番外編15:比翼連理でどこまでも(2)
 夜が訪れる。
 窓の外が暗くなり、室内を照らす明かりもランプひとつになると、流石に雛も昼夜の区別がつくのか、目を閉じて丸くなり、ぷくう、ぷくうと膨らんだり縮んだりを繰り返すようになった。
 システはその傍らで椅子にかけ、背もたれに寄りかかって、うつらうつらと夢現の狭間を彷徨っていた。
 浮かぶ光景は、戻らぬ遠い日。摂理人形テーゼドールとして、神に従うのが当然の秩序システムだと信じて疑問すら抱かずにいた頃。
『神の威光をシュレンダインに知らしめなさい』
 母を名乗る金髪の少女が虚ろな笑みを浮かべてそう命じるのを、額面通りに受け取り、魔王城を出て、『転移律』でそれこそ鳥のように飛び回り、『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』の名を各地で説いた。神を信じると帰依を申し出た者には『信仰律』を与え、名ばかりで救ってくれない、姿を見せない神など信じない、と拒絶した者には、終焉を与えた。
 そう、殺していたのだ。神の意に添わぬ人間は消して当然。そう信じていたのだ。神自身が神としての意味を失った事で仕える意義を失い、離反するまで。
 いや、それだけではない。エクリュのもとについてからも、自分は色んな人を死に追いやった。それが正しいと信じて操った神の信徒。敵対する者は滅すべきと疑わずに魔法で命を奪ったダヌ族。かつては同じ方向を向いていたきょうだい。そして、大事なキラの右腕。
『お前のせいだ』誰だか思い出せない誰かが、恨みがましい声をあげる。
『何故、お前がのうのうと生きている』背の低い誰かがにじり寄ってくる。
『造られた神の意志でしか生きられなかったお前に、人と同じ生を歩む権利があるものか』
 幾つもの血塗れの腕が伸びてくる。深淵へ引きずり込もうと、足首をつかむ。
 恐怖にすくみあがる。そう、これは恐怖という感情だ。悲鳴をあげようとしても、声は喉でつかえて放たれず、迫りくる手を魔法で焼き払うどころか、足で振り払う事すらかなわない。
 これは罰だ。人ならざる身で、人の幸せを得ようとした報いだ。ぎゅっと両目をつむった時。
 ぎゃあっ、と。
 誰かが叫びをあげて、手が離れる感触がした。呻きは次々と起こり、ひとつ聞こえる度に、ひとつ拘束が解けてゆく。
「もう、大丈夫だ」
 どこかで聞いた、安堵すら覚える声に導かれて、ゆるゆると目を開けば、日に焼けた肌と、白髪混じりの髪と髭の男が剣を片手に立っているのが視界に入った。筋骨隆々とした背の高い、壮年のオルハ族の。
「カッシェ」
 名を呼べば、既に死者の門をくぐったはずの彼は、どこかくすぐったそうに微笑んだ。
「お嬢さんは、やはりまだ、鳥の雛のように危なっかしい」
 ダヌ族の長に『留魂律』で操られていた、見るに堪えない様ではなく、在りし日の姿で、夫の元腹心は、システの頭に大きな手を置き、ぐしゃぐしゃとかき回す。
「だが、いずれは若と共に、逞しい双翼としてオルハを導いてくれると、信じているよ」
 手が離れ、そして、システの肩を軽く押す。
「さあ、もう行くと良い。悪夢が終われば、若が待ってらっしゃる」
 その言葉と、夏の日差しのような笑みを印象に残して、世界が閉じてゆく。彼の姿も遠ざかって見えなくなる。そして。

「……テ、システ」

 自分を呼ぶ声は現実だ。システはゆるゆると覚醒に導かれた。
 ぼんやりしながら声の方向へ視線を馳せる。ランプに照らし出されて顔に濃い陰影を作ったキラが、心配そうにこちらの顔を覗き込んでいた。
「かなりうなされてたけど、大丈夫か?」
 まだ意識が頭の斜め上を漂っているかのようだ。だが、次第次第に覚醒してくると、ダヌ族との対話に出かけたキラの帰りを待っている間に、椅子に座ったまま眠りに落ちてしまったらしい事を悟った。
 何だか悪い夢を見ていた気がする。だが、その暗黒を払ってくれた人もいた。危なっかしい、と苦笑する声。信じていると、期待を託してくれた言葉。それだけは覚えている。
「わたしは大丈夫です」
 二、三回まばたきをしてすっかり目を覚まし、見つめ返した相手は、やけに疲弊しているように見えた。その様子を自分の中で咀嚼して、自分なりの推論を導き出す。
「ダヌ族と、上手くいかなかったのですか」
 先代のゲ=ルド亡き後、ダヌ族の族長の座は、穏健派のゲ=ラハに移ったと聞いた。だが、夫の顔色から、今回の対話は良好に進まなかったのではないか、と思われる。
 肯定するかのように、「あー……まあ、な」とキラは不明瞭な笑みを見せ、システの肩に、こつん、と額を乗せた。
「案外難しいなあー、誰とも仲良くするって」
 それはシステにも理解出来る。人間関係というものはとかく複雑で、様々な感情の入り乱れる場では、理性だけで話を運ぶ事はかなわないだろう。いくらゲ=ラハが穏健派といえど、百年以上いがみあってきた部族が一朝一夕で歩み寄った例は、歴史を紐解いてもそう簡単には見つからない。
 それでも。
「それでも、わたしは貴方に諦めない事を求めます」
『試行』と『諦めない』は、エクリュ達との旅の中でシステが獲得した、神から与えられなかった概念だ。自己の経験で知った事は、それだけに、システの心に強く根を張っている。
 だから、システはそれを相方にも求める。特にキラには、『諦める』という行動は、あまりにも似合わない。少し理解力が足りない時があっても、難しい話を噛み砕いて説明するのが必要な時でも、彼は、相手の話を理解する事を放棄しようとはしない。その前向きさに、システはどうしようもなく惹かれたのだ。
「ははっ。システは厳しいなあ」
 もたれかかっていたキラが両肩を揺らして笑い、顔を上げる。先程の落ち込みぶりは、多少引っ込んだように見えた。
「あんたの言う通りだよな。俺様がしけた顔してたら、オルハの皆が心配する。この先も、失敗しかしなくなる」
 そこで一瞬間を置いて、彼は言い切った。
「だから俺様は諦めない。オルハの未来の為にも、あんたを幸せにする為にも、きっとこの南海諸島を平和にしてみせる。それが、俺達のせいで死んだ連中への、弔いにもなる」
 随分と物事を考えるようになったな、とシステはキラを評価する。出会った頃は、もっと頼り無い、というか、信用ならない相手に見えたが、共に歩んだ旅路は、彼を長としても、人間としても、成長させたようだ。
 だから、システが返す言葉も、決まっているのだ。
「期待しています」
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