第10章:神をほどく(2)
 魔王城内は、エクリュが目にした事も無い、機械仕掛けの世界であった。
 黒い金属の壁が無機質に続き、『燈火律』の灯りが、人一人が腕を広げたくらいの間隔で廊下を照らしている。階層の移動は、階段ではなく『エレベータ』という、パネルの操作で上下する鉄製の箱。ここで生まれ育ったロジカとシステ、かつて訪れた事のあるミサク、魔族であるユージンはごく平然と先へ進んでいたが、後の四人は、初めて触れる異質な文明に驚きを隠せず、敵の本拠地である事も忘れそうになって、きょろきょろと周囲を見回しながら歩いていた。
 先へ進むと、時折、魔物が現れる事があった。一つ目の鬼、メイヴィスが変身した虎より一回り大きな猛獣、頭が二つある大蛇、額に『信仰律』を埋め込まれた、ロジカとシステのきょうだい。どれも対話が成立しない相手ばかりだ。
 だが、エクリュ達も容赦はしなかった。こちらは神を討ちにきたのだ。その邪魔をする者は、明らかな敵だ。斬りかかり、撃ち抜き、魔法で退けて、黒い床に血の池を作りながら先へと進む。
「ん?」
 その途中で、ユージンが何かに惹かれるように足を止めた。今までの廊下にも続いていた、一見何の変哲も無い、金属の扉だ。すぐ横に機械製の鍵がかかっており、赤い光が点灯している。
「開けられる?」
「試行する」
 彼女の言葉にロジカが反応し、光の下にあるパネルを指先で叩く。すると、軽い音を立てて、光は赤から緑へと変わり、扉は横に滑るように開いた。
「これは……」
 その先に繰り広げられた光景を見て、最初に感嘆の声を洩らしたのは、ミサクだった。予想以上に大きな空間が広がっており、一機の乗り物が収まっている。人間数十人ほどを乗せられそうな大きさの機体は、この黒い城とは対照的に白い鉄板で覆われ、流線型を描いた胴体に、大きな翼がついている。まるで幻鳥げんちょうガルーダを模したようだ。
「飛行艇かあ」ユージンが興味津々に目を輝かせ、駆け寄ってゆく。「本では見た事あるけれど、ここまで造れるようになってたとはねえ」
「飛行艇の作成は昔からデウス・エクス・マキナの計画内にありましたが、『駆動律』が完成した時点で、現実のものとなりました」
 システが説明するのを後目に、ユージンはうきうきと飛行艇の周囲をうろつき、開いている扉を発見すると、中へ入り込む。
「気をつけろ」ミサクが溜息をつきながら後を追った。「敵が潜んでいるかもしれないんだぞ」
 彼に続いてエクリュ達も飛行艇の中へと踏み込む。やはり金属の壁と床で造られているが、強化硝子製の窓がいくつも填め込まれ、外に出られれば、明かり取りの無い城内を歩いているような閉塞感は感じなさそうだ。
 機体の先端に当たる場所へ踏み込むと、そこは広く、前を見通せるようにより大きく窓が取られ、エクリュには全くわからない――「計器類だ」とロジカが教えてくれたがやっぱりわからない――機械を、ユージンが新しい玩具おもちゃを与えられた少女のように顔をきらきらさせて操作している。ここが操縦室であるようだ。
「ここにこんな物を造って、どうするつもりだったんだろう」
 物珍しそうに室内を見回すメイヴィスがぽつりと洩らすと、座席に着いて計器類と睨み合っていたユージンが振り返り、ひらひらと手を振った。
「その辺りも、この機体のデータベースに記録されてるみたいだね。ちょっと時間をもらえれば、解析が出来そうだ」
「お前の言う『ちょっと』は」
「んー、一時間くらい?」
 ミサクの問いかけにも軽い応えが返り、彼が額に手を当てて深々と長息を吐く。
「そんなにぼんやりと待っていられないぞ」
「我々が一時間をここで浪費すると、城内の魔物が集まってくる確率が十倍に上昇する可能性を提示します」
 システが相変わらずの無表情で、しれっと怖い事を言い出したが、ユージンは気にも留めない様子で、「じゃあ」とあっけらかんと言い放った。
「アタシ一人で充分だ。あんた達は先に進んで」
「そんな」メイヴィスが焦った様子で声をあげる。「先生一人を残していけないよ」
 だが、そんな懸念にも、魔族の『変人医師』は、にやりと笑って返してみせるのだ。
「大丈夫、アタシだって魔族のはしくれ。魔法とある程度の護身術は身につけてる。乗り込んでくる馬鹿がいたら、返り討ちにしてやるよ」
 そして彼女はエクリュ達を見回して、「それに」と語を継ぐ。
「あんたらは全員、デウス・エクス・マキナに挨拶しにいく理由があるだろ? アタシはしなくてもいい。あんたらが神様に一撃喰らわしてる間に、アタシは解析を終える。それでいいじゃないか」
 言われて、エクリュ達は互いに顔を見合わせた。
 エクリュとミサクは、シズナを救うという命題がある。メイヴィスは母子共に魔族に人間の尊厳を奪われた事に対して、けじめをつけたいだろう。リビエラも心安まる居場所を失った。ロジカとシステは神の子として、そのくびきを解き放つ為に生みの親と対峙し、キラは右腕を奪われた仇を取りたい。全員に目標があるのだ。
「だから、行きなよ」
 ユージンは薄く笑んで、懐から魔律晶を取り出し、目の前に掲げてみせる。
「『通信律』はアタシも持ってる。何かあったらロジカに連絡を取るから」
 それでもミサクは塩の塊を口に含んでしまったような表情をしていたのだが、ユージンが言った事を曲げない性質たちである事をよく知っている故だろう、三度目の溜息を吐き出した。
「何かあったらすぐに戻る」
「ありがと」
 大人達が言葉を交わし、それが互いの了承の合図となる。ユージンはすぐさま背を向け計器と向かい合い、ミサクが「先へ進むぞ」とエクリュ達を促した。

 奥へ進むほど、魔物の数は少なくなっていった。代わりに、人間の半分くらいの背丈の金属の筒に八本足が生えた、蜘蛛のような機械が、きちきちと音を立てながら廊下を徘徊している。それがエクリュ達の存在に気づくと、胴体にある一つ目を赤く光らせ、気色悪い速さでこちらに向かってきた。
 ミサクが牽制の為に銃を放ち、相手が一瞬動きを止めたところへ、エクリュが『オディウム』を振り下ろす。魔剣は金属音を立てて跳ね返され、たたらを踏んだところに、機械蜘蛛が足を振り上げる。その先端は鋭く尖っていて、急所を貫かれたら命は無いだろう。ひやりとした時、硝子の欠片を振りまくような音がして、システの『氷結律』が、敵を凍りつかせた。
「『チェイサー』の胴体は強固で、魔物のようにまともに斬ろうとしても、刃が通りません。継ぎ目を狙ってください」
 彼女の言葉に従い、凍った機械蜘蛛――チェイサーをまじまじと見つめれば、金属製の胴体に、わずかな隙間が見出される。そこに『オディウム』を滑り込ませると、ばちん、と火花が散って、目から光が失われ、チェイサーは微動だにしなくなった。
「念の為、動けなくしておこうか」
 メイヴィスが、チェイサーの傍らに膝をつき、胴体と足の継ぎ目に次々と短剣を突き立てる。足は意外と簡単にもげて、移動手段を奪われた寸胴な筒が床に転がされる状態となった。
「……メイヴィス、貴方」リビエラが頬を引きつらせる。「意外と容赦無いんですのね」
「そう?」
 メイヴィスが不思議そうな表情で振り返り、小首を傾げる。「無自覚って怖え」とキラがぼそりと呟くのが、エクリュの耳に届いた。

 チェイサーを倒して、いよいよ敵は姿を消した。だが代わりに、奥から漂ってくる気配がある。
 向こうが動かずとも、近づいてゆくほどに強くなる、この気配を知っている。エクリュはぶるりと身を震わせる。シャンテルクで邂逅した母が身にまとっていた気配、デウス・エクス・マキナのものだ。
 いよいよ神が近い。本当に、倒せるだろうか。本当に、母を救えるだろうか。掌がじっとりと汗をかく。そこに滑り込んでくる手の気配があって、エクリュははっと隣を見た。
「エクリュ」
 メイヴィスだ。橙の瞳に真剣な色を宿して、こちらをまっすぐに見つめている。
「大丈夫、オレが」
 言いさして、彼は少しだけ紅潮して一瞬視線を外し、再び戻す。
「オレ達が、ついてるから。必ず君のお母さんを助けよう」
 その言葉が、清水が岩に染み込むようにエクリュの胸を満たす。そう、自分は一人ではない。誰にも顧みられず、生き延びる為だけに独りで戦っていた『名無し』の頃の自分ではない。ここまで絆を築いた、仲間達がいるのだ。
「ありがとう」
 ぎゅっと、力を込めて少年の手を握り返し、そして、離す。
 目の前に、大きな扉が待ち構えている。『初源の間』への入口だ。『オディウム』を抜き放って力強く握り、反対の手で、扉を開ける。
 途端、紫の液体が満たされた円筒が立ち並ぶ広間が視界に広がる。その奥を見すえれば、無数の線に繋がれた巨大な紫の魔律晶。そして、機械の身体を持つ魔族を従え、丈の長い紫のドレスを身にまとった金髪の女性。
「……かあさん」
「ここまで来たか、『私』の子」
 少しずつ距離を詰めるエクリュの呟きに答える事も無く、シズナの姿をしたデウス・エクス・マキナは、にたりと口の両端を持ち上げて、言葉を放った。
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