15:巡る思い出


 初めての邂逅は、六歳の時だった。
 大人達に取り押さえられ、手に木枷を、首に砂希の能力を封じる首輪をはめられた少年は、捨て子だった自分に本当の名前と年齢などわからないと、ただ『カニス』という名だけを与えられたと吼え、さながら餓えた犬のようにぎらぎらした青の瞳で、こちらを見すえていた。
『姫様、それ以上近づいてはなりませぬ』彼を引き立ててきた大人の一人が、今にも噛みつきそうな少年の肩をおさえつける。『ニゲルの狂犬です故に』
 だが、自分は歩を止めなかった。立て膝状態の少年を少しだけ見下ろす位置に立って、小さな両手でその頬に触れる。
『じゃあ、わたしが名前をあげる』
 途端に目をみはる少年の額に口づけて、神聖なもののように、その名を宣誓する。
『イルギッド。あなたは、イルギッド』
 イルギッド、と少年が口の中で小さく繰り返す。その両目から、つっと伝い落ちるものがある。
『イルギッド。わたしのおにいちゃんになって』
 大人達がざわめき、少年が涙を流したまま瞠目する。
『……だめ?』
 不安を感じて少年の顔を覗き込むと、唖然とした表情で返された。
『お前に危害を加えようとした奴を、迎え入れようってのか』
 難しい事はわからない。ただ、自分には特別な力があるから、十八歳になるまでシェルテから出ないように、外の人間に見つからないように、と周囲に言い聞かされて育ってきた。両親は既に亡く、周囲の人々は優しく温かいが、自分を『姫様』と崇め立てて、決して対等には接してくれない。
 だが、この少年なら、自分と同じ目線で物を見てくれると、憧れた『きょうだい』のように付き合ってくれると、幼い心で期待をかけたのだ。
『……後悔するんじゃねえぞ』
 少年が顔を伏せて、自嘲気味に口元を歪める。長い前髪に隠れて、どんな目をしているかはわからない。だが、それが了承の返事である事だけは、理解した。

『ユヅカの髪は太陽に照らされると、金色に光って、綺麗だな』
 あの日から、あっという間に身長の伸びた彼が微笑う。二年を共に過ごす間に、随分と穏やかな口調になって、笑顔を見せるようにもなってくれた。
『普段の色は好きじゃないわ』
『俺は好きだ』
 ゆるくふたつに結わいた杏子色の髪を見下ろし、溜息をつくと、自分より遙かに大きな手が、頭を撫でてくれる。
『それに、瞳も。琥珀の色だ』
『コハク?』
 知らぬ言葉に小首を傾げると、『ああ、ウィリディスには存在しねえか』と、彼は顎に手をやり、説明する言葉を探しているのだろう、考え込む素振りを見せた。
『長い年月を経て固まった樹液だ。宝石と同じ価値があって、中に葉や虫を閉じ込めた珍しい物ほど、重宝される』
『イルギッドは、私の目が葉や虫を閉じ込めてるとでもいうの?』
 褒め言葉になっていない、と頬を膨らませると、両頬を手でおさえられて、『ぷう』と空気が漏れた。
『ユヅカの瞳は綺麗だよ。俺の好きな色だ』
 淡い青の瞳に真正面から見つめられて、彼の手が触れた所から熱が広がり、心臓がばくばく言う。兄の役目を求めた相手に、こんなふうに心ときめく事があるのだろうか。大人達は教えてくれない。
『今日も競争といこうか』
 手が離れ、顔も遠ざかって、彼は緑の空を見上げる。
『お前の「タツノオトシゴ」と、俺の「シャチ」。どちらが空を泳ぐのが速いか!』
 その一声と共に、白と黒の『シャチ』が空中に姿を現す。
『負けないんだから!』
 応えて、銀色の『タツノオトシゴ』が現れる。大人達に見つかれば、『無闇に竜使りょうしの力を使ってはなりません!』とこっぴどく叱られるが、二人きりでしかできない秘密の遊びは、楽しくてやめられない。
『行くぜ』
 彼がにやりと笑うので、こちらも不敵な笑みで返す。
 二匹の砂希さかなが、シェルテの空を自由に駆けた。

 死屍累々。本の中でしか読んだ事の無い言葉が似合う光景だった。
 突然草原に現れた黒服の男達数人。それを、彼が『シャチ』を操って一人で片付けた。文字通り、「片付けた」という言葉が当てはまるほどに、残酷に。
『シャチ』によって四肢や頭を失った死体の中に立つ彼は、淡い青の瞳にぎらぎらした炎を燃やして、荒い呼吸を繰り返している。寄らば斬る、といった態に、大人達の誰もが手を出しあぐねている。
『やはり狂犬は制御出来ないか』
『あの状態のところに下手に近づけば、「シャチ」に喰われる』
『ここから射殺すしか無いな』
 そんな囁き合いを聞いて、頭が考えるより、身体が先に動いていた。
『姫様!?』
 誰かが悲鳴じみた声をあげるのを置き去りにして、彼の背にしがみつく。途端、苛烈な視線がこちらを射抜き、唸るような声が発されたが、怯む事はしなかった。
『落ち着いて、イルギッド』
 願うように、声をかける。
『私は大丈夫だから。だから、もういいの』
 その声が届いたのだろうか。ふっと、青の瞳から炎が立ち消えた。
『深呼吸して』更に言葉を重ねる。『数を数えよう。「シャチ」にも落ち着いて、って言おう』
 ひとつ、ふたつ、みっつ。彼と共に唱える。すると、『シャチ』がどこか弱々しく鳴き、砂に還って消えた。
『……悪い』
 済まなさに満ちた声が耳を撫で、頼りがいある腕が、そっとこちらを包み込んでくれる。
『お前を守らなくちゃいけないのに、お前に助けられた』
『お互い様だよ』
 いつも不遜な彼が、珍しく萎縮しているのが、何だか滑稽にすら思えて、くすりと笑いを洩らす。
『いつもあなたに助けられているんだもの。たまには、私にもあなたを守らせて』
 背中に回した手に力を込めると、より強く抱き締め返される。
『……』
 彼が発した声は、音として耳に届かない。だが、唇はたしかに、
『ありがとう』
 と動いた気がした。

 血だまりの中に彼が沈んでいた。生きているのか、死んでいるのかもわからない。彼の『シャチ』は消え、砂の名残だけが踏みしだかれた草の上に広がっている。
『さらってくるのに失敗して死んだのかと思っていたら、呑気に標的の「兄」などという立場を謳歌していたとはな』
 赤い炎が草原を焼く中、同じくらい赤い髪をした男が、灰色の瞳を細めてにやにや笑い、靴先で彼の頭を小突く。
『狗らしく何も考えずに従っていれば良かったのに、人間並の生活を送ろうなどと、小賢しいものよ』
 男の傍らには、やたら大きな眼球を持った砂希が浮いている。底知れぬ不気味さが、男が決して味方ではない事を現している。
『捨てろ』事も無げに、男は傍らに控える、黒服に身を包んだ部下に告げた。『ウィリディスの外へ。命令に従わない駄犬に用は無い』
 黒服達が彼の身体を引きずってゆく。いなくなってしまう、彼が。
『イルギッド! イルギッド!!』
 彼の名を呼んで泣きじゃくっても、自分を背後から羽交い締めにする黒服は、少しも力を緩めてはくれない。大人達は、黒服達に剣を突きつけられて、誰一人動く事がかなわない。
『あいつはもういない。でも、悲しむ事は無い』
 血に塗れた男が振り返る。邪神のごとき凶悪な笑みをたたえて。
『これからは、私がお前の「兄」となろう』
 答えは、ぎんと相手を睨み返し、『タツノオトシゴ』を呼び出す事だった。だが、男は興味深そうに目を丸くした後、その目を愉快げに細めた。
『本当にお前が伝説の「タツノオトシゴ」の竜使なのだな。だが』
 巨眼の砂希から、黄緑色の光線が放たれ、『タツノオトシゴ』を容易く射抜く。砂希の受けた傷は竜使にも連動する。胸に激しい痛みを覚えて、悲鳴をあげた。
『タツノオトシゴ』が力を失い、砂に返ってゆく。それと同時、意識も遠ざかってゆく。
『記憶操作をしておかねばな。あれの記憶を全て消せ。代わりに私の存在を植えろ』
 男が部下達に、事も無げに淡々と指示する声を聞いたのが、最後の記憶だった。

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