃない?」
 恍惚とすらした様子で口にした言葉に、さっきから感じていた苛立ちが、限界突破した。
『なら、そいつに頼めばええじゃろ!』
 ジャオウ語で叫ぶ。
「時雨?」
 ソフィアが不思議そうな顔で俺を見てくる。何で俺がキレたのか、わかっていません、という態度が怒りを煽る。
『腕前あればええんじゃろ!? もう俺に頼るな!』
 そして一人踵を返す。
「時雨!? 時雨ーっ!?」
 振り返りたくなかった。多分、酷い顔をしてるから。

#語彙トレ2026 05/14-撞着
 ずかずかと、通りを大股で歩いて、はっと正気に返る。
 俺、めちゃくちゃ格好悪くないか?
 ソフィアは俺のものじゃない。大事な使命を背負った、自律したひとりの人間だ。ましてや身代わりとはいえ、お姫様だ。俺の知らない過去や事情のひとつやふたつ、背負っていて不思議じゃあない。
 細を失った俺に、消えてしまいそうだから、と一緒に来てくれた。そんな彼女を守ろうと思った。
 それが、俺の知らないところで出会った男ひとりに嫉妬して、ああそうだ、立派な嫉妬だ、それで見捨てようとするなんて。
『おめえ、そりゃ自家撞着だぞ!』
 恭司様がいたら、そう言って大笑いしただろう。

#語彙トレ2026 05/15-昇華
 ああ、情けねえ。情けねえな、俺。
 恭司様と細が見てたら、腹抱えて爆笑するだろう。
『嫉妬は力に昇華しな』
 ひとしきり笑った後で、細ならそう言うだろう。
『……わかってら、ねえさん』
 ジャオウ語でひとりごちる。
 いきなり置いていって、ソフィアもびっくりしてるだろう。戻って、謝らないと。
 踵を返す。人の波を縫って歩く。すると、向こうから、目に馴染んだ水色の髪が近づいてきた。
「……ひとりでうろちょろするな」
「……時雨が、置いてった、せいですう」
 ぷくりと頬を膨らませる。その様子がおかしくて、もやもやしていた気持ちが、吹っ飛んでしまった。

#語彙トレ2026 05/16-釈義
 少し前。
「ソフィア、お前さ」
 時雨が、怒って立ち去った、後。
 エクセルが、なんかすごく、すごく、苦いものを食べたような顔で、わたしとアルマを、見下ろした。
「お前を好いてる男の前で、他の男の肩持つな」
「は?」
 誰が、わたしを?
 ……なんて、すっとぼけられるほど、わたしも馬鹿じゃ、ない。
 ああ、わたし、時雨に、嫉妬、させたんだ。
「なに。姉ちゃん、あの兄ちゃんとできてんの?」
「まだ! 断じて!!」
 アルマが、からかうように、見上げてきたから、思わず大きい声が出た。
 エクセルって、ほんと、鋭いんだよねえ。釈義みたいに、わたしを諭してくる。

#語彙トレ2026 05/17-鬱積
 わかる。わかるよ。
『姫様は世間のことをおわかりにならなくて、よろしいのです』
 わたしの周り、みんなみんな、そう言って、恭しく、頭下げてた。けど。
 下手なこと吹き込むと、あのひとに、首、飛ばされるから。見下して、無知の小鳥のまま、囲って。そうしていればいい、って。思ってたに、違いない。
 わたしだって、そこまで、馬鹿じゃない。怒りが鬱積して。
 だから、国を飛び出した。
 そして、ほんとにわたし、無知で無力だなって、思い知った。
 時雨がいなかったら、生きてない。
「時雨、追いかける」
 言ったら、エクセルは、ぽんぽん、頭を撫でてきた。

#語彙トレ2026 05/18-驟雨
 結局、人混みの中で、時雨に会えたけど。
 なに、言おうか。
 時雨も、ばつが悪そうに、頭かいて、黙ってる。
 どっちか、から。なにか、言わなくちゃ。ふよふよ、思考をさまよわせていると。ぽつ、とつむじに、水滴が当たって。
 ざあっ、て。
 にわか雨が降りだした。
『驟雨かよ!』
 時雨が、ジャオウ語で舌打ちして、急に、わたしの手を、握る。
「とりあえず、雨宿りするぞ!」
「う、うん!」
 慌てて家路を急ぐ、ひとたちの合間を縫って。あっという間に、道にできる、水たまりを、蹴って。
 わたしたちは、ふたりで、駆ける。
 なんか、どきどき、した。

#語彙トレ2026 05/19-湿潤
 適当な、家の軒先を、傘代わりに。
「しばらくやみそうにないな」
 夏先の湿潤もあって、しっとり濡れた、髪をかきあげながら、時雨が言う。
 わたしの心臓は、ばくばく言う。
 いえ、あの。手。
 繋いだまま、なんだな。
 気づいて、ない?
「時雨、あの」
「なんだ?」
 これは、ほんとに、無意識、なの? 見上げても、不思議そうに、見下ろしてくる。
 先をどう続けよう、か。迷っていたら。時雨は、今気づいたみたいに、ゆっくり、視線を下ろして。
『わ、悪ィ!』
 咄嗟に、ジャオウ語が飛び出しながら、手を離した。
「う、ううん」
 あー、わたし、絶対、顔、赤い。

#語彙トレ2026 05/20-眩暈
「あ、あの、ね。時雨」
 繋いだ手を、きゅっ、と握りしめて。どきどき心臓が騒ぐのを、自覚する。
「エクセルは、ほんとあの、お兄さんみたいな、もので。なんとも、思ってない、から」
 なに、言い訳してるんだろ。あ、なんか、ふわふわ、眩暈してきた。ひっくり返りそう。
「いや、俺もいきなり怒って、済まなかった」
「でも、わたし」
「いや俺が」
 堂々巡りに、なりそうになって、思わず、顔を見合わせる。
 わたしたち、ふたりとも、ぽかん、としてる。
 思わず、ふたり同時に、吹き出す。
「喧嘩両成敗ってことで」
「うん」
 雨は、意外と早く、やみそうだった。畳む


#アルファズル戦記
#この大地の上で

#雪が解けて春になる の漫画を描いたのを載せ忘れていました。
今回は終盤時間軸、シリアスです。

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語彙トレで増えた設定ですが、ヒオウの母親は、正妃の陰謀で毒殺されました。
その正妃もまた、いい加減鬱陶しくなった実の息子のヴァーリによって、毒殺されています。
英雄の国ヴィフレスト、闇が深すぎる。畳む


#アルファズル戦記

ひとりごと2026年,創作,マンガ

#雪が解けて春になる の漫画を描いて、こっちに載せるのを忘れていました。
ヒオゼファ……と思わせて、ヒオウの部下ニーザが苦労人だろうな、という1ページ漫画です。

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ニーザとマイケルのモデルは、ファイアーエムブレムの赤緑だったり、幻想水滸伝のアレンとグレンシール(よく覚えていた私!)だったりします。畳む


#アルファズル戦記

ひとりごと2026年,創作,マンガ

#語彙トレ2026 『この大地の上で』05/01~05/10分をまとめるのを忘れていました!
アルファズル4大陸で唯一、一度も最後まで書いていない状態になった、東の大陸ノルンの物語です。
基本的には、源時雨(みなもと しぐれ)という青年と、ソフィア・ジェリングという少女のふたりの視点で交互に進みます。

次→676

05/01-青嵐
『「風青し」という表現がある。初夏の薫風を表す、「青嵐」とも呼ばれるものだ。
 だが、東の大陸ノルンを駆けた英雄は、そんな優しい風ではないだろう。
 時雨の名を持ちながら、激しい雷雨のように戦った「星の忍」。
 茫洋としながらも、心に燃え上がる炎を飼っていた、碧色の舞姫。
 碧嵐とも称すべきふたりの歩んだ道の記録は散逸して、集めるのに非常に苦労した。初期の出会い以降の物語は、大陸各地を巡ってようやく集ったのだ。
 これから語ろう。この大地の上で駆け抜けた、雨と風の軌跡を』
(シフィル・リードリンガー著『アルファズル戦記』東の大陸編)

05/02-沈黙
 沈黙は時に饒舌より雄弁にものを語る。
『星の忍』の武器の一『流星』の苦無と、最早何も語らない遺髪を握り締める。
 俺の養父であり、主君であった、ジャオウ国太守長男の恭司様を暗殺したと思った女を追って、国を出た。
 だがそれは、親恭司派の俺達が潰し合うことを望んだ、『元老院』の仕組んだ筋書きだった。
 細(ささめ)。
 『元老院』に乗せられた愚かな俺の姉を最期まで貫いて、俺をかばって逝った、ねえさん。
 どうか、恭司様と共に、天上から見守っていてくれ。
 俺が、あのくそじじいどもを、光も音も無い、沈黙の地獄の底へ叩き落とす様を。

05/03-閃光
 閃光のように、青竜刀『星辰』が、煌めいて。
 あっという間に、野盗たちは、地面に倒れ伏していた。
 厳しい表情をしてる、横顔が、こちらを向くにつれて、険を治めてく。
「大丈夫か」
「う、うん。ありがと、時雨」
 わたしたちは、ダナスタン自治都市連合、東の都市サーリアを、目指してる。でも、楽な道中じゃあ、ない。ラグナール皇国の、兵士くずれが、跋扈してる。
 一応その国のお姫様、って立場としては、情けないことこの上無い、んだけど。
 それだけ兵士たちも、あのひとを信じてない、ってこと。
 早く、ジャオウに、行かないと。
 あの国も、呑み込まれる、前に。

05/04-拘束
 それは、ふたりの旅路からは少し離れた場所で。

「はい、おつかれさん」
 黒衣の男は、短剣のような針を手元でくるくる回して、マントの下に納めた。年の頃は二十代半ばほどか。顔の右半分を長い前髪で隠して、残った隻眼は、拘束された野盗たちを見据えている。
「天下のラグナール兵が、堕ちたもんだな」
 焦茶色の瞳を鋭く細めて、ならず者たちを見下す言葉を吐く男に、町長がおずおずと革袋を差し出す。
「あ、ありがとうございました。これはわずかばかりながら」
「あー、じゃあ、これだけ」
 男は革袋の口元の金貨数枚を握り締める。
「金なんて、天上に持っていけないからな」

05/05-憐憫
 自治都市連合東のサーリアに着いた。ここを過ぎればナザル山を越えて、ジャオウ国が見えてくる。
「はぐれるなよ」「う、うん」
 街の人出がすごくて、ソフィアの手を引きながら人波の間を縫っていると、前から来た子供にぶつかられた。
 だが、相手が悪い。俺は『星の忍』だ。そこらの呑気な通行人じゃあない。空いていた手で子供の襟首を引っ掴む。
「は、離せよ!」
「じゃあ、お前の手にしてる物を返してもらおうか」
 敢えて財布を掴ませて、言い逃れができないようにしたのだ。
 だが。
「時雨」
 ソフィアが、憐憫を宿した瞳を向けてきた。
「離して、あげて」

05/06-閉塞
「話、聞いてあげよう、ね?」
 ソフィアが小首を傾げる。そのお願いのされ方をすると、俺が却下できないとわかっていてだ。逃げ道を閉塞されている。
「おい、小僧」
 襟首から手を離した瞬間に財布を取り戻して、子どもを睨み下ろす。
「こんなわかりやすいスリの仕方があるか。これが貴族だったら、吊るされてるぞ」
「それでも!」
 子どもは目一杯に涙をためて、声を張り上げる。
「父ちゃんも母ちゃんもいないから、おれがやるしかないんだ! 妹と弟たちのために!」
 そして、悔しそうに拳を握り締めた。
「おれに武術大会に出る力があれば、こんなことしなかったのに」

05/07-変異
「武術大会?」
 眉をひそめると、子どもは両手を振って、必死に説明を始めた。
「サーリアでは、半年に一回、腕に覚えのあるやつらが集まって、戦うんだ。優勝者にはすげえ賞金が出る」
 成程。納得がいった。
 子どもの目が、『お前が代わりに出てくれ』と訴えている。
「兄ちゃん、あの速さ、普通じゃねえよ。腕っぷしもとんでもないんだろ」
「人を変異体みたいに言うな」
 スリを働いた上に、ジャオウへの帰国の足を引っ張るような、無関係のガキに付き合ってる暇は無い。
 言いたい。そう言ってやりたいんだが。
「時雨」
 ソフィアが裾を掴む。そうだよな。ああ、そうだよなあ。

05/08-転生
「この子の、代わりに、ね。武術大会、出てあげて?」
 ソフィアが碧眼で訴えかけてくる。反対側では子どもが期待に満ちた目で俺を見上げている。
 ……ガキふたりにすがられているみたいだ。
 おれは深々と溜息を吐き出す。
「旅の邪魔になるって思ったら、途中でも投げ出すからな」
 それでもふたりには十分だったようだ。花が咲くように表情が明るくなる。なんでソフィアまでなるんだよ。
「あ、でも、気をつけて」
 子どもが眉根を寄せる。
「すげえ強い奴がいるんだ。『転生のホロウ』って、致命傷を負っても何度も復活するんだって」
 ……そういうのは先に言え。

05/09-饒舌
 スリの子どももとい、
「おれにはアルマってれっきとした名前があるんだい!」
 と言い張ったアルマを伴って、武術大会受付まで来た。その道中、アルマはやたら饒舌だった。それはもうめちゃくちゃ喋った。
 酒飲みの父親が酔っ払って橋から落ちて死んだこと。子どもたちを養おうとした母親も、過労で帰らぬ人になったこと。弟がふたり、妹がひとりいる、長女であること。普通には働かせてもらえないから、スリをしていたこと。訊いてもいないのに、自分から喋った。あと、小汚い格好をしてるから、小僧だと思ってたので、めちゃくちゃ驚いた。
「時雨。失礼」
 ソフィアにはじとりと睨まれた。

05/10-遡行
 出場者も観客もぎゅうぎゅうに行き交う中を、鮭の遡行のように受付へ向かう。
「兄さんが出るのか?」
 受付の、本人が歴戦の戦士のような傷痕だらけの禿頭の男が、ペンで机の上の名簿を叩く。名前を書けってことか。
 ジャオウ語で『源時雨』と書いたら、「読めねえよ」と嫌味を言われたので、むっとしながらノルン共用語で書き直した。よく耐えた、俺。
「わたしも、出ようかな」
「ソフィア姉ちゃんも戦えるの!?」
「やめろ。マジでやめてくれ。俺の胃がもたない」
 呑気なソフィアに、アルマが食いついている。すると。
「……ソフィア?」
 背後から男の声が、ソフィアを呼んだ。畳む


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