第5章:理性の秩序《システ》(3)
 家の庭先に置かれた、短剣で名前を刻んだ岩が、墓標だった。
 ミサクの遺体を、エクリュは見せてもらえなかった。エクリュだけではない。子供達の誰もが知らない内に、「埋めたよ」と、ユージンが業務連絡のように素っ気なく告げたのだ。
 その墓に手を合わせる男の背中を、エクリュはぼんやりと見つめていた。シャンテルクで出会った、ギルというミサクの元部下だ。彼はシャンテルク屋上に残されていたエクリュの剣とミサクの銃を見つけ、ミサクが『変人医師』と名高いユージンと共に暮らしているという噂を頼りに、武器を届けようとここを訪ねてきてくれて、ミサクの死を知った。
 彼はユージンの診察室に入って、彼女とかなり長い間話をしていた。途中でメイヴィスが珈琲を淹れて持っていったが、扉には鍵がかけられ、ノックをしても、ユージンは「要らないよ」の一点張りで、開扉に応じてはくれなかった。
 そして診察室から出てきたギルが、エクリュに「隊長の墓参りをさせてくれ」と頼んできたので、案内して、現在に至るのである。
「……隊長は」
 黙祷を終えて顔を上げた彼が、こちらに振り返った。
「誰よりもシズナ様を守る事に心を砕いていた。あの女性ひとを守りきる為なら、アナスタシアの唯一王にさえ銃口を向ける事も厭わなかっただろうほどにな」
 隻眼が細められ、ごつい手がエクリュの頭に乗って、くしゃくしゃと髪をかき回す。
「だから、隊長が守ろうとした君は生きてくれ。それは隊長の望みでもあるし、きっとご両親の願いでもある。その為に俺に出来る事があれば、遠慮無く頼ってくれて良いさ」
 胸のあたりがうずうずする。何だか落ち着かない気持ちになるが、しかし不快なものではない。
「じゃあ、また何かあったら来るよ。よろしくな」
 ギルがエクリュの頭を撫でるのを止め、その手を振りながら去ってゆく。ゆるゆると手を振り返しながら、エクリュの胸には小さいが力強い火が灯っていた。
 両親もミサクも、常ならぬ人生を歩んだ。だが、百の悪意を向けられる以上に、こういう温かい善意一つに助けられて、生き抜いてきたのだろう。
 ならば、と決意する。生きよう、失われた命の分まで。生き延びて、もっと強くなろう。そしていつか、神に取り憑かれた母の正気を取り戻し、この家に連れ帰って、一緒に暮らしたい。沢山話をしたい。
 それは、生まれて初めてエクリュが自発的に抱いた意志だった。誰かに強制された生に唯々諾々と従うのではなく、自ら望んで、果たしたいと思う願いだった。
 その為には、今の自分の力では到底足りない。一人で果たせる事だとも思えない。今再び母を依代にしたデウス・エクス・マキナの前に立っても、また神の力に屈し、今度こそ新たな魔王となって、死と破壊をこの世界に振りまくのが関の山だ。
 取り込まれないだけの力が欲しい。それには、もっと剣も魔法も強くならねばならない。リビエラとロジカに頼んで新たな魔法を教えてもらって、メイヴィスには戦闘訓練に付き合ってもらおう。三人を自分の身勝手に巻き込む事になるが、エクリュの予想では、誰にも断られる気はしなかった。リビエラは「仕方無いですわね」とぶつくさ文句を言いつつも嫌々ではなしに応じて、ロジカは「姉上の為になるならば力を尽くす」と二つ返事をしかねない。そしてメイヴィスは、少し困ったように微笑んだ後、「ミサクの仇を、一緒に取ろう」と言ってくれる気がする。これが『かぞく』の関係なのだろうか。薄く笑って考え込んだ時。
 突如後方十数歩の地点に生じた気配に、エクリュははっと表情を引き締め、思考を中断して振り返る。それと同時、赤い魔法陣が複数現れた。この気配を知っている。魔物と、そして。
(ロジカ?)
 彼に果てしなく近い気配だった。
 エクリュが唖然としている間に、相手がその場に出現する。棍棒を持った小鬼ゴブリンが七匹と、その先頭に彼らを率いるように、ゆるい三つ編みにした薄緑の髪を翻して、黒ローブの少女が静かに降り立った。その顔を見てエクリュは更なる驚きにとらわれる。顔の造りが完全一致している訳ではない。だが、少女の髪色と、紫の瞳、そしてまとう雰囲気は、間違い無くロジカと同じものであった。
「はじめまして、エクリュ」
 凜と空気を貫くはきはきとした声で挨拶し、少女が頭を下げる。
「わたしはシステ。生まれとしてはロジカの妹に当たります、と申せば、話は通じ易いでしょうか」
「……ああ」
 ロジカと同じ生まれという事は、エクリュの母を親と慕う者達の一人だ。だが、魔物を連れているのに敵意を全く感じないその態度に、エクリュも身構えず、まっすぐ向き合ってうなずいた。
「エクリュ!」
 メイヴィスの焦りきった声が耳に飛び込んで、複数の足音が近づいてくる。メイヴィス、リビエラ、ロジカが走ってきて、エクリュを守るようにそれぞれの武器を構えた。それでも、システと名乗った少女が怯む様子は無い。つっとロジカの方を見て、「ロジカ」と紫の目を細める。
「本当にエクリュについたのですね。貴方が神から離反したと聞いた時は理解に苦しみましたが、聖剣『フォルティス』が神の手元を離れた今、それもまた理にかなっている行動でしょう」
「なんっか、またよくわかんない事ごちゃごちゃ抜かす奴が増えましたわ」
『混合律』を手にしたリビエラがうんざり顔で零したが、システが気に留める様子は一切見えない。それどころか、「帰りなさい」と背後の小鬼達に命じて、『転移律』の魔法陣を展開させ、一匹残らずその場から消し去ったのである。おまけとばかりに、『転移律』の魔律晶を、帰還する小鬼の魔法陣に放り込んで。
「戦う気も逃げる気も無い訳?」
 短剣を構えて腰を低めた体勢で、メイヴィスが戸惑い気味に訊ねると、システは「必要性を感じますか?」と質問に質問で返してきた。
秩序システムを基準に造られたわたしシステは、理屈ロジックで動くロジカのように、世界の摂理に従って物事を判断するように出来ています。デウス・エクス・マキナは人間を依代にした事で不完全となり、更に今回、勇者が持つべき聖剣『フォルティス』を手放した事で、神であり続ける優位性をも失いました」
 淡々と語りながら、システはゆっくり一歩一歩を踏み出し、エクリュ達との距離を詰めてくる。
「資格無き神に従う事は、わたしの理にはかないません。滅ぼすべきです。ですが、わたし一人の力では神を打倒出来ません。ならば、デウス・エクス・マキナの支配から勇者シズナを解放したい貴女がたと手を組む事は、やぶさかではないでしょう」
「つまり」まだ警戒心を殺さないまま、リビエラが口を開く。「神を倒す為に、自分一人では歯が立たないから、わたくし達を利用しようって魂胆ですの?」
「そう解釈してくださって構いません。協力体制とは有り体に言えば、お互いを利用し合う事だとわたしは考えていますので」
 顎に手を当て、小首を傾げてシステは語る。三つ編みが揺れて黒ローブの背中をさらりと流れた。あまりにあけすけな言い分に、リビエラもメイヴィスもすっかり毒気を抜かれたようで、ようやく構えを解く。しかし、続けられた言葉に、二人の表情が再び強張った。曰く。
「造られたわたし達に残された時間は少ない。その間に目的を果たす為にも、エクリュ、貴女の力が必要です」
 メイヴィス達が反応したのは、後半ではなく、前半部分だ。エクリュは意味がわからずぽかんとし、当事者であるロジカは表情を動かさない。
「何ですの、それ」リビエラがふるふると唇を震わせた。
「エクリュの力が必要だという事についてですか?」
「んな訳あるかってんですのよ! いえ、あるけど、今はそっちではなくて!」
 きょとんと目をみはるシステに対して、リビエラは声を荒げる。
「貴女達の残り時間が少ないって事ですわよ!」
 その剣幕があまりにも想定外だった、と言わんばかりにシステはしばらく言葉を失い、「ああ、ロジカは説明していませんでしたか」と事も無げに話を続けた。
「言葉通りです。デウス・エクス・マキナに造られた存在『摂理人形テーゼドール』は、総じて高い魔力を得る代償に、肉体の寿命は人間よりも早く尽きます。魔王はおおよそ三十年前後。下位互換である我々は、更に半分です」
 誰もが初めて聞く話だった。魔族であるユージンは、二十代後半くらいの外見でありながら、その実五十年近く生きているという。
『魔族の寿命は数百年単位。人間に比べて絶対数が少ない代わりに、長生きして絶滅しないようにしてるって訳』
 いつかの診察の際、世間話として彼女がエクリュにそう語ってくれたのだ。だから、魔王であった父アルダも、生きていれば相当な長寿を謳歌するものだと思い込んでいた。それが、もしただびととしての生を送っていても、もう生きていないかも知れない年齢になっていたというのか。
 衝撃に細かく身を震わせる少年少女に対し、ロジカはまるで他人事のように無感情を保ち、システは「今はそちらが重要な案件ではありません」とあくまで平然と言を継ぐ。
「神を滅ぼすには、聖剣『フォルティス』と魔剣『オディウム』が必要です。実の所、魔王と勇者、どちらがどちらを持とうと関係はありません。元はデウス・エクス・マキナが生物の感情を蒐集する為に生み出した端末兵器ですので」
「神が生み出した剣が、神を滅ぼせるの?」
「可能です」
 メイヴィスがエクリュ達の疑念を代表して発した質問に、システは静かにうなずいた。
「そもそもそれを想定して聖剣と魔剣は造られています。この二振りは、神を補助する武器であると同時に、いざという時には双方をもってしてデウス・エクス・マキナ本体の『複製律』を砕ける、緊急停止装置でもあるのです。長い歳月の中で感情蒐集をした結果、『恐れ』という感情を得たデウス・エクス・マキナは、己の消滅を避ける為、勇者と魔王、相争う存在が手にするように、巧妙に仕組んでいたようですが」
 ふっとひとつ息継ぎをして、彼女は話を続ける。
「『フォルティス』は今、こちらにありますね。しかし『オディウム』は、以前は魔王城に保管されていたのですが、数年前に不届き者が侵入し、南海諸島へ持ち去ってしまいました」
「さっさと取り戻しやがればいいじゃないですの。場所がわかっているのなら」
「不可能なのです」
 リビエラが突っかかるように睨むと、システは長い睫毛を伏せがちにして、ゆるゆると首を横に振った。
「デウス・エクス・マキナの活動範囲は、あくまでこのシュレンダイン大陸の内に限られています。自ら取り戻しにゆく事が出来ないのです。我々と同じ存在や、『信仰律』を持つ人間達を遣わしもしましたが、海路の途中で連絡が途絶え、誰一人帰ってきませんでした」
 唯一、手元に残った情報は、船に搭載した『通信律』が、沈没前に送信してきた、荒れ狂う海と、小山のような大きさをした、八つの光る目を持つ『何か』の映像であったという。
「ちょっと待って」メイヴィスが頬を引きつらせる。「もしかしなくても、オレ達にそれと戦えっていうの」
「必ずしも戦う必要は無いとわたしは結論づけています。回避が可能ならば、それに越した事はありません」
 人間達が若干引き気味なのも気にしないのか、システはあっさりと告げ、「エクリュ」とエクリュを再びまっすぐに見つめた。
「万一遭遇したとしても、相手は恐らく海の魔物。魔王の血を引く貴女がいれば、その存在をもって退散させる事も可能だと、わたしは推測しています」
 だから、と、細い指の手が差し出される。エクリュのように剣を振り回し続けて節くれ立っていない、綺麗な手だ、と場違いな考えが浮かぶ。
「人間が他者にものを頼む時には、頭を下げるのが筋だと聞いています。わたしも力を貸しますので、共に南海諸島に行きましょう。どうかお願いいたします」
 手を差し伸べたまま深々と頭を下げるシステの声は、どこまでも真剣で、本当にエクリュを利用しようとしているのかと疑いたくなるほどに、真摯さがにじみ出ていた。
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