10:初めてのお出かけ


 コルゴン一味の襲撃を受けたユヅカは、「外に出ない方がいい」とシンワに言い含められ、外出を禁じられた。屋敷の外に少しでも出る事さえかなわなかった。
 窓から見える外は、相変わらず白い空。退屈しないように、と、白黒の駒を動かす遊戯板を、レナがお茶と一緒に持ってきてくれた。ルールを教わりながら、馬やフテラ、かつて地上の王国に存在したという騎士や、王の駒を進ませて遊んだが、完全に気を紛らわせるものではなかった。
 イルギッドとエリメラには、その間会わなかった。屋敷にもいないようなのは、毎食姿を見せない事から明らかで、どこへ行ったのかシンワに問うてみても、彼は苦笑して肩をすくめるばかりだった。
 そういえば自分は誘拐された身だ。監禁されないだけましだったのだと思い知り、窓辺で溜息をつくばかりの時間が三日続いた後の夕刻。
 茶色と灰色の二羽のフテラが、白い空から降りてくるのをみとめたユヅカは、椅子を蹴るように立ち上がって部屋を飛び出し、廊下を駆け抜けた。
「ユヅカさん! 走るなとあれほど!」
 セエタ女史の叱責も置き去りにし、屋敷を飛び出す。咎められるかと思ったが、誰もユヅカを引き留める者はいなかった。
「ユヅカ」
 走ってくるユヅカに気づいたイルギッドが、名を呼びながらフテラの背から軽やかに飛び降りる。その間ももどかしく、ユヅカは青年の胸に飛び込むようにしがみついていた。
 隣でエリメラが目を真ん丸くして、それから、「あら、あらあらあ」とにやにや笑うのも気にならない。青年の背に手を回して、彼の体温を確かめる。彼と無事に会えた事を、竜神に深く感謝する。
「おい、離れろ。お前まで汚れる」
 イルギッドが珍しく戸惑い気味に、こちらの手を引きはがしにかかる。言われて、なりふり構わず彼に飛びついてしまった事に今更気づいて、「ご、ごめんなさい!」と身を引いた。
 三日間心にぽっかり空いていた穴が、彼の顔を見た途端に一瞬で埋められたようで、嬉しくてたまらなかった。何故、彼に再会できてこんなにも嬉しいのだろう。
 困惑する中、彼から鉄錆じみたにおいがわずかに漂う事に、ユヅカは気づいた。そこで理解して、心臓をわしづかみにされたような感覚に襲われ、急に冷たい汗をかく。
 二人は、始末してきたのだ。十中八九、コルゴン一味の残党を。『タツノオトシゴ』の竜使がアルブスにいる事が、漏れ出ないように。
 だが。
「お前が気にする事じゃねえぞ」
 ぽん、とイルギッドの大きな手が頭に乗せられ、ぐしゃぐしゃと髪をかき回す。
「暗殺は俺達の領分だ。お前の見えねえところで、何人も殺してる。シンワもあの顔で笑いながら『死ね』を言える奴だ。ぬくぬく育ったお姫様とは違うんだよ」
 刺々しく言い放つ彼の声色は、しかしたしかに思いやりを乗せている。血を浴びて生きる自分達に感情移入をしないように、自分達に心を寄せないように、彼は敢えてユヅカを突き放そうとしているのだ。それがわかると、自分は彼らにどれだけ気を遣わせているのか、申し訳ない気持ちになり、何も言い返す事ができなかった。

 そして、その日の夕食の席で。
「『街』へ行ってみるかい?」
 シンワはやたら穏やかに微笑みながら、そう言ったのだった。
「翔竜世界には、神が創った色持つ竜以外にも、人工の『街竜まちりゅう』がいる。しばらくは襲撃者の心配も無いだろうし、外に出られなくて退屈していただろうから、買い物なり食事なりしてくるといい」
 しばらくは襲撃者の心配も無い。それがイルギッドとエリメラのおかげである事を察して、デザートの桃のタルトをフォークでつついていたユヅカの手が止まる。それに気づいていないのか、気づいて敢えて無視しているのか。シンワはゆるりと笑みを深くして、グラスの水をあおいだ。
「大変よろしくありませんわね」
 先日と同じく、セエタ女史が口をはさむ。
「『街竜』へ行くなど、どんな輩が紛れ込んでいるかわかりません。危険極まり無いです」
「イルギッドがいれば大丈夫だろう」
 女史の鋭い一瞥すら受け流し、シンワはあくまで笑顔を絶やさずに話を続ける。
 また、イルギッドと一緒にフテラに乗れる。それを考えると浮き立つ心がある事を、ユヅカは自覚する。最初は、フテラの背に乱暴に乗せられて、とてつもなく怖い思いをしたというのに、随分と心境が変化したものだ。
「あっ、はいはい、はーい! あたしも行きたい!」
 更に、そこまで黙って話を聞いていたエリメラが、元気良く挙手しながら立ち上がって身を乗り出す。「食卓ではお静かに」とセエタ女史に睨まれるが、お構い無しだ。
「イルギッドみたいな唐変木が、ユヅカちゃんに必要な物なんて揃えられないでしょ。あたしが見繕ってあげる! それに、そろそろ買い足しが色々と必要だろうから、人手も要るでしょ?」
 エリメラがいてくれるなら、同性がいると同時に、竜使が一人増える。ユヅカの護衛としては上々だ。ほっと息をついて、それから、隣にいる、ついてきてくれると嬉しいもう一人に声をかけた。
「レナは?」
 すると、指名を受けた本人は、全くの想定外だとばかりに虚を衝かれたような表情を見せ、それから、苦笑を浮かべた。
「ごめんなさい、ユヅカ。私は、シンワ様のお傍から離れられないんです。フテラにも乗れませんし」
 そうか、と思い至る。レナはシンワの指示でユヅカの世話係についた。彼の許可無しにふらふらと屋敷を出る事はかなわないだろう。
「じゃあ、レナの為にお土産を買ってくるね」
 その言葉に、レナはまた意外そうに目を丸くしたが、やがて、
「楽しみに、しています」
 と、おずおず微笑む事で応えたのであった。

 翌朝。白い屋敷前に、茶色と灰色、二羽のフテラが待機していた。今まで見てきたからわかる。前者はイルギッド、後者はエリメラの翼だ。エリメラのフテラには、買った物を運べるように、大きな籠が据えられていた。
「スペンサーの奴、人事だと思ってこんなに頼んで!」
 エリメラが、びっしりと文字の書かれたメモ紙を見て、ぶうぶう文句を垂れている。ユヅカは何度か庭へ行って花やハーブをもらっているし、食卓も共にしているが、いまだかつて庭師が声を出して喋ったところを見た事が無い。鷲鼻にぎょろりとした目をした彼は、いつも無言で必要な物をこちらに突き出すばかりだ。恐らくエリメラにも、むっつり顔でメモを渡したのだろう。
「植物の栄養剤なんか、アルブスで買えるのに、何でわざわざ高いのを要求するのよ!」
 エリメラはひとしきり愚痴って足下の小石を蹴飛ばした後、腰の小さな鞄にメモを突っ込んで、フテラの背にひらりと飛び乗る。
 イルギッドも軽やかに己のフテラに乗ると、ユヅカに向けて手を差し伸べた。今度は躊躇わずに手を伸ばすと、頼り甲斐ある手が握り返し、鞍の上へ一気に引き上げてくれる。
 二羽のフテラは大きく羽ばたいて、アルブスの白い空に舞い上がり、『果て』に突入する。何度目かになるこの息苦しさも、イルギッドと一緒ならば、怖くない。そう考えた途端、落ち着くどころか、逆に動悸が増してゆく。
(何で!? 何で私、この人相手にこんなにどきどきしてるの!?)
 自分のこの気持ちが何なのか。わからなくてぐるぐると考え込むユヅカをよそに、二羽のフテラは『果て』を抜け、銀色の空の下、風を切って力強く羽ばたく。
 やがて、色を持つ翔竜よりずっと小さいが、シェルテの草原よりは遙かに広い集落を背中に持つ、灰色の竜が、左下方に見えてくる。フテラは一声鳴いて旋回し、そこを目指して降りてゆくのであった。

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