番外編14:君に見せたい花がある(1)
 この光景を見るのは、何年ぶりだろうか。
 クルシャの山脈、セルメリシスの流れは、両親と手を繋いでこの丘から眺めた頃と変わらない。
 だが、麓を見下ろせば、あったはずの村は焼け落ちて廃墟となっており、そこかしこに蛮族の侵略の爪痕は残っている。
 覚悟はしていたつもりだったが、いざその景色を目の当たりにすると、くらりと目眩がして世界が回るようだ。ぎゅっときつく目をつむったリビエラの手に、温かい感触が滑り込んできて、力強く握り締める。
「心配無い」
 耳に慣れた平坦な声に目を開き、傍らへ視線を転じれば、紫の瞳が真摯にこちらを見つめている。
「リビエラの事はロジカが守る。恐れを感じる必要は無いと断言する」
 四角張った物言いは相変わらずだが、出会った頃の、本当に人形じみた態度からは、随分と「人間らしくなった」と言えよう。緊張の塊が氷解してゆくのを感じて、思わず口元が緩む。
「頼りにしてますわよ」
 指を絡めると、「承知した」と、更に力が込もるのを感じた。

 リビエラが故郷へ帰ると決意したのは、『神光律じんこうりつ』からの帰還より半年が過ぎた頃だった。息子であるメイヴィスとは違うのだから、いつまでもミサクやユージンの世話になりっぱなしではいけない、と考えた結果であった。
『いつまでも、気が済むまでいればいい。君も俺達の大事な家族だ』
 ミサクはそう言ってくれたが、気後れはあった。それに、エクリュを失ってすっかり意気消沈してしまったメイヴィスを、見るに堪えなかった、という気持ちもある。
 そんな折、故郷カリオンの民が、少しずつ領地に戻って再建を始めつつあるという噂を聞き、リビエラの心は揺れた。
 故郷に良い思い出はあまり無い。『あのクソババア』に全てを奪われた記憶は、今も夢に見て夜中に飛び起きるほどに、心の傷として刻まれている。
 だが、という気持ちもあるのだ。
 領民に罪は無い。領地の危機に戻らなかった一人娘は、「逃げ出した」と思われるかも知れない。それでも、幼き日、祖父や両親に連れられて目にしたカリオンの自然は美しく、接した人々は温かく、優しかった。
 彼らの笑顔に報いたい。そんなリビエラの背中を押したのは、他でもない、ロジカだった。
『ロジカはリビエラの思うままに行動した方が良いと推奨する。君が行く先に、ロジカも共についてゆく事を約束する』
 リビエラの血を与えて、本当に寿命が延びたかはわからないが、とにかく、以前のようにすぐに力尽きて倒れる事は無くなった彼の言葉に、リビエラは、ようやく肯んじる事が出来たのだった。

 丘を降りて、領主の館へ向かう。かつての実家は蛮族の襲撃で焼け落ちてから相当な時間が経っており、逞しく生え直した雑草がぼうぼうに周囲を埋め尽くし、蔦が壁に蔓延って、入口の門は錆びついてがたつき、窓という窓の硝子が割れていた。
 人の気配は無い。それでも、ロジカと手分けしてぐるりと半周ずつし、裏手で落ち合って、
「誰もいませんわね」
 と、わかりきっていた事実に、ひとつ、溜息を落とすと。
「……お嬢様?」
 物陰から恐る恐る、といった態でかけてくる女声に聞き覚えがあって、リビエラはロジカと共にそちらを振り向いた。
 白髪混じりの黒髪をおだんごにした、ふくよかな壮年の女性が、信じられない、といった表情で近づいてくる。動揺のあまりか、足が悪いのか、途中で何度もつまずきそうになっていたので、たまらずリビエラから走って近づき、彼女の腕を取ると、記憶の中の人物の名前を呼んだ。
「アニー? アニーなんですの!?」
「ああ、やはりリビエラお嬢様!」
 赤子の時からリビエラの面倒を見てくれた世話役は、あの頃と変わらぬ肉付きの良い腕で、がっしりとリビエラを抱き締めてくれた。
「生きておりましたの」
 見知った顔に再会出来た感動に声を震わせると、「はい」と涙を流しながら、アニーは幾度もうなずく。
「お嬢様がこのお屋敷を出られてすぐに、脚を痛めて、お暇を頂戴しまして。それで難を逃れました」
 彼女は療養の後、リビエラが孤児院を飛び出した事を聞き、行方を追ったが、見失ってしまったのだという。
「旦那様を慕っていた、心ある者は、お嬢様が去られた後、次々とお屋敷を離れました。皆、カリオンの各地に散って、お嬢様のお帰りをお待ちしておりましたのよ」
 その言葉に、胸が熱を帯びる。自分は故郷を見捨てた、と民に憎まれていても仕方無いと思っていた。だが、彼らは、自分を信じて待っていてくれたのだ。ならば、その信頼に応えねばならない。
「カリオンを、復興させましょう」
 リビエラは、きっぱりと言い切る。そして、いつの間にか溢れそうになっていた涙をそっと拭って、世話役の腕を解かせ、彼女を凜と見上げた。
「アニー、集められるだけの人手を集めてくださいな。この館は捨てて、小さくて構いませんから、どこか新しく住める場所を」
「はい」
 アニーは感無量といった様子で深々とうなずき、「ところで」と、リビエラの傍らで黙って事態を見守っていた少年に視線を向けた。
「こちらの方は?」
「ロジカだ」
 ロジカは相変わらず淡々と応え、紫の瞳を一回またたかせる。
「リビエラの相方である、という表現が正しいか」
「なっ!?」
「まあ! まあまあまああ!」
 途端にリビエラは耳まで真っ赤になり、アニーは心底嬉しそうに両頬に手を当てて満面の笑みを浮かべた。
「お嬢様がお戻りになられただけでなく、旦那様を連れてこられたなんて! これは皆が集まったら、お嬢様の大好きないちじくのパイを焼いて、お祝いですわね!」
「ちょっ、アニー、飛躍しやがらないでくださる!?」
 最早話を聞かず、誰と誰を呼んで、厨房係の誰に頼んで、と嬉々として計画を立て始める世話役に、リビエラが声を荒げれば、
「違うのか」
 とロジカが、淡泊だが心無しかしゅんとした様子を見せる。
「違わない! 違かないですけど! そういう事じゃあなくてですね、ああーもう!」
 この少年の裏表の無い物言いは、時に事態を加速度的に進めてしまう。式はいつで、とまで聞こえてきて、リビエラは最早がっくりと肩を落とし、溜息をつくしか無かった。
BACKTOPNEXT