12『紫の竜プルプレア』の影


 イルギッドの行きつけだという食堂は、草原ではお目にかかれなかった食材を利用しており、また、シンワの屋敷でマレーが作る食事とも違った。店の一推しだという、牛肉と野菜を香辛料に浸けてじっくり煮込んだルウを米飯にかけた料理は、辛くて辛くて口から火を噴きそうになった。しかし、一緒に出てきた牛乳を発酵させた飲み物が、口内をまろやかにすすいで、丁度良く釣り合いを取ってくれた。
 食事の後は、イルギッドと手を繋いでぶらぶらと街を散策する。行き交う人々の服装や髪型は様々で、本当にこの街竜が、各地から人が集ってくる場所なのだという事実を、まざまざと見せつけてくれた。
 きょろきょろと通りに面した店を見回しながら歩いていて、ユヅカは一つの店に気を惹かれて立ち止まった。先へ進もうとしていたイルギッドが、たたらを踏みかける。
「何だよ?」
 青年に問われて、ユヅカが指差したのは、アクセサリの露店だった。広げた茣蓙の上と、壁に立てかけた板に、指輪やネックレス、ブレスレット、イヤリングが、所狭しと並べられている。ほとんどが、純正ではなさそうな銀や、曇りの入った天然石をあしらった安物だが、その中で二つだけ、飛び抜けて輝きを放つ青い涙型の石がついたペンダントがあった。
「レナにお土産を買っていくって約束したから」
 そう笑みかけると、イルギッドは察してくれたらしい。露店の店主に声をかけて、財布から銅貨を数枚支払った。
「お揃いかい? 羨ましいこったね」
 口に煙草をくわえていた小柄な男店主は、すうーっと煙を吐き出してから、にやにや笑いを浮かべている。彼の言葉の意味がわからなくてきょとんとしていると、イルギッドが青い石のペンダントを二つ、ユヅカの掌に落とした。
 一瞬、呆けてしまったが、彼が、レナだけでなくユヅカの分までペンダントを買ってくれたのだと気づくと、「そんな!」慌てて彼の顔を見上げた。
「私だってシンワにお小遣いをもらってきたもの。自分の分は自分で買うわ」
「いいんだよ」
 そんな彼女に、イルギッドはごく柔和な笑みを見せる。
「お前が喜ぶなら、俺は何でもしてやりたいんだ」
 何故、そんなに優しく笑えるのか。何故、出会ったばかりのユヅカの為に、そこまで気を回してくれるのか。しばしぐるぐると考えて、竜使りょうしの同情だろうか、と思い至る。彼もエリメラやサトムのように虐げられたのだろう。いきなり竜使の力に目覚めたユヅカを心配してくれているのかもしれない。
 そして、ちくり、と胸に刺さる小さな針がある。彼のユヅカに対する感情は、あくまで好意ではなく、厚意なのだと。そう思うと、物寂しさがこみ上げてくる。どうしてそんな風に思うのかわからないまま、ユヅカは「ありがとう……」と細い声で礼を述べる。そして、ペンダントの一つを腰のポーチに入れ、もう一つを自分の首からさげる。彼の瞳と同じ色の石は、銀色の太陽光を受けて、きらりと輝いた。
「似合ってるぜ」
 イルギッドが口元をゆるめる傍らで、「あー……。お二人とも鈍感かあ」と、店主がぷかあと煙の輪っかを吐いたのだが、ユヅカもイルギッドも、意図が判然としない、という顔をして彼を見やる。店主は眉を垂れて両肩をすくめたのだが、その反応の意味も理解出来なかった。
「まいどあり。せめて次に来る時にはもうちょい進展をなあ」
 呆れ半分からかい半分の店主に見送られて、露店を離れる。またしばらく大通りを行ったところで、イルギッドが唐突に言い出した。
「広場へ向かうか。この先真っ直ぐだ。人は相変わらず多いが、屋台もあるし、ベンチにでも腰掛けて何かつまんでいればいい。時間を潰すにはもってこいだ」
 わざわざ道を迷わない場所の事を言い出すとは何なのだろう。不思議顔で見上げようとすると。
「振り返るな。立ち止まりもするな」青年が前を向いたまま、低く鋭い声で囁いた。
「つけられてる。三人。格好から、恐らく『紫の竜プルプレア』の連中だ」
 ぞっと、怖気が背中を這い上がる。街での出来事が新鮮で楽しすぎて、自分が狙われている身だという事を忘れていた。恐らく、アルブスを出た時から密かにつけられていたのだろう。そして悟る。彼らから逃れる為に、人目のある広場へ向かおう、という、イルギッドの提案だったのだと。
「みっつ数えたら手を離す。そうしたら全力で走れ」
 言われた通り、頭の中で数を数える。
 一、二、三。
「――行け!」
 イルギッドが手を離して叱咤すると同時、ユヅカは地面を蹴って走り出した。周りの者達が何事かとユヅカを見やるがお構い無しだ。草原で羊を追っていたので、体力にはそこそこの自信がある。だが、布地の多いスカートが足にまつわりつき、初めての慣れないブーツは痛くて、いつも通りに走る自由を奪ってしまう。
 あの場に残ったイルギッドがどうしているか。不安はよぎったが、今は彼を信じるしか無い。広場はまだか。息があがり、走り続ける事を困難にする。
 彼と示し合わせた事を反故にするのは気が引けたが、今はどこかの店の客に紛れ込んで、敵をやり過ごすべきだ。そう判断したユヅカは、封筒の看板が見える店の扉を迷わず開けた。
 扉に提げられたベルがカランカランと鳴って、閉める時にまたひとつ大きく鳴く。しばらく扉に背を預けて、乱れた息を整えていたが、ようやく店内に目を向ける余裕が出てきた。
 昼の陽光が窓から差し込むカウンターに、一人の白髪白髭の老人が座って、何か書き物をしている。彼は今更気づいたようにのろのろと顔を上げると、手にしているペンでがりがりと頭をかいた。
「何だあい、息せき切ってえ。急ぎの手紙なら申し訳無いがねえ、今日の集荷はさっき終わったよお」
 妙に間延びした喋り方に脱力しそうになるが、ユヅカは老人の言葉を咀嚼して、ある可能性に思い至った。
「あの、ここは手紙を届けてくれるんですか」
「何だあい、あんたあ、表の看板見たんじゃあないのかあい。それ以外の何だってんだあい」
 怪訝そうに眉根を寄せる老人に言われて、思い出す。そういえば、封筒を描いた看板がぶら下がっていた。ここは郵送物の集配所なのだ。それに気づいた途端、ユヅカの胸に、一縷の望みが灯った。身を乗り出すようにカウンターに取りつき、真剣な表情になる。
「他の竜にも手紙を届ける事は出来ますか?」
 いきなり食いついてきた少女に、老人は多少怯んだようだったが、すぐに気を取り直すと、「そうさねえ」と料金一覧らしき表を取り出す。
「この街竜の航路にもよるからなあ、いつ届くとは言えんけどお、近くさえ通ればあ、どこの翔竜にも届けるけんよお」
 料金表を見る。今ポーチに入っている小銭で、目的地まで届く。活路が開けた、と思った。ユヅカは「紙とペンはありますか!?」と老人に更に詰め寄ると、「便箋と封筒は別料金だがねえ」とやや引き気味の彼から一式を受け取る。自分が無事でいる事、アルブスのシンワの屋敷にいる旨を手短に書く。そして封をして、
「これを、ウィリディスのシェルテ族の長、ヒューゴに届けてください」
 と、代金と共に老人に預けた。
 これで兄のもとに連絡が行く。兄が迎えにきてくれる。草原に帰れる。その安堵で胸が一杯になり、走ってきた疲れもどこかへ吹き飛んでしまった。
 そして、いつまでもここで時間を浪費していてはいけない、と気づく。イルギッドも広場に着いているかもしれない。自分が広場にいなければ、彼を心配させるだろう。ユヅカは老人に頭を下げて、もう一度ベルを鳴らしながら郵便屋を出た。
 周囲を見渡してみても、追っ手らしき姿は見とめられない。何とかまいたようだ。広場はこの先真っ直ぐだとイルギッドは言っていた。そちらに向かおうと足を踏み出した時、建物の陰から伸びてきた手に、ユヅカは口を塞がれ、物陰に引き込まれた。
「ん……むうっ……!?」
 身をよじって抵抗しようとすると、両手首を掴まれ、後ろ手に回される。
「ったく、手間かけさせやがって」
 毒づく男声は、耳に覚えの無いものであった。プルプレアの追跡者か。ここに飛び込んだ事はばれていたらしい。
「あの男に仲間はやられちまったが、『タツノオトシゴ』の竜使を連れ帰れば、上々だろう」
 そして男はずるずると裏道へユヅカを引きずってゆこうとする。完全に自分の失態だ。表通りから外れて行方不明になってしまえば、誰もユヅカを見つけてくれないだろう。
(イルギッド)
 危機に瀕して脳裏に浮かんだのは、兄ヒューゴではなく、ざんばら黒髪と青い瞳の、背の高い青年の姿であった。
(イルギッド)
 涙目になりながら心で名前を呼ぶ。果たしてそれが竜神の御許に届いたのだろうか。
「――ユヅカ!」
 誰よりも聞きたかった声が鼓膜を叩き、紺色の衣の裾が翻る。現実に姿を現したイルギッドは、地面を蹴って軽々と跳躍すると、壁に足をかけて方向転換した。唖然とする誘拐犯の頭上さえ飛び越えて背後を取り、男のこめかみ目がけて容赦無く肘を叩き込む。「ぐはっ」という悲鳴と共に手の力が緩んだ隙に、ユヅカは急いでその手を振りほどき、距離を取った。
「こ、この野郎……!」
 ふらつきながらも一撃では気絶しなかった男は、腰の短剣を抜き放った。建物の隙間から降り注ぐ陽光に照らされた剣呑な輝きに、ユヅカは息を呑んで身をすくませる。だが、イルギッドは顔色ひとつ変えずに、素手で相手を待ち受けた。
 めちゃくちゃに喚きながら、男がイルギッドに斬りかかる。青年は刃が自分の身に届く寸前まで微動だにしなかった。しかし、切っ先が左頬をかすめた瞬間、鋭く目を細めて両腕で男の腕を抱え込み、ひねり上げる。ごきゃ、と確実に何かの骨が折れた音がして、敵が更なる叫びをあげて短剣を取り落とした。すぐさま離した手で拳を作り、下から突き上げるように相手の顎へ叩き込む。全力を込めた一撃は顎骨を砕いたのだろう。男は白目をむき、泡を噴きながらその場に崩れ落ちた。
 瞬く間に終わった立ち回りに、ユヅカは思わず唖然としてその場に立ち尽くしてしまう。そこに、イルギッドの青の瞳がぎんとこちらを向いたので、直感的に、怒られる、と感じ、身をすくめて、皺が寄るほどにスカートを両手で握り締めた。
 ところが、覚悟した叱責が降ってくる事は無かった。イルギッドは、早足に近づいてきたかと思うと、力強い腕の中に、ユヅカを包み込んだのである。
「悪かった」
 後悔をにじませた声が、耳に滑り込んでくる。
「俺が至らなかったばかりに、お前を危険な目に遭わせた」
「……そんな。それよりも、私のせいで、あなたが傷を」
 首を横に振り、手を伸ばして彼の左頬から流れる血を拭う。呑気に時間を浪費し、油断してさらわれかけた上に、イルギッドに怪我をさせたのは、ユヅカの過失だ。彼が責任を感じる必要など無いのだ。だのに彼は、ユヅカを抱き締める腕の力を強めて、きつく目をつむり、歯噛みする。
「またお前を失うような事があったら、俺には生きている資格なんて無いんだよ」
 ふと、疑問が浮かぶ。彼とは先日出会ったばかりだ。それなのに「また」とは一体何だろうか。それに、何故彼は、生きている資格の是非を問うほどまでに、ユヅカの安否を案じてくれるのか。
 疑念が膨らんだ瞬間、視界に紗がかかった。ここではない光景が、ユヅカの脳裏をよぎる。
『イルギッド。あなたは、イルギッド』
 子供の声が聞こえる。ぼろぼろになった、黒髪に青い瞳の少年が、涙を流しながら呆然とこちらを見つめている。
 これは一体何なのか。既視感の正体を探ろうと心の手を伸ばしたが、その途端に頭がずきりと痛んで、少年の姿はかき消えてしまった。
「……大丈夫か?」
 イルギッドの声が、ユヅカを現実に引き戻した。視界の紗は取り払われ、青年が心配顔でこちらを見下ろしている。こくりとうなずき、それから、彼の腕の中にいる事実が今更恥ずかしくて、彼と自分の間に手を挟み、距離を取った。
「とにかく、もうこの街にいるのは危険だな。エリメラと合流してアルブスに帰るぞ」
 その言葉に、ユヅカはまだちくちく痛む側頭部をおさえながら、弱々しく首肯するのであった。

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