番外編12:メイヴィスキッチン・ハンバーグ編
 とある日の、うららかな日差しが家の中にも差し込む午後。
 食べ物を欲し始めた小腹を満たす目的で食堂兼台所ダイニングキッチンを訪れたエクリュの耳と目に入ってきたのは、まな板に向かって一定の調子で包丁の音を立てる、亜麻色の髪の少年の背中だった。
 気配だけで気づいたのか、その手が止まり、紅玉髄カーネリアンの瞳がこちらを向く。
「ああ、エクリュ」
 メイヴィスは柔らかい笑みを浮かべ、瞳を細める。
「おなか空いた? ごめん、ちょっと今、手が離せないから、そこにあるお茶とお菓子を温めて好きに食べて」
 彼が視線で示す先には、加熱に適した魔律晶『加温律』の上に置かれた薬缶と、バニラとココアの部分が綺麗に渦を巻くクッキーがある。言われた通り、それらを温めようとして、しかしエクリュの興味は、少年が今向き合っている、「手が離せない」内容に引き寄せられた。
 牛肉の細切れが、まな板の上で更に細かく崩されている。
「何やってるんだ?」
 何が出来上がるのかわからなくて、小首を傾げれば、
「今夜のおかずだよ。ハンバーグ」
 少年は少しだけ得意気に口角を持ち上げ、とんとんと、包丁の先でまな板を叩いてみせた。
「普通は挽肉で作るんだけど、細切れを柔らかく崩して、肉の食感を残した方が、美味しいかと思って」
 ハンバーグ、とエクリュは口の中で反芻する。ベルカの娼館で過ごした幼い頃は、肉と言えば申し訳程度のベーコンが入ったスープにしかありつけなかったし、奴隷剣闘士時代は、まともな食事を得る事さえ許されなかった。肉料理は、この家に来てから初めて舌が知ったと言っても過言ではない。
 メイヴィスはこの家で唯一料理が出来る貴重な人材であり、かつその腕前は、「正直俺が育てたとは思えない」と叔父のミサクがエクリュについ本音を零したほど秀逸である。そんな少年が作った料理なら何でも美味しいのだが、彼がこだわりを見せるのだから、より美味しいハンバーグを模索してくれているのだろう。
 エクリュが関心を示したのに気づいたか、メイヴィスは包丁で器用に肉をまとめると、傍らに置いてあったボウルにそのまま肉を突っ込み、こちらが見やすいようにボウルを傾けて、既にみじん切りにしてあった玉葱も入れて、手でよくこね始めた。
「普通のハンバーグは卵をつなぎに入れるけど、細切れ肉なら適度に粘り気が出て、卵を入れる必要が無い」
 彼の言う通り、肉と玉葱がよく混ざり合って、強く押しても肉が離れなくなったところで、粉の香辛料が少々入る。
「ナツメグは摂り過ぎると危険だけど、肉の臭みを消してくれるから、肉料理には欠かせないんだ」
 そのまま料理教室でも開けそうな口上を述べながら、メイヴィスはハンバーグのたねをこね続ける。
 しばらくして。
「こんなところかな」
 エクリュには到底わからない頃合いで、少年は手を止め、『氷結律』で生み出された氷の上にボウルを置いた。
「焼かないのか?」
 ごく当たり前の疑問をエクリュが口にすると、彼が振り返り、苦笑を見せる。
「前はそうして、『加温律』で温め直してたんだけど、食べる直前に焼いて、出来たてを口にした方が美味しいから。早めに下ごしらえだけして、冷やしておくようにしたんだ」
 人も増えたし、とメイヴィスは小さく付け加える。ただでさえ、一人で四人の食事を作っていたところに、この数日間で二人も増えて、六人分の三食をまかなう事になった彼の苦労は、そもそも料理の出来ないエクリュには推し測る事が不可能だが、「大変なんだろうな」という事だけは、薄々感じられる。そんな中でも、エクリュ達がいかに美味しくごはんを食べられるかを考えていてくれる少年には、素直に感謝の念が湧いて、
「ありがとう」
 その言葉は、頭を下げると同時に口を衝いて出ていた。
「……え? あ、はい、こちらこそ?」
 エクリュの脳内でどういう思考を経由して「ありがとう」が出てきたのか、わかっていないのだろう。メイヴィスは急に頬を朱に染め、それまではきはきと料理手順を説明していたのが嘘のように、おたおた返答をする。
「と、とりあえず」
『流水律』で肉の脂がついた手を洗い、橙色の瞳を、それまで放っておかれた薬缶に向けながら、彼はエクリュに告げた。
「お茶を温めるよ。おやつにしよう」
「――おやつ!」
 エクリュの碧の瞳が、餌を目の前にした子犬のようにきらきら輝く。もう、ハンバーグの事など、頭から吹き飛んでしまったかのような喜びようだった。

 そして、その夜。
 食堂兼台所に、香ばしいにおいが満ち満ちる。
 まだじゅうじゅうと音を放つ、焼き立てのハンバーグを前に、エクリュの腹の虫が、ぐきゅるきゅるるうううう……と盛大に喚いた。
「まったくもう、エクリュ貴女、女の子としてねえ……」
 リビエラが呆れながらも、別添えの玉葱ソースをエクリュの分の皿にかけてくれる。
「人参、ブロッコリー、パプリカ。肉料理の付け合わせで緑黄色野菜を添える事は、彩りだけでなく、栄養バランスを考慮した調理として非常に筋が通っている」
 ロジカも興味津々といった様子を隠せずに、目の前のハンバーグを見つめている。
「まあ、この子の肉料理は、そこいらの三流レストランなんかメじゃないからね。期待していい」
 ユージンがからりと笑う横で、ミサクは黙って茶をすすっている。叔父が期待していない訳ではなく、息子の腕を信用しているからこその、敢えての無反応だというのは、ここ数日でエクリュも学んだ。
 最後に焼き上がったハンバーグの皿を、エクリュの向かいの空いている卓上に置き、メイヴィスも席についたところで、皆で「いただきます」を言って、ナイフとフォークを手に取る。
 弾力のある肉をナイフで切れば、じゅわっと肉汁が溢れ出す。それだけで口の中に唾液が滲み出てきて、エクリュはごくりと喉を鳴らすと、ハンバーグを口に運んだ。
 途端、歯ごたえたっぷりな熱々の肉の旨味と、玉葱ソースの爽やかな酸味が口内に広がり、得も言われぬ協奏曲を奏でる。生まれて初めての幸せの味に、エクリュは感動と驚きで目を白黒させた。
 もぐもぐ咀嚼して呑み下した後に、目一杯の嬉しさを込めて叫ぶ。
「美味い!」
 それを向かいで聞いたメイヴィスは、紅玉随の瞳を細め、「それは良かった」と淡くはにかむ。少年の照れにも気づかず、エクリュはがつがつと続きを口に運ぶ。
 やがて、肉も野菜も美味しく食べ尽くした皿は空になり、少量のソースだけが名残惜しそうに置き去りにされるばかり。
「やー、やっぱり美味いねえ」ユージンが満足そうに腹をさすり。
「だろうな」何故か自分事のように、当然、といった態のミサクがフォークを置き。
「まあ、メイヴィスらしい味でしたわね」リビエラがつつましくナプキンで口を拭って。
「ロジカはメイヴィスの料理の腕前を高く評価する」ロジカが尊敬の眼差しをメイヴィスに向けた。
「……どうも」
 賞賛を向けられた主は、少々照れ臭そうに返して、それから、「エクリュ」とこちらを向いた。
「どう? 口に合った?」
 何故か少年は、自分の評価を一番気にしているらしい。それに気づいたエクリュは、半身をテーブルの上に乗り出して、
「美味かった!」
 と声を張り上げ、眉間に皺を寄せたリビエラに「お行儀」と袖を引かれたが、まだ話は終わっていないとばかりに言を継ぐ。
「また食べたい。っていうか足りない。毎日作って欲しいくらいだ」
 その感想に、メイヴィスは目を真ん丸くして。
「そうだね、毎日は無理かも知れないけど、また作るよ」
 エクリュの為なら、と、面映ゆそうに微笑む。
『また作るよ』の言葉に歓喜で胸が一杯だったエクリュは気づかない。
 何故少年が『エクリュの為なら』と言ったのかも。
 ユージンが「罪な女だねえ」と薄く笑い、リビエラが「色気より食い気ですわね」と溜息をつくのを、ロジカが隣で不思議顔で見つめ、ミサクが「これでいいのか?」と小さくひとりごちて天井を仰いだ事も。

 メイヴィスの用意する食卓を皆で囲む日々は、明日も、明後日も、その先も続く。
 エクリュはこの時、それを信じて疑っていなかった。
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