第10章:神をほどく(3)
「シズナ……」
 ミサクが呻くように名を呼びながら、しかし左手の銃を掲げ、神に照準を合わせる。途端、少女は切願するような表情になり、胸の前で手を組んで、小首を傾げた。
「私を殺すの、ミサク? そんな事は無いわよね。だって貴方は」
「黙れ」
 叔父の口から、ひどく低い声が放たれたので、エクリュは驚きを隠せずに隣を見やる。
「今のお前はシズナじゃあない。低次元な真似事をするな」
 彼の青い瞳は今、絶対零度に凍りついて、神を見すえている。このままシズナの額を撃ち抜く事も厭わない、といった態だ。
 デウス・エクス・マキナは、衝撃を受けたような様子で、碧の目を見開き、ふるふると薄い唇を震わせ、顔をうつむける。が。
「……ふ」
 その唇が再び弧を描き、低い笑いが洩れ出す。
「ふふ、ふふふ。良い度胸だ、勇者の血族とその取り巻き」
 面を上げた彼女の顔は、最早シズナを取り繕ってはいなかった。邪悪。その言葉が似合う歪んだ笑みを張りつかせ、こつ、こつ、とヒールのある靴で床を叩きながら一歩一歩を踏み出し、世界を抱き締めんとばかりに両腕を広げる。
「我は神。魔王と勇者の摂理を創りし者。この大陸を救う唯一神。逆らう者は、一人残らず消す」
 その言葉に、エクリュは『オディウム』を構え、ミサクが『フォルティス』を鞘から抜き放ち、メイヴィスとキラが武器を握り直して、ロジカとシステがリビエラをかばうように立つ。
 そんな一同を見渡して、嘲るような吐息をひとつ洩らすと、「ユホ」神は背後に立つ魔族へ声をかけた。
「お前が戦え。我が手を下すまでも無い」
 だが、敬服の応えが無い。神は一瞬きょとんと目をみはり、それから、苛立ちを込めた声色で振り返る。
「我に従え、所詮下等な存在の魔族が。逆らえば」
 直後。
 ごつ、と、鈍い殴打音がエクリュ達の耳に届き、目は信じられない光景を映し出した。
「逆らえば、何だってえ?」
 金属の拳で、仕えるべき神の頭を手加減無しに殴りつけたユホが、唇をめくりあげて高笑いを放ったのである。
「いつまでいい気になって、神様の振りをしてるんだい、このクズ娘が!」
 二発、三発と。拳は執拗に振り下ろされ、赤いものさえ飛び散る。がくりと力を失ってくずおれるシズナの、血に濡れた金髪を引っつかみ、魔族の女はずいと顔を近づけてちろちろと舌を出した。
「デウス・エクス・マキナに繋がれて修理されている間に、あたしは神の記録を垣間見て、そのデータを書き換えた。そして、ずっと狙っていたのさ、この機会を!」
 愕然とするエクリュ達の前で、ユホは目を限界まで見開いて、高々と宣誓する。
「あたしこそが神! デウス・エクス・マキナはあたしの物! お前は所詮、あたしの掌の上で踊るお人形さんごっこをしていたに過ぎないんだよォ、このクズが!」
 言うが早いか、彼女はシズナの髪をつかんだまま、ずるずると床を引きずってゆき、デウス・エクス・マキナの本体である、巨大な紫の魔律晶『複製律』のもとへ辿り着く。そして、『複製律』にシズナの身体を叩きつけ、無数の線が彼女を絡め取り、『複製律』の中へ沈むように取り込むのを見届けると、「あっはははははは!」と哄笑を響き渡らせた。
「いいざまだねえ、シズナ! やっと! やっとだ! やっとあたしが! あたしが神になる!!」
 ユホの身体に向けても、『複製律』からいくつもの線が伸び、彼女と接続される。その身がふわりと浮き上がり、『複製律』の上に生えたかのように、ごく当たり前のごとく収まる。
「貴様!」
 ミサクが激昂して、左手の銃を放つ。しかし、弾丸はユホがにやりと笑って右手を突き出すだけで、『障壁律』に阻まれた。
「そんな玩具で、あたしを倒せると思うか、特務騎士?」
 続けざまに『暴風律』が初源の間を吹き荒れる。通常の威力を遙かに超える風圧に、エクリュ達はばらばらに吹き飛ばされ、あるいは床に転がり、あるいは円筒に叩きつけられた。
「ははははははは! 愉快だねえ! 気分がいいねえ! 最高だよ!!」
 けたたましい笑いを振りまきながら、『複製律』と同化したユホが動き出す。ずるりと線の束を引きながら、笑い声は更に奥へと消えた。最下層だという『深淵の間』へ去ったのだろう。エクリュは円筒にぶつかってしたたかに打った、痛む身体を必死に叱咤して、後を追おうとする。が、ふと予感があって、円筒の中を見上げ、驚きのあまりに言葉を失ってしまった。
 円筒には紫色の液体が満たされ、一糸まとわぬ人体が揺蕩っている。それだけなら、他の円筒にも同じような光景が散見される。しかし、エクリュが気を奪われたのはそこではない。
 液体の中で揺れる紫の髪は、エクリュと同じ魔王の色。そしてその顔は、目を閉じていても見間違えるはずが無い。かつて船の墓場でエクリュを導いてくれた青年、そのものの姿だったのだ。
「エクリュ、どうしたの。大丈夫?」
 右肩を強打したのだろう、さすりながら近づいてくるメイヴィスが、エクリュの視線の先に気づいたか、円筒を見上げてやはり言葉を失う。予感に確信を与えたのは、後れてやってきたミサクの呟きだった。
「アルダ……」
 それはエクリュの父親の名だ。やはりこの人が、父なのか。
「助けられないのか!?」
 すがるように放った言葉は、後に続くロジカとシステに向けてだった。
「試行する」
「デウス・エクス・マキナは、よくこの人物に寄り添っていました。恐らく、勇者シズナの記憶を辿って、固執していたものと思われます」
 ロジカが円筒の隣にあるパネルを叩く中、システが淡々と説明し、「ですが」と、彼女にしては珍しく口ごもってから、先を継いだ。
「この人物が魔王アルゼストであるならば、十七年前に既に死亡しているという記録が、我々の認識にも刻み込まれています。『留魂律りゅうこんりつ』で命を繋ぎ止めているとしても、肉体が魔王としての耐用年数である三十年を超えている為、すぐに生命が尽きるかも知れません」
「それでもだ!」
 エクリュは間髪入れずに叫んでいた。それでも良い。子供の我儘でも良い。目が覚めた瞬間に敵と見なされて魔法を撃たれたとしても構わない。ただ、父と言葉を交わしたいという願望が、今のエクリュの胸を占めていた。
 やがて。
「成功した」
 待ち望んでいた台詞をロジカが告げる。液体が引いてゆき、円筒が上に開いて、青年の身体がゆっくりと倒れてくる。それを全身の力を込めて受け止め、「とうさん」エクリュは呼びかけた。
「とうさん、とうさん!」
 アルダの目は固く閉じられ、呼びかけに応じない。更に声を張り上げようとしたエクリュの肩を、横から軽く叩く手があった。
「いきなりそう呼ぶな、エクリュ。記憶が混濁している可能性がある」
 ミサクは静かにそうたしなめると、エクリュの腕から父の身体を引き離し、そっと床に横たえて、マントをかぶせる。リビエラが『回復律』を使い、青い光が父の胸に吸い込まれて消えると、紫の睫毛が震え、その下からゆっくりと、同じ色の瞳が現れた。
 しばらく、焦点の合わない視線が彷徨う。が、その目がミサクを捉えた瞬間、父の顔に驚きが満たされ、その唇が、「お前」と、かつて聞いたのと同じ声を紡ぎ出した。
「シズナと一緒にいた、特務騎士か」
「ミサクだ」
 叔父の応えに、ミサク、と口の中で繰り返しながら、父が起き上がろうとする。だが、長い間円筒に閉じ込められていた身体は筋力が衰えて、身を起こす事さえ苦であるようだ。見かねたミサクが背中に手を添えてやると、ようよう上半身を起こす事が出来た父が、彼に問うた。
「俺達がデウス・エクス・マキナに敗れてから、どれだけ時間が過ぎた」
「俺の言う事を、お前が信じるのか?」
「お前が嘘を言う必要性を感じない」
 昔の二人の関係性を、エクリュは知らない。だが、魔王と唯一王国の騎士だ。決して穏やかな仲ではなかったのは、互いに棘を含んだ会話から察する事が出来る。エクリュの想像を決定づけるように、ミサクがわざとらしい嘆息をして、ぶっきらぼうに父に告げた。
「十七年だ」
 その言葉に、父は目を見開き、それから軽くうつむいて、深く息をつく。
「じゃあ、俺の耐用年数はとっくに過ぎてる訳だ」
 諦観を込めた呟きの後、しかし彼はすぐに顔を上げ、エクリュの方を向いた。その瞳が、優しく細められる。
「エクリュだな」
 名前を言い当てられて、どきりと心臓が脈打つ。自分が生まれた時、既に父は母の傍にはいなかったはずだ。何故、わかるのか。
「魔王の血だろうな。眠っている間にも、お前の存在を感じ取る事が出来た。少しだけ干渉する事も」
 では、シャンテルクで力を与えてくれたのも、船の墓場で助けてくれたのも、全て本当に父だったのか。それに気づいた瞬間、胸が熱くうずく。
 父がまだ力が入らない両腕を震わせながらも、こちらに向けて差し伸べる。身を委ねれば、ひんやりとした感触が、肩を包んでくれた。
「ずっと、お前達の傍にいてやれなくて、ごめんな」
 優しい囁きに、じんわりと目の奥にこみ上げてくるものがある。だが、今は泣いている場合ではない。父の命が再び尽きる前に、やらねばならない事がある。エクリュは未練を感じながら腕を解くと、メイヴィスが取り出した服一式を受け取って父に差し出し、決意を宿した瞳で、告げた。
「かあさんは、あたしが必ず助けるから。だから、ここで待ってて、とうさん」
 父が軽く驚いた様子で目をみはり、それから、「……すまない」と爪弾くような小声で言いながら、服を受け取る。
「リビエラはここに残って、彼を看ていてやってくれ」
 ミサクの言葉に少女がうなずき、「大丈夫」エクリュの胸に拳を軽く当てた。
「貴女のお父様は、ちゃんとわたくしが見守っていますから。遠慮無くあのくそったれ魔族をブッ飛ばしてきやがりなさいな」
 言い方は相変わらず荒っぽいが、親友の気遣いが、今は何よりありがたい。
「ありがとう、頼む」
 頭を下げて、手からすっぽ抜けていた魔剣『オディウム』を再び握る。
「『深淵の間』は、デウス・エクス・マキナのデータに満たされた場所です。一度踏み込めば逃げ道は無いと思ってください」
「わかってる」
 システの警告にも、エクリュの決意は揺らがない。必ず母を取り戻すと決めたのだ。逃げ場が無いくらいで怖じ気づくくらいならば、ここまで来ていない。
 父と会って、言葉を交わす事が出来た。ならば今度は、母を神の支配から解き放って、家族三人で抱き合うのが夢だ。必ず、それを果たしてみせる。
 エクリュはそう固く心を定めて、深淵への歩みを進めた。
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