『ねがえばかなう』



中学生の時に出会った僕たちは、ごく普通の恋人たちのように恋をして、結婚して、一緒の時間を過ごした。
何かが普通と違っているとしたら、彼女が、10分しか記憶を残せなかったというだけで。
でも、僕たちは、新しい記憶を刻む事を、諦めなかった。
その日の出来事、交わした会話、食事の内容まで、日記に書きとめて。目にした風景を写真に残して、時には、ビデオカメラも持ち出して。
膨大な量になったその記録を、時折持ち出して、一緒に眺めては、思い出を共有した。
何度も、何度も、それこそ百も千も超える回数。
「中学生の頃から、考えていたの」
いつか彼女が言った。
「将来謙ちゃんと結婚して、子供が生まれたらって、名前を考えていたの。男だったら、ひかる。女の子だったら……」
記憶が抜け落ちてしまう彼女は、何度も同じ台詞を繰り返したりもしたのだが、僕は何度でも、初めて聞いたようにうなずいて、笑顔を返した。
そう、僕たちの生活から、笑顔が失われる事は、無かった。
記憶が奪われても、幸せを分かち合う時間が奪われる事は、無かった。
幸せになりたいと願えば、きっとかなう事を、僕たちは知った。
そうして、いくつもの思い出を残して。
いくつもの大切な時間を僕の中に残して。

彼女は今、静かにここに眠っている。

「待ってるから」
彼女は最期に言った。
「謙ちゃんとまた、一緒に手を繋いで歩ける日を、楽しみに待ってるから」
いつか彼女が心配した、フィフティ・フィフティの確率は、僕が残された。
でも、寂しいと、悲しいと、泣くばかりじゃいられない。
彼女と過ごした時間の記憶が、僕にはある。彼女の笑顔を、今も鮮やかに思い出せる。
そして、彼女が遺してくれた、大事な宝物が。
彼女の眠る場所に、花と線香を供えて、しばし手を合わせた後、顔を上げて歩き出し……足を止めて、振り返り、呼ぶ。
宝物の名前を。
「おいで、かなえ」
元気な返事が返ってくる。とたとたと、駆ける足音が近づいて、彼女と同じ、少しだけ明るい色の髪をした頭が、隣に並ぶ。
のばされた小さな手を握り返し、手を繋いで、僕らは墓地を去る。
蝉の鳴き声があたりに響いて、太陽は高みから、僕ら父娘を、強く照らして。

彼女と出会ったあの日から18回目の夏も、もうすぐ、終わろうとしている。


Fin.

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