第8章:魔剣を継ぐ者(1)
 エクリュ達が、ダヌ族の海底洞窟に向けて集落を発つ時、オルハの民は皆、家々から飛び出して、それを見送った。
「若様がんばってー!」
「長、行ってらっしゃい!」
「ダヌなんか、ぼっこぼこにやっつけちゃえ!」
 その人気の中心にいたのは、族長であるキラだ。
「おう! ガツンとやってくるぜ!」
 彼は人々の歓声に、拳を突き上げて笑顔で応え、用意された船に乗り込む。
「まだ実力が不足していても、民を思いやる心で人気を博した為政者の話は、記録に残されている」
 だから彼も、そういった部類の人間なのだろう、とは、ロジカの推論であった。
 キラの腹心であるカッシェが操る船に乗って、南海へ漕ぎ出す。大陸から渡ってきた時より遙かに小さいこの船には、ここ数年で開発された最新型の魔律晶『駆動律』が搭載されていて、ほとんど人の手を必要とせず、帆で風を受けずとも、海を渡る事が出来る。
 なので、エクリュは暇を持て余し、甲板で縁に寄りかかり頬杖をつきながら、ぼんやりと海を眺めていた。
 海面は陽の光を受けて、きらきらと輝いている。海鳥が鳴きながら空を渡ってゆき、波の遠くでは、魚にしては大きな流線型の何かが跳ねるのが見えた。
 だが今、エクリュの碧の瞳には、それらの光景は映ってはいるが、何の感慨ももたらすものではなかった。
「……はあ」
 目を細めて、溜息を吐き出す。
『君に頼りにしてもらえるほどの対等な存在に、オレはなりたい』
 早朝、メイヴィスに言われた言葉が脳裏を巡り、真摯に見つめていた朝焼け色の瞳がまなうらに焼き付いて離れない。
「ふう」
 隣ではシステが同じように縁に頬杖をついて、彼女らしくなく吐息を洩らしている。何故か見事にタイミングが合って、二人共に頬杖を解いて腕を組み、その上に顎を乗せて、「ほう」と嘆息した時。
「何、揃って黄昏たそがれてやがるんですの」
 リビエラの呆れきった声が耳に届いたので、視線をずらせば、彼女が向こうから歩いてくるのが見えた。
「……わかんない」
 身を起こし、少しのけぞって背筋を伸ばしながら、エクリュはとつとつと語る。
「こう、胸のあたりがどきどきもやもやして、すっきりしない。食べ過ぎた訳じゃないのに」
「エクリュに同意します」
 システも腕組みを解いてこちらを向いた。
「昨日から、今まで経験した事の無い、身体と精神の変調を覚えます。ですが、この身に病の兆候は感じられません。不可解です」
 二人の訴えを聞いたリビエラが、何だかとても酸っぱい物を口にしてしまったような顔をした。彼女には心当たりがあるのだろうか。二人揃って首を傾げると、リビエラはやたら大げさな長息を吐いてみせた。
「ああー……もう」彼女は額に手を当てて唸る。「そりゃあ、そういう所について鈍感な貴女がたにはわからないでしょうよ」
 そして、びっとエクリュの鼻先に人差し指を突きつけてきた。
「ずばり、こい!」
「ここにいるぞ」
「『来い』じゃねえってんですわよ」
 エクリュの的外れな応えに突っ込みを入れて、リビエラは高々と声をあげる。
「恋ですわよ、恋! 貴女がたそれぞれね、メイヴィスとキラに恋してやがるんですのよ!」
 一瞬、船が波をかき分ける以外の音が途切れる。
 恋。
「それって、ともだちやかぞくとは違うのか?」エクリュは首を傾げ。
「恋。知識としては把握しています」システが読み上げるように淡々と告げる。
「お互いに、あるいは一方的に好意を抱く事ですね。その想いが高まると、友人以上の関係になり、やがては真の家族になる為の、初歩段階です」
「四角張った言い方ですけど、おおむね間違ってはいませんわね」
 リビエラが目を細めてかぶりを振り、それから、やたら嬉しそうに口元を持ち上げた。
「わたしはキラと出会ってまだ一日です。恋をするには時間が不足していると考えます」
「恋に時間も理屈も関係あるかってんですのよ」
 不可解そうに眉間に皺を寄せるシステに、リビエラがぴしゃりと言ってのけると、彼女は「恋……」とあらぬ方向を見やって、まるで知らぬ言葉のように繰り返す。
 そしてエクリュも、高鳴る己の胸に手を当てた。メイヴィスの事を考えると、心拍数が上がる。笑いかけてもらった記憶が、きらきらして蘇る。彼が泣いた時に胸を貸した事が、今更ながら恥ずかしい。恋とは、こんなにも面映ゆくて、でもやたら嬉しくなる事なのか。ぐるぐる目が回りそうになる。
 そんな二人をにやにや笑いながら順繰りに見渡したリビエラは、ふっと笑みを消し、再度溜息をつく。
「まあ、うちの男共は、馬鹿と奥手とポンコツですものねえ。誰が最初に進展するやら」
 どれが誰の事を指しているのか。エクリュにはわからないが、どうもメイヴィスとキラだけでなく、ロジカも数に入っているらしい。どうして三人なのだろうか。エクリュが再度首を傾げた時。
「ははは、うちの若を馬鹿と言い切るとは、骨のあるお嬢さんだ」
 野太い笑い声がかけられて、リビエラがびくうっと背筋を伸ばし、のろのろと背後を振り返った。
「あ、あら、聞いていらして?」
 いつの間に来ていたのか、カッシェが彼女の後ろに立っていた。船の操縦は『駆動律』任せなので、彼も手を離す事が出来るのだろう。リビエラが口元を引きつらせると、オルハ族長の右腕は、もしゃもしゃと口髭を動かして、笑ったようだった。
「いや、若は我々から見ても、圧倒的に思慮が足りぬと感じる事があるからな。お嬢さんの見立ては正しい」
 だが、と、彼は続ける。
「若はその分直感を信じて動かれて、それで道を誤った事は皆無と言って良い。そして、お辛い生まれであった分、己の民を深く愛しておられる。それがあの若さにして慕われる理由だ」
 言われて、エクリュは出立の時を思い出す。集落の誰もが、キラの勝利を信じて、心から応援していた。エクリュはザリッジのような、己の利だけを考える輩しか見てこなかったが、本来上に立つ人間とは、キラのようにあるべきなのだろう。
「だから」
 と、カッシェがシステの方を見やる。
「お嬢さんみたいに聡明な女性が、若の傍についていてくれると、我々としても安心出来るんだがなあ」
「わたしはまだ、キラがわたしの伴侶に値するか、判じる事が出来ていません」
 システが珍しく憮然とした表情で言い返すと、それも織り込み済みだったのだろう、カッシェは何度もうなずく。
「ああ、ああ、まだそれで構わんよ。お嬢さんが若を良く見て、理解した上で、どう思うか。一生を決める大事おおごとだ、ゆっくり考えてくれて構わない」
「一生を、決める」
 そこまでは思い至っていなかったのか、システがおうむ返しに呟いて、胸に手を当てうつむく。それを見ていたエクリュの脳裏にも、ぐるぐると考えが巡っていた。
 父と母も、真の家族として一生を過ごす為に、恋をしたのだろう。勇者と魔王に分かたれた後も、結局お互いを憎み切る事は出来なかったのだと、ミサクから聞いている。自分も、出来るのだろうか。メイヴィスと、本当の家族になる為に、恋をする事が。
 生まれて初めての想いに戸惑う女子達の集いは、しかし、「おーい!」と反対側の甲板から飛んできたキラの声で、終わりを告げる事になる。
「目的地が見えてきたぜ!」
 手を大きく振りながら駆けてきた青年は、揃っている面子と、何だか神妙そうな空気も気にせず、
「あ? 何やってんのお前ら? もしかして、飯の相談?」
 などと頓珍漢な事まで言ってのける。
「違います」
「ああ、もう、ほんっと馬鹿野郎」
 システが心無しか頬を紅潮させながら否定し、リビエラが額に手を当てて唸り、そんな彼女達を見たカッシェが、苦笑しながら肩をすくめた。
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