第7章:南方の戦士(6)
 ちゅんちゅんと、鳥のさえずりが聞こえる。窓の外は明るい。
 久しぶりに、波の揺れを感じない朝を迎えて、エクリュの意識は気分良く覚醒した。
 酒を飲んで潰れたところで記憶は途切れているのだが、そのおかげでかえって深く眠れたのだろう、頭は冴えている。寝台を降りれば、鏡台前の椅子に、新しい服がかけてあるのが目に入った。前の服は海水でばさばさになってしまったので、キラが用意させたのだろう。
 昨夜寝落ちたままの簡素な服を脱ぎ捨て、まだ誰も身にまとった事の無い服に腕を通す。柔らかい布を使った、青を基調にしている服は、ぴったりと身に沿ったが、裾が短く、シャンテルクで買ってもらった服同様、すうすうして落ち着かない。どうしたものかと途方に暮れかけた時、椅子の背にまだ引っかかっている衣装に気づいた。膝丈のスパッツだ。それを穿くと、太腿が引き締まる感触がして、違和感も治まった。
 後は、座面に置かれていた剣帯と、青い鞘に収まった一振りの長剣を手に取る。そういえば、食事の席で、キラはエクリュ達の得意武器を訊いて、カッシェにそれを伝えていた。各々に合う武器も調達してくれたに違い無い。
 鏡の前で、柄に手をかけ、鞘から抜き放つ。オルハ族の男達が持っていたのと同じ片刃剣が、窓から差し込む朝日を浴びて、きらりと輝いた。
 両刃ではない剣をどのように扱えば良いか、実のところ良くはわからないが、ベルカのコロシアムで持たされていた、刃こぼれしまくりのなまくらよりは、敵を斬れるだろう。鏡を覗き込めば、きりっと唇を引き結んだ自分が、こちらを見つめていた。
 剣を鞘に戻し、剣帯を装備すると、部屋を出る。朝食にはまだ早いかと思いつつ廊下を歩いていると、窓から庭の様子が見える。そこに、見覚えのある後ろ姿を見つけて、エクリュはぱちくりと瞬きをし、相手の名を口にした。
「メイヴィス?」
 彼の耳は、こちらの声を聞き取ってくれたらしい。肩が揺れて、振り返る。
「あ、エクリュ」橙の瞳が細められ、少年が微笑む。「おはよう」
「おはよう」
 エクリュは応えると、窓枠に手をかけて跳ね上がり、廊下から庭へと飛び出した。メイヴィスが驚いた様子で目をみはる。
「何でそこから来るの」
「出口を探すのが面倒だった」
 唖然とする少年にあっけらかんと答えれば、溜息が返ってくる。
「まあ、エクリュらしいけど」
 少年はそうぼやいて、こちらをまじまじと見つめてきた。一体何だろうか。小首を傾げると。
「似合うね」
 彼がまた笑み零れた。新しい服の事を言っているらしい。そういう少年も、一度化身してしまったので、南方の戦士の服を身にまとって、腰に短剣を帯びている。無駄な肉の無い、少し細身とも言える身体に、その衣装は良く馴染んでいた。
「お前も似合ってるぞ」
 その途端、メイヴィスの頬が紅潮した。「あ、はい、どうも」と、落ち着きを無くしてしどもどし始める。何故この少年は、エクリュが褒めると、こうも照れるというか、動揺するのだろうか。眉根を寄せると。
「……あ」
 メイヴィスがはたとこちらに向き直り、指で頭を小突いた。
「エクリュ、リボンは?」
 言われて頭に手をやる。そういえば昨日から髪の毛が鬱陶しいと思っていたが、どうやら烏賊もどきとの戦闘の中で、リビエラからもらったリボンまでも失くしてしまっていたらしい。
 髪をまとめているのは、コロシアムにいた時からの習慣で、このまま戦うのは非常に邪魔だ。どうしようかと思案した時、メイヴィスが、その髪を結わいていたリボンを解いて、「これ」とエクリュに向けて差し出した。
 手を伸ばして受け取る。白いリボンは、年期が入っているのか少しくたびれていて、ごくうっすらと、血の跡のような古い染みも見受けられる。
「母さんの形見なんだ」
 形見。その言葉の意味はエクリュにはわからない。だが、メイヴィスが彼の母親について言及した事から、その母親が遺した物なのだろう、と解釈し、いつも通りに、高い位置で紫髪をまとめた。
 それから、今度は少年の髪がほどけて肩に流れている事に気づく。
「お前はどうするんだ?」
 まさかそのまま戦う訳ではあるまい。疑問を発すると。
「ああ、オレはこうするから」
 彼はふっと笑みを零し、腰の短剣を抜き放つと、それまでその亜麻色の髪を結っていた辺りに刃を当て。
 ざっくりと。
 躊躇い無く切り落とした。
「後でリビエラにもう少し整えてもらわないといけないかな」
 切り落とした髪を持った手を開き、さわさと吹き抜ける風にさらわれるままに任せて、少年はぼやく。そして、短剣を鞘に戻すと、
「エクリュ」
 瞳に決意の炎を燃やし、まっすぐにこちらを見つめてきた。
「オレ、強くなるよ」
 今でも充分強いと思うが。エクリュがそう口を開きかけるより前に、少年は続ける。
「命懸けで君を守る、なんて自信過剰な事は言わない。ただ、ミサクの分まで、君の隣に立って、君に頼りにしてもらえるほどの対等な存在に、オレはなりたい」
 とくん、と。
 エクリュの心臓が、今までに無い高鳴りを告げた。
 それが何故かはわからない。戦いの緊張以外でこんな風に胸がどきどきした事は無かったし、よしんばあったとしても、その理由を教えてくれる人は、ベルカで暮らしている頃にはいなかっただろう。
 頬が熱くなるのを感じる。いつも照れてばかりの、目の前の少年の事を笑えない。その真剣な顔を直視出来ない。
 だからエクリュは、赤くなっているだろう顔をうつむけて、
「……わかった」
 と、小声で返すしか出来なかった。
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