第8章:魔剣を継ぐ者(5)
 火球が四散すると同時、高足蟹の姿はまたかき消え、肉眼でとらえる事がかなわなくなる。
「『遮蔽律』を体内に取り入れていると推測する」
「先に魔律晶だけを取り出す事は難しいでしょう」
 ロジカとシステが身を起こしながら、推断する。そしてそれは、間違っていないようだ。ダヌ族の見張りが奥に行くほど減っていったのは、最後にこの、絶対的な守護者が控えていたからだ。
 魔王の血により魔物の存在を直感で覚れるエクリュと、『化身律』が敵の気配を教えてくれるメイヴィス、戦士として勘を鍛えているキラは、次にまた高足蟹の攻撃が来ても、容易に避ける事が出来るだろう。だが、殺気を察知する事にかけては一般人程度のリビエラと、魔族に近いといっても身体能力は人間と同等に造られているロジカとシステは、逃げ切る事が難しいに違い無い。
「魔法を使う奴は下がれ! 俺達が引きつける!」
 同じ事をキラも考えたらしい。大剣を構えながら叫ぶ。物事の理解力はエクリュ並だが、『直感を信じて動かれて、それで道を誤った事は皆無と言って良い』と言ったカッシェの評価は間違っていないらしい。
「エクリュ」
 チャクラムを手にしたメイヴィスが駆け寄ってきて、高足蟹がいるだろう方向を睨みつけながら、低く囁く。
「この場の指示はキラに任せて良さそうだ。オレ達が援護するから、君は、魔剣を取りにいく事だけを考えて」
 そう言い残すと、少年は地面を蹴って走り出し、宙に向かってチャクラムを投げつける。武器は空中で弾き返され、びゅん、と空気を切る気配が迫ってくる。
「ふんぬ!」
 があん! と、金属同士がぶつかるような音を立てて、キラが眼前に立てた大剣に、見えない重たい何かがぶつかる。先程壁を凹ませた程の威力をもつ攻撃だ。受け止めたキラには相当な負荷がかかっているだろう。
 だが、彼は怯まなかった。「うおりゃ!」一声と共に、剣を振り抜く。足が一本切り落とされ、本体を離れて見えるようになったそれが、くるくると宙を回転しながら吹っ飛び、台座から離れた場所に突き刺さった。
「蟹なら食えるか?」
 キラが呑気な事を口にしたが、安穏としている暇は無かった。空気がびりびりと震える。足を切られた高足蟹が怒り、鋏を振り上げる気配が、エクリュに伝わった。
「下がれ!」
 青年に警告を発しながら、剣を鞘から抜き放って跳躍する。空中で、鋏の攻撃とエクリュの迎撃がぶつかり、甲高い音を立てて真っ二つに折れたのは、剣の方だった。その反動でエクリュの身体は吹っ飛ばされ、地面に叩きつけられる。咄嗟に受け身は取ったが、衝撃を殺し切れず、ごろごろと転がった。
「エクリュ!」
 回る視界の中、メイヴィスの声が聞こえる。彼が自分の身体を抱き上げて跳ねた直後、その場所が鋏で大きく穿たれた。
 りんりんと鈴が鳴るような音がして、リビエラの『回復律』が、身体の痛みを消してくれる。弦を弾くロジカの『火炎律』に併せて、金属板を打つシステの『雷撃律』が発動し、高足蟹の身体を叩いて、その姿をほんの数瞬映し出す。そこへキラが斬りつけるが、刃が届く直前、ぶわりと泡が吹き出された。キラは反射的に身を引いたが、それが正しかったようだ。泡が触れた地面の一部が、しゅうしゅうと緑色の煙を立てながら溶けてゆく。
「『毒素律』まで持っていますね」
 次の魔法の構えを解いて、システが苛立たしげに目を細めた。「厄介です」
「なら、当たらなければどうって事は無いのでしょう?」
 リビエラが鼻を鳴らし、『混合律』の杖をかざす。長い指笛にも似た音と共に、エクリュ達それぞれの身体を、薄い虹色の膜が覆う。『障壁律』を、個々にかけたのだ。
「よっし」キラがにやりと笑いながら大剣を構え直した。「これで毒も怖くないぜ!」
 そう言った直後、ぶうん、と見えない足が空気を薙いで、「ひょほへい!」とキラが変な悲鳴をあげながら身を伏せる。
「馬鹿やってるんじゃねえってんですのよ!」
 リビエラが呆れた様子で声を張り上げた。
「泡は防げても、物理的な攻撃を喰らったら、即御陀仏ですからね!」
「んな事言っても、見えないもんはよお……」
 次々と繰り出される不可視の攻撃を、エクリュとメイヴィスとキラは必死に避ける。その合間にロジカとシステが魔法攻撃を加えるが、規格外の大きさを持つ高足蟹の甲羅は防御も規格外らしく、一向に決め手にはならない。このままでは、前衛の持久力が切れて攻撃に捕まるか、後衛の体力が底を尽き魔法が放てなくなるか、どちらかが先に起きて、均衡を保てなくなるのは明白だ。
「見えない……見えない相手を見えるように……」
 エクリュの傍で、ぶつぶつ呟きながら何度目かの攻撃を後方宙返りで避けたメイヴィスが、不意に思い立ったようにロジカとシステを振り返った。
「二人共! さっきの魔律晶!」
 エクリュとキラには何の事かわからず、思わずぽかんとしてしまう。だが、神の子である聡い二人には、それで充分だったようだ。
「わかりました」
 まずシステが桃色の『反鏡律』を取り出す。連続で鐘を鳴らしたような音と共に、魔法を跳ね返すきらきら輝く光が、味方ではなく、高足蟹にまとわりつく。
「システに続く」
 ロジカがすぐさま薄青い『飛散律』を手にし、そこに『闇刃律』をぶつけた。高速で金属を打ち合わせる協奏曲が奏でられ、通常の数倍に数を増やした闇の刃が、『反鏡律』と反発し合い、それによって、高足蟹の位置が明確に映し出される。
「エクリュ、行くんだ!」
 メイヴィスがエクリュに向けて叫ぶ。それでエクリュも悟る。高足蟹の腹の下に潜り込むチャンスは、『闇刃律』がその姿をはっきりと映し出しているこの数秒間だけだと。
 直後、身体が羽のごとく軽くなる。リビエラが『加速律』を使ってくれたのだ。仲間達が作ってくれた、この千載一遇の機会を逃す訳にはいかない。跳ねるように地面を蹴って、エクリュは高足蟹の腹の下へと駆け出した。
 せめてもの抵抗か、毒の泡が降ってくる。しかし『障壁律』に守られたエクリュの前には、泡は触れるより先に割れて消え、足を止めるには至らない。
 滑り込むように。高足蟹の腹の下へ潜って、魔剣『オディウム』に手を伸ばす。その手が、柄をしっかりとつかむ。
 瞬間。

『アルダ!!』

 自分ではない、だが聞き覚えのある誰かの声が、脳内に響いた。
 場面が移り変わるように、次々と、自分のものではない記憶が頭の中をよぎってゆく。
 平伏する魔族達に何事かを宣言する誰か。
 赤く光る刃を満足げに見つめる誰か。
 青く光る同じ形の剣を持った相手を見つめる誰か。
 次もお前と共にいる、と言った誰か。
 絶望に心を支配された誰か。
 その誰かに、生きる事を望んだ誰か。
 その誰かに望む、どこかで聴いた声。

『俺は君に生きて欲しい! どんなに血に汚れても、どんな罪を背負っていても構わない! 俺が君の苦しみの半分を請け負う! だから、これからの喜びも分かち合ってくれ!』

 胸が熱くなる。自分が言われた訳ではないのに、訳も無く涙が溢れてくる。
「――うああああああああっ!!」
 心に満ち溢れる、懐かしくも哀しい想いのままに叫びをあげると、手にした魔剣が、静かに青い輝きを帯びる。
 咆哮を放ちながら。
 エクリュは魔剣『オディウム』を台座から引き抜くと、高足蟹の腹に深々と突き立てる。青黒い体液が降り注いで服を汚すが、怯む事無く、更なる雄叫びを迸らせ、一気に振り抜く。
 魔剣は敵の腹を容易く斬り裂き、その傷口から、透明な『遮蔽律』と、見るからに禍々しい緑色をした『毒素律』が転がり出る。すると、足一本一本がエクリュの背丈より長い、巨大な高足蟹が全貌を現した。エクリュが急いで魔律晶を手に取り腹の下を脱出すると、高足蟹はがくりと力を失って台座の上に崩れ落ち、ぴくりとも動かなくなった。
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