番外編10:血濡れの首に口づけを(1)
 円筒の中から、紫の水が引いてゆく。それと同時に、意識は明瞭になっていった。
《新たなる魔王の生成を完了》
《新魔王『コキト』を解き放つ》
 男とも女ともつかぬ、機械的な声が、魔王城の奥『初源の間』に響き渡る中、一糸まとわぬ姿のまま、円筒から降り、ぺたり、と濡れた足跡を床に描く。
 人間世界での生き方、魔法の使い方、そして自分が生まれた意味。全ての記憶は、既にこの脳に書き込まれた。
 自分の使命は、正統なる次代の『魔王』アルゼストを誘拐してこの魔王城から姿を消した魔族ユホを見つけ出し、粛正して、アルゼストを連れ帰る事。
 自分はそれまでの、『間に合わせの魔王』なのだ。
「……ったく」
 ぽたぽたと、まだ滴を落とす紫の髪をかき上げながら、『彼』でも『彼女』でもない、急造の魔王は、髪と同じ色の瞳を細めて、自嘲気味に呟く。
「面倒な仕事を押しつけられたものだね」
 にい、と白い歯を見せて、魔王は誰に向けてともなく言葉を放つ。自嘲の音は、薄暗い初源の間の闇に飲まれて消えた。

 コキトの名を受けた急造魔王は、最低限の服と旅人の荷物を整えると、神が発した片道切符の『転移律』によって、追い出されるように魔王城を去り、人里へと降りた。
 間に合わせの魔王に、本来の魔王ほどの力は無い。魔力は高いが、魔律晶まりつしょうが無いと魔法を発動せしめる事がかなわないのだ。
 それでいて、寿命は魔王と同じ、約三十年。まったく、その制約だけは『機械仕掛けの神デウス・エクス・マキナ』様は律儀である。
 とにもかくにも、その三十年の間に、いや、一刻も早く、ユホを見つけ出し、アルゼストを取り戻さねばならない。デウス・エクス・マキナは要領が悪いというか、融通が利かないというか、正統な魔王の喪失を目の前で見届けられなければ、きちんとした次の魔王を造り出す事が出来ないらしい。
 ならいっそ、見つからなければ良いのではないか、という気さえする。
 アルゼストを見つけ出して魔王城に連れて帰れば、自分は用済みだ。売り物にならないひよこのごとく、あっけなくくびり殺されて処分されるだろう。
 それに案外、アルゼストは外の世界で楽しくやっているかも知れない。幸せに暮らしているところから、神の意志に踊らされ、勇者に倒される運命だけを辿る悲劇の舞台に引きずり出すのは、酷かも知れない。ならば、どうせ短い命同士、関わり合わない方が良いのではないだろうか。
 そんな事を考えつつ、強い魔法の力で、時折人里を襲う魔物を退治したり、荷物を狙う盗賊から隊商を守ったりして、イージュ金貨を貯めながら、各地を放浪する。アルゼストの行方は一向につかめなかったが、強力な魔法を使う魔法士コキトの噂だけは、日々高まっていった。

 そんな折、小さな町で、畑を荒らす魔物の群れを追い、巣ごと殲滅させた夜の事だった。
 感謝の気持ちだという食堂の主人の厚意で、牛肉のステーキと、畑で育てた野菜の付け合わせ、そしてこの地方特産の葡萄酒ワインを美味しくいただきながら、今までの冒険譚を、酒の肴に人々に語っていると、食堂の扉が開き、かかっていたカウベルが澄んだ音を立てる。新しく入ってきた客に、誰もが胡乱げな顔を向け、そして更に首を傾げた。
 旅装に身を包んだ女性だった。年の頃は二十歳を過ぎたばかりだろうか。肩までの蒼い髪がさらりと流れ、はしばみ色の瞳がコキトを見つめたかと思うと、嬉しそうに細められる。
 女性が歩み寄ってくると、まるで彼女の周りに『障壁律』でも存在するかのように、人々が退いて道を空ける。お陰で彼女は、誰にも邪魔されずにコキトの元までやってきて、
「隣、よろしいかしら?」
 と、艶っぽい声色で、コキトの傍らの椅子を指差した。
「どうぞ、美しいお嬢さん」
 丁度、町人達に武勇伝を話すのにも疲れ始めていたところだ。にっと口の端を持ち上げると、彼女は「ありがと」と言いながら、脚を綺麗に揃えて腰掛け、店主に「シンフォニーを」と注文する。いい男といい女の揃い踏みに、人々は自分達がお邪魔虫である事を自覚して、苦笑しつつコキトに礼を言い、三々五々他のテーブルに散ったり、家路についたりした。
 桃のリキュールと白ワイン、グレナデンシロップを混ぜ合わせたカクテルが、女性の前に置かれる。
「最近有名な魔法士様に出会えた事を祝して」
 薄く紅を塗った唇を持ち上げて、彼女はグラスを掲げる。コキトもにやりと笑って、ワイングラスを持ち上げ、かちりと軽く合わせた。
 飛び抜けて美人ではない。だが、造りは良い、と言うべきか。弧を描く眉、アーモンド型の目、高くはないがすらりと通った鼻筋。そして大きすぎない唇。小顔の中で全てのバランスが整っていて、愛らしい印象を与える。
「そういえば、まだ名乗っていなかったわね」
 夕食を摂っていなかったらしく、注文したペペロンチーノが運ばれてきたところで、女性が瞳を悪戯っぽく輝かせた。
「私はシエラ。アナスタシア特務騎士隊員の一人よ」
 その台詞に、コキトは目をみはる。特務騎士といえば、唯一王国アナスタシアでも一際異色の部隊だ。普段はその正体を隠して各地に散り、諜報、捜索、暗殺など、王国の暗い部分を何でも請け負う一団。『アナスタシアの便利屋』と揶揄されている事も知っている。
 その便利屋が自分に接触を図ってくるとは、考え得る選択肢は少ない。緊張に少し手が震えるのを気づかれないように、コキトは葡萄酒をあおいで、「で?」と紫の瞳を細めた。
「その特務騎士様が、わざわざ正体を明かしてまで、私のような旅人ごときに何の用かな?」
 しらを切って出方をうかがうと、「あら」とシエラはくすくす笑い、ペペロンチーノを一口すすった後、言葉を続けた。
「旅人ごときだなんて。貴方の噂は、唯一王都にも届いていてよ。まるで魔王みたいな容姿をした、とんでもなく強い魔法士がいる、って」
 きゅっと。心臓をわしづかみにされた気分だった。目の前の女性は、噂どころでなく自分が『魔王』である事を確信しているだろう。容姿に触れた事から、この色が魔王を表す事も、知っているに違い無い。
「それで?」努めて平静を装いながら、グラスに口をつけ、乾きかけた唇を湿す。「その魔王みたいな魔法士に、何のご用だい?」
「わかってるくせに」
 シエラはくすくすと笑い、意味深な流し目を送ってくる。ここで魔王とばらされる訳にはいかない。彼女の死角で魔律晶を収めた腰のポーチを探り、突然死を装って命を絶つ事の出来る『毒素律』に指先が触れた時。
「あなた、唯一王の下で働く気は無い?」
「……へ?」
 シエラの口から飛び出した予想外の誘いに、コキトは思わず変な声をあげて、魔律晶から手を離した。相手のはしばみ色の瞳が、悪戯っぽくまたたく。
「城の魔法士は、研究費研究費ばっかり五月蝿くて、ちっとも成果を出さないのよ。でも、あなたが加わってくれれば、魔律晶の研究は格段に捗りそうだわ」
 成程、敵を倒す為に、敵の力を利用するのか。面白い、と思うと同時に、アルゼストを探すという本来の目的を果たし、あわよくば監視下に置いて彼が覚醒しないように見張るには、唯一王の膝元へ潜り込んでしまった方が良いだろうという考えも浮かぶ。
「しかし、こんなどこの馬の骨とも知らない奴を、唯一王は採用してくれるのかい?」
 仮にもシュレンダイン大陸唯一の王国の首都だ。出来損ないでも魔王が潜り込めば、一悶着二悶着どころでは済むまい。しかし。
「それは大丈夫よ」
 シエラは片目を瞑って、カクテルを仰ぐと、先を続ける。
「魔法士の採用にヘルトムート王あのじいさんは頓着しないわ。大人の男に興味は無いから」
 最後に付け足された一言には、苦笑するしか無い。当代の唯一王様は、城仕えする女性や、男女問わず秀麗な子供に片端から手をつける、下の緩さでも相当有名だ。まあ、その毒牙に引っ掛からないなら、やってみる価値はあるだろう。
「わかった」
 ステーキの最後の一切れを口に放り込み、咀嚼して飲み下すと、コキトはイージュ金貨を店主に差し出す。「恩人からいただけませんよ!」と主人は恐縮したが、「こっちのお嬢さんの分だと思って、受け取ってくれ」と、問答無用で彼の懐に金貨を押し込んだ。
「明日朝一。町の出口で会おう」
「ありがと」
 シエラとひらひら手を振り合い、食堂を出てゆく。その足のまま、雑貨屋へ向かった。

 翌朝。
 霧のけぶる中、まだ開かれていない町門の前で小石を蹴って待っていたシエラに近づいてゆき、「おはよう」と声をかけると、彼女はこちらを向き、ぎょっと目をみはってしばらく固まった後。
「……コキト?」
 と、信じがたい、という声色を洩らした。
 それもそのはずだ、雑貨屋で買った脱毛薬で、紫の髪と眉を一本残らず落とし、髭も生えないようにした。瞳の色は誤魔化せないので、大きめの色眼鏡をかけて、顔の造りでばれるかも知れないから、歯並びもわざと歪ませた。これで誰も、『魔王の色を持つ者』とは思わず、ただ『強力な力を持つ魔法士』としてコキトを見るだろう。
 こちらの意図を酌み取ってくれたか、シエラは蒼い髪を翻して背を向けると、
「行きましょうか」
 と、肩越しに振り返る。
 丁度開門の時間だ。『間に合わせの魔王』が、『唯一王国の魔法士』として歩み始めた瞬間だった。
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