でも、しばらく経てば、この気まずい気持ちもわたしは忘れて、何故彼がそんな
また、その理由に気づいて、落ち込むのだろう。
わたしの記憶は十分しかもたない。
その事実を、わたし自身が認識する事もできないまま、記憶はぼろぼろと零れ落ちてゆく。
その零れ落ちた時間のどこかで、わたしは、彼が見つめる左手にあった、彼と私の絆を確かめる大切なものを。
失くしてしまったのだろうと。
「謙ちゃん」
うつむいて彼の目を見返せないまま、私は言った。
「別れようよ」
彼がどんな
「こんな私と一緒にいたって、謙ちゃんが辛い思いをするだけだよ」
落ちる沈黙。胸が詰まって、記憶以外のものが目からこぼれそうになる。
このまま、彼が黙って部屋を出て行っても構わないと、思いかけた頃。
「もう、忘れた?」
彼が問いかけてきたので、思わず顔を上げる。
「……え?」
「今言った事を、もう忘れたかな、って訊いたんだ」
眼鏡の奥の目は、穏やかにわたしの姿を映していた。
「別れないよ」
これだけは覚えている、出会った頃と変わらない、優しい笑みが向けられる。
「確かに、指輪を失くしてしまった事は悲しいけれど、そんな事だけで梨恵を見捨てたりしない」
「でも」
膝の上で握った手がぶるぶる震えて、しぼり出した声も、情けないくらいに震えていた。
「わたしは忘れちゃう。謙ちゃんがくれたもの。言ってくれたこと。全部」
その手を、ひとまわり大きい彼の手が、そっと包み込む。
「構わない」
そして、言葉が、心を。
「梨恵が忘れても、僕は何度でも言ってあげるよ。梨恵が好きだって。愛してるって」
「十分経ったら、忘れちゃうよ」
「それでもいいんだ」
彼がわたしをぎゅっと抱き締めてくれる。文科系だから、男にしてはちょっと細いかなと、ずっと思っていた腕は、予想よりはるかに力強かった。
「十分毎でも、何度でも言ってあげるよ」
そうして耳元で囁かれる、大事な言葉。
「梨恵、愛してる」
こらえていた涙はあふれて、頬を伝った。
「謙ちゃん」
彼が何度でも言ってくれるなら、私も何度も繰り返そう。
「好き。好きです。大好きです」