11:たまには状況を忘れて


 灰色の街竜の『果て』は、翔竜のように上空が柔らかく造られていない。そもそも、竜神の力で生み出されたと言われている翔竜達とは事なり、街竜は、姿こそ翔竜を模しているものの、人工的に造られたという。半永久的に動く機関と油の血液を持ち、『果て』は太陽光を透過する強化硝子で、そのあちこちに、他所からやってきた者がフテラで入れる程度の穴が空いている。その穴を通って、二羽のフテラは街へと降りていった。
 街の入口でフテラを預け、門をくぐる。途端、ユヅカの見た事の無い光景が眼前に広がった。
 広い道が東西南北に張り巡らされ、多くの人が行き交っている。そこに、煉瓦組の建物が乱立し、様々な文字やシンボルが描かれた看板が軒先にぶら下がっている。八百屋、肉屋、薬屋、武器屋、食堂、洋服店、金物屋、本屋。ざっと読み取れるだけでもそれだけあって、頭がくらくらしてしまう。
 道の脇では、ターバンを巻き独特な模様の布で作られた服を着た商売人が、何に使うのかわからない小物を茣蓙の上に広げている。他の翔竜から来たのだろうか。今は物珍しそうに覗き込む男女に向け、小物の一つを手に、早口で何かを説明している。
 反対側では、豊かな胸や細い脚を強調する服をまとった踊り子が、傍の石に腰掛けた青年が奏でる弦楽器の曲に併せて長い薄布を翻し、優雅な舞を披露している。そこそこ人が集まり、地面に置かれた金属の桶には、鑑賞料の貨幣が結構な金額入っているようだ。
「まずは、ユヅカちゃんの服を見にいこうか」
 きょろきょろと周囲を見渡して呆気に取られていたユヅカの耳に、エリメラの声が届いたので、ようやっと我に返る。視線を向ければ、彼女は「こっちこっち」と笑顔で手招きしていた。
 後を追おうとして、すっと掌に滑り込んできた感覚に、ユヅカは驚いて隣を見上げた。頭ひとつ分高い位置から、淡青の瞳がこちらを見下ろしている。
「人が多くて、迷子になったらことだからな。俺では嫌だろうが、はぐれない為に我慢しろ」
 申し訳無さそうに苦笑するイルギッドの表情を見て、「い、嫌じゃない!」とうわずった声が出てしまう。嫌な訳ではないが、兄以外の男性と手を握る経験など、ユヅカには覚えが無い。すらりとした長身の割にごつい手は、前もそう感じたが、とてもひんやりしている。
『手が冷たい人間は、心が温かいと言うからねえ』
 かつて故郷の老婆が語っていた話が、脳裏をよぎる。その時は、心と身体の温度差など関係無いのではないかと、生意気な子供の解釈で思っていた。だが、荒い言葉遣いながら何くれとこちらに気を払ってくれるイルギッドを思うと、老婆の話もあながち全くの出任せではなかったのかもしれない、という思いが浮かんでくる。
「――大丈夫か」
 気遣わしげな声に、いつの間にかうつむけていた顔を再度上げれば、青年が眉間に皺を寄せて目を細めていた。
「慣れない場所で人酔いしたんじゃねえか。街を回るのは少し休んでからの方がいいか」
 その言葉に、ユヅカはぶるると首を横に振り、
「だ、大丈夫! 初めての場所だから、ちょっとびっくりしただけ!」
 先程以上に裏返った声を出してしまった。イルギッドは「本当に大丈夫かお前?」と小首を傾げ、数歩先でエリメラが腹を抱えて笑っている。
 我ながら動揺しすぎだ。恥じ入りながら、ユヅカは青年に手を引かれるまま歩き出し、ある瞬間に、ふと、とある考えが頭の中を横切った。
 これを知っている、と。
 街の光景ではない。もっと別のどこかで。『心地良い』と思いながらこの冷たい手と己の手を繋いで、歩いたような気がする。だが、それがいつどこでなのか、全く思い出せない。第一、自分はシェルテの草原の外を知らなかったし、兄以外の年頃の男性と関わった事も無い。
 何故、イルギッド相手に、そう思うのか。
 突然湧いて出た疑問の泉を心に抱えながら、ユヅカは大通りを進んだ。

「ユヅカちゃんはお年頃の女の子なんだもの、お洒落もしなくちゃね。いいとこがあるのよ」
 エリメラのそんな弁のもと、三人はこぢんまりした洋服店へと足を踏み入れた。
「あら、エリメラさん。いつもご贔屓に!」
 店内で一人、陳列された服を整えていた女性が振り返り、エリメラの姿をみとめて朗らかに笑う。
「今日はどんなのをお求め?」
「あーいや、今日はあたしじゃないのよ。この子を見立ててあげて」
 どうやらエリメラは、顔と名前を覚えてもらう程度にはこの店の常連のようだ。店員の問いかけにふるふると首を横に振り、ユヅカを指し示した。途端、女性がこちらを向き、ユヅカの頭から爪先までを、しげしげと見つめる。他人にじっと見られるのは何だか落ち着かなくて、顔を伏せがちにもじもじして手を揉み合わせていると、店員は柔らかく微笑んだ。
「わかったわ。元が良いから、きっと可愛くなるはずよ」
 それからユヅカは試着室に案内され、店員とエリメラが、ああでもないこうでもない、あれがいい、これはどうだ、とわいわい語り合いながら次々持ってくる服に袖を通し、大きな姿見の前で回転させられた。小さい店ながらも品揃えは豊富で、色も模様も決して同じではない服を渡される。
「ユヅカちゃんは、少しくらい派手な柄物を着ても似合うと思うんだけど」
「あら。大人しめの顔をしているから、落ち着いた物が良いと思うわ」
 女二人がきゃっきゃと語らいながら吟味した結果、上は襟や袖、前の合わせにひらひらとした飾りレースのついた薄水色のシャツ、下は菫のあしらわれた、ふんわり広がるほどに布を使った白い膝丈スカート、そして革のショートブーツを身に着けた。草原では手織りの衣に肩掛けと、丈夫な草で編んだ靴を身にまとっていたので、あまりの違いに、自分が自分でないような気持ちで姿見を見つめてしまう。
「うん、可愛い」
「でしょう?」
 エリメラが店員と二人揃って満足げに鼻を鳴らし、試着室の仕切り布をばっと開け放って、「イルギッド!」と呼ぶ。女物ばかりの店内で所在無げに突っ立っていた青年は、名を呼ばれて、少々胡乱げな表情でこちらを向いた。そんな彼の前に、エリメラはユヅカを引っ張り出し、背中を押す。
「どう、ユヅカちゃん可愛いでしょ!」
 似合わない、と笑われるかと思った。「ガキが背伸びしてるんじゃねえよ」とでも嘲るのではないかと。
 しかし、イルギッドはしばらくの間、青の目を見開いて、まっすぐにユヅカを見つめていた。無言は、否定の言葉を投げかけられるより居心地が悪い。段々不安になってくると。
「……ああ」
 彼がゆっくりとうなずいたので、ユヅカは自分が幻覚と幻聴に陥ったのではないかと錯覚した。だが、続けられた言葉は、たしかに耳朶を震わせた。
「似合ってる」
 彼はまぶしそうに目を細め、ふっと口元をゆるめる。笑ったのだ、と気づくと、頬が熱くなる。耳の奥に響く鼓動が速くなる。心臓のあたりがくすぐったくて仕方が無い。
 そして気づく。「嬉しい」のだと。イルギッドに優しい言葉をかけてもらって、胸躍っている自分がたしかにいる。初日さんざんな目に遭わされたのに、十数日共に過ごしただけで、こんなにも心を許したのか。
 異性に見つめられてときめきを感じるのは初めてではない。兄のヒューゴと一緒にいると、それだけで気持ちがうきうきした。しかし、目の前の青年に抱く想いは、それとはまた別のものである気がする。
 この想いに、何という名前をつけるのか。ユヅカが戸惑っている事に気づいているのかいないのか、イルギッドは淡々と服の代金を店員に払い、「行くぞ」とこちらを促した。
 店を出たところで、エリメラがすっとユヅカに近づいてきて、「ユヅカちゃん」と耳打ちする。
「あたしはこれから、皆に頼まれた買い物をしてくるからさ、イルギッドと二人でお昼ご飯を食べて、他にもお店を見ておいで」
「でも」
 エリメラは屋敷の皆から相当な量の買い物を頼まれていたはずだ。フテラに搭載した籠の大きさが物語っている。人手が必要なのではないか、と危惧したが、彼女は白い歯を見せつつ、ぽんぽんとこちらの肩を叩く。
「大丈夫。あたしが買い物当番なのは、いつもの事だから。お姉さんは、可愛い可愛いユヅカちゃん相手にあの朴念仁がどう出たか、後でみっちり聞かせてもらえれば満足よ」
 ぽかん、と口を開けて呆けてしまう。しかし、エリメラの意図を理解した途端、またも頬が熱を持った。
「ほんと、可愛いなあ、ユヅカちゃん」
 エリメラがおかしそうに笑い、もう一回ぽん、と肩を叩いて、
「じゃあ、また帰りに、入口のフテラの所でね!」
 と手を振りながら雑踏の向こうに消える。後には、熟れたトマトのような顔をしたユヅカと、意味のわかっていないらしいイルギッドが残された。
「エリメラに何言われたんだ」
 青年に率直に問われて、答えに窮する。エリメラが二人に期待したのは、所謂いわゆる『デート』か。まさか正直に答える訳にもいかず、「ええと」ユヅカは必死に言葉を探した。
「エリメラさんはお買い物をしてくるから、ご飯を食べて時間をつぶして、って」
「そうか」
 ユヅカの動揺に気づかず、イルギッドは顎に手をやりうなずく。先程から思っていたが、もしかしてこの青年は、本当にこちらの気持ちの揺らぎに気づいていないのではないか。エリメラが『朴念仁』と称するのも、あながちただのからかいではないのかもしれない。自分一人だけぐるぐると脳内で混乱しているのが馬鹿らしくなると、頭に上っていた血もすうっと引いていったのだが。
「なら、いつも使っている食堂がいいだろう。行くぞ」
 またもいきなり手を繋ぐ形になって、ユヅカの頭は再沸騰したのであった。
(だから不意打ちが多いんだってば!)

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