番外編08:二律背反(1)
 両親が死んだ。
 つい先日まで、健康そのものの身体だったのに、流行り病にかかって、あっという間に衰弱し、いとも呆気なく逝った。
 アティアは黒い喪服をきっちりと着込んで、ひっくひっくとしゃくりあげる妹ナディヤの手をしっかりと握り、両親の棺が墓に納められるのを、唇を引き結び、凜と見すえていた。
 この手の先にいるのは、唯一残った、世界でたった一人の家族。まだ十三歳の妹を、自分が守らねばならない。少女はそう決意していた。

「アティアは十五歳になっただろう。ならば、城仕えをしても支障は無いよ」
 葬式を取り仕切った父方の叔父は、式の後、アティアにそう告げた。それは、自分はお前達の面倒を見はしない、という宣告。姉妹二人で、這いずって生きるも、路地裏で惨めに朽ち果てるも、勝手にやれ、自分は知らぬ、という、突き放しだった。
 噂には聞いている。当代の唯一王ヘルトムートは、城仕えを始めた女子を、まず『吟味』すると。それがどんな意味を持つか、アティアはもうわかる歳になっていた。
 ナディヤには、将来を誓い合った同い年の幼馴染みがいる。妹が十六になったら結婚したい、と生前の両親に申し出て、父の拳一発と共に許可をもらっている。その歳にしてはしっかりしていて、勉学も運動も両立し、末は医者か学者か、と期待されている、真摯な少年だ。
 二人を引き離す訳にはいかない。ナディヤを哀しい目に遭わせる訳にはいかない。
「大丈夫よ、ナディヤ」
 家族四人で暮らしていたため、幼い姉妹二人には広すぎる家の居間。暖炉の前のソファに座り、両親を夢に見ているのか、目の端に涙を溜めて寝息を立てる妹の、亜麻色の髪を手で梳きながら、アティアは優しく語りかける。
「貴女は、お姉ちゃんが守るから」
 それは十五の少女にとって、あまりにも悲壮な決意だった。

 荘厳な白亜の城は、まるで監獄のようにすら見える。
 家を売り払って得た金を、ナディヤの将来の義家族に渡して妹の世話を頼み、最低限だけの荷物を抱えて、アティアは唯一王都の城門をくぐった。
 赤い絨毯が敷かれた広い城内を、年配の侍女に導かれて、簡素なベッドと鏡ばかり、窓は小さい物がひとつきりの、侍女用の部屋に通される。
「まずは国王陛下に謁見です」
 口元と目尻に皺の寄った侍女は、にこりともせずにアティアに告げた。
「荷物を置いて身支度を終えたら、出ていらっしゃい。案内します」
 どきり、と心臓が脈打つ。『吟味』の時間が、こうも早く訪れるとは思っていなかった。だが、ここで帰ると駄々をこねても、帰る家は既に無く、国王に恥をかかせたとの見せしめに、妹と、彼女が身を寄せている一家がただでは済まないのは明白だ。野暮ったい町娘のワンピースから、鏡台の前に用意されていた、白いレースを使った薄手のシャツとスカートに着替える。化粧品は必要な物が揃えられていたので、自分に出来る範囲で白粉をはたき、口紅を引く。城仕えを決意した際、理髪店で整えてもらった、顎の位置までの茶色い髪は、特に手を入れなくて良いだろう。鏡を覗き込み、襟を整えると、部屋の扉を開ける。
「遅い」
 扉の外で腕組みして待っていた侍女は、半眼になってアティアを睨みつけ、開口一番叱責を飛ばしてきた。
「唯一王にお仕えするという確固たる意志があるのなら、もっとてきぱきと動けるようになりなさい。無駄な時間は許しません」
 城内の空気は良くないというから、気をつけて。それは妹を引き取ってくれた一家から聞いた精一杯の気遣いの言葉だったが、早速その洗礼を浴びるとは。むっとしかけたが、己の態度一つで報いを受けるのは自分一人ではない、という事を心に刻み込み、「申し訳ございません」と深々と頭を下げる。
 こちらが殊勝な態度に出た事で、虐めようとした出鼻をくじかれたらしい。侍女は軽い溜息をつくと、「ついていらっしゃい」と踵を返した。その後ろを黙々とついてゆく。
 赤い絨毯を踏み締め、白い壁の廊下を進むほどに、心拍数が上がってゆくのがわかる。真夏でもないのに、額に汗が浮かぶ。そんなアティアの心情も知らずに、無機質に謁見の間の扉は開かれ、きざはしの上の玉座に収まる王と王妃の姿が視界に入った。
 ここでは彼らが最高位の人間だ。真正面から見すえてはいけない。少しうつむき加減で謁見の間に踏み込み、階の下でひざまづいて、こうべを垂れる。
「そなたが新しい侍女か」
 嗄れた声が、まとわりつくように耳に届く。
「名を名乗れ」
「アティアと申します。陛下のご威光を賜る事が出来、恐悦至極にございます」
 あらかじめ叩き込まれていた、唯一王を讃える口上を述べる。「そうか、そうか」と満足そうにうなずく気配がした後、
「アティア、おもてを上げよ」
 と言われたので、ゆっくりと階の上を見上げる形になる。白髪混じりの黒髪と、口髭をたくわえた、初老の男が、ねばつくような視線でアティアの頭から爪先までをねめつけており、隣のヘステ王妃は、汚らわしいものを見るような眼光で、こちらを射抜いている。
 どちらの目つきも耐えがたくなってきた頃。
「まあ、良かろう」
 唯一王がにやりと口角を持ち上げ、目尻の皺を深くした。
「今宵、支度をして待っておれ」
 その言葉に、ずきり、と心臓が痛むほどの動悸を覚える。だが、もう引き返せないのだ。ナディヤの幸せの為に、自分の幸せは考えないと決めたのだ。
「かしこまりました」
 努めて平静を装って低頭したが、声も、握り締めて胸に当てた拳も、震えを抑えきる事は出来なかった。

 そしてその晩。
 贅を尽くした部屋で、嫌だと泣き叫ぶ事も出来ないままに、身を襲った衝撃が過ぎ去るのを耐えるばかりで。
 夜が明けて、嵐が去った後、姿見に向き合った時、残された鬱血の痕だらけの自分を見て、声をあげずに泣きながら崩れ落ちた。
 だが。
(でも、これで)
 唯一の矜持が、床についた両腕まで折れるのを、必死に支えてくれる。
(これで、ナディヤを守れる)
 滂沱しながら、それでもアティアの口元は、笑みを象っていた。
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