09:揺らぐ記憶


 びょう、と突風がユヅカの周囲に巻き起こる。「な、何だ!?」と慌てふためくコルゴン一味の目の前で、銀色の竜『タツノオトシゴ』はその姿を現し、敵に向けて火炎を放った。たちまち三人が炎に包まれ、フテラごと落下してゆく。
「何だ、何なんだよ、こいつ!?」
 コルゴンが、鼠のごとき顔に心底からの恐怖を浮かべて狼狽する。完全に動揺した連中に、更に別方向から電撃が襲いかかって、焼け焦げくるくる回りながら墜落してゆくフテラの背から投げ出された一人が消えた。
「ユヅカちゃん、イルギッド!」
 その声と、まだ放電を続けながら空に漂う半透明の『クラゲ』で、相手は誰だかわかった。灰色のフテラを駆って飛んできたエリメラは、左側から斬りかかってきた攻撃を、フテラの身を引く事で容易くかわし、『クラゲ』をぶつける。普段ふよふよと漂っているのが嘘のように素早く敵に飛びかかった『クラゲ』は、ばちばちと音を立てながら放電し、また一人、悲鳴を残して雲の下へと見えなくなった。
「……あちゃあー」エリメラが、空を舞う『タツノオトシゴ』を見やりながら、ユヅカ達の隣に翼を並べる。「ユヅカちゃん、砂希さかなを出しちゃったかあ」
「逃がすな」
 イルギッドが、殊更低い声で言いながら、腕に刺さった矢に手をかけ、ぐっと力を込めて引き抜く。相当の痛みが走ったのだろう、彼の顔が苦痛に歪む。だが、彼はそれさえも些末な事とばかりに矢を投げ捨てると、淡青の目を細めた。
「『タツノオトシゴ』の話を広める訳にはいかねえ。一人残らず、消せ」
 無慈悲な宣告に、エリメラは一瞬息を呑んで返事に詰まったように見えた。が、すぐに表情を引き締めると、無言でうなずき、残る敵に向かってフテラを飛ばす。
『クラゲ』が電撃を放ち、『シャチ』が舞って、『タツノオトシゴ』が炎を放つ。三体の砂希の前に、コルゴン一味は一人、また一人と、銀色の空に命を散らしてゆく。
「何だよ、何なんだよ、お前ら、本当に人間か!?」
 最後に残ったコルゴンは完全に恐慌し、涎を垂らしながら闇雲に矢を放ってくる。だが、狙いを定めない軌道は滅茶苦茶で、竜使りょうし達に当たる事は無い。
(この人が、イルギッドを傷つけた)
 ユヅカの心の中でふつふつと沸き立つ気持ちは治まる事を知らず、『タツノオトシゴ』が吼えて、殊更力強い炎を放つ。
「何なんだよ、何……」
 コルゴンの手が止まり、フテラごと丸焼きになった身体は、ゆっくりと空を落ちていった。
 下世話な連中の消えた空の下、ユヅカ達だけが残る。エリメラとイルギッドは即座に砂希を引っ込めたが、ユヅカの中で暴れる思いはとどまる所を知らず、『タツノオトシゴ』は、更なる獲物を求めるかのように、小さく唸り続けている。
「ユヅカちゃん、落ち着いて」
 エリメラが戸惑い気味の声をかけてくる。
「もう大丈夫だから。『タツノオトシゴ』を戻して」
 そう言われても、ユヅカの脳裏ではまだ、矢に撃たれた苦痛に喘ぐイルギッドの姿が堂々巡りをしていて、彼にそんな顔をさせた連中を、全て焼き尽くしたいという怒りが牙をむいている。自分でも制御しきれない衝動に、心拍が高まる。顔が熱を帯びる。
 だが。
 ひんやりとした手が、頬に添えられ、
「ユヅカ」
 彼が、初めて自分の名前を呼んでくれた。
「もういい。もうやめろ」
 ぽたぽたと、まだ腕から流れ落ちる鮮血が、ユヅカの服に赤を刻む。
「お前の『タツノオトシゴ』は、そんな為にあるんじゃねえ。人を救う為にあるんだ。誰かを殺すのは、俺に押しつけろ。血に汚れるのは、俺だけでいい」
 彼――イルギッドの言葉は、流水のようにユヅカの心に注ぎ込まれ、熱を帯びていた頭を急速に冷やしてゆく。
「深呼吸しながら」頬に触れていた手が、くしゃりと髪を撫でる。「数を数えろ。それで砂希は消える」
 言われた通り、すーはーと大きく息を吸って吐きながら、一、二、三、と数える。すると、『タツノオトシゴ』は、銀の砂と化してその場から消え、静寂が戻った。
「屋敷に帰ろうか」
 エリメラが、ぽつりと呟く。
「連中は全員やっつけたから、ユヅカちゃんの事は誰にも知られないだろうけど、一応しばらくは気をつけておかないとね」
「……だな」
 イルギッドもうなずき、傷を負った腕をかばいながら手綱を操る。二騎のフテラは風を切って、アルブスへと舞い降りてゆく。
 服についた赤い染みを見つめながら、ユヅカは考える。
 何故、彼を守りたいと思ったのだろう。あれだけ最悪の出会いをした彼でも、共に暮らす内に情が移ったのか。
 それを思うと、「それだけではない」と言い張る自分がいる。
『今度こそ、私が、彼を守らないと』
『タツノオトシゴ』を呼び出した時の自分は、たしかにそう意識した。「今度こそ」とは、一体どういう事なのか。彼と出会った事も無い過去に、彼を守り切れなかった記憶など、微塵も無いというのに。
 思い出を辿ろうとすると、ちりちりと頭が痛み、思考の邪魔をする。
「どうした」手でこめかみをおさえると、イルギッドが、不安げに声をかけてきた。「気分でも悪いか」
 ユヅカはふるふる首を横に振り、「何でもない」と答える。
「……ならいいが」
 それきり、イルギッドも言を継がずに黙り込む。奇妙な静けさを保ちながら、フテラはアルブスの大地へと降りていった。

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