第8章:魔剣を継ぐ者(6)
「やりました、の?」
「だあな」
 リビエラが恐る恐る訊ねると、キラが敵を大剣の切っ先で突いて、反応が無い事を確かめる。エクリュはその傍で、手の中の剣を見つめていた。刃は色を失って透明に戻り、呆然と目を見開く自分の顔が映し出されている。
 魔剣を手にした途端、膨大な記憶が流れ込んできた。これは、『オディウム』を手にした歴代の魔王の記憶だったのだろうか。聞いた記憶のある声は、もしかして、父アルダのものではなかったのだろうか。その名を呼んだ、母シズナの声も聞いたような気がする。
「エクリュ」
 名を呼ばれたので、のろのろと顔を上げる。メイヴィスが、薄い笑みを浮かべて手を差し伸べている。今は気後れする事も無く、その手を借りて立ち上がる事が出来た。
 キラが、リビエラが、ロジカもシステも集まってくる。エクリュは仲間達の顔を順繰りに見回し、そして、
「ありがとう」
 と深々と頭を下げた。
「なーに、こんなの、礼を言われる内に入らねえよ!」キラが豪快に笑ってわしゃわしゃと頭を撫でてくる。
「まったく、無茶しやがるとは常々思ってましたけど、今回も派手にやらかしてくれましたわねえ」リビエラはどこか呆れた口調ながらも、顔を上げれば、微笑しているのが見られる。
「我々は姉上に協力する為の存在。役目を果たしたまで」ロジカが淡々と告げれば。
「目的が一致した故の共闘でしたが、仲間、と呼ぶのも、悪くはないと思います」システが真顔で言い切る。
「エクリュ、これが君の力だよ」
 メイヴィスが、『オディウム』を握ったままのエクリュの手に、一回り大きい手を重ねてくる。緊張に冷えた手に、少年の包み込む手はとても温かくて、昂っていた気持ちを治めていってくれる。
「しっかし番人に蟹とは、ダヌ族もえげつねえ事するなあ」
「高足蟹は、伴侶と決めた相手をその足で囲い込んで、逃がさないようにすると聞きます。その習性を利用して、『オディウム』を守らせたのでしょう」
 キラが再度高足蟹を見上げると、システが淡々と解説する。
「とにかく、目的は果たしたんですもの。戻りましょう」
 リビエラが皆にそう告げながら、傍らのロジカを心配そうに見やった。大きな魔法を並行して発動させたロジカは、また体力を消耗したようで、ふらふらし始めている。
「そうだな。そろそろ潮も満ちてくる時間だし」
 キラがそう言って、「行こうぜ」と皆を促したのとほぼ同時、この空間に今まで無かった声が聞こえてきた。
 嫌な予感に、誰もが顔を見合わせる。果たして、その予感は正しかった。高足蟹がいなくなった時を見計らって、ダヌ族がきいきいと喚きながら、この場に続々と乱入してきたのである。
「時間がねえ!」キラが舌打ちしながら、大剣を握り直す。「突破するぞ!」
 ここまでにのしてきた連中も同族が助けたのか、ダヌ族は、入口付近で待ち構えていたのと同じくらいの数が押し寄せる。消耗して戦力にならないロジカをメイヴィスが背負い、攻撃魔法を持たないリビエラはシステとキラがかばい、エクリュは手に入れた『オディウム』を早速振るいながら、洞窟内を駆け抜ける。
 魔剣は見た目の重厚さに反して、とてつもなく軽々と振り回せる。再び輝いた青い光が尾を引く度に、脳裏をよぎる誰かの記憶があるが、戦いの邪魔をするほどではない。むしろ、我々の分まで戦え、と、エクリュを鼓舞するかのようだ。
 過去の魔王達に背中を押されながら、魔王の娘は、魔王の剣を存分に振るった。
 次々と現れる敵を退けながら、どれくらい走っただろうか。やっと、と思える時間が過ぎた頃、洞窟の出口が見えてきた。だが、そこは三分の一ほどまで海水に埋まりつつあり、干潮時間の終わりが近づいているのは明白だった。
「走れ!」
 キラの号令の下、膝まで水につかりながら、エクリュ達は駆ける。尚も追いすがってくるダヌ族に、エクリュは無意識に手にしていた物の存在を思い出し、緑の魔律晶を取り出した。高足蟹が泡を吹いたのと同じ音がして、緑のあぶくがダヌ族に襲いかかる。『毒素律』を浴びた敵は、たちまち咳き込みながらその場にうずくまり、追撃の手が緩む。その隙に、一行は出口を通り抜けた。
「若!」
 船で待っていたカッシェが、主の無事を目にして、ほっとした息を洩らしたのも束の間、「早く船へ!」と手招きする。
 潮が満ちてきたおかげで、出口と船は、行きより距離が近くなっている。ロジカをおぶったままのメイヴィスは軽々と跳躍して船に乗り込み、リビエラが縄梯子を伝う後ろから、エクリュとキラも続く。
 残るはシステになった時、彼女は「あっ」と小さな悲鳴をあげて倒れ込み、派手な水飛沫をあげた。彼女の足首を、毒を浴びながらもしぶとく追ってきたダヌ族がつかんで引きずったのだ。
「システ!?」
 キラが声をあげ、助けに降りようとする。しかし。
「若はそのまま!」
 彼の脇を駆け、甲板から飛び降りたのは、腹心であるカッシェだった。オルハの戦士は片刃剣を鞘から引き抜き、落下の勢いを威力に乗せて、システを捉えているダヌ族を頭から真っ二つにする。
「さあ、お嬢さん、先に」
 予告無しに水中に倒れ込んだせいで海水を飲んでしまい、激しく咳き込むシステを、カッシェは叱咤する。だが、彼は全てを言い切る前に、「ぐっ」と呻いて、がくりと膝を折った。その背に、氷の槍が刺さっているのをみとめて、エクリュ達は一様に息を呑む。どこまでもしつこいダヌ族が、『氷槍律』を放ったと気づくのは容易かった。
 白い波を立てる海水に、喀血と流血の赤が混じり込む。致命的な攻撃を受け、口から大量の血を吐きながらも、カッシェは尚立ち上がり、目を見開きその場に立ち尽くすシステの肩を押した。
「若を、よろしく頼む」
 そう言い添えて。
 システが何かを言い返そうとした時、更なる海水が訪れた。システとカッシェの身体が波にさらわれる。だが、無事に甲板近くまで流れ着いたのは、システだけだった。エクリュとリビエラが二人がかりで彼女を引き上げ、三人でもつれあって甲板の上に転がる。
「カッシェ! カッシェ!!」
 キラは船の縁から身を乗り出し、己の右腕に向かって、必死に手を伸ばしていた。だが、波は無情にも、赤い尾を描きながら彼我の距離を開けてゆく。
「若、どうか、オルハの、長として」
 エクリュ達がカッシェの言葉を最後まで聴く事はかなわなかった。更なる流れが彼を飲み込み、波間へと消し去る。
 腹心の名を叫ぶキラの慟哭は、波の音に飲み込まれる。甲板の上で呆然とへたり込んでいたシステが、「わたしは、わたし、は」と、壊れた人形のように繰り返したかと思うと、口元を手でおさえ、その両目から、初めて見る涙を溢れさせる。
 魔剣は取り戻した。聖剣『フォルティス』の時のように、大事な誰かを犠牲にして。
 エクリュは手の中の『オディウム』を見下ろす。青い光を放った魔剣は今、暮れゆく夕日の赤を重ねて、紫という、魔王の色に染まっていた。
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