13:襲撃


 街の入口で待っていたエリメラは、ユヅカとイルギッドの姿をみとめると、にこにこ笑いながら手を振った。が、ぴりぴりした空気をまとわせた二人の様子に、ただならぬ事が起きたのだろうと悟ってくれたらしく、ふっと笑みを消す。彼女は深く追及する事は無く、「行こう」と簡潔に言ってフテラに乗った。
 エリメラの荷物が重たい分、行きより少しだけ時間をかけて、アルブスに帰還する。最早、出立時のような昂揚感は無かった。相変わらず自分は『タツノオトシゴ』の竜使りょうしとして様々な勢力から狙われている。それにイルギッド達を巻き込んでしまっている。その申し訳無さが先に立って、外出が楽しかった気分など吹き飛んでしまった。
「おかえり」「おかえりなさい」
 屋敷に帰り着くと、上空からアルブスに突入するフテラを見届けたのだろう、シンワとレナが外まで出迎えにきてくれた。
「プルプレアも気づいてた」
 フテラの背から軽やかに降りたイルギッドが、ユヅカに手を貸しながらシンワに報告すると、少年は顎に手をやり、「そうか」と思案顔を見せる。
 彼らに苦労をかけているのは本当に後ろめたい。だが、それももうすぐ終わるのだ。街竜で出した手紙が兄ヒューゴのもとに届けば、彼が迎えにきてくれる。そうすれば、ウィリディスに連れ帰るなり、シンワ達と手を組むなり、兄がユヅカを守る対策を講じてくれるだろう。この屋敷の人々にかける負担は減るのだ。
 ユヅカはフテラから降りてひとつ息をつき、腰のポーチに大事に仕舞い込んでいた物の存在を思い出す。
「レナ」
 シンワの隣に立つ彼女に小走りで近寄って、不思議そうに小首を傾げる眼前に、青い石のペンダントをぶら下げる。
「約束のお土産。お揃いよ」
 空いている方の手で、自分の首からかかったペンダントを示してみせると、レナは二、三回瞬きした後に、おずおずと手を伸ばして、『お土産』を受け取った。まるで初めてアクセサリに触るかのように、おっかなびっくりペンダントを身につける。彼女の胸元で、青い石が白い太陽光を受けて、きらりと輝いた。
「ありがとうございます、ユヅカ。本当に嬉しいです。一生大事にしますね」
「そんな、大げさよ」
 レナがさらりと肩に髪を流して頭を下げる。銅貨数枚の玩具おもちゃにも等しい安物を一生大事にするなどと、随分重たい事を言うものだと、ユヅカは逆に恐縮してしまった。
「とりあえず、荷物を片付けたら、皆で午後のお茶にしようか。初めての遠出の上に襲撃を受けて、ユヅカも疲れただろうから、気持ちを静めるといい」
 シンワに促され、レナやエリメラが屋敷の中へと入ってゆく。
「行くぞ」
 ユヅカもイルギッドに背中を軽く押されて、歩き出すのであった。

 夜が訪れる。
 焚かれた火の明かりが闇を照らす中、男にしては細長い指が、安っぽい紙に綴られた文字を辿る。筆跡からわかる。これは誰よりも愛しい彼女の字だ、間違い無い。そこに書かれた事象を把握すると、手紙を持つ手が震え、肩が震え。
「……ふ」
 薄い唇が、三日月を描いた。
「ふふ。ふはは。あはははは」
 まるでとても楽しい出来事があったかのように、椅子に座した男はのけぞって笑う。その足元には、手足を縄で拘束された男女複数人が転がされ、黒服をまとった男達が、彼らの首筋に剣を突きつけていた。
「私のいない間に上手くやったつもりかい?」
 まだ肩を揺らしつつ、男は灰色の瞳を細め、それから、大きく見開く。
「残念だったね、どうやら運命は私の味方のようだ!」
 子供のようにけらけらと笑いながら、男は手紙を火にくべた。安物の紙に火は容易く移り、めらめらと燃えながら床に落ちる。それを合図にしたかのように、黒服達が剣を振りかぶり、直後、断末魔の悲鳴と、血のにおいが、その場に満ちた。
「行くぞ」
 男はふらりとよろめくように立ち上がったが、意外にも、しっかりと地を踏み締める。長靴ちょうかの底に死者の血がついたが、構う事無く言葉を継いだ。
「ああ、ここは燃やしておくんだ。これ以上余計な邪魔をされないように」
 にたり、と。唇をめくり上げて、彼は心底嬉しそうに笑い、無邪気に宣告する。
「あのがここにいなくなった以上、もう生かしておく必要も無い。皆殺しだよ」
 大事に大事に飼っていた小鳥を逃がした愚か者は、断罪しなくてはならない。そして、逃げた小鳥は手元に取り戻して、今度こそきちんと鳥籠に仕舞って、厳重に鍵をかけておかなくてはならない。
 男は、それが正しいと確信していた。

 更に数日が過ぎた。
 日が暮れれば、白い空も黒に変わり、天空の星々が煌めいているのが、自室の窓から見える。
 草原にいる頃はそれが当たり前だと、気にも留めていなかった。『果て』のドームに覆われた空からは、どれだけの光が透過して、外の世界の光景が見えているのか。また、翔竜によって空の色が違うのは何故なのか。疑問は尽きない。
『翔竜のドームによって、反射する光が異なるのです。竜神がそう創られたと伝承にはありますし、人工の街竜はたしかに反射ができずに銀色の空をそのまま映し出しますが、真実は闇の中ですね』
 セエタ女史がお茶をすすりながら、ユヅカの疑問に答えてくれたのを思い出す。最初は礼儀に口うるさい、少し怖い女性かと思った。しかし、向学心を見せる質問をすると、嬉々として己の知識を語ってくれる、勤勉家なのだとわかった。
 スペンサーも普段は無言でとっつきにくいかと思った。しかし、レナと共にマレーの師事を仰いで作ったクッキーをお裾分けにいった時には、鷲鼻の先を朱に染めながら、「……ありがとう」とやたらか細い声で礼を述べたので、単なる照れ屋らしいと判断した。
 この屋敷の人々は優しい。自分が狙われている身である事を忘れるくらいに、温かい気持ちで心を満たしてくれる。
 だが同時に、いつまでも甘えてはいけない、という想いも宿る。やはり、一日も早くシェルテの草原に帰りたい。皆の無事を確かめた後は、緑の空の下を、羊を追いながら走り回りたい。
(ヒューゴ兄様)
 窓際を離れ、寝台に腰掛けて、ふかふかの枕を抱き締めながら、想いを馳せる。街竜で託した手紙は、そろそろ兄の手元へ届いただろうか。シンワ達と別れる事になるのは寂しいが、やはり一刻も早く兄のもとへ戻りたい。枕を抱く腕に力を込めた時。
「ユヅカちゃーん。いる?」
 軽快な声と共に、部屋の扉が叩かれた。在室の応えをすると、扉が開き、エリメラが茶器と菓子皿の載った盆を手にして入ってくる。
「いやあ、何だか眠れなくてさ。ちょっとお喋りに付き合ってくれない?」
 年頃の女性なのに、少女っぽく茶目っ気を帯びた笑みを見せる彼女につられて、「いいですよ」とユヅカも相好を崩す。二人でテーブルに着けば、エリメラが、ルイボスをミルクで割った、睡眠の妨げにならない茶をカップに注ぎ、メレンゲを使った焼き菓子を盛った皿を置いた。
「いただきます」
 頭を下げて、茶に口をつける。甘い香りづけをしたルイボスティーにミルクは良く合い、メレンゲのクッキーは、口に含んだ途端にほろほろと舌の上でほどけて、後に残る細かいナッツの食感を引き立ててくれる。
「美味しい!」
 思わず素直な感想が口から飛び出す。エリメラは「まあ、あたしは料理がからきしだから、マレーに頼んで用意してもらったんだけどね」と、苦笑いを浮かべた後、神妙な顔つきになった。
「街竜での事は、イルギッドから聞いたよ。あいつ、ユヅカちゃんを危ない目に遭わせたせいで、相当凹んでるからねえ」
「そんな」
 やはりイルギッドの心情がわからない。何故彼は、普段は凶暴な面を見せるくせに、最近はユヅカの事に関してそんなに気を揉むのだろう。小首を傾げると。
「やっぱりユヅカちゃんにはわからないかあ」
 エリメラはくすぐったそうな表情をして、そう呟くと、茶を口に含んで飲み下した。
「早くちゃんと言えばいいのに、あの馬鹿」
 ぼそり、そう付け加えて。
 一体エリメラ達は何を知っているのだろう。問いかけようと身を乗り出した時。
 ごとん、と窓の外から何かが部屋に飛び込んできた音がした。蝙蝠でも迷い込んでしまったのだろうか。そう思った視界に入ってきたのは、床に転がる、拳大の赤い果実のような物体。そして、驚きに目を見開くエリメラの横顔であった。
「ユヅカちゃん、下がって!」
 いつに無い切迫した声で彼女が叫び、ユヅカの前に砂希さかなの『クラゲ』を展開させる。そして自らは椅子を蹴って走り出し、床の上の赤い物体をつかんで、窓の外へ投げようと振りかぶる。が、彼女の手を離れるより早く、赤いそれがちかちかと光って。

 轟、と激しい爆発音を立て、熱風が吹き荒れた。

 吹きつけた衝撃に、ユヅカの軽い身体は跳ね飛ばされ、床に叩きつけられる。痛みに耐えながら、つむってしまっていた目を開けば、『クラゲ』が半透明になりながら、ゆらゆらと頼り無く揺れていた。
 それの主の方へ目を向ける。そして、繰り広げられていた光景に、ユヅカは驚愕で目を見開き、唇を震わせて言葉を紡ぎ出せなくなってしまった。
 絨毯が、大量の果実酒をこぼしたかのごとく真っ赤に染まっていた。その中心に、あおむけに倒れている人物は、右腕が失われ、胸から腹にかけての肉もごっそりと奪われて、骨と内臓が見えている。
「ユヅカ、ちゃ……」
 口から大量の血を吐きながら、黒い瞳がこちらを向く。
「逃げ……早く……皆のところ……」
 それきり言葉が途切れ、瞳から光が失われる。それと同時に、『クラゲ』がぐんにゃりとうなだれ、砂と化して床に崩れ落ちる。ユヅカはその光景を前に、がくがくに震えて、目を逸らす事がかなわなかった。
 エリメラ。今の今まで、一緒にお茶をしていた。話をしていた。笑っていた。その彼女が、もう二度と物言わぬ肉塊へと一瞬で変貌した。その事実に、頭がついてこない。心が現実を受け止める事を拒否する。
「ユヅカ!」
 ばあん! と、荒々しい音を立てて扉が開き、レナがおっとりした彼女にしては珍しく慌て切った様子で飛び込んできた。
「襲撃です、『黒の竜ニゲル』の」
 そうして彼女は、ユヅカの腕を引く。
「今、イルギッドとサトムが敵を迎え討っています。ユヅカはシンワ様のところへ避難してください」
「でも」
 エリメラは自分を守って死んだ。彼女をここに置き去りにするなんて、できない。
 だが、そんなユヅカの心情もわかりきっているとばかりに、レナはユヅカの肩をつかみ、真正面から向き合って、翠の瞳を細め、強い調子で言い含めるのだ。
「エリメラの犠牲を無駄にする気ですか。彼女に報いたいのなら、今はここから逃げて、安全な場所へ避難するべきです」
 正論を言われては反論の余地も無い。レナに手を引かれて部屋を去ろうとし、一度だけ振り返る。絨毯に広がる赤を目に焼きつけ、ユヅカは廊下へと出た。
 喧噪と、剣戟の音が耳に届く。本当にこの屋敷が襲撃を受けているのだという事実に、身がすくんだが、何とか己を叱咤して、足だけは止まらないように走り続ける。
 だが、階下へと続く階段を降りようとした時。
「ユヅカ!」
 レナが手を離してこちらをどんと突き飛ばす。床に尻餅をつきながら見た光景は、黄緑の光線が闇を薙いでレナの胸を貫き、彼女が目を見開きゆっくりとくずおれてゆく光景だった。
 エリメラに続き、レナまでも、ユヅカを守ろうとして倒れた。頭の中がぐちゃぐちゃで、次に何をすれば良いのか、もうわからない。混乱の極みに達したユヅカの耳に。
「ユヅカ」
 甘ったるいくらいに優しく自分を呼ぶ声が滑り込んできた。よく聞き慣れた、誰よりも聞きたかったはずの声だ。
 のろのろと、声の方へ視線を巡らせる。
 癖のある赤い髪。いつも優しくユヅカを見つめていた灰色の瞳は、しかし今、何だか知らない他人のように思える。
 唇をわななかせながら、相手の名を呼ぶ。
「ヒューゴ……兄様」
 あんなに会いたかった兄は、どこか白々しい笑みを浮かべて立っている。その傍らには、大きな黄緑の眼球を持つ生物――明らかに砂希――を従えていた。

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