第7章:南方の戦士(5)
 半月と星々の明かりだけが地上を照らす宵闇の中、リビエラは食事の場を後にして、屋敷の外庭へと出てきていた。エクリュが酔い潰れた騒ぎが去った後、気づいたら、自分の隣の茣蓙も空席になっていたので、予感があって、『混合律』の杖を手に、庭を歩く。
 果たして、探し求める人物はそこにいた。腰掛け用に置かれたのだろう岩に座り込み、ぐったりと背を丸めている。
「何してるんですの」
 意識して平静を装いながら声をかければ、顎辺りまでの薄緑の髪を揺らしながら、億劫そうに彼が身を起こし、紫の瞳をこちらに向けた。
「大事無い」
「大事無かったら、そんなだるそうにしてやがりませんでしょうに」
 リビエラの言い分に、相手――ロジカはしばし沈黙していたが、やがて、ふっと目を逸らし、何でもずばずば言う彼にしては非常に珍しく、一瞬躊躇ってから、「たまにある」と再度口を開いた。
「ロジカは魔力に特化して造られた分、体力の減少速度も他の摂理人形より速い。丸一日継続した活動が保たない場合がある事も、自分で確認している」
 それを聞いたリビエラは、苦い物でも口に含んだかのように口元を歪め、
「そんなこったろうと思いましたわよ」
 と、少年の前に立つと、『混合律』の杖をかざした。りん、と涼やかな音と共に魔律晶が『回復律』の青い燐光を放ち、ロジカの胸に吸い込まれる。
「ほんの気休めですけれど、何もしないよりはましでしょう」
『回復律』の消えたあとをぼんやりと見つめている少年に向け、わざと突き放すように言うと、彼はリビエラをまっすぐに見上げた後、深々と頭を下げた。
「ロジカはリビエラの厚意に感謝する」
「べ、別に感謝されるほどの事はしてないってのよ。誤解しないでくださる?」
 そう告げながらそっぽを向いたが、頬が熱くなるのを自覚する。心拍数が上がる。何故この少年を相手にするとこんな気持ちになるのか。エクリュのように、人間関係の機微に鈍感ではないリビエラは自覚しているが、それを口に出すのは悔しくて、黙ってロジカの隣に腰を下ろした。
 昼間の暑さは去り、涼しい風が頬を撫で、虫の鳴く声が聴こえる。しばらくの間、二人とも口を閉ざしたまま、沈黙が流れたが。
「……眠い」
 ロジカがぽそりと呟いて、ふらふら上半身を揺らし始めた。
「ちょっと貴方、こんなとこで寝ないでくださる? わたくしでは、部屋に運べなくてよ」
「大丈夫だ」
 リビエラが慌てた声をあげて腰を浮かせると、ロジカはふるふると首を横に振る。
「十五分ほど、仮眠を取れば、体力は少し、回復する。そうしたら、ロジカは、自力で部屋に、戻れる」
 喋り方も何だか途切れ途切れで、いつものはきはきした気概が無い。これは本格的に駄目そうだ、と思ったリビエラは、再びすとんと座り、杖を脇に置くと、「ん」と言いながら、自分の脚を指差した。
 眠気で半眼になったロジカが、不思議そうに首を傾げるので、「わかりやがりなさいな、相変わらずぽんこつ頭」と毒を吐く。
「回復するまで、わたくしの膝を貸してやるってんですのよ。ありがたく思いなさい」
 ロジカが軽く目をみはった。この少年でも驚く事があるのだな、と思っていると、「感謝する」と言うが早いか、彼はへにゃりとこちらに倒れ込み、リビエラの脚を枕にして、あっという間に寝息を立て始めた。
 男性にしては少し身長が小さいロジカだが、かかる重みはそれなりにあり、女性の自分とは違うのだ、という感想をリビエラに与える。その寝顔を見下ろせば、赤子のように無防備で、とても人間離れした魔法を使う、神に造られた存在とは思えない。
「……どうして」
 手を伸ばし、頬に流れた髪を退けてやりながら、リビエラはぽつりと呟く。
「どうして貴方が、あのくそったれ神の子なのかしら」
 もし彼が、ただの人間だったら、ここまで複雑な想いを抱く事も無かったのに。
 彼女のそんな、声にならない哀しみを聞き届ける相手は、その場にはいなかった。

 エクリュとメイヴィスが去り、ロジカとリビエラもいつの間にかいなくなった食事の場には、キラとシステだけが残っていた。
「良い仲間達じゃねえか」
 キラが笑みを洩らしながら、残っていた果物を口にすると、冷えた麦茶をすすっていたシステが、不可解そうに振り向く。
「そうでしょうか」
「そうだ、あんたは恵まれてる」
 小首を傾げる少女に向けて白い歯を見せ、キラはふっと笑みを消して、宙に視線を馳せた。
「身近な人間が自分を心配してくれる、必要としてくれるってえのは、本当にありがたいんだ」
「その言い方からは、貴方がそうではなかったのではないかと推測出来ます」
 システが真顔で言うと、「あんた、本当に頭良いなあ」とキラはしみじみと呟き、そして、すっと目を細めた。
「俺は必要とされてなかったんだよ、自分の母親に」
『お前なんかを孕まされたばかりに、あたしの人生はめちゃくちゃだ!』
 幼い自分に手加減無く平手を叩き込みながら、ヒステリックに叫んでいた女の声。結婚を誓った相手がいた所を、先代の長に見初められたばかりに、引き離され、望まぬ子供を宿した彼女は、決して我が子を愛しはしなかった。
『ああ、汚らわしい。あの汗臭い男の血が混じったと思うと、鳥肌が立つよ!』
 口汚く罵り、心身共に虐待を加え、やがて精神を病み、自分の幸せを奪った男の心臓を短剣で貫いて、高笑いしながら自らも喉をかき切って果てた。その赤い光景は、今もまぶたの裏に焼きついている。
「それは、何となく理解出来ます」
 苦い思い出に顔をしかめると、システが手の中の麦茶を見つめながら、ぽつり、と零した。
「一番近い存在に不要とされる事は、絶望を誘います」
 彼女に視線を戻せば、少女はきゅっと唇を噛み、何かを思っているように見える。リビエラから説明を受けた中で理解したのは、彼女も普通の家庭で生まれ育ったのではない、という事だ。
「だから」
 だから、キラは彼女に告げる。
「俺様は、あったけえ家族を作りたいんだ。ちゃんと父親と母親が子供を愛して、子供が理不尽に泣いたりしない家族を」
「家族」
 システが顔を上げ、ふっとこちらを向く。いつもの淡々とした態度が嘘のように、彼女は少し切なげに目を細める。
「わたしは、母である存在を殺そうとしていますが」
「だーかーら!」
 ぽん、と。
 大きな手を彼女の頭に乗せ、キラはぐしゃぐしゃと薄緑の髪をかき回した。
「そういうの、全部終わりにしようぜ。俺達の世代で、さ」
「終わり……」
 紫の瞳が、戸惑いに揺れる。
「出来るかどうか、今のわたしには判断がつきかねます」
「出来るかじゃねえ、するんだよ。その為にも、俺様はあんた達に力を貸すんだ」
 ぽんぽんと、彼女の頭を軽く叩く。さらりとした髪は、指に柔らかく絡む。この心地良さを守りたい。彼女の心底からの笑顔を見たい。それが今のキラの願いだ。
 システはそれでも尚、当惑した様子だったが、こちらの思いは受け取ってくれたらしい。
「ありがとうございます」
 感情は乗っていないが、たしかにそう言って、ぺこりと、小さく頭を下げたのであった。
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