#語彙トレ2026 前半まとめ② 『雪が解けて春になる』番外編全文 目次→714 続きを読む04/01-鮮烈 『私はこの世界「アルファズル」で起きた、大きな戦乱と、その先にある始祖種と神の戦いを、生涯を懸けて、物語として記すことにした。 その為に、東西南北四つの大陸を旅し、現地のひとびとから伝説を語り聞いて、懸命に書き留めた。 北の大陸フィムブルヴェートで聞いた伝承も、始祖種ダイナソアの竜兵と人間の王子の愛の物語は、私の心に鮮烈な印象を焼きつけた。 しかし、それは本伝「雪が解けて春になる」に書くとして、この番外編では、本伝で語られることの無い小さな出来事を記してゆこう。』 (シフィル・リードリンガー著『アルファズル戦記 異聞録』) 04/02-呪文 呪文のように繰り返された。 「そなたは英雄リヴァティの正統なる子孫。生まれながらにしての王の器なのですよ」 だから傲然とあった。なのに格下の連中は自分を恐れて離れていった。 「下々の顔色など疑わなくて良いのです。失礼な者は切り捨てなさい」 言われた通りにした。誰も自分をまっすぐに見なくなった。正面から見てくるのは、弟だけになった。 「あのような下賎な血を引く者と、そなたが、対等などとあり得ないのです」 心地の良い呪いの言葉にすがった。 結果、母は毒の入った茶を飲んでひっくり返った。 命じたのは自分だ。 ああ、やっと解き放たれる。 04/03-追憶 母の祖国へ、一度だけ行ったことがある。叔母を埋葬するためだ。彼女が悪意を受け続けた国に弔うのは嫌だと、母が言ったのだ。 薄ピンクの桜が舞う中、母方の祖父が立ち会った。叔母は庶子で皇女とは認められなかったが、祖父はきちんとこのひととその母親を愛していたのだと思い知った。 墓石の前で、はなをすすり上げながら泣く、幼い従弟の手を握り、この子は自分が守らないといけないと誓った。自分に優しかった叔母の分まで。 なのに。 兄の凶刃の前に、従弟は桜のように儚く散った。 追憶の中で、あの子は今も朗らかに笑っているのに、もう握る手はここに無い。 04/04-摩耗 「お前は本当に馬に乗るのが下手だな」 親友兼相方のマイケルに馬上から見下ろされて、ニーザは軽く舌打ちした。 「なんでお前はそんなしれっと乗りこなしているんだ」 主君のヒオウ王子さえ、やんちゃな馬に振り回され、手こずっている。ニーザに至っては、何回振り落とされたかわからない。心が摩耗して折れても仕方無いくらいだ。 なのに、このなんでもそつなくこなす幼馴染は、主君の先すら超えて、馬をどうどうとなだめている。 『マイケルは本当にすごいな』 お世辞でもなんでもなく、あるじは言うのだ。 『ニーザも。よく諦めない』 本当に、悪気が無いから、困ったひとだ。 04/05-逆説 「おはよう、コウ」 やたら野太い声が聞こえる。自分をその名で呼ぶ者は、ひとりしかいない。 振り返ると、筋骨隆々として、自分より背の高くなった、銀の髪に金の瞳の竜兵が、軽々と自分を抱き上げた。 「ゼファー!?」 驚いた自分の声が高い。 「はは、コウは可愛いね」 言われて自分の身をあらためる。髪が伸びて、男には無い凹凸がある。 悲鳴をあげたところで、寝台の上にがばりと起き上がって目が覚めた。 「願望が逆説的に叶った夢じゃないですか」 あまりにもあんまりだったので、軍師にこぼしたら、彼は腕組みして『そんな話を俺にするな』とばかりにうんざりしていた。 04/06-桎梏 『隷属国の娘の子が、王子面をして』 血筋を尊ぶ連中は、そう言って嗤った。 『あなた様こそが、この国の希望なのです』 民は兄のいない隙に、すがりついてきた。 どう足掻いても自由にならない、桎梏で雁字搦めにされた人生で終わるのだと思っていた。 それなのに。 「コウ!」 君が私のもうひとつの名前を呼ぶ度に、どれだけ嬉しくなったことか。その笑顔に、磨り減った精神をどれだけ救われたことか。 だから、君の力になろう。若くして大陸の命運を背負った君の槍に、盾になって、守り抜こう。 幼い頃、誰かを守ることの大切さを教えてくれた、君のために、この命を懸ける。 04/07-沈殿 母の言葉は呪いだった。 『神にもなれる血筋なのに、兄の役にすら立てないとは、そなたは失敗作であることよ』 『ああ、ああ、あの女の息子のようにうざったい。その顔をわたくしに見せるでない』 『おまえなぞ、産むのではなかった』 自分勝手な言葉は、わたしの心の泉に、毒を沈殿させていった。 王宮の奥に押し込められて、使用人にも無視されて、泣いてばかりの日々。 『ぴいぴい泣くな。うっとうしい』 そうぶっきらぼうに言いながら、白い薔薇を手折って差し出した兄の顔は、逆光でどういう表情をしているかわからなかった。 だけど、たしかに彼はわたしの太陽になった。 04/08-昏迷 この大陸は、ひとを『鬼』にする『霧』に覆われている。いつからそうなのかわからない。ただ、かつて外の大陸との交流はあり、『霧』によってそれが全て遮断されたのはたしかだ。 僕の叔母も、水を汲みに行って、うっかり『霧』に触れてしまった。叔父がどんなに呼びかけても、昏迷に陥ったように応じず、虚ろな顔は次第次第に白く変わっていった。 『娘にこんな母親を見せるくらいなら』 叔父は剣を持ち出し、反応しない叔母を斬った。白い血を噴き上げながら仰向けに倒れてゆく叔母は、ひとならざる顔で、ゆるりと優しく微笑んで。 『……ゴメンネ』 と涙一筋をこぼした。 04/08-逸脱 竜族は、過ぎたる力を持ってこの大陸を脅かす、摂理から逸脱した存在だと、ひとびとが騒いだ時代があった。 「まだ、竜族が始祖種の代わりに大陸の守護者として生まれたのだと、認識されてない頃だったからね」 湖畔で語る竜王の言葉に、幼い竜兵達は表情を曇らせる。 「だが」 美しい竜王がぱちんと指を鳴らすと、湖面が波立ち、獣の姿を取った。 「『竜王に害意がある者を決して通さない』この湖が、こうして不届き者を追い返し、当時の竜王を守ったのだよ」 「やはり竜王様はすごいんですね!」 興奮気味になる竜兵の長兄に、竜王はゆるりと笑み返してみせた。 04/10-郷愁 ノスタルジア、という地域がある。郷愁の名を冠したその地には、古くから吸血鬼が棲んでいた。 『鬼』とは異なる生態系を持ち、『鬼』とは違ってひとの姿に近く、理性も保っている。だが、ひとの血を好んですすり、不死者の眷属を増やすあたりは、フィムブルヴェートのどの種族とも違う。 彼らがどこから来たのか。『霧』に閉ざされた世界では最早わからない。たしかなのは、彼らがひとに害をなす脅威であることだけだ。 「……害獣と同じだな」 心臓を貫かれて朝日に溶けてゆく吸血鬼を、蒼い瞳で見下ろしながら、吸血鬼狩りの青年は、仕込み杖の刃についた血を振り払って、納刀した。 04/11-忘我 歌声が聞こえる。この集落一番の歌い手と言っても過言ではない少女が歌っているのだ。 この大陸が『霧』に包まれる前から歌い継がれてきた、英雄歌。誰を謳ったのか、何の英雄なのか、どんな偉業を為し遂げたのか。言葉が違ってわからないのだ。ただ、歌詞だけが意味をなさないまま、世代を渡ってきた。 忘我に耽って聞き入ってしまう。ほかにも手を止め聞き惚れてしまう者達がいる。 そんな中、ぽつ、と頭に水滴が落ちた。かと思うと、あっという間にざあっと空が泣き出す。 この砂漠地帯恒例のスコールだ。たちまち誰もが我に返り、歌声がかき消される帰り道を走った。 04/12-収奪 ヴィフレスト王国は、破壊の権化『ユミール』を倒して『黒き太陽戦役』を終わらせた英雄リヴァティの興した国である。 『霧』に囲まれたこの大陸で、人間を守る盟主国として、また、戦役以降険悪になった有翼人・防人との折衝を務める先陣として、長く守護者の座にあった。 だが、肥料を入れない畑で作物を育て続ければ、いつか土壌は枯れる。 英雄の遺志を忘れた歴代の王は、他国へ侵略し、隷属国として併呑し、富を搾取し、誇りと命を収奪した。 そして今、『鬼王』と名乗る、史上最悪の王が、大陸制覇に乗り出した。 ひとびとは祈るしかない。奴を止める救い主の出現を。 04/13-暗転 母は側室で、正妃に影に日向に嫌がらせを受けていた。手を差しのべる者は少なく、大半が正妃の顔色を窺って、母と自分を蔑んだ。父は凡庸で、あからさまな助け舟は出さなかった。 そんな中で母が心身を病まないはずは無く、一時期母方の祖母の故郷へ療養に退いた。 そこでの出会いは新鮮で、その後の自分の人生に大きな影響を及ぼすほどだった。 やがて母は寛解して、国に戻った。正妃を正面から見据えられる強さを身につけた母は、まるで別人になったかのように頼もしく思えた。 だが、暗転は突然で。 「無理が祟ったのでしょう」 医師は言ったが、母の腕には紫の斑点が浮かんでいた。 04/14-爛れる 村が燃えていた。 ずけずけと食糧を漁りに踏み込んできたヴィフレスト兵士に、駆け回っていた子供がぶつかった。それだけで、子供は斬り捨てられ、火が放たれた。 「ダイナソアの言葉を読めるガキは、重宝できましてよ」 けばけばしい軍師の女が、隊長の男にしなだれかかって笑っている。 深傷を負い、焼け爛れてかっと目を見開いたまま息絶えた弟を抱き締めて、花の名を持つ少女は誓う。 この傍若無人な連中に、必ず報いをと。今は利用されても、必ずマグノリアのように咲き誇って、鋭い一撃を、こいつらの首魁の心臓に突き立ててやるのだと。 04/15-浸透 竜族は得体の知れない種族。そういう考えはまだひとびとの間に浸透している。 だからクリミアも、竜兵として母たる竜王メディリアの代わりに大陸を巡りながらも、積極的にひとの世界に介入することはあまり無かった。 だが、元は熊だったろう大きな『鬼』に追われる人間の一家を見つけ、思わず飛び出し、弓を引いた。『鬼』は白い粒子と化し、消えてゆく。 「まだ仲間がいるかもしれない。早くこの場を離れて」 声をかけると、おとな達は青い顔で頷き走り出す。 「おねえちゃん、ありがとう!」 小さいこどもが手を振る。 何故か、胸のあたりがふわりと温かくなった。 04/16-朦朧 燃え尽きて、煙が立ちのぼる集落を、ふらふらと歩く。焼け焦げた、元は人だったものの左薬指に、見慣れた揃いの銀の指輪を見つけた時、自分でも訳のわからない叫びが口から迸るのを、他人事のように感じていた。 軍師の座を捨て、国を離れて裏通りに引きこもり、くすんだ指輪をもてあそびながら、朦朧とした意識の中で、彼女が責めてくる幻聴に苛まれた。 それを鋭い呼びかけで断ち切り、現実に引き戻した、銀髪に金の瞳の竜兵。己の弱さも未熟さも無知も認めた上で、導き手として自分を求めた。 もう一度、立てるだろうか。『虹王国稀代の軍師』は。 もう、身近な誰かを失わせずに。 04/17-渇望 もっと力が欲しかった。 主君の従兄を守れるくらいに。彼自身も、周りの護衛騎士達も強いのに、自分は茶を注いで彼の馬のくつわをとることくらいしかできない。 主君の師匠に槍を教わったが、 『あんたは素質が無いよ』 とばっさり切り捨てられた。代わりに飛び道具の扱い方を教えてもらった。 あの方の剣であり盾でありたいのに、 『お前はそのままで良い。人をあやめる術を覚えなくて良い』 そう諭されて、逆に強さへの渇望は増した。 だからかもしれない。竜族の聖域へ助力を借りに行く者を募る時に、ひとりで行くと言い張った。 あの方を守る力があるのだと、証明したくて。 04/18-審判 当代の竜王メディリアが、まだ先代竜王の竜兵だった頃。竜族の聖域に、人間の盗賊達が入り込んだことがある。 竜は大陸中のお宝を集めていると思い込んだ連中の、身勝手な侵入だった。 メディリアはきょうだいの竜兵達と共に、盗賊達を迎え打った。結果は火を見るより明らかで、愚か者共は全員あえなく縛り上げられた。 「どうしてやろうか」 竜王は盗賊達の前で腕組みし、にやりと牙を見せて、「メディリア」と己が子の名を呼んだ。 「湖に投げ込め」 聖域の湖は、『竜王に害意のある者を決して通さない』。 「御意」 メディリアも、下される審判を思い、牙を剥き出して笑った。 04/19-浄化 掲げた手から、踊るように水魔法が放たれる。水流はひとびとのあいだをうねりながら通り過ぎて、砂にまみれた彼らの身体を浄化してゆく。 「エリア様は、さすが盟主様のご息女だ」 「次代の防人を導くお方として、申し分無い魔力を持っていらっしゃる」 翼持つ民、防人が、南方砂漠に追いやられて四百年。かつてひとりの男の野望により、フィムブルヴェートの支配者の座を追われた彼らは、自分達が人間より優れているというプライドを捨てられず、力を持つ者を持ち上げ、持たざる者を貶める。 美しい少女を遠くから見つめる、魔法の使えない少年は、それでも彼女の隣を、諦めたくはなかった。 04/20-冒涜 「竜族の盟主サマなんて、信用置けないよなあ」 「ヒオウ様にもエリア様にもいい顔してさ」 人間達が聞こえよがしに言い合っているのを、鋭い聴覚は拾い上げる。胸に棘が刺さって、唇を噛み締めた時。 「では、ゼファーを信頼している私やエリア殿、軍師であるウィルも信用ならぬということだな」 安心させるように、肩に大きな手が置かれる。見上げると、紫の瞳は冒涜した連中を睨み付けている。 「そ、そういう訳では」 「申し訳ございません、ヒオウ王子!」 連中が慌てて去る。 「……ありがとう、コウ」 おずおずと礼を述べると、険の消えた瞳が、優しく笑み返してくれた。 04/21-偏在 その昔、有翼人は高い魔力を持つゆえ、フィムブルヴェートの支配者として、大陸中に遍在していた。 しかし、ウリエルというひとりの男が、破壊の使者『ユミール』と化して大陸に危機を呼んだ時、彼らは大陸の守護者『防人』を名乗って、人間に、自分達に従属してウリエルを討つことを強要した。 結局二者の関係は泥沼になり、英雄リヴァティが調停するまで、『ユミール』すら無視した争いが続いた。 戦後、人間達の冷たい視線を浴びた防人は、南方砂漠に身を退くことになる。英雄リヴァティの交渉も虚しく、防人は辺境に偏在して、覇権を取り戻す日を狙っているという。 04/22-饗宴 「なんだ、それ?」 「始祖種が受け継いでた本だってよ」 胡乱げにこちらの手元を覗き込むキルシスに、マギーはあっけらかんと返す。どれだけの年代を経たのかわからないぼろぼろの表紙には、ダイナソアの言語で『饗宴』と書かれているらしい。 「プラトンなんて、誰なんだか」 「竜族でも知らねーぞ、そんな奴」 始祖種は古代、空からやってきたという。かれらがこのフィムブルヴェートにたどり着く前から存在していた本ならば、著者はとっくに天上に昇って久しいだろう。 「で、何が書いてあるんだ?」 「わかんね。なんか言い争ってた」 キルシスの問いに、マギーは肩をすくめた。 04/23-帰趨 『ユミール』は竜の牙から作られた槍『グラディウス』と、竜王の捨て身、そして数多の犠牲の末に、地に沈んだ。 『黒き太陽』は晴れ、朝が来る。『霧』の晴れることの無い、フィムブルヴェートの朝が。 戦いの帰趨を見届けたメディリアは、もはや竜兵ではなく、竜王を受け継いで、竜族の聖域に戻った。聖域はいつも通り、静謐をもって彼女を出迎える。 竜王を守る湖面を歩いて渡り、竜王の神殿に入る。今までは、父たる先代の王しか入れなかった部屋に踏み込むと、机の上に手紙があることに気づく。 文字に目を滑らせる。 「……お父様」 独りぼっちが沁みて、ひとしずくが手紙に滲んだ。 04/24-薫風 風薫る、という表現があったらしい。初夏の爽やかさを表す風のことだという。 「この大陸が『霧』に覆われる前の話ですかねェ」 竜兵は糸目を更に細めて、口角を持ち上げる。 「ま、そんな芸術もなにもかも、『ユミール』の前にはあえなく消えるのですがねェ?」 血のにおいが充満し、ひとの変じた『鬼』がうろつく中、彼はまるで安楽椅子のように、骸の山へ腰を下ろしている。 『鬼』にとって、そして竜族にとって、互いに天敵であるはずの両者が、食らい合うことも無く。 「ああ、楽しみだ、楽しみだァ!」 両手を広げ、じっとりした、薫風無き空をあおいで、竜兵は嗤った。 04/25-眩惑 「上玉だ、逃がすなよ!」 ヴィフレスト兵に追われる美しい姉妹に、アバロンが出くわしたのは、本当にたまたまだった。 『ユミール』が関わらない人間の欲望に、竜兵が介入する義理は全く無い。だが、下賎な連中の身勝手な欲望に、辟易したのは確かだ。 翼を広げて姉妹の前に降り立ち、「目を閉じてください」と声をかける。新手にびくつきながらも、姉妹が言うことを聞いてくれた気配を感じ取ると、追手に向けて光魔法を放つ。 「このまま走って」 相手が眩惑されている間に囁くと、 「あ、ありがとうございます!」 と姉妹は駆け去った。 「さて、あとは下衆の始末だけですか」 04/26-撹乱 『霧』は、フィムブルヴェートの在り様を根底から変えるほどの脅威だ。それに触れたものを『鬼』と化し、ひとびとを襲う。 生態系を撹乱するほどのこの現象が、いつ、どうして生まれたのか、現代には伝わっていない。 「せめて、始祖種の話を聞くことができれば、真相を知ることができるのでしょうか」 モリエールが史書を閉じながらつぶやくと、教師役の義兄が、虚を衝かれたように目をみはった。 「お前は、始祖種が真実を知っていると思うのか?」 「はい」 問いかけに毅然と答えれば、義兄は苦笑する。 「自分の勘を信じるところは、姉妹揃ってか」 果たして、褒められたのだろうか? 04/27-翠緑 カワセミが、翠緑の翼をひるがえして、窓の外を飛んでゆく。 「犯人は」 少年はきらりと眼鏡をきらめかせて、師匠を見上げた。 「Bだよね」 正答だとばかりに、同盟軍正軍師は両肩をすくめる。 「もうお前に出せる推論問題は、俺すら持ち合わせていないな」 高評価に、少年は得意気に鼻の下をこすった。 軍師として寝食を惜しんで働き回っているのに、彼はこうしておしかけ弟子の勉強に付き合ってくれる。 「冷たい」 「鬼軍師」 「何考えてるかわからなくて怖い」 師匠をよく知らない連中は彼をそう評する。だが実際は、彼はそういう連中までも生かす策を、常に練っているのだ。 04/28-童心 「ゼファーが子どもになりました」 アバロンが、五歳くらいの小ささになった銀髪の竜兵を連れてきたので、ヒオウは目を点にして立ち尽くしてしまった。 「何でだ? 外界(メタ)の作用か?」 ウィルソンがよくわからないことを言って、頭を抱えている。 金の瞳がこちらを向く。その目が嬉しさ一杯に見開かれ、長兄の手を振りほどくと。 「コウー! だいすきー!!」 全体重をかけて飛びつかれた。まあ、五歳の全体重などたかが知れているのだが、動揺が過ぎてよろめきながら受け止める羽目になる。 「童心に返ったほうが素直になるものですねえ」 アバロンがのほほんと笑っていた。 04/29-腐食 進軍の途中で、古い砦にたどり着いた。変色して緑に沈んだ金属の階段を、ゼファーは駆け登る。 「わあ、すごい!」 屋上から見渡す景色は、『霧』ではるか遠くまでは見えないとはいえ、なかなかのものだ。 竜族の聖域では見られなかった光景に見入って、屋上の柵に手をかける。途端、腐食していた取っ手がぽきりと折れた。 そのまま前のめりに何も無い空中に放り出されそうだったところを、背後から力強い腕が抱き留めてくれる。 「気をつけるんだ」耳元で囁く声がする。「いくら竜兵でも、この高さではひとたまりもあるまい」 「う、うん、ごめん」 緋色の髪が触れた頬が火照った。 04/30-歪み いつからだろう。この世界の歪みに気づいたのは。 物心つく頃には、『霧』に覆われた空に、黒い星が垣間見えていた。 その正体を知りたくて、同胞に異端と嘲られても、始祖種と交友を結び、かれらの知る天の摂理について調べきった。 調べきった結果、この歪みはひとの手では正せないと思い知った。 だから、私は破壊者になろう。 『霧』を取り込み、破壊の化身『ユミール』となって、破壊に破壊をぶつけるのだ。 私を愛してくれた女性は泣きながら、やめてくれと懇願したが、私の意思は変わらない。 どうか、現れてくれ。 『私』を制し、フィムブルヴェートを救う英雄よ。畳む #アルファズル戦記 #雪が解けて春になる #語彙トレまとめ 2026.8.8(Sat) 12:51:02 創作,小説 edit
『雪が解けて春になる』番外編全文
目次→714
04/01-鮮烈
『私はこの世界「アルファズル」で起きた、大きな戦乱と、その先にある始祖種と神の戦いを、生涯を懸けて、物語として記すことにした。
その為に、東西南北四つの大陸を旅し、現地のひとびとから伝説を語り聞いて、懸命に書き留めた。
北の大陸フィムブルヴェートで聞いた伝承も、始祖種ダイナソアの竜兵と人間の王子の愛の物語は、私の心に鮮烈な印象を焼きつけた。
しかし、それは本伝「雪が解けて春になる」に書くとして、この番外編では、本伝で語られることの無い小さな出来事を記してゆこう。』
(シフィル・リードリンガー著『アルファズル戦記 異聞録』)
04/02-呪文
呪文のように繰り返された。
「そなたは英雄リヴァティの正統なる子孫。生まれながらにしての王の器なのですよ」
だから傲然とあった。なのに格下の連中は自分を恐れて離れていった。
「下々の顔色など疑わなくて良いのです。失礼な者は切り捨てなさい」
言われた通りにした。誰も自分をまっすぐに見なくなった。正面から見てくるのは、弟だけになった。
「あのような下賎な血を引く者と、そなたが、対等などとあり得ないのです」
心地の良い呪いの言葉にすがった。
結果、母は毒の入った茶を飲んでひっくり返った。
命じたのは自分だ。
ああ、やっと解き放たれる。
04/03-追憶
母の祖国へ、一度だけ行ったことがある。叔母を埋葬するためだ。彼女が悪意を受け続けた国に弔うのは嫌だと、母が言ったのだ。
薄ピンクの桜が舞う中、母方の祖父が立ち会った。叔母は庶子で皇女とは認められなかったが、祖父はきちんとこのひととその母親を愛していたのだと思い知った。
墓石の前で、はなをすすり上げながら泣く、幼い従弟の手を握り、この子は自分が守らないといけないと誓った。自分に優しかった叔母の分まで。
なのに。
兄の凶刃の前に、従弟は桜のように儚く散った。
追憶の中で、あの子は今も朗らかに笑っているのに、もう握る手はここに無い。
04/04-摩耗
「お前は本当に馬に乗るのが下手だな」
親友兼相方のマイケルに馬上から見下ろされて、ニーザは軽く舌打ちした。
「なんでお前はそんなしれっと乗りこなしているんだ」
主君のヒオウ王子さえ、やんちゃな馬に振り回され、手こずっている。ニーザに至っては、何回振り落とされたかわからない。心が摩耗して折れても仕方無いくらいだ。
なのに、このなんでもそつなくこなす幼馴染は、主君の先すら超えて、馬をどうどうとなだめている。
『マイケルは本当にすごいな』
お世辞でもなんでもなく、あるじは言うのだ。
『ニーザも。よく諦めない』
本当に、悪気が無いから、困ったひとだ。
04/05-逆説
「おはよう、コウ」
やたら野太い声が聞こえる。自分をその名で呼ぶ者は、ひとりしかいない。
振り返ると、筋骨隆々として、自分より背の高くなった、銀の髪に金の瞳の竜兵が、軽々と自分を抱き上げた。
「ゼファー!?」
驚いた自分の声が高い。
「はは、コウは可愛いね」
言われて自分の身をあらためる。髪が伸びて、男には無い凹凸がある。
悲鳴をあげたところで、寝台の上にがばりと起き上がって目が覚めた。
「願望が逆説的に叶った夢じゃないですか」
あまりにもあんまりだったので、軍師にこぼしたら、彼は腕組みして『そんな話を俺にするな』とばかりにうんざりしていた。
04/06-桎梏
『隷属国の娘の子が、王子面をして』
血筋を尊ぶ連中は、そう言って嗤った。
『あなた様こそが、この国の希望なのです』
民は兄のいない隙に、すがりついてきた。
どう足掻いても自由にならない、桎梏で雁字搦めにされた人生で終わるのだと思っていた。
それなのに。
「コウ!」
君が私のもうひとつの名前を呼ぶ度に、どれだけ嬉しくなったことか。その笑顔に、磨り減った精神をどれだけ救われたことか。
だから、君の力になろう。若くして大陸の命運を背負った君の槍に、盾になって、守り抜こう。
幼い頃、誰かを守ることの大切さを教えてくれた、君のために、この命を懸ける。
04/07-沈殿
母の言葉は呪いだった。
『神にもなれる血筋なのに、兄の役にすら立てないとは、そなたは失敗作であることよ』
『ああ、ああ、あの女の息子のようにうざったい。その顔をわたくしに見せるでない』
『おまえなぞ、産むのではなかった』
自分勝手な言葉は、わたしの心の泉に、毒を沈殿させていった。
王宮の奥に押し込められて、使用人にも無視されて、泣いてばかりの日々。
『ぴいぴい泣くな。うっとうしい』
そうぶっきらぼうに言いながら、白い薔薇を手折って差し出した兄の顔は、逆光でどういう表情をしているかわからなかった。
だけど、たしかに彼はわたしの太陽になった。
04/08-昏迷
この大陸は、ひとを『鬼』にする『霧』に覆われている。いつからそうなのかわからない。ただ、かつて外の大陸との交流はあり、『霧』によってそれが全て遮断されたのはたしかだ。
僕の叔母も、水を汲みに行って、うっかり『霧』に触れてしまった。叔父がどんなに呼びかけても、昏迷に陥ったように応じず、虚ろな顔は次第次第に白く変わっていった。
『娘にこんな母親を見せるくらいなら』
叔父は剣を持ち出し、反応しない叔母を斬った。白い血を噴き上げながら仰向けに倒れてゆく叔母は、ひとならざる顔で、ゆるりと優しく微笑んで。
『……ゴメンネ』
と涙一筋をこぼした。
04/08-逸脱
竜族は、過ぎたる力を持ってこの大陸を脅かす、摂理から逸脱した存在だと、ひとびとが騒いだ時代があった。
「まだ、竜族が始祖種の代わりに大陸の守護者として生まれたのだと、認識されてない頃だったからね」
湖畔で語る竜王の言葉に、幼い竜兵達は表情を曇らせる。
「だが」
美しい竜王がぱちんと指を鳴らすと、湖面が波立ち、獣の姿を取った。
「『竜王に害意がある者を決して通さない』この湖が、こうして不届き者を追い返し、当時の竜王を守ったのだよ」
「やはり竜王様はすごいんですね!」
興奮気味になる竜兵の長兄に、竜王はゆるりと笑み返してみせた。
04/10-郷愁
ノスタルジア、という地域がある。郷愁の名を冠したその地には、古くから吸血鬼が棲んでいた。
『鬼』とは異なる生態系を持ち、『鬼』とは違ってひとの姿に近く、理性も保っている。だが、ひとの血を好んですすり、不死者の眷属を増やすあたりは、フィムブルヴェートのどの種族とも違う。
彼らがどこから来たのか。『霧』に閉ざされた世界では最早わからない。たしかなのは、彼らがひとに害をなす脅威であることだけだ。
「……害獣と同じだな」
心臓を貫かれて朝日に溶けてゆく吸血鬼を、蒼い瞳で見下ろしながら、吸血鬼狩りの青年は、仕込み杖の刃についた血を振り払って、納刀した。
04/11-忘我
歌声が聞こえる。この集落一番の歌い手と言っても過言ではない少女が歌っているのだ。
この大陸が『霧』に包まれる前から歌い継がれてきた、英雄歌。誰を謳ったのか、何の英雄なのか、どんな偉業を為し遂げたのか。言葉が違ってわからないのだ。ただ、歌詞だけが意味をなさないまま、世代を渡ってきた。
忘我に耽って聞き入ってしまう。ほかにも手を止め聞き惚れてしまう者達がいる。
そんな中、ぽつ、と頭に水滴が落ちた。かと思うと、あっという間にざあっと空が泣き出す。
この砂漠地帯恒例のスコールだ。たちまち誰もが我に返り、歌声がかき消される帰り道を走った。
04/12-収奪
ヴィフレスト王国は、破壊の権化『ユミール』を倒して『黒き太陽戦役』を終わらせた英雄リヴァティの興した国である。
『霧』に囲まれたこの大陸で、人間を守る盟主国として、また、戦役以降険悪になった有翼人・防人との折衝を務める先陣として、長く守護者の座にあった。
だが、肥料を入れない畑で作物を育て続ければ、いつか土壌は枯れる。
英雄の遺志を忘れた歴代の王は、他国へ侵略し、隷属国として併呑し、富を搾取し、誇りと命を収奪した。
そして今、『鬼王』と名乗る、史上最悪の王が、大陸制覇に乗り出した。
ひとびとは祈るしかない。奴を止める救い主の出現を。
04/13-暗転
母は側室で、正妃に影に日向に嫌がらせを受けていた。手を差しのべる者は少なく、大半が正妃の顔色を窺って、母と自分を蔑んだ。父は凡庸で、あからさまな助け舟は出さなかった。
そんな中で母が心身を病まないはずは無く、一時期母方の祖母の故郷へ療養に退いた。
そこでの出会いは新鮮で、その後の自分の人生に大きな影響を及ぼすほどだった。
やがて母は寛解して、国に戻った。正妃を正面から見据えられる強さを身につけた母は、まるで別人になったかのように頼もしく思えた。
だが、暗転は突然で。
「無理が祟ったのでしょう」
医師は言ったが、母の腕には紫の斑点が浮かんでいた。
04/14-爛れる
村が燃えていた。
ずけずけと食糧を漁りに踏み込んできたヴィフレスト兵士に、駆け回っていた子供がぶつかった。それだけで、子供は斬り捨てられ、火が放たれた。
「ダイナソアの言葉を読めるガキは、重宝できましてよ」
けばけばしい軍師の女が、隊長の男にしなだれかかって笑っている。
深傷を負い、焼け爛れてかっと目を見開いたまま息絶えた弟を抱き締めて、花の名を持つ少女は誓う。
この傍若無人な連中に、必ず報いをと。今は利用されても、必ずマグノリアのように咲き誇って、鋭い一撃を、こいつらの首魁の心臓に突き立ててやるのだと。
04/15-浸透
竜族は得体の知れない種族。そういう考えはまだひとびとの間に浸透している。
だからクリミアも、竜兵として母たる竜王メディリアの代わりに大陸を巡りながらも、積極的にひとの世界に介入することはあまり無かった。
だが、元は熊だったろう大きな『鬼』に追われる人間の一家を見つけ、思わず飛び出し、弓を引いた。『鬼』は白い粒子と化し、消えてゆく。
「まだ仲間がいるかもしれない。早くこの場を離れて」
声をかけると、おとな達は青い顔で頷き走り出す。
「おねえちゃん、ありがとう!」
小さいこどもが手を振る。
何故か、胸のあたりがふわりと温かくなった。
04/16-朦朧
燃え尽きて、煙が立ちのぼる集落を、ふらふらと歩く。焼け焦げた、元は人だったものの左薬指に、見慣れた揃いの銀の指輪を見つけた時、自分でも訳のわからない叫びが口から迸るのを、他人事のように感じていた。
軍師の座を捨て、国を離れて裏通りに引きこもり、くすんだ指輪をもてあそびながら、朦朧とした意識の中で、彼女が責めてくる幻聴に苛まれた。
それを鋭い呼びかけで断ち切り、現実に引き戻した、銀髪に金の瞳の竜兵。己の弱さも未熟さも無知も認めた上で、導き手として自分を求めた。
もう一度、立てるだろうか。『虹王国稀代の軍師』は。
もう、身近な誰かを失わせずに。
04/17-渇望
もっと力が欲しかった。
主君の従兄を守れるくらいに。彼自身も、周りの護衛騎士達も強いのに、自分は茶を注いで彼の馬のくつわをとることくらいしかできない。
主君の師匠に槍を教わったが、
『あんたは素質が無いよ』
とばっさり切り捨てられた。代わりに飛び道具の扱い方を教えてもらった。
あの方の剣であり盾でありたいのに、
『お前はそのままで良い。人をあやめる術を覚えなくて良い』
そう諭されて、逆に強さへの渇望は増した。
だからかもしれない。竜族の聖域へ助力を借りに行く者を募る時に、ひとりで行くと言い張った。
あの方を守る力があるのだと、証明したくて。
04/18-審判
当代の竜王メディリアが、まだ先代竜王の竜兵だった頃。竜族の聖域に、人間の盗賊達が入り込んだことがある。
竜は大陸中のお宝を集めていると思い込んだ連中の、身勝手な侵入だった。
メディリアはきょうだいの竜兵達と共に、盗賊達を迎え打った。結果は火を見るより明らかで、愚か者共は全員あえなく縛り上げられた。
「どうしてやろうか」
竜王は盗賊達の前で腕組みし、にやりと牙を見せて、「メディリア」と己が子の名を呼んだ。
「湖に投げ込め」
聖域の湖は、『竜王に害意のある者を決して通さない』。
「御意」
メディリアも、下される審判を思い、牙を剥き出して笑った。
04/19-浄化
掲げた手から、踊るように水魔法が放たれる。水流はひとびとのあいだをうねりながら通り過ぎて、砂にまみれた彼らの身体を浄化してゆく。
「エリア様は、さすが盟主様のご息女だ」
「次代の防人を導くお方として、申し分無い魔力を持っていらっしゃる」
翼持つ民、防人が、南方砂漠に追いやられて四百年。かつてひとりの男の野望により、フィムブルヴェートの支配者の座を追われた彼らは、自分達が人間より優れているというプライドを捨てられず、力を持つ者を持ち上げ、持たざる者を貶める。
美しい少女を遠くから見つめる、魔法の使えない少年は、それでも彼女の隣を、諦めたくはなかった。
04/20-冒涜
「竜族の盟主サマなんて、信用置けないよなあ」
「ヒオウ様にもエリア様にもいい顔してさ」
人間達が聞こえよがしに言い合っているのを、鋭い聴覚は拾い上げる。胸に棘が刺さって、唇を噛み締めた時。
「では、ゼファーを信頼している私やエリア殿、軍師であるウィルも信用ならぬということだな」
安心させるように、肩に大きな手が置かれる。見上げると、紫の瞳は冒涜した連中を睨み付けている。
「そ、そういう訳では」
「申し訳ございません、ヒオウ王子!」
連中が慌てて去る。
「……ありがとう、コウ」
おずおずと礼を述べると、険の消えた瞳が、優しく笑み返してくれた。
04/21-偏在
その昔、有翼人は高い魔力を持つゆえ、フィムブルヴェートの支配者として、大陸中に遍在していた。
しかし、ウリエルというひとりの男が、破壊の使者『ユミール』と化して大陸に危機を呼んだ時、彼らは大陸の守護者『防人』を名乗って、人間に、自分達に従属してウリエルを討つことを強要した。
結局二者の関係は泥沼になり、英雄リヴァティが調停するまで、『ユミール』すら無視した争いが続いた。
戦後、人間達の冷たい視線を浴びた防人は、南方砂漠に身を退くことになる。英雄リヴァティの交渉も虚しく、防人は辺境に偏在して、覇権を取り戻す日を狙っているという。
04/22-饗宴
「なんだ、それ?」
「始祖種が受け継いでた本だってよ」
胡乱げにこちらの手元を覗き込むキルシスに、マギーはあっけらかんと返す。どれだけの年代を経たのかわからないぼろぼろの表紙には、ダイナソアの言語で『饗宴』と書かれているらしい。
「プラトンなんて、誰なんだか」
「竜族でも知らねーぞ、そんな奴」
始祖種は古代、空からやってきたという。かれらがこのフィムブルヴェートにたどり着く前から存在していた本ならば、著者はとっくに天上に昇って久しいだろう。
「で、何が書いてあるんだ?」
「わかんね。なんか言い争ってた」
キルシスの問いに、マギーは肩をすくめた。
04/23-帰趨
『ユミール』は竜の牙から作られた槍『グラディウス』と、竜王の捨て身、そして数多の犠牲の末に、地に沈んだ。
『黒き太陽』は晴れ、朝が来る。『霧』の晴れることの無い、フィムブルヴェートの朝が。
戦いの帰趨を見届けたメディリアは、もはや竜兵ではなく、竜王を受け継いで、竜族の聖域に戻った。聖域はいつも通り、静謐をもって彼女を出迎える。
竜王を守る湖面を歩いて渡り、竜王の神殿に入る。今までは、父たる先代の王しか入れなかった部屋に踏み込むと、机の上に手紙があることに気づく。
文字に目を滑らせる。
「……お父様」
独りぼっちが沁みて、ひとしずくが手紙に滲んだ。
04/24-薫風
風薫る、という表現があったらしい。初夏の爽やかさを表す風のことだという。
「この大陸が『霧』に覆われる前の話ですかねェ」
竜兵は糸目を更に細めて、口角を持ち上げる。
「ま、そんな芸術もなにもかも、『ユミール』の前にはあえなく消えるのですがねェ?」
血のにおいが充満し、ひとの変じた『鬼』がうろつく中、彼はまるで安楽椅子のように、骸の山へ腰を下ろしている。
『鬼』にとって、そして竜族にとって、互いに天敵であるはずの両者が、食らい合うことも無く。
「ああ、楽しみだ、楽しみだァ!」
両手を広げ、じっとりした、薫風無き空をあおいで、竜兵は嗤った。
04/25-眩惑
「上玉だ、逃がすなよ!」
ヴィフレスト兵に追われる美しい姉妹に、アバロンが出くわしたのは、本当にたまたまだった。
『ユミール』が関わらない人間の欲望に、竜兵が介入する義理は全く無い。だが、下賎な連中の身勝手な欲望に、辟易したのは確かだ。
翼を広げて姉妹の前に降り立ち、「目を閉じてください」と声をかける。新手にびくつきながらも、姉妹が言うことを聞いてくれた気配を感じ取ると、追手に向けて光魔法を放つ。
「このまま走って」
相手が眩惑されている間に囁くと、
「あ、ありがとうございます!」
と姉妹は駆け去った。
「さて、あとは下衆の始末だけですか」
04/26-撹乱
『霧』は、フィムブルヴェートの在り様を根底から変えるほどの脅威だ。それに触れたものを『鬼』と化し、ひとびとを襲う。
生態系を撹乱するほどのこの現象が、いつ、どうして生まれたのか、現代には伝わっていない。
「せめて、始祖種の話を聞くことができれば、真相を知ることができるのでしょうか」
モリエールが史書を閉じながらつぶやくと、教師役の義兄が、虚を衝かれたように目をみはった。
「お前は、始祖種が真実を知っていると思うのか?」
「はい」
問いかけに毅然と答えれば、義兄は苦笑する。
「自分の勘を信じるところは、姉妹揃ってか」
果たして、褒められたのだろうか?
04/27-翠緑
カワセミが、翠緑の翼をひるがえして、窓の外を飛んでゆく。
「犯人は」
少年はきらりと眼鏡をきらめかせて、師匠を見上げた。
「Bだよね」
正答だとばかりに、同盟軍正軍師は両肩をすくめる。
「もうお前に出せる推論問題は、俺すら持ち合わせていないな」
高評価に、少年は得意気に鼻の下をこすった。
軍師として寝食を惜しんで働き回っているのに、彼はこうしておしかけ弟子の勉強に付き合ってくれる。
「冷たい」
「鬼軍師」
「何考えてるかわからなくて怖い」
師匠をよく知らない連中は彼をそう評する。だが実際は、彼はそういう連中までも生かす策を、常に練っているのだ。
04/28-童心
「ゼファーが子どもになりました」
アバロンが、五歳くらいの小ささになった銀髪の竜兵を連れてきたので、ヒオウは目を点にして立ち尽くしてしまった。
「何でだ? 外界(メタ)の作用か?」
ウィルソンがよくわからないことを言って、頭を抱えている。
金の瞳がこちらを向く。その目が嬉しさ一杯に見開かれ、長兄の手を振りほどくと。
「コウー! だいすきー!!」
全体重をかけて飛びつかれた。まあ、五歳の全体重などたかが知れているのだが、動揺が過ぎてよろめきながら受け止める羽目になる。
「童心に返ったほうが素直になるものですねえ」
アバロンがのほほんと笑っていた。
04/29-腐食
進軍の途中で、古い砦にたどり着いた。変色して緑に沈んだ金属の階段を、ゼファーは駆け登る。
「わあ、すごい!」
屋上から見渡す景色は、『霧』ではるか遠くまでは見えないとはいえ、なかなかのものだ。
竜族の聖域では見られなかった光景に見入って、屋上の柵に手をかける。途端、腐食していた取っ手がぽきりと折れた。
そのまま前のめりに何も無い空中に放り出されそうだったところを、背後から力強い腕が抱き留めてくれる。
「気をつけるんだ」耳元で囁く声がする。「いくら竜兵でも、この高さではひとたまりもあるまい」
「う、うん、ごめん」
緋色の髪が触れた頬が火照った。
04/30-歪み
いつからだろう。この世界の歪みに気づいたのは。
物心つく頃には、『霧』に覆われた空に、黒い星が垣間見えていた。
その正体を知りたくて、同胞に異端と嘲られても、始祖種と交友を結び、かれらの知る天の摂理について調べきった。
調べきった結果、この歪みはひとの手では正せないと思い知った。
だから、私は破壊者になろう。
『霧』を取り込み、破壊の化身『ユミール』となって、破壊に破壊をぶつけるのだ。
私を愛してくれた女性は泣きながら、やめてくれと懇願したが、私の意思は変わらない。
どうか、現れてくれ。
『私』を制し、フィムブルヴェートを救う英雄よ。畳む
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