第9章:帰ってきた勇者(2)
 オルハ族の集落の中心には、広場があった。今そこに、集落中の老若男女が集まり、木を組み合わせて大きな火を焚いている。勇ましく戦って死した戦士の霊魂が、煙に乗って迷う事無く天上へと向かう事が出来るよう、皆で見送る、魂送りの儀式なのだという。
 行きより一人欠いて戻ってきた一行を出迎えた人々は、誰一人としてエクリュ達を責める事も無く、システの責任だと言い出す者もいなかった。ただ誰もが、自分達の長の為に尽くした勇敢な戦士の死を悼み、彼を讃え、エクリュ達にも魂送りに参加して欲しいと申し出た。
 炎の周りに集落の皆が座り、弦楽器を奏でる音に併せて、肩を組み合い、オルハに古くから伝わる民謡を合唱する。それが終わると、飲み物と食べ物が配られ、皆が殊更明るく談笑を交わす。死者が未練無く天に昇れるよう、魂送りに沈んだ顔は禁物なのだ。
「エクリュ」
 そんな彼らの様子を、切り出したままの丸太に腰掛けてぼんやりと眺めていたエクリュは、名を呼ばれてふっと顔を上げた。
「ごはん、もらってきたよ。お腹空いてるでしょ」
 メイヴィスは、木皿を右手に、飲み物の入った木製のカップ二つを左手に持って、微笑んでみせる。そういえば、昼間に洞窟の中で保存食を口にしたきりだったか。
「ありがとう」
 手を伸ばして受け取れば、皿には魂送りの火で炙った魚と、切り分けられた果物が、二人分載っている。丸太の均衡が取れた場所に皿を置き、それを挟む状態でメイヴィスが座り込んでカップも置く。各々焼き魚を手に取って、かぶりつく。塩味が効いた魚の身は歯で簡単にほぐれ、舌の上でとろけてゆく。飲み物のカップには、『氷結律』で冷やしたと思われる果実のジュースが注がれていて、口に含めば、たちまち甘酸っぱさが舌に触れた。
 キラとシステの姿は無い。集落に帰り着くなり、キラは「一人にしてくれ」と自室にこもり、いくらかの時間が経ってから、システがやけに思い詰めた表情で彼の部屋へ向かったままである。
 ロジカも消耗した体力を回復する為に、部屋で眠っているはずだ。「はず」なのは、彼を看ていたリビエラが、エクリュ達から少し離れた場所で一人、何だか酷く憤慨した様子でがつがつ魚に食らいついているからだ。何かあったのか気になったが、「ああいう時のリビエラは、放っといた方がいいよ」とメイヴィスが遠い目をして言ったので、声掛けをせずに、距離を保っていた。
「良い一族だよね」
 メイヴィスが感慨深げに洩らすので、ふっと隣を見る。日が暮れてすっかり辺りが暗くなってきたので、魂送りの炎に照らされる限りでしか少年の顔は見えないが、橙の瞳はより紅い炎を見つめ、その口元は、どこか寂しそうに苦笑を浮かべている。
「オレもこういう風に、きちんと区切りをつけられたら、良かった」
 何の区切りか、エクリュにはわからなかった。ただ、この光景を見て、彼の胸に何か渦巻く後悔があるのだけは察する事が出来る。
「それは、家に帰ったら出来る事か?」
 質問を発すると、彼が少し驚いたような表情でこちらを向いた。答えを探すようにしばし逡巡し、 「え、ああ、うん。多分、そうかな。今なら」
 と、何だか今にも泣き出しそうな表情を返してくる。その憂いを取り払いたい、という気持ちがエクリュの胸に湧いて出て、「じゃあ」と、言葉は自然に口をついて出ていた。
「あたしも付き合う。一人より二人の方が、心強いだろ」
 メイヴィスが更に目をみはった。それから、目を細めてくしゃりと笑む。
「そうだね、エクリュが一緒なら、これ以上頼もしい事は無いよ」
 暗くなった空の下、魂送りの炎は一層勢いを増して燃え上がる。舞い踊る赤にちらちらと陰影が移り変わる少年の顔が、不意にすっと真剣な表情を帯びた。
「エクリュ」と囁くように名を呼び、こちらの手に、一回り大きな手が重ねられる。その温かい感触は、エクリュの胸に熱を灯す。
「大陸に帰って、デウス・エクス・マキナを倒したらさ」
 だが、その先をエクリュが聞く事は出来なかった。
 どおん! と。
 大きな爆発音と共に、魂送りの炎が爆発し、無数の火球となって、広場に飛び散ったのである。
 演出ではない事は、人々が悲鳴をあげて降り注ぐ火球から逃げ惑う姿から明らかだった。火球は逃れ損ねた者を容赦無く炎で包み込み、絶叫を迸らせる。
 あちこちが燃えて混乱に陥った状況へ、更に追い打ちをかけるように、手斧を持った小柄な人間達が次々と闇の中から現れ、オルハの民へ襲いかかる。その姿は、半日前に見た。
「ダヌ族!?」
 メイヴィスが手を離して立ち上がり、腰の短剣を抜き放つ。エクリュも、傍らの『オディウム』を手にして、跳ねるように地を蹴る。魔剣はたちまち青い光を放ち、闖入者の首を斬り飛ばした。
 昼間は『氷槍律』でさんざん邪魔をしてきたダヌ族は、今度は『火炎律』を積極的に用いて、広場を更なる炎の海に変える。
「エクリュ、メイヴィス!」
 一人距離を置いていたリビエラも、拗ねている場合ではないと判断出来る聡明さを持っている。エクリュ達に『勇猛律』を施すと、近くで腰を抜かしていた老人を叱咤して立ち上がらせ、炎の無い方向へと逃がした。
 そんな彼女の背に、ダヌ族が手斧を振り上げて飛びかかる。だが、エクリュとメイヴィスが助けに入るより早く、『雷撃律』が闇を貫いて、撃ち抜かれた敵は、焼け焦げた屍を地面に転がした。
「リビエラに害を為す者は、ロジカが排除する」
 手を突き出して魔法を放った体勢のまま、リビエラの傍らに立ち、薄緑の髪を炎に赤く照らし出されるのは、ロジカだった。少女が何かを言いかけて、結局黙り込むのを横目でちらりと見やると、少年は、まだ押し寄せてくる敵に向かって、『氷槍律』を連続で放つ。
「オラオラオラオラァ!」
 更に雄叫びが加わった。大剣を振り回してダヌ族に斬りかかってゆくのは、背の高い、赤茶けた髪を持つ戦士。
「長!」
「若様!」
 オルハ族の民が口々に歓声をあげる中、
「カッシェの仇討ちだからな!」
 キラは大きく吼えながら、得物を振り回し、昼より一層力強く、敵を叩きのめしてゆく。その後ろでは、システが冷静に状況を見極めながら、放つ魔法を切り替えてゆく。
「長が戦っておられるのだ、我々もゆくぞ!」
 混乱に陥っていた人々も、多少の冷静さを取り戻し、戦える者は戦列に加わった。
 オルハの戦士達と共に、エクリュは青く輝く『オディウム』を持って戦う。時折、過去の魔王のものと思われる記憶が脳裏をかすめてゆくが、戦いの手を止めるほどではない。振り下ろされる手斧を、後方宙返りをして避け、地に足が着くと同時に跳ねて、敵の懐に飛び込み、深々と心臓を貫く。そのまま斬り払って、横から来ていた新手を袈裟懸けに。背後から迫っていた一体には、振り向かないまま顔面に強烈な肘鉄をくれてやった後、仰け反った相手の喉笛をメイヴィスが引き裂く気配を感じ取った。
 数秒、相手取る敵がいなくなって、ほうと息をついた瞬間、エクリュの鼓膜に、高い泣き声が突き刺さった。声の方を振り向けば、炎に囲まれて逃げ場を失くした幼女が、わんわんと喚いている。
 助けなくては。その考えがエクリュの頭に浮かんだが、生憎自分は、『氷槍律』以外の水に関わる魔法を持ち得ない。それだけでは炎を消して助けに向かう事が出来ない。
 どうすればいいか。数瞬戸惑った後、少女は天啓のように閃いて、「メイヴィス!」と背後を守ってくれている少年の名を呼ぶ。振り返る彼に向け、エクリュは幼女を指し示し、言った。
「お前を頼る!」
 二人の間に、それ以上の言葉は必要無かった。エクリュの意図を正しく察してくれたメイヴィスは、力強くうなずき、前傾姿勢に構えると、瞬く間にたてがみを持つ虎に姿を変えた。
 虎は一声吼えると、高々と跳躍して炎を乗り越える。突然目の前に現れた猛獣に、幼女は驚きのあまりに泣くのも忘れてひくっと喉を鳴らした。だが、余計に混乱して炎の中へ飛び込むのではなく、その場に硬直してくれたおかげで、メイヴィスは幼女の襟首をくわえると、またも炎を飛び越え、オルハの非戦闘員が見守る場所まで連れてゆく。
 戸惑う人々の前で、虎は幼女の服から牙を離す。まだ濡れた目をしばたたいている幼女の頬を、軽くひと舐めして、彼はエクリュの傍らへと舞い戻ってきた。
 だが、二人が再び敵に立ち向かおうとした時だった。メイヴィスの脚に『地槍律』の棘が突き刺さって、彼は悲鳴じみた鳴き声をあげながらうずくまった。
「メイヴィス!」「おい! 大丈夫か!?」
 顔から血の気が引いて、リビエラとキラの叫びが、遠くに聞こえる。虎の傍らへ膝をつけば、棘は左脚を深々と貫いて、ぽたぽたと地面に血を滴らせているのがわかった。
 一体誰が。『地槍律』が飛んできた方向を睨むように振り返ると。
「おや、おやおや」
 こちらを馬鹿にしたような声色と共に、両手を広げて近づいてくる人影があって、エクリュは瞠目した。
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