第10章:神をほどく(4)
 エレベータを使って、さらに下層へ。扉が開いた瞬間に吹きつけてきた冷気に、一瞬顔を腕で覆ってしまったが、怯んでなどいられないと面を上げ、前方を睨みつけながら足を踏み出す。
『初源の間』以上に広い部屋だった。床一面を金属の線が埋め尽くし、壁には大きな画面が張りついて、赤や青、緑の光が、何なのかわからない言語を走らせている。
 その中心に、目指す敵はいた。母を閉じ込めた『複製律』の上に、悪霊のように取り憑き、腕組みしてふんぞり返っている、魔族。
「来たかい来たかい、ちっぽけなゴミ共が」
 半分機械に覆われた顔を歪めて、ユホが嗤う。
「自分を造った母親に逆らう馬鹿共も一緒だねえ。悪い子は、このユホ様が」
 そこで一旦言葉を切り、「いや」と首を横に振って、彼女は更なるあくどい笑みを顔にへばりつかせて、両腕を広げた。
「この世界の唯一神である、ユホ=デウス・エクス・マキナが、神罰を下して、粉々に打ち砕いてやろうじゃあないか!!」
 狂える魔女だ。その場にいる、本人以外の誰もがそう判じ、戦闘態勢を整えた。
「お前は、わたし達の母ではありません」システが不機嫌極まりない様子で目を細め。
「システに同意する。殲滅に値する」ロジカが『混合律』を握り締めて。
「カッシェの分まで、遠慮無くやらせてもらうぜ」キラが大剣を青眼に構え。
「エクリュの母さんを、助ける!」一声と共にメイヴィスが虎に化身し。
「シズナ……」ミサクが真剣な表情で呟く。
「かあさん」
 エクリュはユホ=デウス・エクス・マキナを見すえた。『複製律』に取り込まれた母は、苦しそうに顔を歪め、全身に繋がれた線を伝って血を流している。一刻も早く解放せねばならないのは明らかだ。
「すぐに助けるから」
『オディウム』を握り直す。咆哮をあげて、エクリュは床を蹴る。
「来るがいいさ、中途半端な、忌まわしき勇者と魔王の娘! お前を叩き潰して、このあたしが絶対である事を、世界に知らしめてやる!」
 ユホ=デウス・エクス・マキナが高笑いをあげると同時、床に蔓延はびこる線が、生き物のようにざわりと動き出した。
 色とりどりの線が鎌首をもたげたかと思うと、鞭のようにしなって振り下ろされる。エクリュは後方宙返りをして避け、虎に化身したメイヴィスも身軽に逃れ、ミサクは『風刃律』で切り裂き、キラは大剣を掲げてわざと絡みつかせ、雄叫びと共に引き千切る。ユホ=デウス・エクス・マキナが舌打ちして鬱陶しそうに顔を歪ませたところへ、ロジカとシステが『爆裂律』を放ち、轟音が空気を叩く。
「やったか!?」
 キラが快哉を叫ぶ。だが、そんな彼目がけて、『地槍律』の巨大な棘が、幾つも飛んでくる。ぎょっとして反応が遅れた彼の襟首をメイヴィスがくわえて飛び退り、システが『反鏡律』を使って棘を跳ね返して、直撃は免れた。
「人間。人間。弱い人間と、不完全な摂理人形がどれだけ頭数を揃えたところで、無駄な事」
 煙の向こうから、変わらぬ姿で現れたユホ=デウス・エクス・マキナが両手を突き出し、『暴風律』を発動させた。咄嗟にロジカが『飛散律』で逆手に取って、風圧を分散させ、威力を逃がす。
「あたしは神だ。いや、最初から、あたしが神だったんだよ」
『雷撃律』、『闇刃律』、『業火律』。次々と魔法を放ちながら、ユホ=デウス・エクス・マキナは壊れた再生機のように語る。
「あたしだ。千年前、あたしが『複製律』を創り、聖剣と魔剣を造って、『複製律』が生み出した二人の魔王を戦わせた」
 その途端、きん、と、エクリュの脳を刺すような痛みが襲った。『フォルティス』を握っているミサクも同じ感覚に襲われたのだろう、頭をおさえて呻く。
 脳裏に、この深淵の間だが、決して今ではない光景が横切る。それぞれ青い『フォルティス』と赤い『オディウム』を手に向かい合う、紫の髪と瞳をした、似た顔の二人。ユホによく似た女が見守る前で彼らは戦い、青の輝きを持つ者が、赤の輝きを持つ者を床に沈めた。
「勝利を収めたのは『フォルティス』の魔王! あたしは、そいつの記憶を書き換えて、地上に落とした! 唯一王国を脅かす魔王を倒した、勇者様としてね!」
 まるで演劇のクライマックスのように語られる事実に、エクリュは驚愕して目を見開いた。奴の言う事がでっち上げなどではない事は、手にした魔剣が鮮烈に語っている。
「……成程」
 聖剣にすがりながら何とか倒れ込まずにいたミサクが、忌々しそうに唸りながらこうべを振る。
「人間で、勇者の血族しか聖剣を扱えないのは、魔王と同じ血を引いているからか。ようやっと合点がいったさ」
「摂理人形が神から受け継いだ記憶にその記録は無いが、魔王であった者が人間と交わって、人間の寿命を持つ勇者の血族となったとすれば、辻褄は合うと認める」
 ロジカが真顔で肯定しながら、飛んできた『氷槍律』に向け『火炎律』を放つ。氷と炎はぶつかり合って、派手な水蒸気をあげた。
「ですが、不可解です」
『雷撃律』を同じ魔法で相殺しながら、システが眉間に皺を寄せる。
「魔族の寿命とて、数百年。千年も生きる魔族など、あり得ません」
「ところがそれが、出来ちゃうんだなァ、十五年しか生きられない、可哀想な人形ちゃん!」
 ユホ=デウス・エクス・マキナが嘲弄すると、再び床の線が蠢く。襲いくる線をエクリュ達がいなす中、狂った魔女の口上は続いた。
「あたしは天才だ。脳だけあれば、記憶を維持できる。あたしは生き延びたんだ、身体を乗り換えて。何度も! 何度も!!」
「何言ってんだよ、こいつ?」「解説の余裕がありません」
 キラが大剣を振り回しながら、訳がわからないとばかりに口を開くが、システも今、彼に説明している余地が全く無さそうだ。
 だが、エクリュには、この女が全ての元凶であるという事だけはよくわかった。この女が、両親の、いや、あらゆる人々の人生を狂わせた。それだけで、この女を討つ理由としては充分だ。
 緑の魔律晶を取り出す。南海諸島で手に入れた『毒素律』だ。金属製の機械の身体には、見た目から効きそうにないが、脳が生身だというのなら、毒でいくばくかのダメージを与えられるのではないか。そう信じて、魔法を発動させる。あぶくを立てる音と共に、毒の泡がユホ=デウス・エクス・マキナ目がけて飛んでゆく。
 しかし、それを見た敵は慌てなかった。にたりと唇を歪ませ、機械の手を突き出すと、泡を瞬く間に吸収してゆく。緑の液体は彼女の下にある『複製律』にじんわりと流し込まれ、そこに囚われたシズナが目を見開いて、口から血を吐いた。
「かあさん!」「シズナ!」
 エクリュとミサクの、悲鳴じみた叫びが重なる。そちらに気をとられた隙に、再びしなった線が、ミサクを壁に叩きつけ、エクリュの足を絡め取る。
「あっ」
 切り落とそうと振り上げた手にも線が絡みつき、『オディウム』を取り落とす。更に両手足を縛められ、エクリュの身体は逆様に宙に持ち上げられた。懐から、南海諸島で手に入れた魔律晶が零れ落ちる。
「ああ、いいざまだ! いいざまだねえ、エクリュ?」
 頭に血が逆流して視界がぼうっとする中、エクリュはユホ=デウス・エクス・マキナの眼前まで引っ張り上げられた。魔女のぎらぎらした金色の瞳が嘲りを込めて細められるのが、それだけは明瞭に見える。
「あたしの大事だったあの子を奪った、クズ娘の子供なんて、汚らわしい事この上無い! ここで八つ裂きにして、あの子に見せつけてやるよ!」
 その言葉に、かっと身体が熱くなった。母を貶めるのは許さない。両親の恋を否定する事は、許さない。何とか逃れようと身をよじるが、線は更に拘束を強めて、エクリュを離さない。せめて『オディウム』をこの手から離していなければ。首に迫りくる、鋭い爪を持った機械の手を睨み、ぎり、と歯噛みした時。
 獣の咆哮が、聞こえた。
 聞き違えるはずが無い、メイヴィスの声だ。だが、視界に虎の姿は無い。ユホ=デウス・エクス・マキナも、その姿を探し求めてきょろきょろと辺りを見回している。一体どこに。そう思った直後。
「ぐぎゃああああああ!!」
 ユホ=デウス・エクス・マキナが目をむいて、悲鳴をあげた。『複製律』と魔女を繋いでいる線が、突然切断されたのだ。本体にも衝撃は伝わったらしい。線は続けざまに噛み切るように途切れ、とうとう『複製律』が床に落ち、硝子が割れるような音を立てて、一部が大きく砕けた。
 その間にも、魔女への見えない攻撃は止まず、エクリュを拘束していた線も断ち切られる。宙に放り出された身体はそのまま床に叩きつけられるかと思ったが、途中で柔らかい毛皮の感触が、エクリュを受け止めてくれた。
 ぽろ、と。空中を落ちてゆく透明な魔律晶が見えたと同時、その毛皮の主の姿も見えるようになった。メイヴィスだ。先程エクリュが落とした『遮蔽律』を口に含んで姿を隠し、ユホ=デウス・エクス・マキナに近づいていたのだ。
「ありがとう」
 たてがみに顔を埋めてぎゅっと首にしがみつくと、虎は喉の奥でごろごろと鳴きながら、床に降り立った。
BACKTOPNEXT