第9章:帰ってきた勇者(4)
「ユージンはエクリュとメイヴィスの回復を」
 周囲の驚愕を置き去りにして、ミサクは淡々と傍らの魔族に告げる。
「あれは俺がやる」
 言うが早いか、ミサクは地を蹴って駆け出し、ゲ=ルドとの距離を一気に詰めた。
「何だ貴様は!?」ダヌ族の長が裏返った声をあげる。
「わかっているのか!? 私に危害を加えればこの娘へぶぅっ!!」
 全てを言い切る前に、変な悲鳴に変わる。ミサクの左手に握られた銃床が、強かに顔面に叩き込まれたからだ。歯が何本か飛び、鼻血を噴きながらよろめく脳天へ、容赦無く右手の拳の追撃が落ちる。
「馬鹿、な」
 突然現れた新手と、受けた衝撃が信じられないのか、ゲ=ルドはふらつきながら、呻くように洩らす。
「私は、神だ。神の力を手に入れた私が、何故ぐぎゃああああ!!」
 喚く間にもミサクの容赦無い攻撃は続く。聖剣『フォルティス』が振り上げられ、剣を握った右腕が簡単に斬り飛ばされた。
「教えてやる」
 痛みに悲鳴をあげながら転がるゲ=ルドを足で踏みつけて地面にあおのけに固定し、ミサクは絶対零度の光を瞳に宿らせて、相手の額に埋まった『狂信律』に、銃口を突きつける。
「それはお前が神などではなく、ただの下種だからだ」
『静音律』を取り付けた銃が吼え猛る声は、夜の雨空に響き渡らない。
 神を気取った蛮族の長は、魔律晶を撃ち抜かれ、あまりにも呆気無く果てた。

 ミサクがゲ=ルドを倒した瞬間、キラを攻め立てていたカッシェが、動かす主を失った人形のように、ぴたりと止まった。
「……わ、か」
 爛れた口が、それまでのような呻きではなく、人の言葉を紡ぎ出す。
「カッシェ?」
 キラが唖然とする間にも、彼は言を継ぐ。
「どう、か、私の、事は、お気に病まず。オルハの未来を、見すえて、良き、長に」
 そこまでを言うと、彼の身体が泥のように崩れ出す。『留魂律』の効果が失せた死者は、その身を維持する事かなわず、どろりと溶け落ち、雨と共に地面に吸い込まれて、消えた。
 キラはしばらく、腹心が消えた場所を見下ろして、微動だにしなかった。が、やがてその肩がわなわなと震え出す。
「キラ」
 いつの間に背後に来ていたのか、システが静かに呼びかける。泣き喚きたかった。先程のように、彼女の肩を借りて。だが、そんなみっともないざまを二度も彼女に見せるのは、彼なりの矜持プライドが許さなくて、大剣を背に戻すと、ぱん、と音を立てて両頬を叩き。
「大丈夫だって! 俺様、これでも打たれ強い訳よ」
 精一杯の笑顔を彼女に向けようと振り返る。途端、予想外の展開に、キラはぎょっとして中途半端な首の位置で固まってしまった。
 システの頬を、明らかに雨ではない水分が伝っていた。目から溢れるものをそのままに、彼女はこちらをまっすぐに見つめている。
「わからないのです」
 ゆるゆるとこうべを振りながら、それでも淡々と、彼女は言った。
「貴方が無事で安堵しているわたしと、彼を悼むわたしとがいて。どちらの為に涙が出るのかわかりません。こんな事は初めてで、非常に不可解です」
 ここで一緒に涙を零してしまったら、オルハの長として、いや、男がすたる。キラはそっと少女の細い肩を抱き寄せると、自分の胸に顔を埋めさせて、「いいんだよ」と囁いた。
「理由が何であれ、泣きたい時は思いっ切り泣く。それが人間らしいって事さ」
「わたしは人間では」
「人間だよ」
 濡れた薄緑の髪を、ぐしゃぐしゃと撫でてやりながら、子供に言い聞かせるように告げる。
「誰かの為に泣けるあんたは、立派に人間だ。そんなあんたが、俺様は大好きなんだよ」
 ぴくりと少女の肩が震える。しゃくりあげる声は、雨音にかき消されそうなほどに小さかったが、キラの耳にはしっかりと届いていた。

 広場を燃やした炎は、ミサクの『降雨律』によって消え、ユージンの『回復律』で、エクリュとメイヴィスの傷も癒された。
 雨がやむ頃、ダヌ族の残党は、オルハの戦士達に狩られるか、這々の体で逃げ出していった。長のゲ=ルドを失った彼らは、これでオルハ族を攻めてくる事が無くなるだろう。それが未来永劫なのか、ほんのしばらくの間なのかは、わからないが。
 それよりも、エクリュ達の気持ちは今、目の前に悠然と立つ男に向けられていた。
 死んだと思っていた。『呪詛律』の摘出に失敗し、『フォルティス』を遺して、ユージンが墓を立てたはずだ。それがどうして、ここにいるのか。しかも、失ったはずの右手に聖剣を握ってまで。
「ミサク、何で……」
 虎から人間の姿に戻り、服も着込んだメイヴィスが、唖然とした様子で問いかける。対するミサクは、手袋で覆われた、金属音を立てる右手を顎に当て、しばらく語る順番を模索していたようだが、
「有り体に言うと、お前達を騙していた」
 と、実も蓋も無い種明かしを始めた。
「あの時、『呪詛律』の摘出には成功していた。ユージンの腕は信じていたからな」
『呪詛律』の呪いからは解き放たれた。だが、負った傷はユージンの『回復律』をもってしても完治には至らず、ましてや、左手で銃を扱う事しか出来ない身体では、このまま子供達と共にいても、足手まといにしかならない。
「時間が必要だったんだ。付け焼き刃でも、お前達と共に戦えるだけの力を身につける為に」
 だが、エクリュ達に心配をかける訳にはいかない。ユージンと相談した結果、表向きは死んだ事にし、元部下のギルが訪れた時に頼み込んで、剣を握れる義手を作ってもらった。そこから数週間で、今まで見てきた人間達の剣術や魔法をそらで思い出しつつ、聖剣『フォルティス』を人並みに振るえるだけの力を身につけたのである。魔法の習得は中途半端となったが、聖剣をデウス・エクス・マキナの目から隠す為に、家に『阻害律』を置いた事が、結果として、ミサク自身の生存も隠してくれる事となったのだ。
「でも、それにしても、あまりにも『狙い澄ました』ご登場じゃあありませんでした事?」
 リビエラが胡乱げな視線を向けると、隣のロジカが、平然とした様子で、一つの魔律晶を取り出した。親指の先大の、透明で完全な球体だ。
「『通信律』だ。これを発信させる事で、ユージンが『透過律』を我々に対して使えるようにしていた」
 さも当然のごとく、少年が告げる。
「姉上達には絶対に知らせないという約束のもと、ロジカだけ、ユージンからミサクの生存を知らされていた。力を得るまで身を隠すという言い分は、ロジカの考え得る理屈ロジックにかなっていたので、条件を受け入れた」
「まあ、この子なら、理屈さえ通ってたら、必ず黙っててくれるってわかってたからね」
 ユージンがあっけらかんと笑うと、リビエラは、ぽかんと口を開けて絶句した後、しばらくしてから、「ああー、もう!」とがっくりと肩を落とした。
 エクリュは傍らのメイヴィスに視線をやる。少年はうつむいて小刻みに肩を震わせている。その正面に、ミサクが立って、静かに告げる。
「騙してすまなかった」
 その言葉に、メイヴィスが顔を上げた。今にも零れそうなほど、まなじりに涙を溜めながら、「ミサク」と彼は目一杯の笑顔を見せて、そして言った。
「殴らせて」
 直後、強烈な殴打音が辺りに響く。メイヴィスの拳は相手の頬に見事にめり込み、ミサクが顔をしかめてふらりとよろめく。
「あたしも一発」その様子を見て、今更ながらふつふつと怒りが湧いてきたエクリュが続いて反対の頬を殴り。
「わたくし達を泣かせた罪は重くってよ」リビエラは杖で、ごん、と額をどつき。
「片棒を担いだロジカにも非はあるが、リビエラを泣かせた事は罰するに値する」ロジカがエクリュ達よりは威力の弱い拳を叩き込み。
「わたしは直接関係ありませんが、ここは加わるべきでしょう」システが張り手を食らわせ。
「おっ、何かよくわかんねえが、俺様も!」悪乗りしたキラが、鳩尾に重い一撃を沈ませた。
 特に最後のキラの参加が効いたらしい。腹をおさえてうずくまるミサクを、
「あんたが言い出した事なんだもの、フォローはしないよ」
 とユージンがけたけた笑いながら突き放したので、彼を擁護する者は一人もいなくなってしまった。
 ミサクはしばらく脂汗を浮かべて腹をおさえていたが、やがて深々と溜息をつき、ようよう立ち直ると、「とにかく」と表情を引き締めて、居合わせる面々を見渡した。
「聖剣と魔剣は揃った。今こそ、デウス・エクス・マキナの元へ乗り込む時だ」
 その言葉に、誰もが緊張を顔に満たす。神を止める武器が手元にあり、それを振るえる勇者が二人いる今が、神を討つ最大の好機だ。異論を挟む声はあがらない。
「……貴方がついてくる理由を感じないのですが」
 ただ一人、システが不思議顔でキラを見上げると、
「あるだろ?」
 青年はにやりと笑い、右の拳を左の掌に打ち付けた。
「大事な部下を奪われたんだ、お礼参りはきちっとしないとな。それに、システの親御さんなら、挨拶しに行くべきだろ!」
「前半だけなら格好良かったですのに」
 リビエラが、額に手を当てて唸る。それをエクリュがくすりと笑って見やると、ミサクがぽつりと呟いた。
「良い表情かおをするようになったな」
 その言葉に振り向けば、叔父は眩しそうに目をすがめて、微笑を浮かべる。
「ますますシズナに似てきた」
 それで思い出す。これは、神を討って世界を救うだけの戦いではない。神の支配から母を解放し、取り戻す為の戦いなのだ。そして今なら、神の干渉に負けずに目的を果たす自信が、エクリュの胸に芽生えている。
 エクリュはぐるりと仲間達を見回し、そして、はっきりとした語調で告げる。
「行こう。最後の戦いだ」
 その呼びかけに、誰もが神妙な表情をして、しっかりとうなずいた。
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