20:見届ける者


 ニゲルの『果て』を抜けた時、目の前に広がった光景は、争いだった。ニゲルアルブスだけでなく、ウィリディスフラーヴァルベルプルプレアの翔竜までもがこの空域に集っている。金色の空の下、様々な羽色のフテラが飛び交って、その背に乗る者達が刃を交わし、血煙が空に舞っている。
 竜神が再生させた楽土を求める為に、人間はかくも愚かな争いを繰り広げるのか。恐れすら感じて身を固くするユヅカの目を、大きいひんやりとした手が覆い隠した。
「見るな」
 イルギッドの囁きが、風に流される事無く耳に届く。
「こんな不毛な戦い、お前が見る必要はねえ」
 それに対するユヅカの応えは、彼の手に己の手を重ねて、そっと引き下ろす事だった。背後でイルギッドが戸惑う気配がしたが、「大丈夫」と、まっすぐに前を見すえて言い切る。
「これが、私がした事の結果だもの、見届ける」
 そう、そして終わらせるのだ。この不毛な戦いに終止符を打ち、新たな楽土を拓くのだ。
 ユヅカの胸に燃える決意の炎を受け取ったのだろう。イルギッドはそれきり反論もせず、フテラの手綱を握り直した。
 激しい戦いの中、他の翔竜より遙かに小さな金竜は、悠然と空を飛んでいる。導きの竜へ一番乗りを狙う者もいたが、別の誰かが追いついて斬り結び、という光景があちこちで見られ、いまだアウルムへ辿り着いた者はいないようだ。
 剣戟の音と、欲望、野望が飛び交う戦場を、茶色のフテラは必死に羽ばたいてかいくぐり、金色の竜の背中にあるドームへと突っ込んでゆく。『果て』を抜ける時の息苦しさは相変わらずだが、イルギッドと一緒なら、怖くはない。
 やがて耳の閉塞感と呼吸の困難さが終わりを告げ、ユヅカは閉じていた目を開く。そして、眼下に広がる光景に目を奪われた。
 一面の黄金色こがねいろの草原だった。空は金色に満ち、きらきらと世界が輝いている。だが、ニゲルの屋敷のような、悪趣味にぎらつく金ではない。温もりを抱き、母親の胎内にいるかのような安心感を得る、そんな優しい光であった。
「辿り着いたが、どうすりゃ……」
 イルギッドがきょろきょろと地上を見回しながら呟く。すると、ユヅカの耳に『こっち』という声が届き、視界を銀色の『タツノオトシゴ』が横切る。銀の竜は、小さな翼を羽ばたかせて、二人を誘導するように飛んでゆく。それを追ってフテラを飛ばせば、草原の先、アウルムの頭部に当たる部分に、白い大理石で形成された祭壇が見えてきた。自然に出来たにしてはきちんと祭壇の形を成しており、しかし人の手が入ったにしてはあまりにも為すがままの姿すぎる。これも竜神の御業なのだろうか。
 祭壇の端にフテラを降り立たせ、二人で大理石の床を踏みしめる。千年存続したと言われる翔竜世界の竜でありながら、千年の間誰も訪れる事の無かった場所だ。だのにこの祭壇は、砂が堆積する事も無く、風化をする事も無く、つやつやした白い表面が、アウルムの金色の輝きを受けて煌めいている。
『願って、竜使りょうし
 頭部の最上部に、竜神の像が見えてくると、周囲をふわふわ飛び回る『タツノオトシゴ』の声が聞こえた。
『この翔竜世界の争いの終わりを。そして夢見て。再生した楽土の始まりを』
 そう、それが自分の使命だ。ユヅカは『タツノオトシゴ』にうなずき返し、一歩を踏み出す。
 ところが、その瞬間、髪や服を吹き上げるような突風が、祭壇を駆け抜けた。髪をおさえて目をつむり、風が去るのを待つ。
「追いついたよ、ユヅカ。お前を誰よりも愛する私から逃げるなんて、悪い子だね」
 耳にまとわりつく粘着質な声に、背筋をぞっとさせながら目を開く。イルギッドが自分をかばうように立って剣を構えている。その向こうに、黒いフテラの姿が見える。
「悪い子には、たっぷりとお仕置きをしないといけないな」
 フテラの背には、灰色の瞳を見開いてへらりとした笑みを浮かべた、明らかに最早正気ではないと思える、ヒューゴの姿があった。

 アルブスの他部族や、ウィリディスのシェルテ族の援護を得られた事もあって、シンワ達はヒューゴの屋敷内の黒服達を駆逐しつつあった。少し目を離した隙に、意識を取り戻したヒューゴがフテラに乗って飛び立つのをみすみす逃してしまったが。
 奴はアウルムに行くだろう。イルギッドがユヅカを守り切ってくれる事を願うしか無い。
 仲間達は礼拝堂を出て屋敷内に散り、残党狩りに向かっている。礼拝堂に残っているのは、シンワとレナ、そして『ホヤ』の竜使イザベルのみであった。
「おーやおや」イザベルが、気色悪いくらい紅を塗りたくった唇を持ち上げて笑う。
「アルブスの長だっていうから、どれほど強い竜使かと思えば、ただのお子ちゃまじゃあないか」
 シンワの身体は、イザベルの『ホヤ』が形通り爆弾のように破裂した爆風と、吹き飛ばされた破片で、あちこちが傷つき血を流している。白い髪も、ところどころ赤く染まっていた。しかし彼はまだ、竜使としての力――己の砂希さかな――を、見せてはいない。
「ほらほら、早く砂希を出さないと、アタイの『ホヤ』が、あんたを破裂させちゃうよ? あの『クラゲ』の女のようにね!」
 イザベルがけらけら笑いながら『ホヤ』を投げつけてくる。だが、エリメラの話を引き合いに出された瞬間、シンワの紫の瞳がすっと絶対零度に凍った。
「レナ」
「はい」
 それまで背後にいた女性の名を呼ぶと、レナはすっと進み出て、素手で『ホヤ』を受け止めた。『ホヤ』が赤くちかちかと点滅した後、爆風が巻き起こる。だが、煙が晴れた時、レナはまだそこに立っていて、右手が吹き飛ばされているのに、痛がる様子を全く見せなかった。それどころか、血すら流れていない。
「シンワ様」
 レナが主の方を振り向き、残る左手で、首から下がっていた青い石のペンダントを外すと、そっと少年に向けて差し出した。
「ユヅカに、お別れの挨拶をできなかった事を、謝っておいてください」
「……すまないね」
 ペンダントを受け取りながら、シンワが心底済まなそうに表情を曇らせると、「いえ」とレナは微笑んで首を横に振った。
「本来ならあなた以外の人と関わる事など無かったはずの私に、人間としての楽しさを味あわせてくださった、心優しい主を持った事、本当に感謝しております」
 直後、イザベルを振り返るレナの愛らしい姿が一気に崩れた。彼女の身体を構成していた銀色の砂希が、大量の群れを成して宙に浮く。
『イワシ』
 かつて地上の海を泳いでいた魚の一種である砂希は、シンワを守るようにゆったりと揺蕩った。
「――ハア!?」
 イザベルが、心底馬鹿にした様子で、せせら笑いを放つ。
「『イワシ』!? アルブスの長の砂希が、そんな弱っちい砂希だって!?」
『イワシ』は、失われた地上の言葉で『魚』に『弱』いと書くという。実際個々はあまりにも無力で、他の魚に追われて助かる術は無いに等しかった。
 それでも、シンワは不敵に笑うのである。
「『イワシ』はたしかに弱い。だが」
 彼がすっと手をかざした途端、レナを構成していた『イワシ』の群れが、一気にイザベルに襲いかかり、悲鳴をあげようとした彼女の口に、次々と吸い込まれるように突っ込んでいった。
「群れれば最強だ」
『イワシ』の群れは、イザベルの気道を完全に塞いだ。息が出来ずに目をむき、もがくように振り回した手に、何とか『ホヤ』を生み出そうとする。だが、砂希は実体を成そうとしては消えて、彼女の思うようにはならない。
「苦しんで息絶えろ」
 下種を見下す冷たい瞳で、シンワは宣誓した。
「エリメラの味わった痛み苦しみは、この程度じゃあない」
 やがて女の動きが止まり、白目をむいて、ゆっくりとあおのけに倒れてゆく。それでもしばらくの間、『イワシ』の群れはイザベルの気道を塞ぎ続けたが。
「もういい。死んでいる」
 シンワが背を向けて呟くように告げると、『イワシ』は絵筆を走らせるかのごとく流線を描いて、イザベルの口から宙に飛び出し、砂になって消えた。
「……エリメラ、仇は討ったよ」
 既に亡い女性の名を舌に乗せ、しばらくうつむいた後、シンワは上空を見上げる。金色の空で、翔竜に住む者達が争い続けている。
 この戦いを、ユヅカ達が終わらせてくれる事を、切に願う。ヒューゴが後を追っただろうが、イルギッドが勝利を得る事を、心から願う。
 かつてヒューゴのように一人に執着した挙句、取り戻せないと知った時に嘆き狂い果て、世界を壊した。その贖罪として、全ての再生を見届ける為に、自分は姿と名を変えて、千年近い間、この翔竜世界を生き続けたのだから。

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